楽に刺激的に生きるたった一つの方法

 

「ひとりで生きる」と知ること

 

 

意見のあわない人、苦手な人、嫌いな人とは無理に付き合う必要はない、とよく言われる。そして、それを心がけていくととっても楽な毎日をおくれるようになる。しかし、楽になるがつまらなくもなる。

 

価値観の似た人ばかりが集まること、楽だけど退屈なのだ。みんなちがってみんないいと私は思う。排他的になるのは価値観の共有というよりも類似という方が正しい気がする。それって結局、自分は間違ってなかったんだというぬるま湯につかってしまって、創造にはむすびつかなくて私にはとても退屈。

 

この人、何言ってるんだろ?アタマおかしくない?と思うような意見をいわれた時に、モヤモヤするけれども、自分の元にもってこれたとき自分の価値観が壊される。すると、私はまた新しい価値観を創造することができる。

 

どうしても受け付けられない価値観ってあるけれども、どこの何がひっかかるのかをたどってみると新しい自分にでくわす。反対意見にキーキー喚いたり、言っても話にならん!と背を向け排除するよりも、ずっと楽で刺激的でワクワクしてしまう。

 

類は友を呼ぶと言われる中にいても、「そうそう!そうだよね!」と結束をかためることは簡単だが、その中で突拍子もないことを言ってみたい。類は、同じと言う意味ではない。全肯定(信者)もまた、価値観を押し付ける人と本質は変わらない気がする。

 

だから、人は誰かを尊敬しすぎたり、讃えすぎたり、信者になっていくと自由を奪われる。自分を殺して、嫌いな人と無理に付き合ってる場合とさして変わらない状況が生まれる。

 

 

やっぱり「ひとり」と言う意味をちゃんと解釈してそのように立っている人といるのが私は一番わくわくする。たとえその人が、とんちんかんなことや、理解に苦しむことを言っていても、別にストレスを感じることはない。価値観の違いですれちがうのではなく、こうした「ひとり」の認識。「違っていて当たり前」という感覚さえあれば、天と地ほどちがう価値観の持ち主でも苦痛に思うこともなくふつうに一緒にいられると思う。

 

つまりは「ひとりで立て!」ということ。

 

 


 

こんな風に思ったのは、私は人のブログを読んでいて、「いや、ありえないだろ!」っていう人のブログを読んだ時に自分の価値観にふれてブログが書けるんだ。「それはないだろ!」みたいな過激なことを書く人はそうそういないので、もっと探してみたいと思う。尖った意見が胸の内にあるのなら、ぜひ私のために書いて欲しい(笑)

 

ダンスでも違うジャンルに触れた時に自分の踊りをつくれたりする。あ、ダンスにおいては私の場合すべてのことが対称かも。ダンス×哲学、ダンス×科学、ダンス×スピリチュアル、ダンス×恋愛、ダンス×子育て、ダンス×整体、ダンス×仕事、ダンス×お金….と私がふれるもの、見るもの、聞くもの、すべてが私のダンスを作っていて。ダンスとは無関係に思えることをしていても必ずダンスに着地している。

 

あんまり、似たようなことばっかりやってるのもつまらないし。関係のないことなんて何一つない。一つが全部で、全部が一つ!違っているから面白いと思えたら、誰と付き合うかなんて考える必要なくなると思いますよ!!

 


 

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