本物の「師」に出逢えることで人生は決定する

 

 

 

道を指し示し、貫く人

そう滅多にはいない

 

 

そういう人に出逢ったことがありますか?

 

あたしは、細かく人生を切り取ってみれば

過酷で不幸な人生にも見えてしまうかもしれない。

 

でも全くもってそう思ってないし

むしろかなりの強運をもっていて

幸福な人生を歩んでいると思っている。

これが本音。

 

 

なぜかというと、

私は本物の「師」に出逢えたから。

その教えは今も心の奥深くにずっとある。

私の人生は「師」に出逢ったことではじまり。

その感謝からはじめなければならない。

 

 

 

人が一生のうちに「師」に出逢えるって言うのは

本当に奇跡のようなことだと思う。

出逢えぬまま死んでいく人の方が多いかもしれない。

有難い、有るのが難しいと書くからね。

 

 

 

 

 

 

私のバレエの恩師は

「ガラスの仮面」に登場する黒婦人

「月影千草」にそっくりだった。

 

若い頃はすっーーーーーごいダンサーで。

日本にバレエを広めた人。

 

そして、とてつもなく厳格な先生だった。

とってもとっても怖かった。

あんなに怖くて厳しい人にあったことがない。

一芸を極めるってやっぱりとても厳しいことなの。

並大抵の根性ではやっていけない。

 

 

今の私があるのはその先生のおかげ。

私は先生の弟子として高校を中退しバレエ一筋にしぼった。

実質、15歳の段階で将来を決めた。

 

 

 

 

一本ビシッと筋の通った人、

絶対にぶれることはなく

強く気高く美しかった。

自分にあれだけ厳しいから

生徒にも厳しくできるし

そして絶対的な説得力をもっている。

圧倒的に突き抜けていて、

そこにいるだけで有無を言わせない迫力と存在感がある。

先生が教室に入ってきただけで

空気がピンと張りつめる。

山頂みたいに冷たく研ぎ澄まされたような空気に一変する

 

あの緊張感は舞台にたつよりも

はるかに怖いものだった。

でも、それを越えて踊るの、

ベストパフォーマンスをすると心に誓って。

 

 

 

 


 

本物の「先生」は自分が偉いとかスゴイとかって押し付けずとも

こちら側から土下座してでも人生かけてでも教えを乞いてしまうもの。

 

そして「先生」のようになりたいとは思わせてくれない。

気付かされるんだ、

「あぁ、私は私なんだ」って。

 

 

褒めてはくれなかった。

でも、認めてくれているっていう自信が湧いてくるんだよね、

怒られて、汗と涙と鼻水まき散らしながら踊ってても笑

 

 

「ばかふゆかっーーーー!!!」って怒鳴られて

で、怖いとか辛いじゃなくて

本当にできない自分に

無償に腹が立ち、悔しくて悔しくて

 

フラフラで足のまめはつぶれて

体ももう動かなくなっちゃって

踊りたいのに、

ついてこない体が嫌になって涙が出ちゃうんだよね。

その涙にさえ腹が立つ。

なんで涙が止まらないのか。

 

 

唯一褒められたのは

「ふゆかには、踊り心がある」

という言葉だけ。

 

褒められたらおしまいだと思ってた。

もう期待をされていないってこと。

 

 

技術も身体条件も決してよくはなく

毎秒挫折している私だけども

この言葉がいつも心の支え。

 

 


私は先生から、

「人としてどうあるべきか」

「本当の美しさとは」

「本当の強さとは」

をバレエをとおして教わった。

 

今も私の中で息づいていている大切な財産。

誰も私から奪うことはできない大切なもの。

 

 

こんな幸せなことはないよね。

私は本当に運がいい人間だから

こんな経験ができたけれども

 

そんな「師」と思えるものは

きっと「本」や「映画」、「音楽」「舞台」にも

うまっていると思う。

 

その裏に人の息づかいが見えて

何かを強く訴えかけてくるものって存在するから。

 

 

ぜひ、みなさまも「師」について考えてみてください。

あなたの胸に今も息づく「師」の言葉はありますか?


 

12/19 「FUYUKAヨガ」「はじめてのバレエ」@吉祥寺 残席(ヨガ5名バレエ1名)

 

 

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