現代の先駆者ってどんな人?

 

 

人類の長い歴史を俯瞰して

ほんの100年ばかり

その時代の権力を握ったとしても

歴史からすれば一瞬でしかない

一瞬の権力を握ることに死に物狂いになるのは

一体どれだけの意味があるのだろう

 

火の鳥は不老不死

永遠を生き

時代がどれだけ移り変わっていっても

事が小さかろうが大きかろうが

繰り返すこの人の本末転倒っぷりを

ただ眺めて来たのだろうか

 

世界を変えるとか

時代を揺るがすとか

歴史に名を残すとか

そんなその時代の先駆者たち

過去も未来も現在も歴史を俯瞰すれば

人がもつ「弱さ」や「脆さ」って変わらなくて

繁栄しても衰退してしまうきっかけや

その落とし穴ってきっと固執する心とか

手放せない弱さとか驕ってしまう気持ちとか

そういうものは

ずっと昔もこの先も同じなのではないかなと思う

 

なんで私がこんなことを今考えるかと言うと

火の鳥の「現代の先駆者」役を踊るからです。

 

私は平成生まれ、ゆとり世代

現代にはそもそも時代を変えようって想いを持った人がいるのだろうか。原発の問題もあれば、日本の未来に不安ももちろん抱いている。私も虐待や貧困やDVなどを問題として表現活動をしているけれど。それはその問題を撲滅しようというベクトルではないのが、現代の若者がまた違う時代を生きる人間なような気がする。

 

この環境、この問題を変えよう!

よりも

この中でどう折り合いをつけて

この範囲内でどれだけ楽しめるかの方に視点があると思うのだ。

 

軟弱というか、暖簾に腕押しのような頼りなさを感じる平成っ子かも知れないけれど。

 

お金、名誉、権力、美、若さ

そうしたものに本当に興味がない(私は)

見栄の一つ張っている間に楽しいことやりたかったこと一個やっちゃうよ?って感覚。

 

先駆者…

人を導くっていうのは快楽かもしれない

みんなが自分の話を聞いてくれる

みんなが自分の言葉を待っている

みんながついてくる

真剣な眼差しであなたを見つめる

そりゃ気持ちがよく、嬉しい

承認欲求が満たされます

 

だけど私は思う

真の先駆者とは人の注目と期待を一身に受けてからが

腕の見せ所というか、

真価を問われるのはそこからではないかと

人を導く快楽に溺れていかないこと

 

余計なものがたくさん混じってきて

純度が落ちます

その快楽を失わないように力が無意識に働き

聴衆がどう受け取るかを考えての発言、行動

…本末転倒である

 

だから、

私が現代の先駆者ってどんな人かを考えた時

この人大丈夫かな?ってくらい損得勘定をせず

どこまでも自分の「本当に欲しかったもの」に揺らぐことなく進める人なのではないかと思う

 

もう現代の人は物質的な豊かさは欲しておらず

地位や名誉や権力、金などの

棺桶には持っていけないものにも興味がない

何が人を惹きつけるのか

特に率先して変えたいと思うこともないけど

なんとなく生きにくいなと感じるこの現代

 

欲しいものってたくさんあるのだけど

それを手に入れるために生きるのは違います

本当に欲しかったもの、これは多分いつなんどきも変わらないもので、この本当に欲しかったものを差し置いて最近欲しくなったものを手に入れることに必死になっている

 

あなたが本当に欲しかったものは何だろう?

自分の幸せを自分で定義していく

 

現代の先駆者は

手塚治虫の漫画でも描かれずに終わってしまいました

さて、どう踊ろうかな。

 

でも、面白かったのが

UzmeのMaoも同じテーマなんですね。

Maoに出てくる

死神、自然神、女の化身、愛

の4人の登場人物を統合したものが火の鳥の存在です

Maoがそれぞれ4人に接触していく中で

どういう変化を辿るのか?

