結果を出して安心させてあげる

心配されるんだよね。心配とかかわいそうっていう同情って本当にめんどくさいなって私は思ってきた。それはなんでかって言うと、究極私を信じてくれていないんだなってこと。

でも、これ仕方ない。あなたの人生に責任持つほどあなたに信用も信頼もないから。そして、他者への信頼は自己への信頼に比例すると思う。

信用と信頼は別物だと私は思っていて、今、私はどちらかと言うと信用より信頼を得られる人間になろうと思っている。けど信用を積み上げる方がやり方が簡単。信用は何かの条件をクリアすると信じてもらえるってこと。で、信頼は何も条件なく信じてもらえるってこと。条件があるとしたら、「あなたがあなたであること」が信頼の条件。

すごく似ているようで、結構違うのだ。

ダンサーが仕事をもらうのに、〇〇コンクール入賞とか、〇〇バックダンサー出演とか、こう言ったものは信用。私はダンサーだけどもこう言うものは一切積み上げる努力はしてなくて、完全に「大瀧冬佳が大瀧冬佳である」ことだけに注力している。大瀧冬佳の輪郭をハッキリとつけることが、ダンサー大瀧冬佳として生きていく道。そうなると同じダンサーであっても活動する場所はほとんど交わらなくなる。いいのか悪いのかわからないけど。

もう一つ、信用と信頼について話すと、信用金庫とは言うけど、信頼金庫とは言わない。これはわかりやすい。大瀧冬佳であるだけでお金貸してくれるわけないもん。

信頼関係を築くとは言うけれども、信用関係を築くとは言わない。信頼は精神的な繋がりで、信用は物理的・証拠があっての繋がり、意味や意図、目的があっての繋がりな気がしない?なので、ダンスカンパニーUzmeはキャスティングに命をかけているのだけども、信用と信頼の狭間で選びたいと思っている。ギャラの範疇の仕事を最低限してもらえるプロであり、かつ、団長の思いを形にしたいとプラスアルファの力を発揮しようとしてくれる人が結果全員だったなと振り返って思う。

そう考えると、信頼は未来を信じることで、信用は過去を信じることなのだ。大瀧冬佳自身が突けば何が出てくるかわからないブラックボックス感が強いので、その「この人なら何かやってくれるんじゃないか」って言う期待を増長させていくのが大瀧冬佳の仕事。

そして、表題の「結果を出して安心させてあげる」だけども。信用だろうが、信頼だろうが、他人の9割はいずれにしろ信じてくれないよ。「できない」「無理だ」「無謀だ」とあなたの力を信じてはいない。そりゃそうだよね。

「信じる」をほとんどしない人生ってかなり貧しいと思うのだ。信用でも信頼でも「信じる」ができる人って豊かだとは思いませんか?

色々信じられない人の口癖はきっとこう。「どうせ…」「だって」「〜だったら」「でも」きっとネガティブなものばかり。他者に向けるその言葉は100%自分にはね返ってくる。あなたが私を信じてくれないことは別になんとも思わないが、逆にそこまで否定できる心だと、自分をも否定し続けることになってるだろうなって想像する。

だから、私は有無を言わせぬ圧倒的な結果を出していきたい。時にダメな時ももちろんあるけれど、そんな風に頑なそうに見える、「信じられない人たち」も結果が出た時にはあっさり手のひら返して一緒に喜んでくれるものだ。ちょっと前の私はこの秘技手の平返しが大嫌いだったけども、これはきっと「本当は何かを信じたい」、「信じられるものを一つずつ増やしたい」と言う心の底にある願いの裏返しなんではないかと思うようになった。

ダンスカンパニーUzmeのファンは豊かになっていく。それは、とっても未知なことばかりの得体の知れない無名劇団の表現だけをただ信じられる人たちだからだ。

2018年7月7・8日 大瀧冬佳ソロ公演予告

謎ブレーキと自由の関係性

日本人は無宗教だっていうけれども、そんなことはない。「ふつう教」だ。

脱・普通化!!!「やりたいことができない」、「やりたいことがわからなくなっちゃう」背景にはふつう信仰がある。

私はふつうよりも非常にアクティブ。行動力があって、飽きっぽいし、いつもなんかしらしている。ふつうよりもエネルギッシュ。だからちょいちょい言われる。「頑張りすぎないで」「焦らないで」「ゆっくりね」「落ち着いて」「よく考えて」

