払うは祓う、好きなことをみつけるヒント【田中式ファスティング準備1日目】

 

自分にとって好きなことは何か?

それはね、気持よく自分にお金を払える事。

 

私はお金を払うは祓うだと思っている。

水も流れが止まり溜まってると腐る。

気持よくお支払いしたら

対価として邪を祓うようなことになるんじゃないかと

 

お金を自分にかけるとき

「うっ…高いな」って思うものは

それを得て自分がどうなるかイメージしても

それほど必要でもないしワクワクもしないから

高いと思うんでしょう??

 

同じ1万でも

私は服には高いと思ってしまうが

ダンスのレッスンなら何の抵抗もない。

 

自分の中の価値観で

1万で交換できるエネルギー量が見合ってると思えれば

金額の話ではなくなる。

エネルギーの交換とか

エネルギの還元、循環という感覚が

私のお金の感覚だ。

 

だから、好きなことって1万かけても

どうしてもやりたいこととか

どうしても欲しいものとか

って言うのを指数にすると見つけやすいんではないか?

 

そして、その純度を高めていくことが

自身を磨いていくことであり

馬力も精度も自ずと上昇していく

 

バレエのレオタードは平均1着1万。

私服1着2000円以上するものは悩むくせに

レオタードは値段を見ずに買えてしまう。

 

大きな鏡のまえに立って踊るとき

先生に目をかけてもらうために

たとえ稽古場でも輝くように

モチベーションが一番高いところで稽古ができるように

稽古の質を最高に保つために

レオタードは一番気に入ったものを

 

ネットで探せば2000円くらいの安いヤツもあるにはある

しかし着たときの着心地、動きやすさ

自分の良さが一番惹きたつデザイン

これは妥協できないから糸目はつけない

 

そして、今日からちゃんと自分のカラダをとり戻そうと

田中式ファスティング準備にはいりました!!!!

私は昔から自分のカラダが好き

カラダが喜ぶことをするのが好き

お値段、5日間のサポートと酵素ドリンクつきで

約38,000円(アバウトだな〜笑)

 

今までなら、好きなことにも自分のことにも

全然お金をかけることができなかった

貧乏魂、ケチ根性が巣くっていたから笑

お金を数値でしか価値をはかれなかったけれども

大分考えがも感覚も変わった

 

私は自分の純度を高めようと決めた

大きく還元していこうと決めた

 

カラダが資本の私たちダンサーにとって

一番お金をかけるところ

カラダは商売道具で商品だからね

それに私はカラダの変化を感じることが

変態レベルで好き

 

そんな感じで

必要と好きの一致

できることとやりたいことの一致で

毎日が楽しくてワクワクして仕方なくなる

で、そんな人の周りに人は集まるんじゃないかな?

 

初対面でグイグイ宣伝する人は

基本的にそれ好きじゃないんだろうなーって感じる

 

 

明日からふゆかつもはじめるよ〜!

代謝をあげてカラダのリセットを促進!

うわ〜わくわくするぜ!!

映像でビフォーアフターをお届けできればなと思います。

 

ふゆかつ詳細

https://www.facebook.com/groups/1748328892062822/

 

20代30代の子育て世代に言いたいこと【東京都選挙】

 

 

保育園入れないですよね?

共働きじゃないととんでもないけど

まともに子ども一人育てていけない

それもパートでちまちま働いてても埒が明かない

 

保育園の父母からあがる意見は

なんだと思いますか?

どこの園の父母も、毎年毎年あがる意見はなんだと思います?

保育園に入れたら入れたで

「祝日も預けられるようにして欲しい」

「早朝も夜ももう少し長く預けられるようにして欲しい」

これが毎年、どこの園からもあがる意見。

 

そしてね、私は昨年父母の会長をして

会長は父母の代表として市との意見交換ができる場がありそこで話を聞ける

昨年ははじめてでみんなの意見をまとめて伝えることしかできなかった

今年は前会長としてその場にまた参加してきた

 

思ったの、

「あれ?去年と同じことしてない?」

「これに何の意味があるの?」

「こうして意見を伝えても変わらないのはなぜ?」

 

市からの回答は

「市としても、◯◯をしているが保育士の数の問題でうんたらかんたら」

「現状厳しい」

その現状はいつ変わるの?

