アメノウズメにまつわる不思議な話①

私はダンスカンパニーUzme(ウズメ)というカンパニーを立ち上げた。

このウズメと言うのは、日本神話に出てくる天鈿女(アメノウズメ)さまに由来する。が、先に「ウズメ」と言う音が気に入って濁音が入っているチーム名は続くし人気になりやすいと聞いたことがあった気がしたから、「ウズメ」が良いかなと急に思いついたものだった。(※濁音の入っているグループ:B’z、Mr.Childrenなど)

なるべく何かに被っていない方がいいと思って、ネットで検索したのだ。そしたら、なんと舞の神様の名前だったなんて!!!とかなりびっくりしたのを覚えている。

私がなぜダンスカンパニーを作ろうと思ったかって、人の心や魂、体を開放させようと思ったからだ。閉鎖病棟に隔離された時、何気にそこがとっても居心地がよく(生活環境としてはプライバシーが全くない刑務所のようなところだと思ってくれれば良い)外の世界に戻らなくていいかなと半ば思っていたのだけども、ある日浅田真央ちゃんのフィギュアをテレビで見て、あぁ私外に出て踊らなきゃ!そして、人の閉ざされた扉を開けなきゃ!と思って、そして外に出てこれたのだ。

岩戸開き伝説は私の話だと思った。では、カンパニー名はUzmeで決定だなと、そんな感じで決まった。

そしてね、旗揚げ公演の作品イメージを団員やデザイナーさんに共有するため、言語だけでは限界があったから私は絵を描いたのだ。

家にあったクレヨンで描いたもの。真ん中に渦巻いているのが、天鈿女様のイメージ。

そして、その公演の宣伝で出させてもらったラジオ収録の合間の休憩にたまたまそのラジオパーソナリティの方が寄りたいところがあると銀座に連れていかれた。

連れていかれたのは、陶彩画と言う絵を描く画家さんの展覧会だった。

私は実は子供の頃から自分の中に龍がいた。辛い時や一人で頑張らなきゃいけない時、寂しい時、苦しい時、この龍が私にいつも力をくれたのだった。初めて言語化してみようと思う…それはどんなイメージかと言うと。

私はひどく辛い時、自分の中に閉じこもってグッと耐えることがよくあった。二つの目の奥から入っていって、自分のことを内側に向かって別の目を持って体の中を見る感じ。目で見るのではなくて、心と言うよりも意識の目で見る感じ。すると、外の世界と自分は切り離すことができたし、また外に意識が飛んでいってしまうこともないので安心だった。そうして嵐が過ぎるまでずっと耐えるのだ。

今思えば、時間は自在に歪めることができていた。早く過ぎ去ってほしいあの辛い時間は中で耐えることで一瞬で終わる。どころか、1週間くらいたってしまっていることもあった。

で、そんな風に自分の内側に入っていくと、背骨をゴッーーーーーーーと渦を巻いて立ち上る金色の光がよく見えたのだ。この光は私の生きる力で、命ともまた違うものだろうと思っていた。二十歳を超えてから、その光を見にいくほど切羽詰まる事もなくなっていたのですっかり忘れていた。

それをつい最近、知り合いのバラの魔術師が龍の覚醒とか言うワークをやっていると聞いたので、早速お願いしたのだ。「私には思えば龍がいた気がする。でも眠っちゃったのかもしれない。それか動きたがっているような気もする」とお願いした。で、そのワークが始まるとすぐに目をつぶっているにも関わらず眩しくて目が潰れそうになったのだ。

目の前(といっても、私の内側の中で)を窓ガラス3枚分くらいの大きさの板見たいのが通り抜けていって、何か最初はわからなかったのだけども。しばらくしてそれは一枚の鱗だとわかった。ものすごくバカでかい龍が私の目の前にいた。あまりにでかくてすごく怖かったけど、とっても綺麗だった。白い、と言うより、オーロラみたいに見る角度によって色の変わる白みたいな色をしていた。

話は戻るが、その龍が、個展の一番目立つところに描かれていた。

http://kusaba-kazuhisa.com/gallery/213/

(↑この絵です)

うぉ〜!!!そんな事もあるんだな〜!偶然〜!なんて程度に思っていたのだけど、その展示を見れば見るほど、私が知っているものばかりで「何だろう、この人、私と同じ頭しているのかな」と気持ち悪く思った。