私的にはスーパースロウペースでやっているのだけども、そう言われてしまう。言われすぎて、最近はガンガン推し進めていくのが怖くなって、その他大勢に入ってそのペースを学ぼうとまでしようとしていた。

自分の本心でない謎ブレーキを必死にかけていた。アクセル踏み込みたい気持ちをグッと抑えて、ブレーキ、ブレーキ。

けれども、これ本当にしんどいし、面白くないのでもうやめることにした。

全然私は頑張っていないし、焦っていないし、落ち着いている。よくも考えているけど周りが遅すぎるだけで考えていないように見える。ある程度考えたらあとはやってみないとわからないってことがほとんどだし、考えすぎるとできなくなる。やる気がなくなっちゃう。

そんな風に何かに止められている気がしていたけど、誰も私の行動を止めようとなんてしていなかったことに気づく。ブレーキをかけられてたんじゃなくて、ブレーキかけているのは他でもない自分だったんだ!!!

だから「謎ブレーキ」なんだよ。あなたがブレーキかけたところで、何に誰に一体遠慮しているのかとにかく謎案件!!!

ついつい平均化。ついつい標準化。ついつい普通化。してしまっていないか。人は同じく目が二つと口が一つ、鼻が一つあっても同じ顔は一人としていないように…同じことをしてもどうせあなたはあなたでしかない。それを無理やりふつうにしてみたって、謎ブレーキかけているだけ。

私は、産後まだ2ヶ月の段階でソロ公演の準備を始めて、上に子供も二人いて、一人は今年の春新一年生になったばかりで、私は今年初めてPTAの役員もやっている。けど、別に何か大変な気はあまりしない。大変なフリはしとかなきゃいけない気がしている。人並みにあたふたしておこうという謎なことしてた。

そういうのもうやめちゃおう。

だって誰のためにそんなことしているのかちっともよくわからない。

星が見たい、学校とかやめさせたい。私、もっといろんなところで踊りたい。キャンプしたい。うん。星空の綺麗なキャンプ場をまわろう、踊りながら、子供を連れて、夜は語らいながら、自然の中で静寂を味わいつつ、音楽きいて揺れて、そういう生活したい。

それって、すごいね〜!ってきっと言われるけど、すごくもなんともなくて、自分の本心に従ったまでだよね。誰になんの制約を受けているのか。打算や損得勘定じゃなくて、もっと自分の本心に沿った生き方を提案していこう。

私はこの歳になるまですごく頑張ってきた。もう自分の好きなように、好きなものや好きな人に囲まれて生きていっていいと思う。それを自分に許可したい。世の中の決まりみたいなことがたくさんあったとしても、業界からはみ出したダンサーかもしれないけど、常識人ということよりも自由をとりたいから、その分自分に自分で責任持って生きていけばいいだろう。

時に、自由に生きることは孤独を感じるけど、私はいつだって孤独だった。孤独を知っているから人の優しさを知っているし、人を愛することができる。だから孤独ではあるけども孤立はしていない。それってすごく大切なこと。

自己承認欲求や自己顕示欲を満たすための居場所や、コミュニティーはもう私には必要ないのだ。そこに所属している限りは自由は得られない。し、本音100%でなんてとてもじゃないけど生きられない。折り合いをつけて、割り切っていかないとそこにいられない。その分、楽だろう。

いろんなコミュニティがあって、どのバランスのところにいるのかは自分で選べる。

私も謎ブレーキを器用にかけてそこに属すことができたらいいけども、生まれてから一度もそんな器用なことできた試しがないのだから、諦めよう。ブレーキ外してもっとふわふわ〜っと好きに生きていこうと思う。

2018年7月7・8日 大瀧冬佳ソロ公演予告

7/13~
全国ツアー2018スタートします!!!
詳細は後日。

魔物がそこにいる

うちにはテレビがないが、それでも暗いニュースばかりが耳に入ってくる。テレビしかこれといった娯楽がない生活をしていたらどれだけメンタルやられるんだろうか。いやもう、ワイドショーを見ていると感覚が麻痺してくるんだろうか。麻痺させないとやってられないと思うんだ。