 

で、私は今回この埒があかない堂々巡りの根源はなんだろうか考えた

そもそも0〜5才の本当ならできるかぎり手をかけて育てたい時期に

なぜ祝日も、早朝も、夜も夫婦揃って働かなきゃいけないんだ

なぜそんな世の中なんだ

そりゃー市の政策だけじゃ限界があるよね

 

だって、そもそも

そんなに長い時間働かなきゃいけない会社

そうでないと会社員として正当なお給料をもらえない会社

そこまで働かないと成り立たない家計

どれもこれも異常じゃないか

 

私たちは会社の奴隷か

私たちは国や市の奴隷なのか

待機児童にしてもそう。

園を増やすこと、保育士不足を解消すること

これはずーっとイタチごっこなんだ

保育園に入ったら入ったで

子育て層が子育て層じゃない人と同じように働くには無理がある

一目瞭然じゃないか

それを求められつづける子育て世代

 

この子供たちが未来の日本を支えていくのに

そんな育て方でいいの?

 

だから、私は市に今回こう意見した

「祝日?早朝?夜?待機児童?私たちから毎年どの園からもあがるこの意見を市が解決しようとするのは不可能だ。市はこの意見を他の市区町村と協議して国にあげるような仕組みはないのですか?変えるところが間違ってる気がする。なぜ、私たちはそんなに働かなきゃ育てられない環境になってしまっているのか?私たちが本当に変えてほしいところはそこじゃないんじゃないかって、私個人的に思います。もし、夫婦揃って早朝から深夜まであくせく働かなくていい日本なら、私たち父母はきっと3人でも5人でも産むよ。私が今日、市に言いたい意見は、父母がひとつになってこうして意見しているように、今度は他の市区町村がひとつになって国に意見できるような仕組みを作ってほしい。市と父母だけで問題は解決できない。なんで、私たちの意見は国に届かないの?」

 

私は政治に無知だ

もうね、毎日の生活でいっぱいいっぱいだよね

でも無知で基本的な知識もなく、若いと言う免罪符で

常識でしょ!?を越えたこえたことを言える傍若無人さがある

市の人には失笑されるようなことかもしれないよ?

なんか恥ずかしいことを言ったかもしれない。

 

だとしても、「え?私の言ってることおかしいの?」

よくわからんお金を国から少子化対策だともらうけど

そんなものが欲しいんじゃない

鯛じゃなくて鯛を釣る釣り竿がほしい

 

どうして、地方自治体から国に意見をあげる仕組みがないの?

なんでそこ分断されてるの?

市の回答は沈黙だった。

字の如く「沈黙」

さっきまで、今うっている対策についてペラペラ話してた人が

「その仕組みはないですね………」沈黙。

 

私たち父母のみなさんも

なぜ敵は市なの?

保育園申請の窓口はいつも泣いている親

怒ってる親、そんな光景珍しくない

悲痛だ

保育園に入れたくても入れられない

働かなきゃ子ども育てられない、生活ができない

おかしいでしょ。

敵はいないのに、なぜ市に八つ当たりするんだ

どこが間違ってるの?

 

誰が間違ってるの?

 

 

 

「私たちなんだ」って会長をやって

2年連続でその会に出席して思った。

 

私たちは何をすべきなの?

どうぜ変わらないの?

どうにか必死に育てていくししかないの?

 

そう思ったとき山本太郎さんや三宅洋平さんの演説が頭をかすめた

ちゃんと、まだ聞いてない。

私は選挙に一度も行ったことがないけど

今回は投票しにいくだろう。

 

そして、私のブログもこれでも5000人のアクセスがある

私のように20才で子どもを二人産み

今はシングルマザーで子どもを保育園に通わせて働き育てている

そして正社員になって働くことはやめて

自分で仕事をしている

奴隷になって上からの命令になんて答えつづけられるほど

私に余裕はない、子どもを育てるのに必死

 

どんどん個の自立にむかっている

国や会社のような組織に自分の将来を委ねられない

気付いたらそう言う方向になっていた

 

