2017年11月度 レッスン料ご入金先のご案内

 

 

【クレジット払い】

http://2017年11月度……FB*LIVE*朝活 【参加費300円/月】 #polca https://polca.jp/projects/a4yMI5E94Lg

 

【ゆうちょ口座から】
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【他金融機関から】
ゆうちょ銀行
店番 018
口座番号 9568590
普通)ダンスカンパニーウズメ

 

【クレジット決済、コンビニ決済、キャリア決済、Pay-easy、銀行振込】

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そろそろなんとかしなきゃ!この腹、この体力

 

妊娠中期の体重管理に

現在、私は妊娠24週目(7ヶ月)に突入。妊娠中期の最後の一ヶ月の始まりだ。お腹の大きさは子宮底長は23~28㎝にもなる。子宮のてっぺんがへそ上くらいに上がってくるってこと。さすがにうつ伏せでは眠れず、仰向けでもお腹の重みで苦しくなる。体を洗うのも「うっ」と声が出てしまったりする。妊娠中は体脂肪を貯めやすい体になっている。むくみやすく、太りやすい…。塩分を少し控えた食事でむくみを予防したり、バランスの良い食事を心がけなくてはならない。

子宮が大きくなり、膀胱が圧迫されて尿もれしやすくなるのもこの時期。ホルモンの分泌によって妊婦さんの筋肉は柔らかくなっているため、尿もれしやすいそうだ。

また、子宮はしただけでなく上にある胃も圧迫してくるため、胃もたれや吐き気が引き起こりやすい。胃液が逆流して気持ち悪くなる。1回の食事量も大して入らなくなる。

そんなわけで、妊娠中期を超えた「安定期」と言われる妊婦もなかなか身動きをとるのは大変である。その上、私は最近まで切迫早産ぎみと診断され自宅安静を余儀無くされていたので、1ヶ月寝たきり生活をした体は驚くほど体力も筋力も衰えてしまった。全く動かないもんだから、それはそれで出産のリスクが高まる。お産力をつけなくては!そして歯止めがきかないこの体重増加も阻止しなくてはならない!

現役ダンサーの妊婦時程度の運動量

そこで、私は長男次男妊娠時にも行なっていたマタニティヨガを今回も始めることにした。ヨガと一口に言っても、アイアンガーヨガ、アシュタンガヨガ、ハタヨガ、…とものすごくたくさんの流派があり難易度や呼吸法なども変わってくる。私がヨガインストラクターをしていた頃は、アイアンガーヨガという運動量やポーズの難易度としてはハード目なものを教えていた。もちろん自宅安静上がりの妊婦なのでイージーなヨガを行う。パワー系ではなく、呼吸やストレッチを重点的に行うリラックス系のヨガだ。

一般の方に、よくご指摘されるのは私たち(普段から体を動かしている者)の「軽く」は一般の方からしたら全然「軽く」なくハードだということ。しかし、今回はとてもレベル感のあったレッスンが進行されるかと思う。どうか安心していただきたい。

朝活にオンラインヨガを始めます

・どなたでも参加可能

・どこからでも参加可能(全国から受講可能)

・いつでも参加可能

・移動のためのコスト削減

朝活はなんか体に良さそうってことはみなさんわかっていると思う。でも、特に女子…ハードル高いよね。化粧して、着替えの服を持って、電車に乗って…と一気にタスクが増える。毎日続く自信がない。その心配は一切無用。ただ起きれればいい。しかも、私の行う朝活は布団の中からレッスンスタートできる。どういうことかというと、早起きって目は覚めるじゃないですか。だけど布団をはいで起き上がるという動作ができない。特に冬!それを、布団の中から体を徐々に動かすレッスンから始まり、30分のレッスン終了後には気がついたら布団から出て起き上がって終了している!というレッスンなのだ。

このレッスンはFBの限定グループに参加している方が参加できます。

こちらです↓

https://www.facebook.com/groups/1748328892062822/

特に参加条件は定めておりません。ので、お気軽に参加申請どうぞ。朝5:00~5:30にグループ内でレッスンをライブ配信します。それをただポチッと押していただければ参加できます。特に大瀧冬佳と友達になっていなくともグループの参加は可能ですし、配信画面には見ている側の映像はうつらないのですっぴんでも部屋が散らかっていても問題ありません

ただし、事前にアナウンスしておきたいことが一点。大瀧冬佳が予告なく寝坊することがございます。楽しみにしていたのに、今日はやらないの!?なんてことが稀に起こる可能性もございますこと、あらかじめご了承くださいませ。その時はグループ内に前回までの動画が保存されておりますので、そちらをご覧くださいませ。

参加費は原則300円/月額と、大瀧冬佳にお駄賃あげる感じでどうぞお気持ちいただければと思います。参加費は決まりではありません。タダでご受講くださっても、300円でなく1,000円お支払いいただいても、後払いでも、先払いでも構いません。お支払い先はこちらからお願いいたします。(お支払い方法はクレジット払い/口座振込がございます)

ご不明点、ご質問は当サイトのお問合せまたは、大瀧冬佳FBにメッセージください。

やっちゃった方が早い

 

教わるよりやっちゃった方が早かった。お金という資源がたくさんあるなら、教わることもいいだろう。でも私のように希少な資源で成果を手に入れたい場合、悠長に一から習ってる場合じゃないので早々に走り出してしまうのが常。走りながら学ぶ、走りながら修正する。

雇われて仕事するのはもうやめたいと思った時、自分で仕事を作るしかなくなって、それにはどうしたらいいものか…。まず私が誰で何ができる人間か誰も知らないのが問題だ。よし、認知を広めよう。アメブロでは書いた文章が自分の資産にならないし、腰を据えて私のストーリーを綴り続けるつもりだし、大事な仕事のベースになるのだから、もうこれは投資しちゃおう!と、MacBook Airを購入。そして、wordpressで大瀧冬佳公式サイトを作ってもらった。