日大の話だけど(事件の詳細は知らない)あれの報道のシナリオには「グラウンドに置かれたボールを写し孤独な雰囲気に不安感を煽るように」とか「〇〇を強調させ、恐怖を感じさせるように」なんていう演出がかけられているのが報道。これが事実。真実が報道されてるわけではなくて、私たちは『日本劇場』の観客になって踊らされているってことなんだよね。

真実は自分の目と耳で取材しなければ!と思うのだ。

いろんな痛ましい事件が最近とくだらなすぎる事件が起きすぎではないか。相撲のよくわかんないやつから始まり、日大のやつ、5歳児虐待のニュース、新幹線のニュース、それから公には報道されていないけれども除染した土が全国にばら撒かれると環境省が決定したニュース。

どれもこれも、報道機関側が意図した感情に視聴者をさせるために作った構成や言い回し、みんな作為的な感情を消費しているだけの受け身慣れからの思考停止。だから真実を知ろうという行動を自ら起こせなくなっていっている。

いやいやそんなことはないよって思った人はこちらに問い合わせるという行動をしてみてほしい。

環境省の除染土中間貯蔵施設問い合わせ窓口(0120-027-582)

http://josen.env.go.jp/chukanchozou/inquiry/

謎決定だと思うんだ。私は中卒だし、頭がよろしくないけれども、そんな私でも謎案件である。日本を滅ぼそうとしているのかな。これで、ただただ不安になって「日本やばい!クズだ!」っていっているだけでは何も変わらない。行動に移さなければ、あらゆる危機をある意味で楽しんでいるだけになる。そういう大きな流れに流されてはいけないと思うんだ。

問題を問題と捉えずに、頭の悪い私にも一体これはどういうことなのか説明を受ける権利がある。だって税金払ってるしね。問題ではなく現象と捉えて真摯に向き合うことをしていきたい。で、そういう気持ちになるひとを一人また一人と増えていったらもっといいのではないかと思う。

虐待の件に関しても、児童養護施設に保護したらいいっていうじゃない?あれ、保護した後も色々本当に大変なんだ。私は自分の子供以上に弟の施設関係のことが大変だった。なんでこんな仕組みなのだろうかと…中途半端感、付け焼き刃感半端ない。だから、結局本当の自立に向かうまで本当に大変なんだよね。

保護さえすりゃいいってもんではなくて、なんかそのさきもその子の人生は続いていく。一時的な「かわいそう」という気持ちでは何も解決できない。だから、すごくすごく10年もの間このことについて考えてみても答えは出ない。なぜかというと、これって個人やNPO法人レベルの問題じゃなくて、国家レベルで取り組む問題なのだ。

もっと政治家に近いところで面と向かって意見ができるところにいきたいな。今は大きな魔物のような塊に向かっていく感覚になる。自分が非力すぎて、二進も三進もいかない。でもきっと小さな声を上げていかないとどんどんと魔物は水を得た魚のようにやりたい放題なのだろうなと思う。それは人というよりも巨大権力のような物だろうか。

所詮、当事者意識を持てないことなぞ関心すらない。自分ごとじゃなければ、どうだっていいんだろうなぁ。報道関係者も、政治家も、一般人も一体全体何を見ているんだ。なんのために生きているんだ。お金に蝕まれすぎだ。もっといい仕事に生きてほしい。魂にそった生き方をしてほしい。と、なんか梅雨のこの天気も合間って、ここ最近はフラストレーションが溜まりすぎる。

でも、これは作品中の住人「ガス」の心情である。ワイドショーをみて「痛ましい事件ね><」とか「日本終わってるわね」と言っているだけなのが「ナナシ」である。そんな風に作品にして訴えていくのが我々芸術家の役目だ。芸術は昔から社会の風刺だ。私は魔には技術・魔術・芸術が効果的なんだと思っている。だからそれに沿った仕事、もしくはそれらを行なっている人間の育成、支援に関わる仕事が人間らしいなと思う。

2018年7月7・8日 大瀧冬佳ソロ公演予告

いくつになっても第一線で活躍できると知った喜び

私は自分の体が大好き。

でも20代後半に突入したあたりから、初めて「老い」というものを感じた。そこでややひねくれがちに、第一線ではやっていけないという後ろめたさみたいのを感じてた。

だけど昨日はすごく良いことがあって!!!!