そんな私の考えを微力ながら書いたら

もしかしたら、私みたいに政治や選挙に無頓着な若いお母さんが

今回はひとつアクションを起こすきっかけになるかもしれない

 

選挙や政治に無知だった人は

まずはこの動画を見ることをするかも

 

見て何か自分なりに考えるかも。

選挙に興味を持っていけるほど時間がない私だけど

無頓着というより余裕がない

でも余裕がないからこそ

知るべきで、やるべきで、言うべき、なのかなって思った

 

 

 

憧れて寂しい思いをした時が変化の兆し

 

 

憧れの人、人気があるあの人

でもそんな方に勇気を出して近づいてみたら

ふと冷たく感じることはない?

相手にされてないのかも!

あの人の輝きの前では私はなんて惨めなの!

あしらわれてる!?

そう感じたとき

それはあなたが変わる兆候だ

 

 

私は思う

人との出逢いが自分を変える

 

そして冷たく感じるのは

振り向いてもらえると期待したからでしょう

そこでいじけて、元の木阿弥にもどる?

なんとなくでチヤホヤしてもらえるぬるま湯へ?

変わるチャンスをみすみす逃しますか?

 

そこで私なら

憧れの人が私を見てくれないことでなく

憧れの人が見ている世界に視点をおく

想像力を働かせて

好奇心をかきたてて

何が見えるのだろう?

何を感じるのだろう?

 

逃げることは考えない

卑屈になったりもしない

 

でもあれ?

なんかサラッとドライじゃない?

あっさり?私のこと見てくれないの?

こっちを見てよ!のために信者になったり

憧れの人の近くにいるために

思考停止で言いなりになっても

あなたの欲しいものは絶対手に入らない

魂売っても欲しいものは一生手に入らない

 

 

これならどう?

これなら振り向いてくれる?

そんな下劣なことしてないで

わんこの姿勢を見習ったらいいさ!

そのままばーさんになったら悲惨

更年期はどれだけ自分を生きてきたかの

途中精算なんじゃないかと思う

 

 

何かを崇拝しすぎるとほんとの意味での自由は得られない。ムーミン深いぜ!

 

行動の量と質をあげるには?ついついやろうと思ってることを先延ばしにしちゃう人へ

 

 

明日やろうはバカやろう

いやいや!

あとでやろうはバカやろう

くらいに思っといた方がよい

 

今やろうよ!って言うと思った?

 

違うんだよね、

あとでやろうって思うことは

やることを諦めたらいい

 

明日やろうはやらない

あとでやろうもやらない

 

今やろうだけやる

 

超シンプル!!!!

 

これであなたも

今すぐ行動にうつせない

そんなグズな自分を責めなくなる

 

本当に無駄な時間と労力だなーと思うのは

「やらなきゃいけないけど

できない自分を責めてる時間」

 

なんで自分はできないのだろうか?

と悩んだり分析したりするの意味ある?

無駄!無駄!無駄!

 

そもそも生きてる上で

やらなきゃいけないことなんて

何もない!!!!

やらなきゃいけないと思い込んでるだけ

 

 

やるかやらないかを

バッサバッサ決めればいい

行動量が多く、そしてスピーディな人は

その判断がとんでもなく速い!

悩んでる時間無駄!

悩むカロリーも無駄!

 

私はそうして人がグズグズ悩んでる間に

3つくらいはアクションを起こす

 

だから私にできないことなんて何もない

つまり、あなたもできないことは何もない

できないんじゃなくて、やってないだけ

 

できないんじゃなくて、やりたくないだけ

じゃあやらなきゃいいじゃん!!!

シンプルだ。

 

自分じゃない誰かになろうとしたり

外にばかり目が行くと、この判断が鈍る

やるのかやらないのか

いい加減サッサと決めたら?

 

頑張るはさ、

「頑な」と「張る」

って言葉が入ってるじゃん

それぞれの対義語は

「素直」と「ゆるめる」

 

感覚的に素直でゆるい方が

スイスイ進めそうじゃない?