自分の文章やストーリーに自信があった、何の根拠もないけれども。ただ海のような広く深いネットという世界でプカッ〜と急に海に浮かんだ私を多くの人に見つけてもらうのをただただ待ってるほど忍耐力が続くかの自信はなかった。

なので、次の作戦に打って出た。それまでどちらかというと、ブログというものを私は読んだことがあまりなかった。携帯は必要最低限しか使わず、パソコンも持っていなかったので。なのに何を思ったかコレだと直感して急に始めた。

時同じくして、たまたま見つけた「かさこ塾」かさこさんのブログの過去のエントリを一日かけて読み、またも直感で「あ、これ行こう」とかさこ塾行きを決めて問合せた。セミナーの参加は後にも先にもかさこ塾だけ。ブログの書き方は正直どうでもよくて、なぜか私はこの時かさこさんは私のことを気にいるはずだと思って、そして多分これがネットの世界に飛び込み、認知を広げるきっかけになるんじゃないかと思い、それが私の次の作戦になった。

コバンザメ作戦「すでに認知のある人に応援してもらう」

 

そんな感じで、あれよこれよといろいろやってきて、総額かかったお金はもう十分に回収してる。

なんでこんなことを書こうと思ったかというと、先日Facebookで「180万もセミナーに使ったのに、何にもならんかった!」と投稿されている方がいらっしゃったから。でもそれよく見聞きする話なんだ。ごはんを何度か一緒に行かせてもらってたような間柄の方も、それでクレームが殺到して今は消息不明な人もそういえばいる。

そんな高額セミナーのことはどうでもよくて、「んー、それなんで自分に投資しなかったん?」って私は不思議に思うし、それだけ資金があればね、何ができるかっていうとアメリカでVISAをとるのに弁護士やマネジメントや翻訳雇って、人集めて海外公演を興行として打ててしまう。それを望むのは私のような極々一部の人間だけども。

要は考え方使い方次第でそれくらい大きく体験できるってことなのだ。得られるものはきっと唯一無二。あなた自身がパイオニアとしてそのノウハウを如何様にも二次三次と生かし続けることもできるような資産になるわけで。それはかけ算的な考え方。

今や、座って学ぶなんて古いやり方にお金払うのって生産性低すぎてお話にならないと思う。正しく新しい情報を拾う能力がない人は永遠、誰かに教えを乞うことしかできないのだろうけども。

でも、それって人より抜きん出た才能があるからできるわけじゃなくて、やってみようとやってみたかどうかってだけの差にすぎない。

まず、やってみよう!!

恩返しは恩を仇で返すつもりで

 

こんな経験ありませんか?

みんなが応援してくれている!みんなが期待してくれている!こんなに支えてもらっているのだから期待に応えねば!と肩に力が入るあまり、思う結果が出せなかった時のことを考えて足がすくんでしまったり、怖くなってしまったり、最初は好きで始めたことがみんなに応援され注目されればされるほどに結果を出すことが義務になってしまっていた経験。

私は子育てでもそれを経験したし、2回目の結婚を決めた時もそうだった。子供をちゃんと育てなきゃ!と思うあまりに、見失ってしまうんだ。

それじゃ、子供がかわいそうという言葉を恐れた。子供にさみしい思いをさせているんじゃないか、愛情不足になってるんじゃないか。そうして、もっともっとと肩に力が入ることないですか。

最大公約数を考える

でも結局、あなたはあなたのニュートラルを保てている時が一番結果が出るんだよ。いつも自分の「フラット」を意識する。恩をかけてもらうと人間だもの、応えたくなるし、返したくなる。感謝の気持ちを伝えたくなる。私なら、私の人生で一番の何かをその人に返したいなと思う。

私の最大公約数ってなんだろうって考える。子育てもそうなのだ。私が母として送れる最高のギフトってなんだろうか。お客様に対してもそうだ。応援してくれる人にも、もっと大きな視野で私にできることを考えると…ちょっと一旦、感謝の気持ちとか恩に報いたいという気持ちを捨てることだ。縛られた大瀧冬佳はおしまいだと思うから。なるべくいろんなものから自分を解き放って自由でいることが一周回って、恩返しになり、子育てであり、お客様の気持ちに答えることになると思う。

私はもしかしたらかなり自分に自信がなくて、自分の出した結果でさえ自分を褒められず、周りの人のおかげだと本気で思っていて、なかなか自分に満足できない。これは悲観しているのか、むしろ自分はこんなもんじゃないという自信の現れなのかどっちか自分でもわからないけど…とにかく、「ありがとう」なんて言葉だけで感謝の気持ちを表すことをそれで示しちゃっていいのかなと不安でいっぱいになる。だから私は最大の感謝を示すために感謝の心を捨てる。感謝しなきゃという縛りを自ら解いて、解放してあげた方が私は結果を出せるのでそうする。子育ても無責任なのは、産んだ責任を果たしたいからだ。

恩は仇で返すくらいがちょうどいい

何も人でなしになれって話ではなくて。結局、他人よりも自分をないがしろにしていると、それはあなたの本当にしたいことからどんどん遠ざかるんだよってこと。

大切な人に迷惑かけたくない、心配かけたくないっていう人いるじゃないですか。そんな時に「私は大丈夫」って全然大丈夫そうじゃないあなたが言っても相手はめっちゃ心配するでしょ。心配かけたくないなら、「大丈夫じゃない!」って大丈夫じゃない時にちゃんと自らヘルプ求められる人だと思われていた方が相手は安心するんだよ。自分の限界わかっている人だなって安心させられる。

