満足しておわり?それはただの傍観者かもしれない。〜かさこ塾祭りへ行ってみて〜

 

 

 すごいこと、すごい人に出逢って満足しただけでおわるのは、とっても惜しくてもったいないと私は思う。

 

すごい人に出逢ってぐるんと見えてるものが変わるんだけれども、自分自身はその時点では変わった気がしちゃってるだけ。結局は傍観者のままでいては何の変化もない。時間がたてば、いつもの日常にもどってしまうのは、このチャンスをものにできていないから。

 

チャンスをものにするって、どういうことなんだろう?

 

やっぱり、「すごい」って手放しで喜んでいる場合じゃなくて自分のものにしたい。私は「スゴい人」に出逢っても、まず全肯定というか、尊敬をしない。そこには自分なりの考えや思いに自信があるから…けど自分の自信なんて、本当すごければすごい人に会うほど打ち砕かれるものだよね。砕かれて砕かれて、でもそれでも残るものに目を向けて信じられたときにチャンスをものにできるんだと思うんだ。

 

自信を砕かれたところで、最初から自信なんか無かった振りをしていると、他人にもいい顔しかできないし、自分にもいい顔ばっかりして、大事なことを見失っていく。一人ではいられなくなり、突然の虚しさに襲われたりする。

 


 

 かさこ塾祭りで、正直困惑してしまうほど「大瀧冬佳」の名が知れててビビった。それから私が、すごいな〜と思ってた方々に力強い言葉とお墨付きをいただいて帰りの電車の中まではそれに酔っていた。グワンって私の世界をさらに勢いをつけて回してくれた。まるで駒みたいに、その勢いに気持ちよくなりすぎて軸でなく外側に意識を持ってかれると間もなく回転は止まってしまう。

 

 もう、どんなにすごい人が現れても、えげつないくらいに「私は私」でいいと思う。

 それやってると現れる人がえげつないくらいにすごい人になっていく。

 

 私は「すごい」と思ったとしても結局は自分を見ていきたい。

対、その「すごい人」との比較から始まるんじゃなくて、そのもっと深い衝撃を素直にうけた自分をみていきたい。そこから始めていくのが最も近い成長で、出逢った意味だと思うんだ。「すごいなぁ」で自分の舞台からおりて傍観者になっているのは、自分に失礼であり「すごい人」にも失礼。舞台に立ち続けた人こそが「すごい人」になっているから。

 

そんな「すごい人」が現れても自分の舞台に立ち続けるのは、そんなに楽じゃないよ。ゾワゾワと比較がはじまり、でもその比較を手放していかに自分の軸に戻ってこられるかって一歩行動を起こす以上に飛び込む勇気がいるけれど、それでもそれをやる。それをすると本当のプライドがみえてくる。人と比較しないとわからない自分のスゴさなんかいらない。いつ、何時、どんな場所にいても、自分が自分でいられるプライドが強さだよね。それって、辛い状況にいる時だけじゃないんだよ。胸高鳴る人に出逢っても人の舞台の観客になって舞台にたたない自分を傍観することなく。

 

 

で、最後に、それができないのは物事を深刻に考えすぎなんだと思った。やったもん勝ち。やって失敗しちゃったもん勝ち。自惚れちゃっても、全力で自惚れてるならいつかめっちゃ恥ずかしいことなんだなって気付かせてくれる人に出逢う。中途半端に何かをおそれて自分を守っていると、そういうチャンスを逃す。

 

「すごい人」に出逢ったなら、愚直に1の成功の方法を聞いて学んだ気になってるんでなく、私なら100の失敗する方法をやって学んでみる。そしたら、1の成功の方法が100の失敗しない方法により確かな自分のものになるからね。少なくとも私はそれくらい遠回りしてやってみないと、「すごい人」の言ってる意味がその場では理解できない人だから。わかった気、できる気とかいらない。

 

 揺るがない本物が欲しい。

 

 

さて、あなたは「すごい人」を前に傍観者で居続けますか?目の前に起こった出来事をどう捉え自分のものにしていきますか?自分で徹底的に考え自分なりの答えを出してみよう!!

 

 

 

 

 

 

 


 

レッスン情報

12/19(土)

10:15~11:15「FUYUKAヨガ」

11:15~12:15「はじめてのバレエ」

@吉祥寺 アムリタスタジオノースB1

お申込みはこちら→12/19「FUYUKAヨガ」「はじめてのバレエ」

 

来年の日程

1/30

2/9

2/20

詳細はおってお知らせ致します。

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