 

やるかやらないかも

素直にゆるく決めてしまえばいい

何にって自分の心に。

自分の心に素直でゆるく

 

 

「こうじゃないといけない!」

「これじゃダメだ!」

そーいう自分ルールゆるめていいんだよ

 

ギューギューに自分を縛りつけてるから

決めるのが遅い

行動が遅いし少ない

だって動きにくいもん

 

自ら障害物を設置し

自らそっちの道を通行止めにし

自ら履きにくい靴を選んで

しまいには

親がほっとけない

兄弟がほっとけない

あの人が心配だとか言っちゃって

二人三脚しようとしたりして

片脚の自由も自ら奪う

 

いやいや、その人も自分の足あるから!

その人にだって進むべき道がある!

頼むから自分の道を歩んでくれ

 

「やろうとは思ってる」

こんな言葉よく恥ずかしげもなく言えるなと思う

 

やらない人には全くイラつかないよ

私には関係ないもん

「やろうとは思ってる」

をふつうに言えてしまう人と

同じ時間を過ごした自分にイラつく

ルパン三世の五右衛門が

「またつまらぬものを斬ってしまった」

みたいな気持ちになるよね

 

何でもかんでも全力でやらない

頑張らない

出力100でできることしかやらない

中途半端なことはやめてしまう

だから今やることに100が出せるんだと思う

 

あとでやろうと思ったことを

思いきってやめてしまうこと

なら、今できるなって気にもなったりする

今やりたいことが好きなこと

 

 

いたってシンプル

 

好きなことはね、

やめたくなったら

今すぐやめられるくらいの方がよい

 

 

そもそも、やりたいことをやるとき

「今」やりたいことをしている

ただそれだけのことだから

 

過去の栄光に縛られてたり

置いてきた気持ちのリベンジだったり

将来への不安からだったり

何かへの怒りからだったり

誰かへの嫉妬心からだったり

見返してやる!という気持ちからだったり

それって「好きなこと」

と勘違いしてしまうくらいに

大きなエネルギーでできてしまう

 

だけど薄々感じるはずだ

「ひとり」だということに

孤独との闘いになり

何かを犠牲にして進むものになってくる

 

成し遂げることの意味がわからなくなる

「何のために?」とか考え出したら

一旦立ち止まってみてもいいと思う

 

ふっと捨ててもいいかなくらいに

力が抜けたときが

あなたの本領発揮できるときだ

 

好きなことをするって

つまり「今」なんだ

過去の自分のためでもなく

未来の自分のためでもなく

「今」の自分

今やりたいこと

 

 

だから明日私が踊ってるかはわからない

でも私が自分を一流だと思えず

二流の超一流だと思うのは

一流の人は好きを超えた執念がある

 

私にはそれはないんです

私的な幸せを優先するし

ごく当たり前の

好きな人とご飯を食べて

朝起きたら隣にいる

それが私の幸せなんだよね

 

これは変えられない

例えば踊り手として世界的に有名になること

ごくふつうの温かい家族を手に入れること

どっちかしか手に入らないなら

間違いなく後者を選ぶし

後者をベースに持ってないと

私は前者を叶えたいとも思わない人間だ

 

幸せのあり方は人それぞれ

それを己でわかってない人が多すぎる

なぜ、みんなの幸せを目指すのか?

なぜ、あなたの幸せに気づけないのか?

 

頑張ったり、努力することなんて

本当に最後の最後でいいんだよ

 

何より重視して注力すべきは

努力の方向性と、自分の在り方。

そこすっ飛ばして頑張るから

「頑張らなくていい論」

「ありのまま論」が横行する

いやいや、怠惰な気持ちで

欲しいものが手に入るって

都合よく解釈するのは

タッチの差で語弊がある

自分の心の声を聞いて聞いて聞きまくるのは

避けては通れない

そこはシビアにストイックなんだ

 

 

頑張る時は、

頑張らなくていいなんて言葉

耳に入らないから!

むしろ!自分が頑張ってるとさえ

自覚してないから

楽しくて楽しくてやってしまうとき

人が応援したくなる努力家と映るのだと思う

 

楽しくて楽しくてやってしまう

これは「今」にフォーカスしてて

過去や未来に引っ張られておらず

自分に夢中。

こんなときだと思う。

 

というか、私はそんな人が大好き。

余裕があるし素直!執着がない。

 

好きなことに向かって!