甘えられない、頼れないなんて言う人もそうだと思うんだけども、周りからしたら、常に危なっかしいあなたのこと気にしていて、それってすごく甘えていると思うんだ。

結果主義者だから結果を出すことから最も遠いところに行く必要がある。恩返しをするために恩を忘れるくらい自分に夢中になるのだ。回り回って一番の恩返しになると私は信じている。返さなきゃ返さなきゃと義務のように縛られ生きている私にするためにその人は私に恩をかけてくれたわけじゃないと思うのだ。その気持ちもわかるからこそ、仇で返すくらいに自分一番で生きている。

自分に枷をつけるのにはもう飽きた

私は以前まで「枷好き」だった。自分に制約をかけることで自由を奪い、それでも達成する自分に興奮を覚えると言う一種の変態だったのかな。

誓約が制約になるなと気がついたのは最近。誓いの言葉は枷なんだ。でも物理的にも心理的にも妨げるものはない方が速く自由に走れるに決まっている。誓いを破るとか、約束を破るって言うのは人としてどうなのかと問われるでしょう?けれどもその誓約が制約になって、本当の目的(お互いが幸せでいること)の妨げになっていたりするんじゃないかって。

枷はない方がいいと思う。そして、思うより人は「枷好き」が多い。トラウマがあるからとか、愛されない理由をすぐつけたがる。責任もおいたがるし、拘束も大好き。私も自分にずっと幸せになれない枷をたくさんジャラジャラとつけて走っていたように思う。それに飽きてきて、やーめた!もういいや、幸せになろ!って決めたんだ。

はじめの話に戻ると、誰かにめっちゃ応援されていようが、期待をたくさんかけられていようが、責任があなたにあろうが、それを枷にするのはただの変態だってこと。やることはきっと本当は変わらないはずで。勝手にあなたが背追い込んだだけなんだ。それは辿り着きたい場所や、得たい結果、望むゴールに何か意味があるの?って振り返ると何もないでしょう?

 

所詮、暇つぶしだよね。こんな道草食っている場合じゃないんだよ!イカンイカン、何遊んでるんだ私は!!!と今日も自分に叱咤しました。実にくだらない悩みだったな。「私は人を本当の意味で信じられていないんだ!」「それは今まで愛されて育ってないからだ!」なんてやっている人いるじゃない?あれは暇だからだよ。そんな枷は飽きるまでつけて、もう飽きたんならサッサと捨てちゃうことだね。

一流に触れる前に「いまいち」とジャッジする人は三流

 

いつか行きたいところは計画を先に立ててしまう

やりたいことや、行きたいところなどの願望がある時はそれの具体的な計画を立てると結構な確率で実現する。行けるかどうかとか、やれるかどうかを思い悩むよりも、行くとしたら「いつ?」「どうやって?」「いくら?」「必要なものは?」「何は外せない?」「誰と?」なんてもう行くと決まった前提で計画を立ててしまおう。よく聞くことだけれども、「いつか行きたいな」「いつかやりたいな」の『いつか』はやってこないんだよね。現実的に今は無理な状況だよねってこと多いから、『いつか』と考えるんだと思う。でも、妄想はタダなので、考えてみたらいい。

 

突然ですがNYに行きたくないですか?

ニューヨーク??

旅行ってそこに何があるか、ある程度知っていないと行かないって不思議だ。知らないから行くのではなくて、あれがみたいから行くってのが面白い。私が言いたいのは、私も行ったことはないけれども一緒に世界最高のエンタメを観に行こうよ!ということだ。

 

一流に触れる前に判断するのはナンセンスだ

「あーそれ、微妙だったよ」「あんまり好きじゃないな」「それの何がいいの?」「あれはよくないよ」「とってもつまらないよ」と、何かに対してすぐに嫌いとジャッジするのは非常にもったいない。特に中途半端なレベルのものに触れ知っただけなのにそれを否定するのはちょっと恥ずかしい。

「あなたがそれを微妙だと思うのは一流に触れていないからだ」ということは多いと思う。私もやりがちだ。例えば野球はあんまり好きじゃない。でも大きなスタジアムでものすごいゲームを観戦したら一気に好きになるのだろう。うにが好きじゃない。でも北海道の新鮮なうにを食べたら好きになるかもしれない。

何事も極めれば一流だと思う。どんなにつまらなそうなことでも、向き合い方次第で面白くもつまらなくもなると思うのだ。

 

好きなもの、興味をそそるものが多い方が人生は楽しいはず

基本、否定から入る人って生きていて楽しいのかと聞いてみたくなる。(という否定w)とにかく、好きなものは多い方がいい。言い方変えれば、嫌いなものばかり、つまらないものばかりな人生は楽しいのかって話。

 

さて一流のエンタメやアートに触れてみよう!

めっちゃ遠回りな話をしてきたけれども着地点はここ。私がハマりにハマっている「舞台」というものをみなさんにも感じて欲しい。なのでね、ニューヨークのエンタメツアーを組むことにした。ダンスカンパニーUzmeの制作過程をみられて、それからエンタメの聖地と言われるニューヨークのアートを堪能して欲しい。日本でもいろんな舞台がたくさん上演されている。アートやエンタメって生活になくてはならないものではない。日本はこれだけ豊かなのにアート後進国なのだ。他の国の人がどれくらいアートに密着した日常を過ごしているのかとかを体感しに行くのもいい。

私自身も、世界一のバレリーナになろうと心に決めたきっかけはロシアの世界トップのバレリーナをみた時だった。やっぱり世界一に触れるのはいい。

ニューヨークツアーを組もう!!