これを少女から自立した女性になるまでの

過程を描いています

 

ある意味で現代の先駆者もMaoもリンクしていて

また私のリアルな活動もテーマはそこかもなあなんて思いました

 

http://uzme.dance/

子ども発信プロジェクト

 

 

今年、旗揚げ公演が終わりましたら

私はこどもたちと遊び出します

踊りを通して

 

今現在は大人にダンスを教えておりますが

ダンスって本来教えるものでも

教わるものでもないと思うのです

 

いえ、もちろん

魅せる、魅入らせるためのダンスを踊るには

技術も必要で基礎から学ぶ必要があります

 

だけどもスタンスとしては

教わるというよりも盗む感じです

 

どうやってもっと上手くなってやろうかと

目を皿のようにして

見るだけじゃなくて

動いてみて感じてみなきゃ机上の空論なんです

 

教えていて思うのは

突っ立ったまんま私の話をふんふんと聞いている人よりも

聞きながらもう何回もあーでもないこーでもないと

動き出す人の方が100倍上達が早いです

 

先生だけから学ぶつもりでお稽古場に行くのでは

まずいです。

全方位学びの対象

自分以外の人が注意されている時も

自分ゴトのように注意を聞き

動くことやってみること

 

人の踊りをみて

勉強する動く踊る踊る踊る

 

 

踊りは踊らないと上手くならないのだけど

「さぁ、やってみて」と先生に言われてから動き出すのでは

先生も人間なので面白い生徒の方に

どんどん関心を示すようになりますよね

 

踊ってみて

動いてみて

やってみて

 

って私は生徒さんに言えないことに気がつきました

私、本当に踊るのが好きなんです

 

踊りは教えられるけれども

踊りを好きになる方法は教えられないんです

だって好きじゃなかったことがないから

踊ってみてって何で言っているのかなって

自分の中にたくさんクエスチョンマークが出てきてしまう

 

教えるのは好きだけれども

ダンスが好きな人に教えるのが好きなんだということに気がつきました

または初めてダンスをする人

 

初めてダンスをする人が

私のレッスンを受けて

みるみるダンスの楽しさを知って行く様をみるのは

とても楽しいです

 

話はだいぶ反れましたが

旗揚げ公演が終わったら

その辺の子供捕まえてでもいいし

子供の通っている学校からでもいいし

近所にビラ配ってもいいし

来年の公演に向けて

「作:子どもたち」という舞台を作りたい

 

子供達が舞台で踊るわけではありません

子供が想像した世界や子供が作ったストーリー

子供が編み出した斬新な振付を

Uzmeが演出構成して演じる

 

想像は現実になることを味わって欲しいなと思います

 

 

どんな仕事でも0から生み出せることが楽しい

それが仕事の面白さです

 

個人事業主や経営者だけではなく

例えばファミレスの接客業の中でも

たった一つの心がけがそのお客様の感動を産むことがある

マニュアル通りやる、時間がすぎるまでそこにいて時間給をいただく

それは仕事の楽しさを知る機会を失って勿体無いと思うのです

 

生み出すってどういうことなのか

表現を通して知ってもらう感じてもらう

そして私も知りたい、思い出したい

子供の頃、私はどれくらい自由だったのか

 

今回の旗揚げ公演「Mao」はそのお母さん、お父さんたち

またこれから父か母になる人

また父や母がいる人

そんな人に原点回帰してもらうものを作りたいなと思っています。

 

http://uzme.dance/

 

 

後者かもしれない私が今後の指針を考えてみた

 

 

前者後者の話で

私はもう完全なる後者だと自覚した

 

けれども、それは免罪符ではない

自分の能力をフルで使う道を探るための

一つのツールという意味で大いに役立つと思った

 

早速、今までの自分の傾向と照らし合わせながら

新たな能力発揮する方法を考えてみた

 

オリジナルは結局は自分で

あーでもないこーでもないと

試行錯誤を経た結果生まれるものだと思うわけです

 

で、私が自分を後者だと仮定した理由についてですが

「あら?私と物事の見え方が全然違う人なんじゃない?」

といろんなプロジェクトを共同で運営するうちに気づいたから

一つのことでなく4つのことで

だから私の中では今までにないほどの

たくさんの人と関わって感じたことでした

 

例えば、私たちが認識している「赤」という色

でも生まれてこのかた、

自分以外の目でその「赤」を見たことはありません

私の見えている「赤」は

もしかしたらあの人にとっての「黒」である可能性も

誰にも証明のしようがない

 

もともと物の見え方ってそれくらい

その人にとって当たり前すぎて

みんなもそう見えていると思い込んでしまうものなのではないか?