夢に向かって!

努力してる!頑張ってる!

っていう人の中に

見てるとこっちまで息苦しくなる人と

希望や勇気をもらえて応援したくなる人

そんな二者がおりませんか?

 

その差は何だろうと考えた時

答えは

根っこが「執着」か「好奇心」か

の違いかなって私は思った。

 

で、こんな私の戯言ごときに

左右される人は

間違いなく天才ではないから

見極める目を養ったら

よろしいんではないか。

 

因みに私の言う天才やカリスマは

エジソンや織田信長。

私は彼らとは違って二流だ。

 

歴史は得意じゃないけど好き。

好きで得意なのが数学。

 

何はともあれ、

好きなこと、

得意なことに

執着した瞬間

それは能動的な活動ではなくなるよ!

 

かられるような活動は

ダンスも伸び代が狭まります。

 

ブログで本音がかけない人へ〜批判コメントがきたときのとっておきの対処法〜

 

 

腹ではみんなゲスいこと思ってるはず

だけどブログやSNSになると

急に万人受け、当たり障りないことをかく

お上品よね

 

嘘ばっかり!笑

 

本音ぶちかませー!とは言わないし

それは個人の勝手だけど

私が言えるのは本音をブチかますと

反応があって面白いし

楽しい、書くの楽になる

 

 

でも、反応にもいろいろある

調子にのるなとお説教もうけるし

私の屈折した部分を拾って分析する人もいる

スクロールしてもしても終わらない

メッセージをくださる方もいる

 

「あなたの言葉は凶器です、今すぐブログをやめてください」とメッセージが来たり

 

たまたまなんだけど、その方の

反論のような調子の記事をあげていた時は

「私へのあてつけですか?文句があるなら堂々と言ったらどうですか!!!」と言われたり

 

「これは私のことですか?すみませんでしたね、うんたらかんたら…」というコメントもつく

 

人生で大切にすべきものの命令を下されたり(だって、「これは命令です」とコメントつくからね)

 

http://fuyukaohtaki.com/fuyuka/fuyukaohtaki-dance-42/(大瀧冬佳のブログは誰に向けて書かれているか?)

 

まぁ、忘れちゃったけど

これだけ毎日書いていて全公開で

1万人もの人が見ていれば

こーゆうことがない方がどうかしてる

 

批判もある意味ラブレターだと思ってる

 

批判がくるのを恐る人や

嫌な気持ちになって愚痴る人もいるけど

捉え方次第だと思うんだよね!

結構面白いよ、ネタネタ!笑

無反応よりよっぽどいい!

 

 

「冬佳さんのブログに救われました。」

「冬佳さんの言葉にいつも気付きをもらってます!」

そういった声のベクトルが真反対に行ってるだけで

その人の胸の内のどっかにひっかかったんだよね

ありがたいでしょう!

 

そうやって批判しておきながら

私のことが気になって気になって

チェックしてるから。

むしろファンだよね

 

対処法としては

話をじっくり聞く

面倒くさかったら

「ありがとうございます!」

と言ってさようなら

 

すぐに「何よ!」プンスカ!と

頭に血を昇らせて同じ土俵に立たず

ふつうに会話してみる

どうして、そう思うのか

意見を聞いてみる、

真っさらな気持ちで

 

クレーマーや

ちょっと偏屈な方は

こちらの対応一つで

お得意様になる話は少なくない

それだけ他から

邪険にされてきた人たちで

基本、寂しがりや。

ふつうの人では一筋縄ではいかない

だからこそめっけもん!

 

今まで数々のバイトをやってきた私は

今でも当時の厄介だったお客様が

お金を援助してくださったりしてる

 

批判する人はね、

のちのファン予備軍なんだぞ!

 

 

批判やアンチがつくのは

それだけ影響力がある証で

勲章のようなもの

 

無反応よりよっぽどいいじゃないか!