私の体はまだまだ進化するということを教えてもらった。とってもとっても嬉しくて楽しくてワクワクした。

体が繋がると堰き止められていた感情もブワーっと溢れ出すし、天と地をギューーーーンと繋がり、内側の小さな力が何百倍にもなって外に溢れだす。

体の中の歯車がカチンと噛み合った感じがしてこれは生まれて初めての感覚だった。

見た目も全然違うの!!浮腫がとれたとかいうレベルの形の変化ではなく、あったはずの位置にはもう頬骨がそこになくて顔の真ん中にキュッと収まってる。

私、顎が小さくて、フェイスラインはシャキンとは入ってなかった。それが浮腫の問題じゃなくて、顎がたしかに存在しててしっかり輪郭がくっきりとできてる。

骨盤や背骨や肋骨もすごく楽な位置にあって、楽しくて仕方がない。

まだ課題はもちろん残るのだけど、そんなことよりもまだこんなに新しい発見が私の体にいっぱい残ってたことが嬉しかった。

まだ!まだ!!!!進化を続けるぞーーー!!!!

 

再現というよりもお告げ

靈というタイトルに変更した。より直接的なものに。

私のいろいろが割とキャパオーバーなんだ。困ったことに繋がってしまったからこれを表現するしかないわけだけど、今の私じゃ足りない。

まず、この一月で今までやってきた「表現」の概念が変わった。今まで私は23年間も表現をしてきたそれがひっくり返るという大事件。

表現って、(言い方難しいのだけど…)「仮の姿」というか、「創作物」というか、「極めて本物に近い真似事」という所詮娯楽の範疇から抜け出ないものだと私もどこかで思っていた。

(Maoをやったときに、あれ?私では全くないというその兆候はあった)

だから演る側としては動作の類で。BeではなくDo。演る、踊る、歌うという能動的なこととしか思ってなかったのだ。

だけどそれは表現の本質ではなかったんだなと。とても受動的なもの。自らが「しよう」と思ってやるものではなくて、自分は出力する媒体といった感じ。なので、ギリギリでそこに居るっていうのが表現かなと。

自分はパイプで、筒で、繋ぐもの。

 

そういうことがどういう経緯でわかったかというのを書いてみよう。

三番目の子を産んだときから、異様な哀しみがあった。それは私の哀しみではなくて、自然の哀しみだと感じた。もしくは未来の私。そして、未来の私というのは人間の私ではないはずで。個だけど全てでもある。

この潜在的に繋がってる意識はこのまま変わらず、目に見えるものは全体の1%なのにも関わらず、それしか信じられないことに哀しみを覚えて、今世は諦めて背を向けることにした。

けれど、生まれてくる命は尊く、振り返らずとも背を向けたまま待っているその優しさに涙がこぼれた。

今まで感じたことないもので、これって人間の「感情」というものとは全く別物だった。

なんだろう…感情って、脳からの化学物質で作られるものだけども。もっと深いところにあるそれこそ魂、靈を揺さぶって目覚めさせるのやらなきゃいけない、けど、マジか!って私思ってる笑

なので私は今から本番まで私というもののをシャットダウンさせなきゃ、たぶんできない。

過去ではなく未来の話だ。この公演は私なんかどうだってよくて、それよりあなた自身の話。私たち自身の話。啓示なのかな。よく何言ってるかわたしにもわからないから解読しようとするのはやめたのだ。ただそれを表現することに徹します。

人気と信用

ある音楽家が私は好きで、その方の作る音楽は唯一無二で個性きわだつ音楽なのだ。もともと映画館でみたとある映画のオープニングの曲が凄まじくかっこよくて本編よりもその曲が流れるたびに血が沸くような興奮を覚え、曲の方が印象に残った。エンドロールで作曲家をメモって、他の曲も聞くようになった。

彼は相当な変わり者で、ライブなどではMCは手短に「とっとと次の曲にいきます」とか。ファンがキャーッと騒ぐと「うるさい!俺はファンとか嫌いなんだ!」ととんでもないツンデレを発揮する方なのだ。

なんだか、周りを見渡せばファンやお客様に迎合しまくりな人が多い気がするのだ。もちろんファンやお客様あってのことなのは百も承知で、とてもありがたい存在ではある。握手できるアイドルやユーチューバーをはじめとした、「ファンと共に」という形をとる人たちの出現により、これが主流になっているけども、骨太なアーティストが極端に減ってしまったようにも思う。