来年2018年の11月に組むつもりで準備を進めている。前述したようにまず行く前提で計画を立てるのが大事!私たちは3日間4ステージの単独公演をするつもりだ。小屋入り、リハーサル等含めてNY到着からの5日間は自主公演に取り組み、終演後の10日間くらいをNYで何をするか夢を膨らましているところだ。

今って、手の平の中にニューヨークの事情も知った気になれるくらいの情報に簡単に触れられる。でもだからこそ、足使って自分の五感を使って吸収する自らが取りに行った情報の価値ってすごく高まっているんじゃないかと思う。私たちはなんでも知っているようで、何も知らない。体感でしか得られないものをぜひ取りに行きたい。

ここまでめっちゃNY押しで書いてきたけれども、私たちダンスカンパニーUzmeの公演も東京公演と同じ作品を上演しても、NYはNYで全く別のものになるはずだ。NYについたぜー!かましたるぜー!っていうUzmeが乗りに乗った舞台がどんなものかということもこのツアーに参加して、ぜひ体感しにきて欲しいなと思う。

参加してみたくなった方は…

私は来年2018年8月にクラウドファンディングをする予定だ。そのリターンが、公演の先行チケット購入窓口であり、ツアー申込窓口にできたらいいなと考えている。Uzmeの活動の支援もできて、なおかつ個人で行くよりずっとお得な価格プラス内容のツアー参加券というのが私の理想。なので、「いつか行きたいな」と少しでも思った方は、具体的な妄想を始めて欲しい。そして、来年8月までに20〜30万円ほどを用意し始め、来年11月初旬に10日ほど予定を空けることを計画すればほぼ行けると思う。来年の8月までと考えると…今からならまだ10ヶ月もある。単純に月に3万ずつ積立れば行けてしまう。3万円なんてあなたが高校生だとしても、時給1,000円のアルバイトを週二回4時間ずつ働けば稼げてしまう。と言った感じで具体的に行動に落とし込めば高校生でも行けちゃう。

大瀧冬佳の動向をおっていれば、そのうちうるさいくらいの告知が始まるだろう。

 

 

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情報が簡単に仕入れられる時代に生まれて、逆にいうと仕入れられない人は遅れをとってしまう時代

侮ってはダメ!日常に潜む小さなストレスたち

 

 

ストレスを感じていることに麻痺してしまっている

よく言えば、ストレス耐性が強いということなので人間にとって必要なスキルだ。でも!!!もし、もっと高みを目指したいと思っていたり、目指せる余裕が生まれてきたのならば生活の質を向上していくのはとてもいいことだと思う。

 

脱・標準化計画→カスタマイズされた人生を

今、私のテーマは「脱・標準化」なのだ。人生は選択の連続。そして、今は来年からの10年間に向けての準備期間。過去の自分とは違う今の自分に設定を変更している。

 

 

まずこの「標準」の意味は…

・一般のあるべき姿を示すものとしてのあり方。

・判断のよりどころや行動の目安となるもの。

・平均的であること

似た言葉では、「常識」「一般」があるのだけどそれらもこんな意味だ。

・社会全体で共有する思い込み

つまり、自分が属する社会が変われば今のあなたが信じている常識なんて常識でなくなってしまうということだ。だから、海外旅行とかへいくと、価値観が変わったり、日本の常識は世界の常識出ないことに気がつく。そして、人生は選択の連続であるにも関わらず、その判断を自分ではなく社会に委ねてしまっているのは大問題でじゃないか!と思った次第。

 

マクロとミクロでものを考える

選択の基準を世間一般という物差しではなく、自分にカスタマイズし直そう!ということだけども。人生の選択と言われると、人生の大きな分かれ道、岐路、そういった一世一代の選択のように思うだろうし、それは誰が考えても大事だとわかるだろう。だけども、そうした選択と同じくらいに「パンツ一枚」の選択は重要なのだと私は考えた。マクロは大きな視野で、ミクロは接近した小さな見方…のような意味だと思うんだけども。つまり、「マクロ→人生、ミクロ→パンツ一枚」この両方向から考えてみたい。

 

早速の見直し

私がやってみた見直し方法を紹介する。

①毎日欠かさず一日一回は使うものをリストアップする

例)歯ブラシ、歯磨き粉、パンツ、下着、枕、敷布団、シーツ、枕カバー、スマホ、トイレ…といった感じで全部。

②二日に一回は使うものをリストアップする

例)箸、茶碗、パソコン….といった感じで全部。

③出かける日に欠かさず使うものをリストアップする

例)カバン、靴、洋服…

④出かける日、場合によっては使うもの(雨の日、寒い日、暑い日、遠出する日、近所に出かける日等)をリストアップする

例)傘、カッパ、長靴、手袋、マフラー、日傘、帽子…等

⑤季節商品をリストアップする

例)掛け布団、コート、靴下、ストーブ、こたつ、こたつ布団、カーペット…等

 

⑥使用時間をアイテムごとに算出する

年間でそのアイテムを何分使っているかをアイテムの隣に書き加えてみる。わからないものはとばして良い。

⑦現在実際に使っているアイテムに関して、デザイン性、機能性、使用感、など総合的な観点から今買い換えられるかどうかとか、買い換えるかどうかは別にして、不快指数を1〜10でアイテムごとにランク付けする。

 

ポイントはあなたの独断でOK!単純に満足しているかどうか。ストレスを感じていないかどうか。何となく気に入らないでもOK

 

↑こんな感じでリストアップ完了!!