 

ただ私の線引きとしては

私はAだと思う!という記事に対して

揚げ足をとりつつ

AでもあるしBでもありますよね

しかしCとも言えます

みたいなモヤっとした意見をいう人が苦手です

 

そんな時私は

「そうですよね〜」

とだけコメントを返します。

 

以上。

 

視力と眼力〜かさこさんの編集を受けての感想〜

 

 

「目がいい」とは一般的には

視力のことを指すが

眼力みたいな意味で

目がいい人はあまりいない

 

大人は案外見たもの

そのままを見てることはないかも

 

その人それぞれの倫理観や価値観

また不安や恐れによって

いろんなフィルターがかかっている

 

そして自分自身のことほど

見えてないものはない

 

どーみてもあなたの良いところはそこでしょ!

って言うのを本人は全く見えてなかったりする

 

そういった真贋を見分けるのは難しい

で、セルフブランディングをしていく中で

自己の真贋を見分けることは

避けては通れない道だ

自分を俯瞰するのが大切

 

 

コンサルタントに求めるところは

そこである

 

かさこさんがすごいなと思うところは

人や物事の本質を見抜く目をもってるところ。

なんか本質とかご立派そうな表現は

いまいち好きじゃないんだけど

他に思いつく言葉がなかった

 

 

本人は「あくまで私の個人的な意見ですが」と必ず前置きをする

 

そして、かさこさんはコンサルタントではない

セルフブランディング術を伝える塾の塾長というスタンスであるけれども、宿題を提出したりその人が何か自分で最初のアクションを起こすのであれば、そこらのコンサル以上にコンサルしてくれてる気がする。(あくまで個人的な感想です笑)

 

 

そして、私はその塾の卒業生であり

今回はかさこさんに

マガジンの編集をしていただいた

 

 

セルフマガジンとは

自分が何者であるか

何ができるのか

などなど打ち出すものは

もちろん自由であるけれど

読者にメッセージを伝えるための冊子だ

仕事を得るため、自己紹介のため

使い方はさまざま。

 

その軸に沿って話を展開させていく

いい写真があって

いい文章があって

いいデザインが揃っていても

編集次第でどうとでもなることを

今回学んだ

 

 

編集ってとても不思議な立ち位置

最初はいるのかそれ?と素人の私は思った

だって物理的には何も生み出さない。

舞台でいえば

舞台監督と脚本家が合わさったみたいなものなのかな?

総指揮官。

 

 

かさこさんは、

見抜く目を持ってして

読者が何を求めているのか

大瀧冬佳の売りはどこなのか

いる情報といらない情報は?

落とし所に向けてどう展開させるのか?

読んで何を思わせたいのか?

とかを広く細かく拾って構成してくれた

 

そしてライターでもあるから

抜けてるストーリーを埋め

私自身の話なのに

なんかドラマでも見たような

重厚なお話になっていた

 

マガジン1で唐突に話が展開していくのは

悲劇の人と銘打たれてしまうことを

私はとても恐れたから

 

一から十まで生い立ちを書く意味が

さっぱりわからなかった

 

だけどかさこさんが着手してから

私に聞いてくる内容は

生い立ちの細かいところ

私が意図的に省いたところを拾い集めていて

いささか不安であった

そんなこと書いて大丈夫なの?

 

 

蓋を開けてみれば

見事に「大瀧冬佳はなぜ踊るのか?」

に不時着していて驚いた

そこがないのが不自然なのはわかってたけど

どうまとめていいのか分からなかったから

 

私の感覚と世間一般の感覚は

とてもズレてるから

どこでバランスとればいいのかわからない

 

 

いい食材があっても

調理の仕方で

不味くも美味しくもなっちゃうってこと

 

それぞれの素材の良さを引き立ててくれるのが

かさこさんの編集なのかなーと

私は受けてみて感じた

 

たぶん、かさこさんのしてる眼鏡は

人を見抜く特別仕様が施されてるはず笑

他者目線を入れられるなら

絶対入れたほうがいい

そして、かさこさんに頼めるなら

かさこさんに頼んでみるのを勧める

 

それからブログを書いたり

外にアウトプットしていると

俯瞰する目を養っていけるんだなー

と感じる今日この頃

 

フィルターをかけずに

そのものそのままを見れる目を持っていたい

視力と眼力は異なるという話でしたー!