手なんか届かなくていい、天才、鬼才に私は心が震える。ニコッとなんてファンサービスはいらない。

人気と信用が皆欲しいと思うのだが、ここで一つ考えてみたいのは、歩み寄りや寄り添い、それから与える、用意するという行為だけが人気と信用を作るのではないということ。突き放すとか、壁を作る、逃げる、遠ざけるも人気と信用を作るのだ。これってすごく面白い。恋愛に似ている。

先日「新しいコミュニティの作り方」というイベントに出てきたのだけども、そのイベント云々の話ではなくて…今の時代求められているのが「居場所」「居場所」「居場所」居場所という言葉がたくさん出てきた。居場所がみんなそんなにないと感じるのか。そうした居場所に加わるハードルはめちゃめちゃ低めに設計されている。でも、熱量を高くするにはどうしたらいいかということが多く質問に上がっていたように思う。

私、個人が好きな形としては、ナチュラルに紆余曲折あってそういう存在になっているものの方が好きだし、面白みがある。お膳立てされた居場所や偶像にはさして興味が湧かないけれども、結構な数の方がデザイン(設計)された居場所や偶像を好むのだなと新しい発見だった。

ブランディングというのもこちら側が意図的に見せていくというよりかは大衆が勝手にカテゴライズや取り上げをしていくという方向性が好ましい。私は。

人気とか信用を意識せず、とっとと次の曲にいくようにぶっちぎっていくのもある意味人気と信用を築くのだ。

 

2018年7月7・8日 大瀧冬佳ソロ公演予告

 

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縮こまっていてもいいことない!

日和そうになったとき。特に私は純粋な好きなものに、「お金」と言うものが付いてきてしまったときって、やっぱり自分の「うん!これがいい!!!」って言う選択に無意識で電卓叩いちゃう自分がひょっこり顔を出す。

ダサっ!!!弱っ!!!!

大きな金額を動かしていると、あぁ〜これでこの人のギャラ払えなかったらどうしようとか、あぁ〜借りちゃってるんだよな…レンタル料….って感じで、ここにさらに投資すべし!!!ここやりたい!!!これが絶対にいい!!!!って気持ちを揺るがしてしまうんだよね。

「でも、それでも!!!!これ!!!!!」って選べる自分でいたい。と言うかそこに戻ってくるための、要は修行なんだよね。

そうして、ザラザラしたヤスリで自分をかけて、滑らかにツルッと自分の輝きを放つための道具が私にとってのお金、予算。背水の陣に自分を追い込む。火事場の馬鹿力じゃないけど、「まじでピンチ!!!」って言う状況に追い込まれないと、本当の本当の本当の本気って出てこないのだ。

私は自分の限界を超えたその先を見てみたいので、スリルを自らに課しているのかも知れない。だってそうして本物を魅せたい。

縮こまった自分がちょくちょくまだ顔を出すんだよね。でもこれが本番が近づくにつれ開き直り出し、腹をくくるのだ。やってやろうじゃないかって。

今はまだおどおどビクビクしながらやっているけど、ひとつひとつ着実に完成に向かっていくに従い自我を手放していく。

結局、これって自我があるから、縮こまるのだよね。自我って一番舞台上で見せちゃいけない物。みている方は気持ち悪さしか感じないから。だから、今こうして自分にゲロ吐きそうなエグい試練を課すことは私にとっては「禊」みたいなものだ。舞台って神聖な場所だから。

【公演概要】

DanceCompany Uzme
第二回大瀧冬佳ソロ公演
-nanashi to gus-

演出・振付=大瀧冬佳
出演 大瀧冬佳
———————–
・7/7・8 17:00
開場は開演の30分前から
ギャラリー南製作所(HP: http://2222gmf.blogspot.jp/ )
東京都大田区西糀谷2-22-2
京急空港線糀谷駅から徒歩13分、同大鳥居駅から徒歩12分

*チケット
一般発売は6/1 10:00~ ( https://uzmeticket.thebase.in/ )
【全席自由席】35,000円
◎お問合せ uzme.ticket@gmail.com

FBイベントページ
https://www.facebook.com/events/878219945719960/?ti=icl

企画・主催 ダンスカンパニーUzme

【商品説明】
上記公演のオンラインチケットです。紙のチケットの発送はございません。ご購入時にご登録されましたメールアドレス宛にお客様専用チケット番号を送らせていただきます。