 

 

ストレスを排除していく

リストアップすると、自分では気づいていなかったけれども、普段小さな我慢をたくさんしていたことに気がつく。それ一つ一つは取るに足らない大したことじゃないのかもしれないけど、私の場合「すごくお気に入り!」「快!」と思うアイテムを一つも使っていない。どこかに不満を持っている。物によっては、不便なもの、汚いもの、限界なものをだましだまし使っている。それら全てを今まではダンスに投下してきたからなのだ。服なんかどうでもいいから、その分、レッスン代に割きたいとか。ここ削って、その分子供達にご飯を食べさせなくてはとか。

 

一気に生活を変える必要はない。ハードルが高すぎてめげてしまう。小さくステップを刻んでいく方が、実際にはものや人は変わりやすいのだ。なので、私はこのリストから、「使用頻度と不快指数が高いもの順」に月にワンアイテムずつ自分の最高のお気に入りやこだわりを持って、選択していこうと思う。

 

こうして、見直したことで、私はどんだけ不快なものに囲まれて生きていたのかと初めて気がついた。もう私も気がつけばアラサー。思うよりも若くはなくなっていた。今までは多少の犠牲を払っても突進していけた。だけど、抱えるものや守るものも歳と共に増えて、経験値も増えて、冒険がしにくくなってきたのをさすがに感じている。それらを、ただただ悲観したり、根性ややる気といったもので解決しようとするのはちょっとしんどい。自分はダメだなって自信がなくなるだけのような気がする。

 

若い頃は持っていて、歳をとるに従いなくなるもの。若い頃は持っておらず、歳と共に増えていくもの。変えられるものと変えられないものがあるので、それを自分流にカスタマイズすることが大切。服はボロでも、よかった若い頃。でも今はそれより何より、健康が大事だったり。それで若い頃にはそんなこだわれるほどお金もなかった。でも今はある。大切なのは目を背けないこと。

 

17~27歳までの過去10年は「気合い、根性、やる気、気力、体力」でどうにかなったし若さがあったけれども、28~38歳の自分がこのままのギアで突き進めるわけがないんだよね。でもその代わり、「賢さ、経験値、家族、パートナー、仲間、資金」などといったものが10年前に比べたらあるわけで。38歳まで走れる装備に変えて、設定を変えて、新たな冒険に出たいところ。

 

結論「パンツ一枚」と「人生」は同じである。

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「やりたいことしかやらない」何言ってんだ!目を覚ませ!

好きなことを仕事にするよりも2018年以降に適した考え方

 

 

本当に好きを仕事にすることがいいのか?

違和感を覚えだしてから、はや2年。「好きなことを仕事にしたい」「好きなことを仕事にしよう」という考え方、またその願望。どことなく違和感を覚えていたので、が、まずはやってみようと決め、実現させた。結果、やはりその違和感は正しかった。

 

では、どこに向かうべきなのか?

まず、私がどこに一体違和感を覚えたのかから記すと。「仕事」とは、大人になって働いている人ならわかると思うけれども、「睡眠」の次あたりに人生の時間を占めるものだ。なので、学生のレールの上を歩いていた頃と異なり、方向性、スパンなどの全てを自分で選択することになり、そして「仕事」は短期的ではなく長期的に取りくむ要素が強い。でも私たちは自分自身のことでさえ、10年先を予測することはできていない。10年どころか、5年先も実はわかっていない。なのに、長期的な視野で考えなくてはならないのが「仕事」だ。

 

そこで、「仕事」を「目標」と捉えるととても狭きものになる。なので、「方向性」として長期的に取り組むのがいいと思う。点に向かうのではなく、ゾーンに向かうという考え方が私には違和感なく進める道だ。

 

なぜそう考えるのか?

周りを見渡すと、あらゆる変革を起こそうとする人たちがたくさん出てきているけれども、これって全部同じ方向性に私には感じるからだ。色々な不都合があってそれらをみんなが「こうだったらいいな」というものに変えようとしている。色々な不都合というのは何かと言うと、男女の差別の問題だったり、健常者か障害者なのかということであったり、国籍やLGBTとか、宗教などなど。私が最近出会う面白いなと思う人たちは、「人の標準」という概念が消えかかっている人たちだ。私もまぁ、その一人になるのかもしれないけれども、肌で強く刻まれた経験としては精神科の閉鎖病棟に隔離入院した時だ。「標準」って誰が決めたんだろう?という疑問。理屈抜きにこの「標準化」という考え方は捨てようと思えた。と、いうか気がついたら捨ててしまっていた。

 

で、「標準化」をやめていくとあらゆる問題が解決すると思うのだ。何で選択するのか。

「お金」→「時間」→「エネルギー」と選択条件が感覚が鋭い人は変わってきている。お金で決めていたもの、イカンイカンと昨日ちょうど方向性を変えたところなのだけども。目標「来年のUzme本公演の活動資金を蓄える」からまず、方向性「私が楽しい、ことによってみんなも楽しい」に軌道修正し、条件①参加費を払えば参加できる、条件②主催の私も労働に見合った報酬が手にはいればだったことをやめた。

 

次に浮上してくる古い条件といえば「時間」。タイムマネジメントさえやめる。つまりUzmeの本公演にかける時間と、一般出演可能なアートフェスのプロデュースにかける時間。お金をもらえれば労働と思って取り組めるかというと、そうではないんだよね、本当のところは。もう好きなことをするのは当たり前なところで生きていたくて、もっとマネジメントするものは時間でさえないと思っている。ストレスやエネルギーといったものだ。

 

整理すると、お金は無関係。さらに時間も無関係。もっとも重視すべき点はストレス。これが私の選択条件だ。だから、たくさんの資金調達をすることができればアートフェスを主催するってことはなくて、「私が楽しい、ことによってみんなも楽しい」って方向性でないなら、いつでも選択から外すということ。時間を効率化させてなんとかやるという考え方もなし。

 

好きを仕事にせずどうするのか?

