希望という言葉のいらない家庭を作りたい

 

 

誰かが自分と大切な誰かのために

腹をくくり決心したら

やることはひとつ、

それを応援するしか

周りにできることはないのかな?

 

あなたの人生はあなたのもの

私は私、あなたはあなた

 

 

でも…………

だけど……………

私は間違ってるよ!って

お節介を焼きたくなるときがある

 

私の「正しい」の押し付けでしかなく

不必要なことだ

要るのか、要らないのかで言ったら

本当に要らないもの

 

 

「あなたのためを思って」の助言って

本当、本人からしたら

相当迷惑。大迷惑。

 

だけど、だからね、

うちの母はいつまでも頑張り続けたんだ

命を落とすまでに

自分の息子たちが再起不能になるまでに

 

 

要らない!迷惑だ!って言われても

私は騒音おばさん並みに言いたい

きれいに負のスパイラルに巻き込まれてるよ

何の疑いもなくきれいすっぽり型どおり

勉強して、本読んで

そこに書かれている

例そのままだから

 

 

次の投稿はその鳥かごの中で

最善を尽くす決意表明だろうなと思った

私はその劇を20年間特等席で見てきたから

 

私は母の気持ちさえ

変えることはできなかった

何度も離婚してくれと言った

いつまでも幻想の中で生きてないで

戦ってるふりしてないで

ちゃんと目を開いてよく見てよと

 

 

でも、ダメだったから

私は13才の時、高校生になったら

この家を出ようと決めた

一人で生きていけるように

今から10年以上も高校、大学と

この家にいたら私は再起不能になる

 

早く大人になりたい

自分で生きていきたい

 

私の感覚では

母親からの影響は

女の子よりも男の子の方が

再起不能になりやすいと思うんだ

取り返しがつかないことってあるんだ

人生どうにかなるって言葉が通用しなくなる

 

いつ見切りをつけるかって

結局、時間をかけて様子をみても

大差ない

今ではなく先の理想像を追いだして

今を全く見なくなる

ママ、私はここだよ

今、ここにいる私を見てよ

 

それでも、

母は自分の振る舞いについてだけを

あれやこれやと変えてみては

この作戦がダメだっただけだと

今を見ようとしなかった

先の幻しか見てなかった

手を出し尽くしそれが叶わぬとわかると

感覚を閉ざした

そこまで見届けてそれでも動かぬ母に

おわったと思った

 

 

私は今ならわかる

作戦とか

自分の在り方とか

そんなの変えたり考えたりする必要がない

そーいうパートナーといる方がはるかに幸せだ

 

 

物事はほんとにシンプル

頑張らなくていい相手と

一緒にいようよ

 

 

同じ屋根の下

家庭は羽休める安らぐ場所なのに

なぜ守らなきゃいけないの

守るってなんなんだ

なんで敵みたいのが家の中にいるの

 

子どもを守るって

聞こえのいいかっこいいセリフだけど

頑張り方まちがってるよね

 

なんでそれを周りも応援するの?

部外者だから?

本当のことは2人にしかわからないから?

 

いや、わかるだろ

シンプルに考えれば

どうかしてるのわかる

 

きれいごとでまとめないで

次には決断するって思うかもしれないけど

次はない、今を生きてるんだから

次が来たときもまた次って言うものだ

そして親友でさえ

実の姉でさえ

その決意を応援するしかなす術がない

 

だから、私は遠い存在だからこそ

はっきり言いたい

それはDVで治ることはない

絶望的なところにいるから

希望を見出そうとするし

それをおってるときは

気持ちが良いものだ

一種の思考停止状態

 

希望の希の字は

「まれな」という意味

そんな微かな望みに

子どもの人生をかけちゃダメ

 

希望なんて言葉がいらない

そんな家庭を私は作りたい

光に包まれ希望が見えないくらいの

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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