龍の他に、神様の絵も描かれているらしく、アメノウズメももしかしたらあるかな〜?と聞いてみたら、展示はされていなかったのだけど、裏から原画を出してくださったのだ。

こちら。って!!!おいおい!!!待て待て!!!!どえらい驚いた。って、これ、私描いたのと同じじゃんって。

そんな偶然あるかと。この画家さんは草場一壽さんと言うお名前で、私はこの時初めて存じたのですが、とても有名な画家さんだそうだ。

 

そんなこんなで、(どんなこんなだ)こんな感じのコインのようなものを現在作り始めた。なんか欲しいなと思って。

(デザイン: 坂巻裕一

ソロ公演ではリアルとバーチャルが溶けていくと言う、やはりまた現実離れしたファンタジーチックなストーリーだが、そこでの葛藤は原始の頃から我々は変わらないと言う話だ。命題はずっと変わらない。それに呆れる神様。そんな話。

 

明日からチケットが発売開始です。観に来ていただきたいです!ぜひ。

場を紡ぐ、一つ一つを大切にすることで最高の場が作れる

場は会場借りて「はいOK!」ではなく、紡ぐ感覚に近い。その場所を貸してくださるオーナーさんに応援していただけるような人間関係を築くことも場所を紡ぐ一貫だと思っている。

その舞台に携わる全ての人の気持ちが場に乗るのだ。だからみんなに気持ちよく関わってほしい。また次も一緒にやりたいと思ってくれるような仕事を私もしたい。

「最適」をいつだって選べるような自分でいたい。そこに損得勘定や打算が働かないようにしたい。それはほんの些細なこと一つ一つの選択から成り立つものなので、自分の基準を確かにもつ精神力が必要。

例えば、機材一つ、舞台美術の紙質一つ、ステージの高さも、床材も、衣装の生地も、全部お金で価値を測るのではなくてそれがこの作品にとってベスト(最適)なのか??っていうだけで選ぶこと。

自分の中で世界観を確かに、一貫させてしっかり持って、それを幕が閉じるその時までずっと筋を通しておかないといくらノーミスで踊れたとしてもそれでは人に感動を与えることはできないし、私の満足も得られない。

本当に細部のところが肝心。そして見えるとこだけ見栄張っても自分だけには嘘はつけないのでね、その腐った性根はここぞの時に自分を苦しめるんだ。舞台の上で信じられるのは、妥協しなかった自分の心だ。

どこまでこだわり、どれだけの想いを込めてきたかは、緊張した自分を支えてくれる。大丈夫だ、お前ならできると背中を押してくれるのはそうした自分なのだ。

いつも自分の本物を選べるように、メンタルもフィジカルもマインドも整えておくのが場を紡ぐということ。

 

チケット発売まであと3日!!!

ダンスカンパニーUzme第二回大瀧冬佳ソロ公演「ナナシとガス」

2018年7月7日・8日 開演は両日ともに17:00~

場所は蒲田のギャラリー南製作所です。

 

お越しいただけること、心よりお待ちしております。

チケットのご購入は6/1 10:00から大瀧冬佳公式HP・大瀧冬佳FB・大瀧冬佳ツイッターにておしらせします。

 

本当はあなたも知っている靈の話

頭というか、脳の奥の方に突然形として思い浮かんだ「靈」という文字。ごちゃっとしていてよくわからないので拡大して…

読み方もわからなくて、こんな漢字見たことないのに、なぜこれが強く浮き上がってくるんだろうと思いながらいたらその直後に現れた!魂と書きたかったけど、私の魂はこの魂じゃないんだよね、いたよ!この字、どうやら「たましい」と読むらしい。

3つの「口」は入り口をさす。

・肉体

・心

・魂

これを開いてあげたら、びっくりするくらいにいろんな情報が開示されてきて思い返せば今日までにたくさんのヒントがあった。でも昨日までの私にはそれを見て見ぬ振りをしてきたので、「わからない」「知らない」むしろ嫌い!!と遠ざけてきた。

幽霊の霊と靈は違うものを指している。霊の方は下等な残っちゃった魂たちで、靈の方はそいつらも含めた全部の魂。自然もそうだし、地球外の魂もそう。本当は日本人は世界の中でもそれらと交信できる種族だったにも関わらず、それを恐れた外国の人たちは靈という字や巫女の力を封印して「大量生産大量消費時代」に日本人を汚染させ、中毒症状を起こさせた。