【公演にお越しになる際の注意事項】
・会場にはお手洗いが一つしかございません。最寄駅のお手洗いをご利用になってからお越しいただくことをお勧めします。
・会場内の地面は汚れやすくなっております。お手荷物は少なめでお越しいただくことをお勧めします。
・演出の妨げになりますので、途中入室はなるべくお控えいただくよう時間厳守でお願いいたします。
・上演中の私語や携帯電話など他のお客様のご迷惑になることはお控えいただきますようお願いいたします。
・ご購入前に再度お日にちお間違いないかご確認くださいませ。
・各回20席限定のプレミアチケットとなります。

https://uzmeticket.thebase.in/

自分が自分であるということ

中島みゆきの「宙船」ってめっちゃいい歌詞なの知ってる??

あれに「お前のオールを任せるなー!」って歌詞があるのだけども、これみんな本当、オールを他人に明け渡しすぎだ。私もやってしまう。意識を外じゃなくて自分の真ん中に集めるのはとっても大事なことだ。

他人とか、お金とか、時間とか、いろんなものに自分を明け渡しすぎていて。それらを、皆やむを得ない事情と、何か小さなアクションひとつ起こしもせずにただただ受け入れちゃうんだ。自分の舵を自分以外のものに任せて、なんで自分を蚊帳の外に放り出しちゃっているの!!!って感じ。当然、寂しいとか悲しいとか不満とか不安とかそういう気持ちになるよね。

おかしいよね??人に気を使って譲ったり飲んだはずなのに、なんであなたの心の中は不満でいっぱいなの??さらに譲ってあげた相手には輪かけて文句言われた日にゃ〜どうしたらいいの私!!!みたいに内心ブチギレてたりしないか。

たとえば、オールを渡しちゃいがちなもの…「お金」「親」「子供」「夫」「妻」「時間」「相場」「みんな」たとえば、自分の願望「あいつわがままなんだよね」って影で言われたら嫌。そうして、あなたの本当はこうしたいっていう願望を引っ込める。その時、オールを持っているのは「みんな」なんだよね。あなたじゃなくて。

「小さなアクションひとつ」でいいんだから。自分にちゃんとオールを持たせてあげて、それで「小さなアクションひとつ」やるかやらないかで全然違うのだ、意識が。自分が全く中心にいない空っぽの自分になってしまう。

その願望が叶うかどうかなんてことは、ただの物質という視点で見たときの現象でしかないんだ。大事なのは目に見えないもので、私はそのとき自分のエネルギーを引っ込めてしまったその自分を深刻に思ってしまう。現象はいずれ起こるのだから、期待せずに忘れておけばいいのだ。それよりも敏感になるべきは、自分の意識。どっちを向いているか、誰が(もしくは何が)あなたのオールを持っているのか。

いろんなもので自分って満たすことができると思うが、一番満ちるのは、自分が自分に還れたときなのだ。自分にオールを手渡せたとき。

 

私はピンとチケット代3,500円じゃなくて、35,000円がいいと降ってきた。人間の言葉言うと、「思った」なんだけど、そのときは本当に空から降ってきた、もしくは地中からムクムク湧いてきた。オールを「みんな」や「いつもお世話になっているあの人」に渡していた私は「え、それ、高すぎない??そんな価値あるの??」「調子に乗りすぎじゃない?」って話になり、え、じゃあ、5,000円くらいにしようかな?これならギリギリきてくれるかな….ってぶれぶれになるのだ。

え、違うよね。これ誰のなんのためにどうして公演なんてやっているの??なんで大瀧冬佳がやっているの??「相場」にオールを持たせていていいの??私がこれだけの価値感じてくれる人にだけ見て欲しい。金額の高い安いで金の亡者的な話じゃ全然ないのだ。

え、それ!?って言うところを攻めていける自分でいたいのだ。予想を上回る大瀧冬佳が私は好きだから、35,000円ってめちゃめちゃワクワクするし楽しいのだ。私、外食一回分の価値でなく、1泊二日の旅行分の価値を提供する舞台を作っているし。