と私は思いました。

 

ちょっとそれを疑ってみた

根本的に見えているモノが違うんじゃないかって

見え方も違うんじゃないかって

それが前者後者の話だと私は解釈しました

 

少し、私はどう物事を捉えているかに

お付き合いいただきたいのですが…

自分の苦手分野は「管理」「運営」「マルチタスク」

自分の得意分野は「一点集中」

この「一点集中」は自分でさえ

コントロールできないほどの集中力で

 

私も他の人に対するまで

気づいていなかったけれども

何かそれに入ってしまった時というのは

・人の話が聞こえていない

・それしか見えていない

・側から見るとどこかの世界に行ってしまっているように見える

で、それはみんな全員が全員できるものじゃないってこと

そんなこと起こり得ないとまで言われて驚いた

逆にこのスイッチどうしたらきれるのか教えて欲しい

 

それから当たり前のようにたくさんの事象が

同時並行で見えている人がいるのにびっくりした

私ももちろんたくさんの事象を見ているし

見えてはいるけれども

「同時」でもなく

「並行」でもない

物事は直列でしか見えていない

いや、難しいけどできるんだけど

それはどちらかというと素早く見る対象を切り替える感覚

 

まとめると…

「同時」に「並行」に見えるレベルで

チャンネル切り替えを一つの画面で

めちゃめちゃ速く行なっているだけのこと

 

「あの人はどう思い、どう考えるか」という

人の気持ちや思考を想像できないわけではないが

一回一回、その人の立場になりきって考えてみないとわからない

しかし、私が一緒に働いたり共同で活動してみた

いわゆる「前者」であろう人の様子を観察していると

パッとみてわかるようなのだ

 

私がどんなに素早いチャンネル切り替えをしてみても

一度に見えている人にはどう頑張っても追いつかない

しかし、私の長所としては

一度に全部は見えないけれどもその精度は

あなたは「見える人なのか?」というレベルで

見えたりするわけだけれども

それって第六感的なものではなくて

観察力と洞察力を私の中の最大の集中で行なっただけである

そして、人の気持ちがわからない人、

空気を読めない人というレッテルに苦しんできたので

持ち前の一点集中の力でものすごいデータを集め集約し駆使している

パターン化というか

こうきたらこう!みたいな調子で幼少期は乗り越えてきた

 

 

脳の違いなのであろうか?

その真相や科学的根拠というものは

私にとってはどうでもよく

ましてや私が前者か後者っていうのもどっちでもいい

 

だけども自分というのがどういう者か?を探る時や

どうしたらいいのか?を編み出す時には

自分一人では見えてこないと思うのだ

相対的に自分をみてみないと実態が掴めない

 

「一つの画面で頑張る」

そういう頭の使い方を私はしている

それがわかるだけで十分である

 

私はたくさんの画面で全てのことを把握する人に憧れ

努力の方向としてその人たちの真似をしようとしてみたわけだけども

ひたすら、自分のできなさに自己嫌悪に陥るだけだったし

本来できてたはずのことまでできなくなっていた

・情報がありすぎると混乱する

・同時並行でやろうとしても混乱する

 

まるで、重たくなってすぐ固まるパソコンみたいに…

 

それがわかればいいのだ

私の最優先事項は

「今」にとにかく集中できる環境を整えること

一つのタスクだけに集中すること

同時にやらずにそのタスクをクリアしたら

またその次のタスクと一個ずつに集中する

 

より良い改善方法がわかればいい

適材適所、自分が活躍できる場所で咲くこと

 

 

 

なんでもそう

自分の能力を発揮できること、できていると感じることが

人の幸せの一つなのではないかと思う

 

努力は大切

努力するなんてかっこ悪い

そのままで素晴らしい

…んなわけないだろー!!と私は思うのだけども

だけども努力の方向性によっては

努力しない方がマシな場合も往々にしてある

 

自分の能力をどこでどの方向で発揮するのか

それはこれからもよくよく考えて

ちょっと無理があるなとか

嫌だなとか疲れたなとか

何か違和感を少しでも感じたのならば

小さく方向転換して軌道修正を行なっていきたい

 

今で完璧じゃなくたって別にいいけど

今の最高のパフォーマンスをしたい

 

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テキストの方が動画より時間をかけずに伝えられる

 

 

動画と文字、どっちがいいですか?

