私がダンスで伝えたいこと〜京都へ行ってみて〜

 

 

 

先日、京都へ行ってきました。

「ダンスのつながりで旅をする」

という一つの夢と

 

「ダンスで心通わせる空間を提供する」

という夢を叶えてきました

言語:非言語=3:7

この割合は人に伝わっている情報の割合です。

私たちはコミュニケーションというと

話し方、聞き方に重きを置いていると思います

 

しかし、

言葉以外のところで相手が汲み取っている情報量は

想像以上に多いのです。

 

そして、自分自身も言霊の力に加え

ボディランゲージが自分に及ぼしている力も

とても大きいです

 

私たちは何故、良いことがあると

誰かに教わった訳ではないのに

ガッツポーズをしたり、両手を高くあげたりするのでしょう?

 

私たちは何故、哀しいことや落ち込む出来事が起こると

小さく猫背になり、顔を両手で覆ったりするのでしょう?

 

嬉しいことがあって、縮こまる人はいないと思います。

悲しいことがあって、ガッツポーズをとる人もいません。

 

ダンスの起源は言語の生まれる以前から

私たちの遺伝子に刻み込まれたコミュニケーションの力だと

私は思うんです。

 

感じ方は人それぞれとよく聞くけれども

ボディランゲージに至っては

時代、国境、性別を越えて唯一共通のものですよね。

 

また旋律、リズム、テンポ…

これらの情報から悲しい曲なのか

ハッピーな曲なのかの感じ方もみな大体同じことを感じられます。

 

その中で、自分の人生経験の中で

同じハッピーな感情でも思い浮かぶ光景は

10人いれば10通りのハッピーがあり

 

悲しみもまた10の悲しみがあります。

 

そうしたものをダンスで自己を開放させ交換することが

ダンスでのコミュニケーションで

それが私たちのご先祖さまがやってきた祭りの始まりです

 

五穀豊穣を願って、雨乞いをして

「生」に直結した踊りだったんではないかと思います。

 

 

私は言葉にできない、もしくは言葉にしたくないような感情を

子供のころからバレエにぶつけてきました。

気兼ねなく自分の心を開放させられる唯一の場所でした

 

ダンスと出逢ってなかったら私は今頃生きていないかもしれません。

結果、振り返れば心の治療のようなものでした。

表現をすることでまた明日も生きていける勇気がもらえました。

 

まともで健全な自己肯定感を育むこともできました。

 

特別な話ではなく、ダンスにまつわるそうした話は後をたちません。

楽しいを越えた、「生」そのものを実感できるダンスは

私たち現代人が置いてきてしまった宝物だと思うんです。

 

自分の中の美しさ、自分の命の官能にしたるような感覚なんです。

 

私はそれを「セラピー」や「療法」という

結果を先に提示する言葉で表現したくなくて

だから、どのようにアプローチしていくのかが

ここ半年以上にわたる課題でした。

 

ダンス未経験の人がダンスをどう捉えているのかも

想像がつかなくて…

ダンスのない世界で生きていたことがない私には見当もつきませんでした

 

 

だから、最初のアプローチはステップを教えるクラスや

カラダの動かし方を教えるクラス

と、外側から攻めてみたのですが

全然、私のやりたいことではなく

考え悩み、トライ&エラーの連続で自信を失いそうでした。

 

自分の中にある確信は確かにあるのに

どんどん行動が遠ざかっていく恐さがありました。

 

 

そこで、

京都で開催した「ダンスパーティ」と銘打った企画は

教えるということの一切を封じて

とにかく心と体の開放にのみ重きをおいた

ダイレクトに勝負してみようと私も肚を決めた

 

ダンスパーティのはじまりは自己紹介からにしました

名前、出身地、趣味特技などという情報は一切なしで

誰にも明かしたくない自分だけが知っている望みや野望

ゲスい心の内、そう言ったものを話してもらいました。

 

参加者は思い思いの衣装をまとい

顔には仮面をつけてもらっています。

 

不思議なことに顔を隠して心はさらけ出す

ということが可能になるんですね

 

日常では逆です

顔をさらし心は取り繕い隠しています

本音を内に沈め込ませすぎて

自分でも分からなくなっている人があまりに多いと私は感じます

 

ですから、ここではそれをやっていただきたかった

「その打ち明けた飾らない想いを音にあてて欲しい」

これだけがこのパーティのルールです。

 

私が用意した音楽はジャンルもテイストもバラバラ。

耳や肌で感じた音とリンクした心を

頭のフィルターをかけずにダイレクトに表現すること

 

恥ずかしがっている方が恥ずかしいくらいに

みな曲が1曲1曲と重なるたびに開花していく感じがありました。

 

 

スタジオの照明もギリギリまで落としてムーディな異空間をつくって

私も参加者さんがいないかの如く自分に集中していました

情感たっぷりに、曲によっては涙ぐんでしまいそうなくらいに入っていきます。

 

基本的に私が本気で踊っているときは

ランナーズハイに近いちょっと違う次元に入っています

 

それを一度も踊りなんてしたことない人に

伝染させることができるのかは

大実験でした。

 

結果、できてしまうんですよね!

びっくりでした!!

 

 

私自身がダンスを、自分を信じていなかったのかもしれません。

未経験だろうと、運動神経がなかろうと、歳をとっていようと

そんなの一切関係ありません。

 

もっと信じるべきだった。

私が信じきれていないものを人に伝えられる訳がない。

 

常々、上手いとか下手とかは関係ないと言っておきながら

外堀から守りから入っていた私は臆病でした。

 

ダンスの可能性と自分の可能性を見せてもらいました。

 

 

私は、これを例えば企業の研修に私を呼んで活用してもらいたいです。

刑務所の受刑者に向けて、児童養護施設を出所した子たちに向けて

発達障害の方に向けて、役者やダンサー、ミュージシャンを目指す方に向けて

離婚を考えはじめてしまった夫婦に向けて、お年寄りに向けて

入試や就職の面接を受ける方に向けて

 

いくらでもありますね。

内に沈む自分を見つけにいくダンスは

その後のコミュニケーションに油をさすようなものです。

自分を知って、表現をして認識すること。

開放する感覚を知ること。

 

これって、頭で分かるのと体感するのでは

雲泥の差があります。

はぁはぁ!と分かった気になるかと思いますが

それはたぶん、エロ本を夢中で読む中学生が

大人の愛し合い方を知らないレベルに匹敵します。

要はファンタジーではなくリアルになるんです。

 

例えがなぜ中二男子の気持ちになってみたのか謎ですが笑

 

だから、これをまずは体感しに来てください。

今度3/12、私が出演する舞台は観客がただの傍観者でいられない

興奮の渦にまきこまれるパフォーマンスをしますので

 

ただの阿波踊り!ただのダンス!と思って来ないでくださいね!

 

あなたにカラダと心があるなら、来て体感した方がいいですよ。

来なきゃ損しますよ。

また、どうせ、そのうち舞台やるんでしょ!?って思うかもしれないけど

舞台は生ものなので、その日その瞬間でしか絶対に味わえないんです。

その日に高円寺に観にきてくださった人にしか味わえないんです。

 

youtubeで見るのとは全然違うものですからね。

 

チケットの購入はこちらから↓

http://takarabune.org/blog/?p=215

 

私は京都でやったダンスパーティを東京でもう一歩進化させて

また開催するつもりでいます。

その際は生演奏でセッションを考えています。

 

熱い想いがある方ぜひ参加お待ちしております!!

 

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