ふゆか、愛について語る!2

 

 

愛の理論〜信用と信頼のちがい〜

 

信用と信頼のちがいについて考えたことある?

信用金庫とはいうけど信頼金庫とは言わない。

だって銀行は無条件でなんの裏付けもなく

あなたを信じるわけにはいかないから。

 

というようなことを昔この記事に書いた

http://fuyukaohtaki.com/fuyuka/fuyukaohtaki-dancelife-48/

 

そして周りを見渡し、以前の私自身も

愛する対象は人の市場において

 

自分の価値に対して交換可能な人の中で一番高い人に恋に落ちる

 

信じることに条件がつきまとう。

裏付けがなくては信じられない。

自分にとって最も都合のいい裏付けを確信して

人を好きになる、愛していると勘違いする

 

愛って言葉は都合がいい。

なんでも愛で片付けるのは厄介で危険。

分かった気になって何も分かっちゃいない。

 

信用からの「愛」とよんでいるものと

「愛」にとどまっている持続的な状態とを

混同させていることが

愛されない愛せない原因ではないかと私は思う。

孤独にいつも苛まれ愛の牢獄に閉じ込められてしまう。

 

牢獄から抜けだすには

愛は「対象」ではなく「能力」だと知ることだ。

愛するに値する対象であるかどうか?

ばかりに皆目がいきがちだし、

愛されるに値する自分になろうとする。

 

自分の存在価値に見合った相手かどうかで

愛するのか愛されるのかを判断するのは

それは「信用金庫」とおんなじではないかと。

 

「愛」にたいして受け身、受動的なのだ。

もっと能動的に「愛」を感じていきたい。

 

 

愛をうけとること与えることに育った環境は関係するのか?

 

私は関係すると思っている。

しかし、「親から愛をうけて育っていないから」

を言い分にあなたが愛されない理由にはならない。

 

考え方が間違っている。

愛する、愛されるに

値するのかどうかや、

資格があるのかどうかとか

そんなん間違ってるからね!!!

 

あ〜私は生きているだけでいいんだ

あ〜私は私でいいんだ

と腑に落ちたとき

急に見えている世界が変わるから!

 

また、

あなたが生きていてくれるだけでいい

あなたがあなたならそれでいい

と思える瞬間が同時にやってくるからね。

 

そこに行き着くまでに

たぶん親の愛情を一心に受けた人より

かなり不器用な道をたどり

ズタボロになることもあるけれど

必ず辿り着くから、

ひねくれちゃいかん!!

 

ある女の一例をとりあげてみよう

 

母性や父性に飢えている人にとって

この問題は根深いのです。

そんなこと言ったってー!

ってたぶん肚の中が暴れ狂うと思う。

 

そういうなら一生ひねくれてろ!!!

 

と、言ってしまいたくなる私ですが

私は幸運にもそんな風にグレそうになる瞬間

幾度となく愛ある人に導かれてきました。

 

なので、

私の一例ですがどういう過程をたどってきたのかを

書いてみようか!!!!

とか思ったら、すでに書いていた。

http://fuyukaohtaki.com/fuyuka/fuyukaohtaki-9/

 

 

単純明快に何をしてきたかを書くとすれば

他人に対して一番言いたくないことやりたくないことを

言ったし、やってきた。

 

これが私がしてきた愛の習練です。

 

補足として

言いたくないことやりたくないことは

すべて自分が主語であることです。

 

さらに、「一番」「絶対に」「間違ってもない」

というくらい言いたくないことを掘り下げて

そして、事前にそこに隠された本音と向き合うか

もしくは言ってしまってから感じて考えた方が早い場合もある。

 

過去はどんどん忘れてしまう質なので

最近のことしか例にあげられないのですが

私はこの人にだけは知られたくない

間違っても言いたくないことがありました。

 

それを言って拒否されたら

自分の存在を否定されたような救いようのない

痛みを感じるかもしれない

 

それは防ぎたい何が何でも!!!!

という防御反応。

 

それが言えるためには

対象ではなく能力にフォーカスすることになる

つまりが自分がそれでどうにかなることはないという確信をもつ

 

 

そして、気がつく。

あぁ〜私はあの人があの人だから本当は言いたいんだと。

 

信用と信頼がごっちゃになってるから

逆のことを言ったりやったりしちゃうんだよね。

 

 

 

そこに立ち向かうのだ。

 

母性愛と父性愛

 

母からの愛は無条件

父からの愛は条件付き

 

母はこういう

「あなたがどんな過ちをおかしても、私の愛はなくならない。あなたの幸せや成長をいちばんにねがう」と

父はこういう

「おまえは間違いをおかした、責任をとらねばならぬ。私に好かれたければ自分を律しろ」と

 

この母と父から自由になり、

自分の中に母と父を次第に作り上げた人が

愛する技術をもった人なのだろうかと思う。

 

その二つの愛をバランスよくちゃんと受けられた人なんて

この世にどれくらいいるのだろうか?

それを受けられなければ、もうゲームオーバーなのか。

そんな高尚な無償の愛を注げる母はどれほどいるのか。

 

どんな親のもとに生まれてくるかなんて選びようがない

人は自分で親を選んで生まれてきてるとかいう人もいるけれど

正直どっちでもいいじゃないか。

 

 

でもさ、ときどき出くわすんだよね

どちらの愛も内に介在している人に。

そういう人に出逢うためには

すねたり、ひねくれてたら出逢えないよ!

そういう人に出逢って叱咤激励をうけて今の私がいる。

 

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