それによって、世界のバランスは崩れちゃったんだよね。地震が起きるのはそうしたエネルギーバランスの歪みによるもの。大自然の声や、宇宙のメッセージが聞こえても人間の言葉に訳せないからこれが何かわかってなかったけど、翻訳作業をしてみたらめっちゃ私に訴えかけてた笑

日本語から発せられる音は素晴らしいのね。私は東洋人に生まれてよかった、日本人でよかった。ルーツは完全に日本人。日出づる国と言った聖徳太子もまた、未来か地球外かはわからないけどその時代の地球に派遣されてきた靈なんだろうなぁ。

時間と空間とかっていう軸の中でしか私たち人間は認識できないすごい古い型のコンピュータなんだよね。もっとたくさんの軸、つまり次元でできているのに、わからないんだよね。

映画シックスセンスで、同じ空間に幽霊も一緒に存在しているじゃないですか。幽霊はおどろおどろしい目に見えない怖いものって人間は思うけれども、そんなこと思っているのは人間だけだ。性能が低すぎるから他の次元の存在を認識できない、目で見たもの、手で触れる物質しか認識できない。けれど!日本人は元来持っていた能力があって、自然の信仰だったり、性能がいくらかいいコンピュータを搭載しているはずなんだけどね、電波障害みたいな、もしくはどんどんアンインストールさせられてる。

だから、「舞」「踊る」「つくる」とかとか手仕事をする人とか、職人とか、空間を操る舞踊家は現代の巫女なんだ。マツリゴトである。それをそうだと思い出すにはなんかの衝撃がないとボーッとしたまま人間ぶって生涯を終えてしまう。

これはなんていう存在なのか、それだけが私にもわからないんだけど、何かを言ってくる存在…もう一人の未来の自分なのか、神様なのか、自然なのか、宇宙なのか、ご先祖様なのか、なんかそれは誰かわからなくてむしろ全部同じ一つのものなのかもしれなくてよくわからないのだけども、それらの声を聞いて人間の言葉に変える作業に到るまでにはいくつか条件じゃないなー、それができるタイミングがやってきた人の特徴がある。

・実は情熱、欲、願望、執着がこの世に何もない

・偶然といえば偶然だけど変な話を立て続けによく聞く、直接言われる

・漠然と死んでもいいかなと思う、何のために生まれてきたかがあるはずなのに、人間的な目標や成功にはピンとこない

そして、一番は

・物質世界じゃないところで人や物を操れるようになる

こんな状態になっていたら、なんかもうそうだと思うのだ。人間性的な成長ではなくて、もう靈的な成長を欲しているし、それができないなら肉体を持ってこの星にとどまっているのはアホくさい。次の場への靈の旅に旅立つときが近い、肉体を離れて「死」を迎えることが今まではとっても怖かったけど、また再会できる靈もあるのを知っているから大丈夫なのだ。どこでまた会えるかわからないけどきっと思い出せる。

転生すれば姿形は全然変わるけど、変わらないものが3つあって、そう言えば母は亡くなる前日それを私に言って死んでいったので、またきっとどこかで会ってもお互い思い出せるはずだ。その3つはね、「瞳の奥の光」「手の光」「声の音の波」これは変わらない。なんども臨死体験の話を母からも祖父からも聞いていたなって思い出した。

 

2017年出演実績

2017.1.6 アメージンググレイス@阿佐ヶ谷ヴィオロン(出演:大瀧冬佳)
2017.1.15 桜流し@Uzme決起新年会(出演:大瀧冬佳、三輪夏来、福島光帆)
2017.2.6 馬谷古女王@ホテル バリアン本店(出演:大瀧冬佳)
2017.3.31 「火の鳥」@滝野川会館 (出演:大瀧冬佳)
2017.4.23 赤坂Live ber Lime 滝田恵美with山崎亘/ゲストぱくゆう(出演:大瀧冬佳)
2017.5.19・20・21 ダンスカンパニーUzme旗揚げ公演「Mao」(出演:Uzme総出演)
2017.8.27 牡丹灯籠@下北沢ハーフムーンホール(出演:大瀧冬佳)

出演実績

◎経歴

coming soon…

 

◎メディア掲載

●渋谷クロスFM 加藤望のオトナカワイイ

誰かのキッカケを届けるメディアkeypage
インタビュー掲載記事(http://keypage.jp/interview/otakifuyuka/

●ネットTV DreamChallenge マジアゲ出演 MCカラテカ入江さん
https://freshlive.tv/fabius/154825

 