好きを仕事にするだと迷走してしまう。点、つまり目標に向かっているから。そこゴールじゃない。もっとどこに向かい続けるかという自分なりのテーマや方向性を持つと迷わなくなる。

長期的な目標→長期的な方向性。

好きを仕事に→モチベーションを高く保てることをする。

が、私の中の2018年以降のしっくりくる言葉だ。そうじゃないと、近頃ものすごい情報や変化が入ってきて、処理が追いつかなくなる、破綻するのが目に見えているから。もっともっと「これはこうであーだった」という20世紀に作られた常識や道徳、倫理を取っ払っていく必要があると思う。100か0ではなくて、もっと曖昧になってくることも受け入れること。人智の及ばないことの方が多いことを知るとか。そうして、枠組みを作らないことで見えてなかったことや取りこぼしたことがもっとたくさん埋まっているのだ。だから、私は自分自身が現象として波を起こして、そして具現化させる魔法使いでありたい。ものづくりの作家でアーティストで、現象である。

お安く買った野菜を安全に食べるために

 

ズボラだけど安全性にも気をつけたい人

有機野菜!オーガニック!無農薬!なんてこだわれない。気にしすぎて、心配や不安を抱えて食べ物を食べたくないっていうのがある。神経質すぎるのも、私の性に合わない。その中で、神経質になりすぎずできることはやれないかと色々と試行錯誤してきた。

 

生野菜の危険性とその信憑性

となりのトトロに出てくるような、井戸の水で冷やしたキュ

ウリやトマトをそのままバリッとかじるのに憧れる。インターネットで調べれば調べるほど、不安ばかり煽られてその信憑性は定かではないなというのが私の感想だ。今の野菜は昔の野菜と比べて、質量あたりの栄養価が落ちているとか。皮の下に一番野菜の栄養が含まれているけれども、皮に農薬が付いていて安全ではないから剥いたほうがいいとか…もうなんやねん!!!となってくる。専門家ではないけれども、昨今、アレルギーっ子が多い印象がある。それとこれとが関連するのかはわからないけれども。我が家の次男も、アレルギーっ子で色々試した中で、食の改善は体質改善に一番直結した。なので、本当かどうかはわからないけれどもできる限り気をつけていこうというのが我が家の指針である。

 

残留農薬除去に「ホタテのおくりもの」

 

こんなものを使ってみることにした!!野菜に残っている農薬を取り除くらしい。

早速試してみたら…ちょっと衝撃だった↓

水面に浮いている油のような膜や、白い何か…これが残留農薬らしい。

 

使い方は簡単。水(2リットル程度)の中にスプーン一杯入れて溶かす。

 

そこへ野菜を5分から10分浸けるだけ。

 

野菜は普通のスーパーで購入したもの。前は大地を守る会だとか、らでぃっしゅぼうやを試しに利用したことがある。有機野菜の宅配をしてくれるんだけども…いくら安全とはいえ破産しちゃうよ!ということで早々にやめた。野菜は確かに味が濃かったりしてとっても美味しいんだけどね。で、今もやっているけれども家庭菜園でなるべく自分で作るということ。これは今後も継続していくけれど、家族が食べる全てを賄うにはちょっと追いつかないので、やっぱりスーパーで買う必要がある。

 

このホタテのおくりもの、500gと1㎏が売っているのだけど、なぜか1㎏のほうが全然お安い。詰め替え用だからだとは思うけど、計量スプーンと入れ物は他でいくらでも代用できるので、500gと500円ほどしか変わらない1㎏の購入をオススメする。で、一回あたりスプーン一杯しか使わないので、コスパもめっちゃいいんじゃないかと。そして、これはホタテの貝殻を砕いて焼いて作っている天然素材100%のものなのも使用を決めたポイント。

 

この浮いている膜が本当に農薬やワックスや防腐剤なのか…私には調べることはできないけれども、実際なんか浮いているので、これは取り除いて生でバリバリ食べたいなと思う。葉物野菜は時々洗っていて、ぬるっとすることもある。確かに自分で育てた野菜はそんなことはないので、農薬なのかもしれない。

 

私が農薬を取り除く理由

身体能力は神経伝達の正確さと速さのことをいうと思っているからだ。それらを阻害する因子は極力排除したい。私はイチローの体が大好きで、彼の綺麗に整えあげられていて無駄のない動きに圧倒される。動かし方がバレリーナにとても近いと思っていて、野球に関しては無知だけど、彼の動きはよく観察している。筋肉を肥大させないようにきっと心がけているに違いない。他の野球選手の体や使い方、トレーニングをみると本番試合ではとても使えなそうな無駄な筋肉がとても多い。そして、負担になり故障の原因はそこからきているし大変効率が悪い。私がベストだと考えている、ストレッチやコンディショニング、トレーニングは初動の繰り返しとフルコミットを重点的にすることで、神経のオンオフを正確かつ速く細胞に刻み込む練習だ。筋肉は筋が束になったものなのだが、脳からの神経伝達によって、その筋一本一本全てに正確に指令が伝わっていることは少ないと思う。大概、使いやすい筋ばっかり使われていて、それは筋肉が足りないからだと解釈しがち。そして、筋肉量を増やすことばかりのトレーニングを多く見る。

 

それは、私の経験上から全く間違っていて、筋肉は少数精鋭が一番だと思っている。怪我も減るし、怪我したとしても、きめ細かく使い慣らされている筋肉たちなので治りが早い。なので、私は筋トレやストレッチを一切しない。しているとしても、意図が異なる。でも、それをイチローも行なっていてやっぱりそうなんだ!!!と自信になった。バレリーナだと50を過ぎても踊っている、日本を代表するバレリーナ、吉田都さんの体も大好き。私も今27歳で、10年前は17歳でも遅咲きと言われ焦っていたけれどもまだまだこれからの自分の体のほうがずっと希望を持てるし、まだ右肩上がりに体は進化していくと思っているので楽しみである。