 

 

 

 

叶うと困る夢ばかりみる人

 

 

好きなことをする

なりたい自分になる

願いを叶える

 

これって実はシンプルなことだった

なのに何故か複雑にしてきた

叶うまでの過程を自らややこしくして

難解なゲームをつくってきた

 

好きなことができぬ

なりたい自分になれぬ

願いは叶わぬ

とそんな風に

超頑張っても報われない可哀想な自分を

楽しんでたんだよね

自分が可愛いから

 

好きなこと、すれば?

と他人に簡単に言われれば

いかに自分が取り組んでる

ゲームが難しいかを説き

いかに自分がそこに向けて頑張ってるかをアピールする

 

 

叶ってしまうと逆に困るんだよ

こんなに難しいゲームを頑張ってる私でいることが目的なんでしょう

 

つまり、悩むことがあなたの好きなことだ

 

なりたい自分に、なれば?

とあたしのことなんか

なにも知らないあんたに言われれば

以下略。

 

なりたい自分に

「なりたくてもなれないあなた」が

今のあなたのなりたい自分だ

 

願い、叶えれば?

…以下略。

 

 

みんな望んだ通りになっているんじゃないかなって思うんですよ。現に私はそうだった気がする。

 

舞台にまた立ちたいと思ってから

上に書いたようなことを意識して

地図をしっかり広げて

進むべき道を見定め

一歩一歩進んだ

 

私は1年前ヤクルトさんで

ただのシングルマザーで

2Kの古いアパートに住み

月に16万円を稼ぎ

ふつうに子供と慎ましく暮らしていた

それ以外は何もない

 

ただ

夢を夢見てるだけの私にさよならした

叶えたくない夢なんていらない

叶えるものだと強く認識し

着実な一歩を踏み続けた

 

その半年後、動員250名の劇場で

私は踊っていた

 

そしてその3ヶ月後、現在

私主催のカンパニーの旗揚げ公演を夢みる

さらにその公演が成功したのちの

半年後、1年後に

どうカンパニーが歩んでいくかを逆算し

旗揚げ公演を作っているのが今だ

 

 

叶ってしまっては困る夢じゃなく

叶えるのが夢なんだ

そしてそれはそう決めた瞬間

必ず実現する

私はそういう女

 

無理が通れば道理ひっこむ

という諺があるくらいに

他力本願もばっちこい!

立ってるものは何でも使え!

手段は選ばない!

持ってるカードは全部切る

 

所詮それくらいの気概をもって

好きなことをしたいでもなければ

なりたい自分でもなく

叶えたい願望でもないでしょ?

 

だから現状維持があなたの望みなんだと思うよ?

走り出したければ子供は走り出す

ほら、これくらいシンプルなこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スピリチュアルが大嫌いな理由

 

結局さ、あなたの一歩がないと始まらない。

まず一つアクション起こすか起こさないか。

 

強く死生観を持ってる起業家さんとか

戦国の武将とか(友達か!笑)

超一流のアスリートや芸術家は

わりと人智を超えた

この世の自然界の流れやパワーを

信じたり感じたりうまく使いこなしてる人が多いように思う。

 

それは神だったり、いろいろだけど。

 

私はスピリチュアルは大嫌いだと公言するが

それはあって当然、と思ってるからこそ。

 

 

だって魂だよ?

そのエネルギー体は一体何なのか?

私が知ることは一生ないのだろう。

身体を生成する物質を全部集めて

たんぱく質や、何やらかんやら

で、それで人を作ってみても

きっと人として生きたものを作ることはできない

 

骨があって筋肉があって血が流れていても

何で植物人間は命があっても動力のような魂が、薄いんだろう?