◎出演実績

・2018年(平成30年)
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2017年(平成29年)
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・2016年(平成28年)
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重要なものに対して無関心でいられる人間を量産するシステムの中で育っている

AIに仕事が取られるよりよっぽど危機である

仕事はさっさとAIに取って代わられる時代が訪れたらいい。なぜなら無駄に人生の時間を費やしているのにそれに全く危機を感じていない方が仕事を取られるよりも危機だからだ。考えると世の中や人の役にたっていない。労働力としての仕事は正直あなたじゃなくてもいい仕事だ。そんなことないだろ!と憤らず聞いてほしい。労働力なんていうただの「数」としての仕事ならどんどん人間じゃないものに代替された方が良い。

それだとご飯が食べられなくなるという人も多いが、そのシステムが変わればいいのだと私は言っている。大して役にもたっていない、生き甲斐も感じない、ご飯を食べるお金を稼ぐためだけの仕事に就いていること…すぐには変えられないかもしれないけれど、これを危機だと感じる感覚を持っていないのは困った事態だ。

そういうものなのだ、仕方ないという思考停止がやばい。

変えられるものを変えようとすること、変えられないものを変えようとしないこと

変えられるものと変えられないもの、これを正しく見極める賢さを持ちたい。無駄を生まないためだ。幸福の追求ってそういうロジカルなことだ。

やりたくないことをし続ける、楽しくないことをし続ける…変えられるのか変えられないのかを検討することすらせずに、これは仕方のないことだと考えようともしないのが良くない。

変えられることを変えようとするというのは、難しいことじゃない。変えられないことを変えようとしないことも難しいことじゃない。難しいのはそれが変えられることなのか、変えられないことなのかを見定めることだ。経験や知識が判断材料だと勘違いしている人は多いが、正確には大局観と知恵が見定める時に必要な能力だ。蓄積されただけの知識は使っていないと腐るし、積んだだけの経験も留まっていれば実は行動を邪魔しているものになっていたりする。

例えば5歳の子供に「将来は野球選手になりたい、僕もなれますか?」とプロ野球選手に質問したら「野球を好きになってずっと続けていけばなれるよ」というようなことを答えるだろう。ではこれが中学三年生高校受験を目前にした子供に聞かれたらどうだろう?無理だ勉強しろと答えるのか、そんなに甘い世界じゃないけどやれるだけやってみろと答えるのか。プロ野球選手になれるのかなれないのかっていう見定めは非常に難しい。

その見定めさえもAIができるようになったとしたら?

膨大な情報をパターン処理して、「プロ野球選手になれる確率は何%」「今から〇〇をしたら○%確率が上がる」なんていうことが可能になる未来もそう遠くはないとしたら?将来に悩むこともなくなるし、結婚相手に悩むことも、何もなくなった先に私たちは何をして人生を埋めるのだろう。

私はそんなことを一人で悶々と考えた結果、ある程度の抑圧や不都合も人生のスパイスとしてあった方がいいと思う人も一定数いそうだなと思った。悩みがなくなったら何をしていいか迷ってしまう人も多いのではないか。もう考えれば考えるほど、無駄や悩みや我慢って性癖みたいなものだってことに行き着く。

あらゆる障害から解き放たれたときに、「さぁ飛んでいけ〜!」って鳥籠があいても飛び方を忘れてしまって鳥籠に居残ったまま。そんな風に「重要なものに対して無関心でい続けること」に慣れてしまった人は自由や富もまた両手いっぱいに受け取れることができなくなっちゃうのだ。
AIも仮想通貨もVRももうそういう「鳥籠なんてないよ」を象徴するものだと思うのだ。

私たちのやる気スイッチはどこにあるんだろう

こういう話をすると本当にやりたいことがあることがいい!みたいな話の方向になってしまいがちだが、私は新たに「フェチに生きる」ってどうかなと提案したい。っていうか、やりたいことがめっちゃあるように見える人たちも2パターンいて、

・誰かや世の中に勝ちたいパターン

・変態パターン

だ。誰かや世の中に勝ちたいパターンはそのままだけども自分以外の別の対象よりも勝つことがモチベーションの人たち。勝つ何かは、資産かもしれないし、美貌とか、幸せそうに見えるとかそういうの。対して、変態パターンというのは自分だけの強いこだわりの元、遂行する人たち。色々超便利になって、鳥籠があいた時代が来ても来なくてもフェチに生きるのがいいんじゃないかって。