あ、そんなことはどうでもいいの。(↑これは人間らしいいい子ちゃんぶった回答をしたときの答え)ここまで書いておいてなんだけども、自分の気持ちの揺らめき。どれだけ心が振動しているかが大事。それから耳を澄ませば、波ひとつ立たない静けさ、ですよねそうですよねの範疇から脱した、ざわめきが周囲から聞こえる。今はまだザワザワしている、「え?どう言うこと?!」「それでこれからどうなるんだろう」って。

これがね、私が自分の振動数をもっともっと自分の内側に入り込んでいって集中したとき現象が後から遅れて現れる。そのとき石ひとつ投げられてゆらゆら騒めいていた周りのみんなは、私に振動数を合わせだし、共振や共鳴が起こる。次第にその共振が共振を呼び、大きな大きな波紋が生まれるのだ。それが舞台だよ!!!だから人生が変わる舞台なのだ。ステージが変わるの。造波プールに入って揺れないでいるなんて無理でしょ??

なので、まずは他人にもお金にも時間にも自分のオールを渡すことなく、自分に繋がっていられるようにしたらいい。

2018年7月7・8日 大瀧冬佳ソロ公演予告

アメノウズメにまつわる不思議な話①

私はダンスカンパニーUzme(ウズメ)というカンパニーを立ち上げた。

このウズメと言うのは、日本神話に出てくる天鈿女(アメノウズメ)さまに由来する。が、先に「ウズメ」と言う音が気に入って濁音が入っているチーム名は続くし人気になりやすいと聞いたことがあった気がしたから、「ウズメ」が良いかなと急に思いついたものだった。(※濁音の入っているグループ:B’z、Mr.Childrenなど)

なるべく何かに被っていない方がいいと思って、ネットで検索したのだ。そしたら、なんと舞の神様の名前だったなんて!!!とかなりびっくりしたのを覚えている。

私がなぜダンスカンパニーを作ろうと思ったかって、人の心や魂、体を開放させようと思ったからだ。閉鎖病棟に隔離された時、何気にそこがとっても居心地がよく(生活環境としてはプライバシーが全くない刑務所のようなところだと思ってくれれば良い)外の世界に戻らなくていいかなと半ば思っていたのだけども、ある日浅田真央ちゃんのフィギュアをテレビで見て、あぁ私外に出て踊らなきゃ!そして、人の閉ざされた扉を開けなきゃ!と思って、そして外に出てこれたのだ。

岩戸開き伝説は私の話だと思った。では、カンパニー名はUzmeで決定だなと、そんな感じで決まった。

そしてね、旗揚げ公演の作品イメージを団員やデザイナーさんに共有するため、言語だけでは限界があったから私は絵を描いたのだ。

家にあったクレヨンで描いたもの。真ん中に渦巻いているのが、天鈿女様のイメージ。

そして、その公演の宣伝で出させてもらったラジオ収録の合間の休憩にたまたまそのラジオパーソナリティの方が寄りたいところがあると銀座に連れていかれた。

連れていかれたのは、陶彩画と言う絵を描く画家さんの展覧会だった。

私は実は子供の頃から自分の中に龍がいた。辛い時や一人で頑張らなきゃいけない時、寂しい時、苦しい時、この龍が私にいつも力をくれたのだった。初めて言語化してみようと思う…それはどんなイメージかと言うと。

私はひどく辛い時、自分の中に閉じこもってグッと耐えることがよくあった。二つの目の奥から入っていって、自分のことを内側に向かって別の目を持って体の中を見る感じ。目で見るのではなくて、心と言うよりも意識の目で見る感じ。すると、外の世界と自分は切り離すことができたし、また外に意識が飛んでいってしまうこともないので安心だった。そうして嵐が過ぎるまでずっと耐えるのだ。

今思えば、時間は自在に歪めることができていた。早く過ぎ去ってほしいあの辛い時間は中で耐えることで一瞬で終わる。どころか、1週間くらいたってしまっていることもあった。

で、そんな風に自分の内側に入っていくと、背骨をゴッーーーーーーーと渦を巻いて立ち上る金色の光がよく見えたのだ。この光は私の生きる力で、命ともまた違うものだろうと思っていた。二十歳を超えてから、その光を見にいくほど切羽詰まる事もなくなっていたのですっかり忘れていた。