 

なので、もちろん三児の母で、家族の健康を預かる身として食の安全を心がけるのもあるけれども、やっぱり自分の可能性をまだまだ潰したくない、むしろ広げるために食に気遣うわけだ。回り回って、子供達の将来にも絶対にいい影響を及ぼすとしか思えないので、いいんですこれで。食べる、寝る、動く…この三つのバランスをとって体は作られるし、表現の極みみたいなところに行き着くには、こうした一つ一つのこだわりって大事だと思ってる。

 

それに、子供も自分も旦那もみんな健康じゃないとやりたいことなんてできないからね。どんなに好きなことができても、誰かが病気だったら楽しめないし、好きなことなんてどうでもよくなってしまうのが私だ。母の末期ガンを看取った経験はやっぱり今も私に大きな影響を及ぼしている。幸せは健康から。

シングルマザーこそ高機能家電を使うべきたった一つの理由

 

 

理由は想像を絶する忙殺レベルの毎日だからだ。もう訳がわからなくなるくらいにとにかく忙しい…。やることがテトリスのようにどんどん積み上がっていき、先伸ばせば辛くなるのは自分。片付けても片付けても終わらないやるべきことに心も体もアップアップしてくる。

 

ん〜…書いているだけで当時を思い出して苦しくなってきた。私自身も1年前まで年子の幼児を育てるシングルマザーをしていた。保育園の送り迎えに仕事に家事に育児に。際限なくやることはあり、家で座ったことがあったか記憶にない。仕事を終え、ひと息つく間も無く保育のお迎えに自転車を走らせ、二人をピックしてから帰宅。家に着くなり「お腹空いた〜!」の大合唱とグズリ、まとわりつく二人をごまかしごまかしご飯を作り、食べさせ、片付け、風呂に入れ、寝かしつける。そして、次の日の朝を迎えてノンストップエンドレス育児である。

 

シングルマザーでなくとも、共働き夫婦でも、これから赤ちゃんを迎える新婚夫婦にも、忙しいキャリアウーマンやサラリーマンの方にも参考になったらいい。自由な時間を少しでも生み出すため家事の時間配分の提案だ。

 

家事はやろうと思えば向き不向きはあるにせよ、誰にでもできる。先日、ホリエモンのツイッターが「保育士誰でもできる」の一言で炎上していたが、その問題は置いておいてホリエモンが「保育士の賃金をあげるには効率化だ」と提唱されていたように「誰にでもできることは効率化が鍵」だと私も思っている。家事の生産性のアップ!をはかること。そして、こうした生活の基礎中の基礎から無駄なことと必要なことをしつこいくらいに一度見直すことで、その他の活動が実にスムーズに行くようになる。昨今の女性には活動が多すぎると思う。就活から始まり、婚活、妊活、保活…などと言った「〇活」。本屋さんに行ってあまりの「○活指南本」の多さにびっくりした。頑張りすぎだろうと。どこまで社会は女性に期待するのだと。もっと楽していいと思う。じゃないと、子供なんて産みたくなくなっちゃう。負担が多い現状と言った意味でも家事の効率化に投資するのをオススメする!

 

あなたが普段していることには以下のパターンがあると思う。

①やりたいこと→趣味や遊び、仕事など(私の場合)

②やりたくないこと→私でなくてもできること(私の場合)

③やりたいけどできないこと→海外公演(私の場合)

④やりたくないけどやらなければならないこと→家事全般(私の場合)

このうち、①ばかりできればいいけれども、そうはいかない。④に仕事が入ってくる人もいるかもしれないし、この区分に何が入っていようが人それぞれで構わないが…なるべくなら①の要素多めで、③の実現に向けて投資ができていて、②や④が極力割合少ない状態が皆理想であると思う。ポイントは②と④の効率化なのだ。忙しすぎると、思考停止で終われるようにただただこなすだけの日常になってしまうから、シングルマザーこそ徹底的に②と④を減らすことが必要だったと今私は心から思っている。

 

家事は代行サービスというものを頼むことができる。しかし、これをパートで回収するには生産性が全然よくない。私も家事代行サービスを利用しようと見積もりをとって数度利用したけれども、家政婦さんの仕事的にも「不満足ではない」程度で痒いところに手が届くほどのサービスは期待できない割に高い。こっちのものをそっちに退けるなど、そう言ったことが私の許可なしではできない決まりなので仕方がない。なので、言われたことはやってくれるけれど、私の代わりになるほどの仕事はしてくれない。そこで、目をつけたのが、高機能家電だ。

 

食洗機やルンバ、圧力IH鍋などなど。機能がてんこ盛り!じゃなくていい。シンプルだけど、自分がいなくてもなるべく自動で仕上げてくれるもの。例えば購入するときは高価かもしれないけれども。その家事に毎日かけている時間分パートをしたら回収できる程度のものだ。昨日の記事にも書いたけど(http://fuyukaohtaki.com/dance/fuyuka-dance-216/)ご飯大事!!なので、「あ〜今日はもう頑張れない、ご飯食べて帰っちゃおう!」って結局惣菜買ったり、外食してしまったりってことがシングルマザーやワーキングマザーは経験があるかもしれない。自分がもっと頑張れば、この無駄をしなくて済んだのに…なんてちょっと自分を責めてしまったりするし。それが、朝、5分かけて食材を切って合わせ調味料まで準備して出発。家に帰ってきたら、鍋に入れてボタン押して放置している間に子供とお風呂にゆっくり入って出てきたらできたての煮込み料理が出来上がっていたらどうだろう??めっちゃいい。

 