「なんか!たまらなくいい!!」みたいな指針だけで生きていく、そこに枠を設けずにどんどん自分を解き放っていく思考に変えていこうと思う。

 

大瀧冬佳のバックグラウンド

被虐待児というバックグラウンド

実は虐待を受けて育ちました。物心つく前からのことで両親には秘密にするように言われて育ったためどこの家庭もこのように秘密にしているだけでみんな実は私と同じだと信じながら育ちました。

しかし、その環境は過酷でした。自宅近くの公園に裸足で逃げて夜を明かすこともよくあり、夜中で真っ暗で公園の隣は変質者がよく出ると噂の神社があったため怖い思いをよくしました。サウンドバックのように大人の男の人に体を殴られ続けているとだんだんと頭の奥がシーンと静まり返り、とても清々しい気持ちになったりもしていました。

そうした逃げられもしなければ、変えることもできない環境だけど、私にはバレエがありました。バレエを踊っている時だけは、普段殻に閉じこもっているような私も自分が自分でいられて、生きていることを感じられました。生きていていいと言ってもらえる気がしました。

世界屈指のバレエ団に合格するも精神科閉鎖病棟入院

私はバレエに文字通り人生の全てを捧げていました。この環境から脱するためにはプロのダンサーのなるしかない、そして家を出よう、イギリスに行こう、思う存分踊るだけの人生を送りたい…そんな風に心に決めたのは小学校高学年になった頃だったかと思います。

そして私は実際に世界最高峰のバレエ団に選ばれました。しかしその頃父のDVが原因で女性の隔離シェルターに保護されての両親の離婚や、母は36才の若さで余命1ヶ月のガン宣告、そしてまだ私の下には弟が二人いる…という環境があり、留学は断念、また10年後に舞台復帰すると誓いバレエの道も諦めて家族を養うため働き出しました。

母の治療費、弟の進学費用、家族4人の生活費…これらを稼ぎ出すためにバイトを常に6つ掛け持ちし、寝ずに3日続けて働き、帰宅後玄関で3時間寝てそのまま次のサイクルの3日間のバイトに出かけるという生活をしていました。様子を見に来た叔母が言葉を一言も交わさず絶句したまま帰って言ったのを覚えています。この時どうやってこの生活から抜け出せばいいのか全く知識もなければ助けてくれる人もいませんでした。母は日に日に衰弱していき、死が迫ってくる恐怖は今思い出しただけでも耐え難いものです。常に死が隣にあるという感覚、神に祈り、私にできることの全てを精一杯やるのでどうか母を連れて行かないでと必死でした。弟たちも不登校になったり、荒れてしまって学校に何度も呼び出されました。

そんな生活を続けていたある日、ハッと目を覚ますと見知らぬ天井が見えるベッドにいました。体は動かず、奇声が響き渡り、ものすごい異臭に鼻の奥が痛くなりました。私は精神科の閉鎖病棟に拘束され、強制入院させられていました。事態を把握しようにも、私を人として取り合ってくれる人はおらず、悪夢を見ているのかと思いました。精神科の閉鎖病棟って、完治して退院するような患者はそもそもここに入院しないんですよね。まるで人生の刑務所のような場所でした。精神が崩壊している人間が人間として原型をとどめているような人はいなかったです。

私は幼少期からの過酷な家庭環境が原因で解離性人格障害が発症したため入院していました。解離性人格障害とはいわゆる多重人格です。過度なストレスから自分を守るために人格を分離させる病気です。しばらくの間、「私」という人格が戻って来ず、別の人間が私の体で生活を送っていました。過去からの脱却や、人格の統合は不可能とされ18才からの人生をここに隔離されて生きるしか当時の私には道がありませんでした。

私が何か悪いことをしたのか、こんなに頑張ってきたのになぜ私がここに隔離されて生きなきゃいけないのか。あまりに理不尽で、神様なんてこの世にいないじゃないか。私ばっかり辛いと、この時初めて発狂し絶望を感じました。今までずっと希望を胸に強く強く自分を持って生きてきたのですが、この時は本当にダメでした。怒りと恨みで胸がいっぱいでした。

バレエと病気の完治

結局、この時も私を救ったのはバレエでした。それから閉鎖病棟に入ったことは私の人生の中でとてもラッキーなことだったと思います。今まで蓋をしてきた黒い感情を外に出すことができたし、優等生でずっと生きてきた私が反抗期をして甘えることができました。ここの看護師さんが全部受け止めてくれたことで私は大きく変わりました。そうじゃなかったら、心の底から自己肯定感とかきっとないままで、自己顕示欲や依存症体質も改善できずに困った大人になっていたんじゃないかなと思います。