子供のころ病院のベッドに横たわる祖父を見て

生きるエネルギーって魂なのか?って考えた。

 

やっぱり、魂が入ってないと

身体はただの器でしかないのかもしれない

私の子宮は命を無から創り上げ

現にこうして命が跳ね回って

壁に落書きしたり、襖を破ったりしてる

恐ろしいクソガキどもだ。

 

 

話は大分それてしまったけど、

宇宙とか自然とかそんな中に

私たちは誕生して生きて死んでいくわけだけど

そんな手の及ばぬ力任せに何かを振りかざそうとする人がいまいちいけ好かないから

スピリチュアルは嫌いだと私は言う。

だいたい、何も現実に成し遂げてない人が言ってても「だからなに?」って感じだ。

 

 

それで、流れや因果や運命や宿命や

そういう話についてだけど

私は基本はあって当然、

その上で私たちは成り立ってると考えるけれども

 

でも運命は変えられる。

大きな流れがやってきても

私のたった一つのアクションがないと起動しない。

そんな風に感じる。

 

私は今までなんども死にかけたし

ここは地獄かな?

ってところで生きてたこともあったから

世にも奇妙なお話はたくさんある。

見てきたし聞いてしまったし

信じるとか信じないとかじゃなくて

あるんだなーって感じ

 

極限に自分を追い込むと

第六感というのは

働かさざるを得ないときがくる

 

 

なんか普通に受け止めてる

 

 

特別な力っぽくいう人は

気持ち悪いなと思うだけ

誰でも生と死を見つめたり

感覚を研ぎ澄ませば

ふだんは見えたり聞こえたりしないだけで

感じるものなんじゃないかと思う

 

 

で、それがわかったら

すべてを支配する大きな力を手に入れる

みたいなことじゃなくて

 

現実的に行動してみなきゃ

何にもならないわけだ

 

私は香さんの

「龍覚醒」と「鬼繋ぎ」という

いわゆるスピリチュアルなワークを

生まれてはじめて受けてみた

 

龍は私たちひとりひとりの中にいるらしい。

大きな流れを生んだりするらしい

鬼も私たちひとりひとりの中にいて

小さな流れを作ってこなしてくれるようだ

 

(リンク貼ればいいけどスマホで書いてるから上のキーワードでググって調べてくれ!因みに来年までもう受けられないワークです。)

 

どんなだったかと言うと

龍をみました。

大概は眠ってるらしいけど

私のは起きていて

見た瞬間、あぁ知ってるー!って思った。

白いのだけど光に当たると虹色に光り、

やたら大きくて綺麗で怖かった。

 

そして鬼は

相当な美少年で髪が青かった

純粋無垢な表情で

何を思ってるのかわかりやすい感じ

 

その鬼や龍に頼みごとをするのだけど

どれもこれも

まず力を借りるには

絶対的に私のワンアクションがないと

できないことばかりだ。

 

 

現実から逃げるために

スピリチュアルに頼るのは

たぶんおかしなことになるよね

 

私たちが生きてるのは

紛れもない現実

 

いい?

満月とかなんとかのせいにする前に

ちょっくら外に走りに行って

汗かけばその不調解決することもあるから

早寝早起きして、大きな声で笑って

地の野菜モリモリ食べて

基礎的な生活変えてから

スピリチュアルな話するのでよくないかい?

 

 

 

 

 

解除せよ

 

 

「解き放て、いざ行かん」

 

 

 

本気で生きてみろ、と

頭をガシッと両手で捕まれ目の前で

傷も膿も快感も欲望も展開されていく

 

 

きっとあなたが逃げることを諦めて

自分の人生を生きると決めるまで

目を反らすのを許されないだろう

 

目をそらせばそらすほど

恐らくそれらはどんどん大きくなり

排他的になればあなたを襲う

 

それは病という形で表出するかもしれないし

目の前に現れる相手そのものがそうかもしれないし

ほんとのところなんて分かりっこないけど

 

けど、きっとあなたからの

「本気で私を生きてよ!」に

気付いてもらうまでは

見ざるをえない状況となって

あなたの前に現れるんだろう。

 

私の前に現れるものの質が変わった

武者震いが起こるような

自分への挑戦状が日々届く

 

あなたはどこまで幸せになれる?

あなたはどれほど幸せに気付けるの?

 

嘘か真かなんてどうでもいい話で

そう考えると面白くはないですか?

あなたが目をそらすことのできない

その問題、課題、ハードル。

視野がどうしても狭くなってしまうほど

あなたを虜にするその問題

 

解除せよ