 

動画から取り込める情報量と

文字を読んで取り込んだ情報量と

どちらの方が少ない時間で取り込めるか

 

これは圧倒的に文字の方が

少ない時間で多くの情報を取り込める

 

だけども動画の方が

伝える情報によっては

・わかりやすかったり

・伝わりやすかったり

・記憶に残りやすかったり

などのメリットもあるから

もちろん伝えたいコンテンツによりけり

 

それはそうですよねって思う

 

ただ、私が今回この記事で言いたいのは

何はともあれ動画が一番伝えるツールとしていい!ってわけではないよねと思ったのです。

 

文字で取り込んでも十分その細部まで理解可能な情報はなるべく文字で取り入れて無駄な時間を減らすのはいかがでしょうか?

 

「細部まで理解可能な情報」と書いたけれども

今後仕事やコミュニケーションで差がついてくるのって

テキストでいかに伝えられるか

テキストでいかに細部まで理解できるか

なのではないかなと思いました。

 

・わざわざ会う必要のない打合せ

・わざわざ行く必要のない講座

・わざわざ見る必要のない動画

 

だから、動画はじめ、もちろん私たちの舞台などは「わざわざ」の壁を越えて行かねばならない

 

観に行くものからどうしても観ちゃうものに。

 

話は戻って

細部まで誤解なく伝えられる伝わる情報は

伝えたいもの次第で伝え方のツールを考えるけれども、もっと能動的に動き出したもの勝ちな気がするのです。

 

時間は最小限、かつ最も伝えやすい、理解できる!それが一番ではないかな。

 

わざわざ対面して打合せをすることに関して

それは人と人との繋がりが〜と言うけれども

伝えようとする努力

先入観なく受け取ろうとする努力

コレなしにただ会っても

そっちの方がよっぽど相手にも自分にも

思いやりのカケラもない気が…

 

私もまだまだまだまだまだ未熟だけれども

私の意図する真意まで細かく伝えられるように

テキストでの伝達能力を磨いていきたい

その逆ももちろん。

無味無臭、体温もないテキストから

相手の伝えようとすることを

正確に受け取る練習をする

 

 

 

自分がいかに正しいか!

自分がいかに素晴らしいか!

自分がいかに力があるか!

ばかりでコミュニケーションをとっていると

そのうち置いてけぼりになるだろう

 

だって誰でも一生懸命聞いてくれる相手に伝えたいし

一生懸命伝えようとしてくれる相手に聞く耳持ちたい

拙くとも言葉を尽くそうとしてくれる人

私も拙くても言葉を尽くしたい

 

 

–*–*–*–*–*–*–*
ダンスカンパニーUzme
旗揚げ公演「Mao-まを-」

■チケット購入はこちらから↓
http://uzme.dance/stage/

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暇を持て余し、無い物ねだりしてる場合じゃないそんなことするくらいなら寝る

 

 

走って走って走りきって

マラソン5㎞走ってきて

ゴール目前400mトラックを一周するとき

その最後にラストスパートをかけられる自分が誰より好き

 

もう力なんて残っていないはずだった

だけど最後の最後は自分との戦い

 

 

でも、今はラストスパートどころか

過去の私の中で

一番エンジンかけ切れていない自分に苛立つ

とにかくモヤモヤから抜けきれない

 

アップダウンが激しい

でも理由はわかっているんですよ

 

・寝不足

・環境の変化が人生史上最も激しい時

・体調不良(風邪をひいている)

 

 

環境の変化は致し方ないので

まぁよく寝て、体回復させることです

 

意外にね

人は問題好き、悩み好き

であるから暇だから問題探して

なけりゃ問題でもなんでもないのに

無意識に問題起こしたり

大したことないのに肥大化させたり

せっせと暇潰しに励むのだ

 

だから、私もドツボにハマりそうになる

「なんか思い込みが邪魔してるのかな」

「幸せになっちゃいけないとけ思っちゃっているのかな」

「まだ過去を引きずっているのかしら」

いやいや、寝不足と過労と体調不良ってだけ

 

