ふゆか、愛について語る

 

 

 

 

実は2ヶ月前に私の人生をひっくり返された。だから、あたしのやってきたことの意味って?目的って?って一気に失った。たかだか25年というまだまだ青い人生なのですが、あたしの動力は「怒り」と「愛されたい」で踏ん張ってきたようなもので。向上心や志とは一種異なった気迫というか鬼気迫るものに自分で自分を追いつめて、ハムスターのクルクル回る車輪の上を走らされてるような感じだった。

 

それが「はい、もう走る必要はなくなりました。」というか、なんで走ってたんだろう?っていう何もない空を見上げている気分です。これが涙がこぼれるような虚無感でなくてよかった。きっと歩みを止めたら私は無になるんじゃなかろうかとそれが何よりも怖かったんだけど、理屈抜きにわかっちゃったんだ。

 

「おまえなんか、生まれてこなきゃよかった」という胸にささった言葉に対して「じゃあ、なんで生んだんだよ!!」っていう怒り。ド直球に表現するとこんな感じだけども、実際は大人になるにつれ、もっと、まあるく胸に収まってたけれどね。そして、どうしても虐待をうけてて愛情なんか1ミリも感じられなかったから、私の中では最初からないものとして処理するしかなかった。そして、他者に親の愛を求めつづけた。

 

反骨精神、ハングリー精神、反面教師…そして、親に愛されたいという欲求。目を伏せてもきっと私の奥底にあったはず。それが、あるきっかけがあって、「あら、それでもあたしは愛されていた」と気付いたんだ。キレイ事を書いているように思うよね。私も自分でしばらく理解できなかった。こんなことがあってなるものかと反発した。でも、どうしても頑張る必要がなくなってるんだもん。これ以上もこれ以下も説明のしようがない。1万語の言葉でも説明がつかない。と、思う。

 

いっちばーーーーん、逃げてきたものからなんだか逃げる必要もなくなったし、それって恥ずかしいけど、言うけど、「愛」なんですけど(笑)逃げまくるくせに究極に求めてるものだったんだろうね。逃げるもんでも求めるもんでもなく、あるものだったんだな!って空を見上げて空だってわかるくらい当たり前に捉えられたんです。変な話でしょう??(笑)

 

じゃあ、こうしよう、ふゆかちゃんにとって「愛」とは?と聞かれたら「空」と答えます。

 

私はそんな風に人を自分を愛します。

好き、嫌い、恋とは違います。きっと、人は母の愛から始まって、神の愛に至るんでしょうか。神は自分自身。だから「愛する」というのはそれなりに技術が必要だと思います。技術というからには、習練がある。当たり前に母から愛され、自分を愛することにシフトできる人ってどれくらいいるんだろう?だから、みんな恋愛で悩むんでしょう??

肉体的、生理的、観念的にはじまった欲望を愛に育んでいくには技術が必要。欲望は生命の活力だからなくてはならないものなんだけど、それをゆっくり育てていくの。

 

それを私はやってみたい。そんなダンス踊れたら、私はそれ以上はもうないかもしれない。

 

 

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