この後もしばらくずっと大変でしたが、私は18才で二つの強い武器を手に入れたのでここから人生は沈んだり浮きあがったりを繰り返しながらも全体的には好転していき今に至ります。

踊れる環境にいるありがたみ

本当に踊ることが好きで好きでいながら、私はみんなのように当たり前に踊れる環境にいられませんでした。いつも不可抗力によって遠退く。踊れる環境を整えるのは大変だった。踊れるって本当に幸せなこと。なんか、今の私は今のこの踊りを仕事にして思う存分やらせてもらえてるに到るまでのいろんな人の支えに感謝と愛でいっぱいなのです。一人ではこのステージに立つことはできなかったし、本当に今まで出会ってくれた人たちに感謝しているんです。

それから、私の生き様が何処かの誰かの勇気になったらいいなと思い、ステージに立っています。不遇な環境に生まれ落ちようとも自らの力で道を切り開いていくことができます。本当に何で私ばっかりとか辛くて誰かに救いを求めたくなる…でもやっぱり自分が立ち上がろう!進もう!としないと周りは助けられないんですよね。だからあなたにその力をあげられるような作品や表現をしていきたいなと思っております。これが私の原動力です。

私のオシャレのモチベーションは夫にかかっている

そもそもオシャレに興味があるんですか?

そりゃダサいよりもオシャレだと思われた方がいいはいいけど、その優先度はどの程度だろう??
そもそもモテたいという願望がほぼ皆無なので、自分の外見をあまり気にしてこなかった。というより他にもっと没頭することがあり、そこへの余力がなかった。いや、大事なことだとは思っているがそこまで頑張れなかったので未だ弱いオシャレ筋。要するに私はダサい。時々痛い格好をしちゃっているのも知っているが気にしないできた笑

あなたは自分の格好に自信がある?「素敵だな!自分!」と思える格好をしている?というか、あなたはオシャレをしてテンションが上がるの?それはオシャレな服を着たからテンション上がっているのか、周りから褒められてテンション上がっているのかで言ったらどっち??

私は、オシャレな服を着た自分を見てその瞬間はテンション上がるのだけど、それは一瞬なので自分のご機嫌を保つにはファッションってコスパが悪いなと感じちゃう。周りから褒められてテンションが上がることは私はほとんどない。だからオシャレに興味がないのかも…

そんな私だけど夫に褒められるのはとても気分がいい

とはいえ、私は自分を看板にする職業なので、身なりに気を使わないのはだいぶマズイ。ダサいダンサーとか死活問題。偶然か必然か…私はとてもオシャレな男性を夫にした。オシャレなところが好きになった理由の一つだ。オシャレな彼が私を選んでくれたのは私の有り余る内面の魅力によるものか、もしくは私の自分のプレゼンの才能によるものだろう。

…脱線したけど。オシャレに興味がない私だったのだけども、夫が私に自分の好みの服を身つくろい「可愛い!」だの「綺麗!!」だのと言ってくれるたびにまんまといい気になって、オシャレが好きになった。猿もおだてれりゃ木に登るの典型である。

オシャレでいるといいことを初めて知った

自分のクローゼットに「ただ身にまとうだけの服」でなく「最高に気に入っている服」が入っているだけで、思うより気分がいいことを知った。出かけるのが楽しくなる。それから夫婦で相乗効果が起きる。よもすれば一緒に生活しているといちいちキメることがなくなるが、「あ、今日は気合い入れていく日なのね、じゃあ私も」と互いに相手に釣り合う服を選んでくるようになる。なんかそれってスーパーに行くにしても新鮮でいい。

私のオシャレのモチベーションは夫にかかっている

誰のためにオシャレをするのか。自分のためでしょう!?と驚く女子たちも多いかもしれないが…私は残念ながら目的がなければ何かに向かって動けない性質なのである。ただただ「可愛い!」「綺麗!」「素敵!」ってラフな動機で動ければいいのだが、そんなに軽やかに動けないのだ。

ただし、動き出したらちょっとやそっとのことじゃブレないのも私の良さだ。夫に綺麗だと思ってもらうこと、綺麗な妻を連れていると夫が喜んでくれること、それがオシャレをする原動力みたいになっている。(ここだけの話)

なので、もし私の外見が崩壊しだしたら夫にお問い合わせください。