私は整理整頓が苦手というか嫌いで、またすぐ使うのに片付ける意味がわからなかった。なぜいちいち片付けるかって、頭のメモリを軽くするためなんですって!それを聞いてから(多少は)私も片付けようと思えるようになった。ここにハサミがしまってあるというのが無意識でもメモライズされたら、「ハサミ」と頭に浮かんだらほぼ何も考えずに手は引き出しにいく…という風に日常の小さなストレスを減らすために片付けるそうだ。私のように、すぐ使うんだから何でも出しっぱなしにしておくと確かにアクション挟まずすぐに手に取れるけれども、「机のこの辺に置いたはず」という脳内メモリはずっと残っているし、数も膨大。それがよくないらしい。

 

本当に年子があっちとこっちで違うことをギャンギャン24時間騒いでいるのを聞いていると生活全体がそんな感じになってしまって、私の脳内パソコンは火を噴きそうになるともう末期だ。そうならないために、④のやりたくないけれどもやらなければならないことは、まず私がやらなくても済むことかどうか、というか本当にどうしてもやらなきゃダメかを吟味して、どうしたらやらなくて済むかを考えて、それでもやらないとならないことは上記の片付けの理論のようにもう考えなくても勝手に手が動くくらいにルーティン化するしかない。

 

家庭をまわすのは、会社経営とさして変わらないかもしれない。家庭も良き方に成長していきたいし、今日も明日も何の変化もない毎日も一つの幸せだけれども③のやりたいけど今はできないことが少しでも夢見れるそんな家庭だったらもっと素敵だと思う。余裕を生み出すこと。効率化って人間の温度を感じない冷たい機械的なものに聞こえることもあるが、これは人間らしい営みにハッキリと輪郭をもたらすためにあるのかもしれない。だから心豊かに生活するためにもっともっとIT化が進んで、人は人にしかできないクリエイティブなことだけして生きていけたらいいなと私は思う。

伝えたいことを育てるという考え方

 

伝えたいこと育ててますか??

 

先ほど書いたこちらの記事↓

フッと浮かんだことをそのまま喋れる相手って誰までですか?

 

自分の中に湧いた伝えたいことから出力までがノンストップだと、私のような表現者や何かを生み出す生産側の人はやっていけないんじゃないかと思う。上記の記事で挙げられている感情型の人は基本的に「消費者」としてコンテンツに触れている人たちだ。生み出す、0→1をするのが仕事な人の場合は日常的に自分の興味をそそられることが周りに落ちていないかアンテナを張っている。少なくとも私は。眼に映るもの、耳に入るもの全てが、創作の原石。なので、なるべく好奇心を働かせて感受性高く拾ってしまうのが性分で、そして、それを自分の中で育てて自分というフィルターを通して世に送り出す。そういうことをしているのだ。

 

だから、自分の中をたくさんの情報がそのままスルーしていくなんて勿体無いとさえ思うし、考えたり、感じ切ったり、スルメイカみたいに味がなくなるまで味わい尽くすのが癖になっているのだ。「なぜ」「なに」「どうして」を飽きるまで考える。で、自分はどう思うのか。社会に何を訴えたいのか。

 

今の時代、スルースキルがないとしんどいよって言われるし、自分の中にフックがありすぎていちいち引っかかる自分も時にめんどくさくなるが、この性質を失ったときは私は表現者でなくなるんじゃないかって思う。それに人が思うよりも、自分ごととして飲み込むまでにはめっちゃ噛み砕いて唾液が消化しやすく胃に優しいものにしてくれているから大丈夫。簡単にいうと、自分には直撃させていない。あえて、作品を作りたいから胃の腑に自らぶち込んで自分を揺さぶらせる時もあるにはあるけれども。というように、スルーというのが全くできなくていちいち引っかかってしまうのは、全て作品を作るため。自分が表現者であるため。感情のヒダを多く持っていたいから。

 

で、その「伝えたいこと」なんだけど。自分が何をしてたいのかとか、何が好きかとか、どう思うのか、どう考えるのか、感じるのかっていうのはある程度自分の中でインプットもアウトプットもせずにジッと待って育てる時間が必要だと思う。今はとても時間の流れやいろんなことが速い時代だと思うのだけども、「育てる」をないがしろにしすぎではないか。それを補うのに、ひたすら情報のインプットに勤しんでいるように見える。自分の意見や考えって出していれば枯渇してくるから。だから、その危機感を覚えては、情報を飲んでいく。世に回る情報はなんだか使い回しのものが多くなってきている。

 

自分の中から生み出すっていうのは、なかなか辛い作業だ。手っ取り早く本やネットや人の作品見たりしてインスピレーションを受けて、補いたくなる。自分というものの無さを補完できると安心するから。自分の中には何もないんだなという現実に気がつくのは本当に残酷だ。だから、アーティストが薬に溺れるのもわかる気がする。

 

私が思うに、究極、人から羨望の眼差しを浴びたり、影響力をもったり、お金持ちになったりするのはこの自分の中から生み出した伝えたいことによるものだと思う。ドーピング的に知識を蓄えてちょっと加工して自分のもののように振舞ってもやはりオリジナルには敵わない。「育てる」ということを意識しなさいと、今、十月十日のこの妊娠でふと赤ちゃんに言われた気がした。自分の価値を高めるってそういうことなのかもしれない。

 

だから、感情型の人って、思ったことそのまま口から吐き出しているが、その中身はあまりないことが多い。誰もが言っていることだったり、いわゆる聞いたことのある「常識」というものだったりで、その人を感じることは一つもない。その人がその人であるアイデンティティって私は「何を考えているか」なんだと思う「意見」だ。名前や肩書きや、地位や名誉にあるのではなく、どんな意見を持っているかじゃないかと思う。だから意見を育てるのだ。

 

「私」は誰なのかで仕事をしていきたい。

 

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