牛さんがお肉になるまでを子どもに話してみた【ダンサーが考える食事のこと】

 

いただきます、ということ。

 

なんで、「いただきます」を言ったら

立ち歩いたり、ふざけたりしながら食べちゃいけないのか、

食べ物をのこしてはいけないのか。

 

肝心なことを私は子供たちに伝えていないな〜と思った。

「ママに怒られるから」

「保育園ではみんな座って食べるから」

っていう理由で言うことをただ聞く子どもにしたいわけじゃない

 

行儀が悪いからじゃないよね。

マナーとか、人に迷惑がかかるからじゃないよね。

命をいただいているからなんだってことを伝えようと思った。

 

ほんとう無意味な叱り方だな〜

この子たちの胸にはちっとも響いてない

「座りなさい」「ふざけないで食べなさい」

「残さず食べなさい」

 

それで、ウィンナーが何からできているのか

お肉は食べ物になる前なんだったのか

を教えることにした。

牛さんが食べ物になるまで

 

実際に目で見て、聞きにいきたいと思う。

ネットで調べてまずは私から話してみた。

 

「保育園で烏骨鶏をそうちゃんたちは育ててるよね?

そんな風にちゃんと生きていたニワトリさんを殺して

内蔵をお腹をきってだして羽をとって、お肉としてきって

それで、唐揚げとかになってるんだよ。」

 

「可哀想だし怖いかもしれないけれども、

それが本当のことなんだよ。

だけど、ママたちはニワトリさんやブタさんや牛さんの

お肉をたべて元気になったり、背が伸びたりしていくから

ありがとう、いただきますっていって感謝して食べるんだよ」

 

「ママは、だから残してほしくないし

ふざけて食べてほしくない」

 

と、話してみた

 

私も反省した。

なぜ残しちゃいけないのかを

ちゃんと話したことがなかったし

ついつい目先のことに囚われて

「なんでママがせっかくつくったのにちゃんと食べないの」

と目を三角につりあげているばっかりだった。

 

こっちもイライラしてくると

「もう!はやく食べて!!」とか

「いい加減にしなさい!!」とか

意味の分からん怒り方をしてしまっていたなと。

 

「もう食べられなーい」

「これ嫌ーい」に対して

「ちゃんと食べないと大きくなれないよ」とかってね

本当、的外れだった。

 

余裕がなかった。

そもそも「ちゃんと」ってなんなんだ。

 

お肉に限らず、野菜をつくってくれてる農家さんのお話とか

親子で見て聞きに行くことにしようと思う。

私にできる子育てってずっとそういうものだった。

一緒に体験していくもの。

感じて、心からでる「ありがとう」「ごめんなさい」

そして「いただきます」であってほしいなと思う。

親や先生に言わされて出る言葉では意味がない。

 

命をいただくことが食育だと私は考える

食品添加物が体に悪いから避けたりするわけではなく

そこに「いただきます」をいう気持ちがついてこないからだ。

 

食べ物で体がつくられている。

体にいい悪いをやんややんやと騒ぐ前に

恩恵を感じて、命と向き合うことからはじめたい。

 

世の中は便利になり

手間を省くことがとても簡単にできるようになっているけど

子どもを育てることは何も手間を省くことはできない

当たり前のことが当たり前に伝わらない

コントロールしようとすれば反発する

本人がそうしようと思える経験を経ないと

人間ってのは動かないんだよね

 

でも、そう簡単にいいなりになる子どもじゃなくてよかったと思う。

そうじゃなかったら、親という立場にアグラをかいて

私も改めたり、工夫したり、考えたりする機会を

失っていただろうと思うから。

 

そして、パフォーマーである私も

より高いパフォーマンスができる食事や栄養を考えるが

基本はここよね!と初心にかえれた。

なんとなくの惰性で食事をとったりしない。

よく味わって噛んで食べていこう!!

 

 

 

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