まず、よく寝てよく食べよく笑っときゃいい

 

おやすみなさい

 

 

 

 

沈黙の先にある祈り「Mao」

 

 

 

私は踊るとき

目の前に

目には見えないものがたくさん見えている

それは線だったり

色だったり光だったり

 

線は太さや進む速度を変えて

私に問いかけてくる

それに答えるように身体を操る

 

対話の時間

 

その日入っているお客によっても

線は変わる、色も変わる、質感も変わる

 

それと完璧な対話をするために

私は稽古をするのかもしれない

答えられるのは快感だ

 

その力が研ぎ澄まされて増してくると

人の心の機微にも敏感になる

 

野生動物のように私はなり

鼻をきかせて

耳をそばだてて

足裏の感覚、肌に触れる少しの風

神経を研ぎ澄ませて

何か小さなきっかけを感じ取ろうとする

 

 

すると、それに伴い私は沈黙していく

静かに、ただ静かに

湖畔の水面に水滴が滴る瞬間を

波紋が広がるその光景を

ジッと観察するかのように

 

公演は5月とまだ2ヶ月先ではあるが

私はその日その瞬間の絵がすでに見えている

いや、このUzmeを立ち上げる前から

その日を知っていた

 

 

自分の感性が

日常から非日常にシフトしていく

この感覚がたまらなく好きだ

 

日常に引き戻される事象が

たくさん私に覆いかぶさってくるけれども

事象をすり抜けるように

ただただ静かに私は自分の精神に潜り込み

その日に向けて深化させていく

 

作品の全貌を出演者に伝えると

みな熱を帯び

私と同じ方向同じ速度で進み出すのが嬉しい

 

 

「どうか観客の皆様に伝わりますように」

という願いと祈りはそろそろ終わりがきて

次の段階にシフトしてきた

もう手は尽くしたから

 

あとは私、それからUzmeは深め練っていくだけだ

両極端だから

その人生のコントラストは鮮明で輝く

 

かしこみかしこみもまをす

Uzmeからの祈りは届くことを知っている

 

不安や恐怖から脱するのだ

そして感性を開き人生を楽しむ

鮮やかな色気のある作品がもうじき生まれる

https://www.facebook.com/events/1903388029889713/?ti=icl

 

 

時に人は濁流に飲まれているのが楽、抜け出さないでいることを望む

 

 

戦争や震災
虐待やDV

 

そうした波乱にのまれている時って

案外居心地が良くなってしまったり

そこにのまれている自分が可愛かったりする

 

今日はとても難しい舞台を観てきた

「戦争と一人の女」というタイトルで

文学的でセリフが心の声だったり女と男の会話だったり

人称もコロコロ変わって非常に難しい作品だった

 

今日は3.11の東日本大震災があった日

そして昨日は東京大空襲があった日

 

これ、不思議なんですが

張本人は事態を受け止めないための

自己防衛反応なのか

まるで映画の主人公になったかのように

核心に触れず

でもまるで自分を演じるかのように

その現実に陶酔していくところが人間にはあるなと思う

 

戦争や震災、虐待やDVとは

全く関係のない個人の生き辛さまでもを

その映画の演出として都合よく組み込み

自分に向き合わなくてもいい

絶好の舞台に心と体を同化させていく

 

あなたの心はどこへ行ったのか

 

 

この作品は戦争、戦後を舞台としているのに

そういうことではない人のどうしようもない弱さ

それも個人だけが持つものではなく

ある種その時代を生きていた人の集団意識であったのを想像させる作りに私は感じた

 

正直、私は「火垂るの墓」を観ても

その悲しさを理解できなかった

というかなんかいつも違和感があって

人が紙のようにバラバラ死んでいくってことに

当たり前にそのまま私が悲しんで涙を流していいものなのか…

 

もっと何か、何か違った深い悲しみを見過ごしているようで

いつも火垂るの墓やはだしのゲンなど

普通に可哀想、悲惨だ、残酷だ、二度と繰り返してはならない

といった感想を持っては泣けなかった

 

 

それが、なんだかこの作品を見て

これって戦争関係ないよね

これって震災関係ないよね

これって虐待関係ないよね

これってDV関係ないよね

という答えが見えた気がした

 

何が起きようが

いつの時代も

みんな弱さを持っていて

それを格好の場所として使ってしまうところがある

 

簡単には幸せになれない

そう無意識に思っているのはなんで?

