器用貧乏、優柔不断な自分を変えたい人に

 

 

器用貧乏な人は自分の能力を切り捨てられない。突出したものがないからでなく、自分で捨てる勇気がないからなんだ。どれでも人の期待にそこそこ応えられてしまうから、捨てるのをもったいなく感じてしまう。

 

不器用な人の方がもともと選択肢が少ないから迷いがない。カメとウサギの話みたいに、のろまなカメはそもそも休む選択肢がなくてコツコツ進むしかないんだよね。カメの「進む」選択肢を実行することよりもウサギの「休む」選択肢を捨てることの方が難しい。

 

迷っている人はそれだけ能力があるってことで、だから迷ったら選びとるよりも捨てることを考えたら迷いがなくなるんじゃないだろうか。

 

全部に応えようとするから自分がわからなくなる。もっと偏ってた方が良い。どこか足りないところを補ってバランスをとって、たくさんの人の要望に応えようとするよりも、そのエネルギー、パワーを絶対捨てられないところに注力するのがいいと思う。時代の話はあまりしたくないけれども、なんだかそんな人に追い風が吹いている気がする。バランスをあえて崩して、圧倒的に偏った人間が生きやすい空気になってきている。

 

私はもっと尖っていこう!!もっと突き抜けていこう!!欠けてるところはあきらめよう!そこそこ出来ちゃうものも潔く捨てちゃって、あからさまに生きてるな〜って心底思えることを追究していこうよ。そしたら、アベレージ自体があがってくるはず。(→私の欠けてるところ、突き抜けているところ

 

本当は結構怖い。選択肢がたくさんあった方が安心する。逃げ道は確保しておきたい気持ちになる。でもそんなときに思い出す元旦那の言葉がある。

 

「保険かけて安心安全のもとやってる挑戦はただの挑戦ごっこだから迷惑。」

これね、私、当時本当にぐっさりきた。「いや、おまえは温室から一度も出たことないくせに何言っとんじゃい!!」ってまぁ反発した。でもこんなこと私に言えるのは元旦那だけだった。そして、図星すぎた。私は母親のくせに、ダンスを宇都宮から東京に習いに行かせてもらっていた。1歳と2歳の子供をおいて。

 

元旦那は私の一番のファン。「踊っている時の私の表情がなんとも言えない。ふーちゃんは踊ってなきゃダメ。好きなことをさせてあげたい」といつも言っていた。ほとんど私のために東京に近いところに引っ越そうという話になって、私は一抹の不安と罪悪感から妥協案ばかりが口をついた。その時に言われたのが、この一言だった。

 

「だってそうだけどさ、◯◯なんだもん」

「わかるよ?でもだってさ、◯◯じゃん」

 

ダンスを選ぶちょっと前に、人からなげかけられた言葉を自分が一番口にしていたんだ。自分が言ったことは後から跳ね返ってくるもんなんだね。

 

私は今ダンスの中でもさらに選択肢をしぼろうとしている。もっともっと尖って行くのが私だから仕方ない。なんでこんな生き方しかできないのか謎だけれども。今を絞り込む、ピンポイントで点のような濃いものを創りだそうとするとどうしてもそうなってしまう。

 


 

こんな変人がいるんだなぁと参考までに(笑)

 

でも多少、器用貧乏な自分を変えたいなら、選択肢を惜しむことなく捨てる勇気は必要だと思う。

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