それをつい最近、知り合いのバラの魔術師が龍の覚醒とか言うワークをやっていると聞いたので、早速お願いしたのだ。「私には思えば龍がいた気がする。でも眠っちゃったのかもしれない。それか動きたがっているような気もする」とお願いした。で、そのワークが始まるとすぐに目をつぶっているにも関わらず眩しくて目が潰れそうになったのだ。

目の前(といっても、私の内側の中で)を窓ガラス3枚分くらいの大きさの板見たいのが通り抜けていって、何か最初はわからなかったのだけども。しばらくしてそれは一枚の鱗だとわかった。ものすごくバカでかい龍が私の目の前にいた。あまりにでかくてすごく怖かったけど、とっても綺麗だった。白い、と言うより、オーロラみたいに見る角度によって色の変わる白みたいな色をしていた。

話は戻るが、その龍が、個展の一番目立つところに描かれていた。

http://kusaba-kazuhisa.com/gallery/213/

(↑この絵です)

うぉ〜!!!そんな事もあるんだな〜!偶然〜!なんて程度に思っていたのだけど、その展示を見れば見るほど、私が知っているものばかりで「何だろう、この人、私と同じ頭しているのかな」と気持ち悪く思った。

龍の他に、神様の絵も描かれているらしく、アメノウズメももしかしたらあるかな〜?と聞いてみたら、展示はされていなかったのだけど、裏から原画を出してくださったのだ。

こちら。って!!!おいおい!!!待て待て!!!!どえらい驚いた。って、これ、私描いたのと同じじゃんって。

そんな偶然あるかと。この画家さんは草場一壽さんと言うお名前で、私はこの時初めて存じたのですが、とても有名な画家さんだそうだ。

 

そんなこんなで、(どんなこんなだ)こんな感じのコインのようなものを現在作り始めた。なんか欲しいなと思って。

(デザイン: 坂巻裕一

ソロ公演ではリアルとバーチャルが溶けていくと言う、やはりまた現実離れしたファンタジーチックなストーリーだが、そこでの葛藤は原始の頃から我々は変わらないと言う話だ。命題はずっと変わらない。それに呆れる神様。そんな話。

 

明日からチケットが発売開始です。観に来ていただきたいです!ぜひ。

場を紡ぐ、一つ一つを大切にすることで最高の場が作れる

場は会場借りて「はいOK!」ではなく、紡ぐ感覚に近い。その場所を貸してくださるオーナーさんに応援していただけるような人間関係を築くことも場所を紡ぐ一貫だと思っている。

その舞台に携わる全ての人の気持ちが場に乗るのだ。だからみんなに気持ちよく関わってほしい。また次も一緒にやりたいと思ってくれるような仕事を私もしたい。

「最適」をいつだって選べるような自分でいたい。そこに損得勘定や打算が働かないようにしたい。それはほんの些細なこと一つ一つの選択から成り立つものなので、自分の基準を確かにもつ精神力が必要。

例えば、機材一つ、舞台美術の紙質一つ、ステージの高さも、床材も、衣装の生地も、全部お金で価値を測るのではなくてそれがこの作品にとってベスト(最適)なのか??っていうだけで選ぶこと。

自分の中で世界観を確かに、一貫させてしっかり持って、それを幕が閉じるその時までずっと筋を通しておかないといくらノーミスで踊れたとしてもそれでは人に感動を与えることはできないし、私の満足も得られない。

本当に細部のところが肝心。そして見えるとこだけ見栄張っても自分だけには嘘はつけないのでね、その腐った性根はここぞの時に自分を苦しめるんだ。舞台の上で信じられるのは、妥協しなかった自分の心だ。

どこまでこだわり、どれだけの想いを込めてきたかは、緊張した自分を支えてくれる。大丈夫だ、お前ならできると背中を押してくれるのはそうした自分なのだ。

いつも自分の本物を選べるように、メンタルもフィジカルもマインドも整えておくのが場を紡ぐということ。

 

チケット発売まであと3日!!!

ダンスカンパニーUzme第二回大瀧冬佳ソロ公演「ナナシとガス」

2018年7月7日・8日 開演は両日ともに17:00~

場所は蒲田のギャラリー南製作所です。

 

お越しいただけること、心よりお待ちしております。

チケットのご購入は6/1 10:00から大瀧冬佳公式HP・大瀧冬佳FB・大瀧冬佳ツイッターにておしらせします。