母として思うこと

 

子供たちを育てる義務なんてない。

義務でなく私の意志だ。

 

義務だと思って育てている親は

子供をサッサと捨ててくれ。

義務という言葉に逃げるのは卑怯。

 

 

捨てたあとの痛みくらい自分で責任もって生きるがいい

世の中には親でなくとも

愛に溢れた大人がたくさんいる

 

そして子供はずっとたくましい

 

 

「血のつながり」という言葉で親の弱い心を

濁されるのがこの上なく胸くそ悪い。

 

私は、親になるのが恐かった。

虐待をうけて育った人間は

それを自分の子供にくり返すんじゃないか?

実際、ウチの家系は

そうした負の連鎖のしわ寄せで

私の家族は崩壊した

 

だから私は親になれる気がしない

19歳の私はもう死んでしまいたいくらいに

子供を身ごもってしまったことを後悔した

 

おろすと決めて産婦人科に行った

なのに、決めたはずなのに

私の子宮に宿った命の小さな白い影をみて

言い出せなかった

 

今日こそ言うと決めて産婦人科に行けば

得体の知れないただの小さな影から

確かな心拍の音を聞かされ

涙があふれて止まらなかった

 

なってみないと分からない

自分に命が宿っているという感覚

 

あぁ〜この子は強いんだ

私が親でもいいと思って

ここに宿ったんだな〜

 

ならばこたえよう。

私が親でいいと思うなら覚悟して

 

この命は強くたくましい

 

それから今日まで

一度も子供を産んで後悔したことはない

 

そして、私は一昨年の夏、一人親で頼る人もいないのに

大きなケガをしてとても二人の子供の世話を

できる状態でなくなってしまった

 

医者からも子育てのドクターストップを言い渡され

私は子供に言い聞かせた

「ママはあなたたちを絶対に捨てることはない」

「いつだって何があってもあなたたちのことを一番に思っている」

 

そうして児童養護施設に

約2ヶ月間預けることになった

 

彼らを迎えにいったとき

彼らは私のことを忘れていた

というか、忘れようとした2ヶ月間だったように見えた

私に不審な目を向け恐れ近づいてこなかった

 

彼らは当時2歳と3歳で

親が離婚して1年が経った頃だった

 

子供は環境を選べない

そこでしか生きられないと分かると

肚をくくることしかできない

 

環境に対応して

生きていくしかないから

それしか生きる術がないから

 

そんなこともきっかけにあって

私は自分の人生をより一層真剣に考えるようになった

 

私のこの二本の腕で子供を守るには

私はどう働き、どう子供との時間を作るのが

最善なのだろうか、私はどう生きていこうか

 

もう二度と子供のあんな顔を見たくない

私が居なくても子供は生きていけるんだと知って

だけど私が子供の成長を一番近くで見ていたい

 

私が子供を育てたい

 

ご立派な育児論からハズれた子育てをして

ダメダメな母親だけど

ひとつ、私が母として誇れるものがあるとしたらば

子供を心底信じていること

 

他人の子供と比べたりして

できないとこがあっても

子供が子供らしすぎて

人に迷惑をかけてしまっても

 

今がゴールじゃないから

子供を信じて成長を待っているところ

 

親のしつけが〜と責められても非難されても

それでもいいと私は母としての自分を守ったりしない

 

その私と子供の信頼関係は

何者でも揺るがすことはできないだろう

 

子育てって外に振り回されたら

肝心なことが指の隙間から

あっという間にこぼれ落ちてしまう

 

今でもへその緒がつながっているな〜

って思うくらいに子供には誤摩化しがきかないんだよ

 

だからちゃんと正々堂々と向き合いつづけたい。

とか言っちゃって、ズルしたり誤摩化したりしても

子供は許してくれたりする

 

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