幸せになったらいいじゃない

呆れるほど

と思うわけだけども

闇は悪で、光は正義ってわけでもないんだってことだね

どっちがいいとか悪いはないんだな

 

たとえ、戦争でもある人には悪でない

たとえ、震災でもある人には悪でない

たとえ、虐待でもある人には悪でない

たとえ、DVでもある人には悪でない

 

…と思わされる衝撃的な作品でした

 

 

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小学生、消しゴムを盗んだ子の瞳を思い出す

 

 

自分に嘘はつけない

私は母にそう言われて育った

 

些細なことだった

小学生のとき香り付きの消しゴムが流行った

仲の良い子がまたもう一人の仲の良い子の消しゴムを隠れて持って帰ったのを私は見てしまった

 

なくなっちゃった子は悲しそうに話す

私は誰が持っているか知っている

 

こういうことって小学生で何度か経験したことはないだろうか?胸がチクリとすること。

 

それを言う?

黙っている?

知らないふりをする?

 

真実を言うことが正解ってことばかりじゃない

私は結局真実を伝えることはしなかったが

消しゴムをとった子の瞳をジッと見つめた

 

彼女は消しゴムを得た代わりに

ずっと後ろめたさ、罪悪感を背負っていくのかな

 

 

自分には嘘はつけない

 

 

でも、私は最近そうでもないと思う

大人になり年を重ねるのと同じく

自分に嘘をつき続けると

その人の中で嘘が真になるのだ

 

自分だけが可愛いという人生は幸せなのだろうか

 

自分に嘘をつき続けていると

周りからも同じ扱いをうけるようになる

大事にされない

 

痛くても辛くても傷ついても

私は自分に正直に素直にいたい

バカだと言われても

不器用だと言われても

それでも私は泥臭く正直にありたい

 

それはとても厄介で面倒な生き方です

自分を生きるとはそういうことではないかと思うのです

そんな自分が好きで愛おしい

 

 

 

 

家がある

 

 

 

帰る家がある。

それが私の究極の幸せ

 

幸せとか愛とか

あんまり口にすると薄っぺらくなってしまい、そのうち消えてしまいそうな、そんな私にとっては尊いものだ

 

あれに似てる

桜が散るのは秒速5メートルだと聞いたことがある

桜が舞うのを眺めていると

時がいつもよりゆっくりとすぎていく感覚になる

いつもよりも命をゆっくり、

いつもより生きているということを

ゆっくり味わっているようで

あの瞬間の感覚は

私にとって

寝る前、隣に寄り添って話す

ひかるくんとの時間と同じ

 

(しかし、子供達との時間は嵐w)

(子供の寝顔を見るときは同じ)

 

なんだか、そんな時間が私にとっての幸せだ

 

たくさんの結婚のお祝いのお言葉ありがとうございます。

 

不安がない人は集中力が高い

 

 

不安なのは

怖いのは

動いていないから

 

当たり前すぎるけど

頑張っても変えられないことと

頑張ったら変えられることがある

その見極めをして

 

変えられるならば

何を誰がどうするか細分化して

さっさと行動すればいい

 

案外、頭の中は

「あぁ〜あれもやらなきゃ」

「うぉ〜これもやらなきゃ」

と埋め尽くされるだけで

何もできずにただただそこに留まっているだけだったりするんだよね

不安な時というのは…

 

シンプルイズベストですよ。

 

やれば解決するか

やっても解決しないのか

 

即、着手

すぐやる課を自分に設ける

 

悩みや不安が少ない人ってその日のうちに

仕分けしてできることをその日のうちにすぐやっちゃって

よく寝てよく食べてよく動く人なのだ

 

悩みや不安が少ない人って

集中力が高い人

ありとあらゆる問題に気を途切れさせられることなく

目の前のことに取り組める人

 

風呂に入るときはゆっくりすることに徹し

あれこれ考えない

食べるときは味わうことに集中する

考えるときは考える

踊るときは踊る

 

集中してるか意識してみよう

散漫になっていないか。