絶望のなかに希望をみつける時間

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夜明けは至福のひととき。刻一刻と朝に変わっていって、あぁ今日がはじまった!って思う。

 

そんな新しい日を、「今日もはじまってしまったか」ではなく「今日もはじまった!」と思える毎日が良い。困難の真っ只中にいたとき「明けない夜はない」を毎朝唱えていた。昨日が困難で挫けそうになった日でも、また今日は闇が明けるかもしれない。なんかそんな希望をもたせてくれるのが、夜明け。

 

高校受験のときに学年主任の先生がはなしていた「絶望と希望は紙一重。希望の『希』という字がもつ意味は『まれな』という意味。だから絶望に希望を見いだすことができるし、希望校は一歩間違えば絶望校にかわる、気を抜くな!」これは、長らく私の心を支えてくれた話だ。絶望の淵に立たされたときに、希望を見いだせる人間でありたい。そして絶望の淵に立たされている人の『まれな』存在になれたら良いなと思う。あぁ、こんなところにも「希望」があるのかもしれないと微かな光になれたら。

 

私がリスクをおかし、挑みつづけるのは、夜が明けるからなんだ。毎日、新しい日を迎える。それで、新しい日を迎えるのに昨日をひきずり続け夜が明けないあの人に、今日は今日なんだと思ってもらえたらと私はリスクもおかすし、挑戦もするし、限界をこえていく。『まれに』こんなこともあるんだよってわかってくれたら。人生なんて、『まれ』でなく『確かな』チャンスを待っていたらいつのまにか終わっちゃうよ?だって、こんなにあっという間に朝になる。毎日毎日、朝が来て夜になりまた朝がくる。

 

私はこどもに「ひかる」と名付けた。きっとこの子が生まれてきて最初に知ったのは、この世に「ひかり」があるんだって事だったんじゃないかな。まだ、生まれてしばらくはあんまりよく見えていないけれど、光のさす方向を不思議な表情で見つめていた。不思議なんだろうな〜と、我が子がひとつひとつの「はじめて」を体験していく様をみるのは親にとって何より幸せなこと。そうだ!ここはひかりあるところ。この子が暗闇に迷い込んで「ひかり」を見いだせなくなっても自分こそが「ひかり」なんだと思い出せるように。そんな思いを込めて「輝」と名付けた。

 

そんなことお構いなしに、今日も元気に裸族なヒカルです。

 

 

 

 

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