踊れ!踊らされるな!

 

 

何でもいいんだけど

 

例えばダンスレッスン。

 

あなたが踊りにきた

先生が踊らせてくれる訳じゃない

 

例えばなんとかセミナー。

 

あなたが学びにきた

講師が学ぶべきものをお膳立てしてくれる訳じゃない

 

 

踊れよ、踊らされるなよ!って

私は生徒の立場からも講師の立場からも思っている

 

私がダンススタジオを選ぶとき

自分のレベルにあわせた選び方はしない

ひとりでも踊らされてる人間がいるスタジオには行かない

意欲にあふれた空気のあるスタジオに行きたい

私か私以上に踊ることが好きなひとの中で学びたい

 

 

ちゃらちゃらした人間が大嫌い。

自分で足を運んでいるくせに

赤ん坊のように受け身でいる人

 

私はレッスンの90分間

目を皿のようにして講師からも生徒からも盗む

毛穴から吸収するくらい感覚を研ぎ澄ませて集中する

 

そこでチャラチャラ「できない〜笑」

とか言ってる人を感じた瞬間

殺意が湧く

 

それと同様に私は生きることにも全力だ

そんな姿勢を茶化してくる人間には

あなたが私よりいかにクズか

再起不能になるほどに牙をむきつぶす

私のやり方に二度と口だすことのないように

全力で痛いところをえぐる

 

 

 

なぜ、自分の中にこんなに大人げない

怒りがあるのか分からないけれど

自分の中でどうしても許せないことって

なんだろう〜!?と考えていたらこの二つが出てきた。

 

また、常に

「変人」「変わった人」「個性的な人」

「いかれてる」「狂人」「超人」

「不思議ちゃん」「天然」「頭おかしい」

などと

ふつうにしているつもりがそう言われてしまう。

 

それがコンプレックスだった。

たまらなく嫌だった。

学生のころ、何をしても目立つのは私。

良くも悪くもいろんな役が私に回ってくる。

 

だからなるべくなら、ひっそりと影に隠れて…

って、それが「ふゆかどうした!?」ともうすでに目立つ。

 

リーダー的なわざわざ目立つ役割もうんざりだった。

何かと「ふゆかが言った」になっている。

 

だから、どうしても許せないなぁ〜と思う人がいるならば

変人に憧れ変人ぶる人

目立ちたがりで奇をてらう人

あたしを変わってると評して憧れる人

 

強いて言えばこの辺の人であろうか。

私はダンシングデビルじゃなくて大瀧冬佳なんだ

私はかさこ塾生なんじゃなくて大瀧冬佳なんだ

私はバレリーナじゃなくて大瀧冬佳なんだ

 

そういう属しているものに対して

好きとか嫌いなのではなく

属しているモノからしか人を判断しない人が

いまいちいけ好かない。

 

そして自分自身も属している何かではなく

いつだって自分自身に誇りをもっていたい

 

だって、ダサい!!!

そう、ダサいのが嫌い。

 

なんだかコバンザメにくっついてくるちっちゃい魚のよう。

 

 

何かに踊らせれてる人とは私は馬が合わないだろう

◯◯だから好きとか

◯◯だからスゴイ!とか

好きなものさえも、みんなが認める理由に踊らされないと

ストレートに好きと言えないのか!

 

自分の意志を決意を

時代や社会や隣人や常識に踊らされてて

それも気付かずに人からの評価を気にしているのはダサいな〜

 

テレビのワイドショーなんかまさにそれだよね

まるで自分の意見かのように踊らされて滑稽

 

 

「ふつう」か「変わっている」か

そんな人からの評価気にしてる暇は私にはない

それにそんなの愚問だと中学生くらいで気付いた

 

だって、「変わっている」のが当たり前で

それが「ふつう」なのではないかと思う。

 

あなたも、いつまでも自分の人生誰かや何かに舵とられていないで

自分でちゃんと選ぶべき、自分で自分だけの踊りを踊るべき。

 

あなたの舞台はあなただけのもの。

選んだらそこで全力で踊ること。

 

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