【9月イベント情報】

【冬佳シェア会】

▼日時

9/1(土)11:30~13:00 残席2

▼会場

大手町近辺のラウンジ
(参加者に連絡)

▼参加費
0円からの投げ銭制
※イベント終了後、現金またはお振込でお話の対価をお支払いください。
※ご参考までに平均額は8,000〜10,000円でした。

【8月イベント情報】

【冬佳シェア会】

▼日時

8/2 (木)11:30~13:00 満席

8/10(金)11:30~13:00 残席9名

8/18(土)11:30~13:00 満席

▼会場

8/2・18
大手町近辺のラウンジ
(参加者に連絡)

8/10
リラクゼーションサロン ラ・シャンス
〒277-0885 千葉県柏市西原4-16-11-308
東武アーバンパークライン初石駅から徒歩16分
地図はこちら⇒https://goo.gl/maps/ig2N4rqLX662

▼参加費
0円からの投げ銭制
※イベント終了後、現金またはお振込でお話の対価をお支払いください。
※ご参考までに平均額は8,000〜10,000円でした。


 

【出演情報】11/3・4 ALICE~Dreams do come true~

DANPARAカンパニー公演
『ALICE~Dreams do come true~』
場所:シアターグリーンBOX in BOX THEATER
チケット4000円 (チケットは出演者よりご購入いただけます)
全6回公演

2018年
11月1日(木)19:00〜
11月2日(金)14:00〜・19:00~
11月3日(土)14:00〜・18:00〜
11月4日(日)13:00〜

※大瀧冬佳出演は太字の日です!

《STAFF》
総合演出・原案 / 鈴木明美
台本・演技指導 / 中原和樹
舞台監督 / 堀 基意(BOSS)
照明 / 川上将之(有限会社アント)
音響 / 鈴木大介(CLUB CITTA’)
演出補佐 / 今 愛美・清水福子
作曲・映像 / 松澤由郁
フライヤーデザイン / 山崎瑞奈
制作 / ALICEプロジェクトチーム
主催 / NPO法人日本ダンス振興会DANPARA
2020オリンピック応援プログラム(予定)
♥◇♠♧♥◇♠♧♥◇♠♧

《出演者》
北野恒安
来栖杏夏
桝井賢斗
森川結美子

大瀧冬佳
小見美雪
小林ゆみ理
今 愛美
清水福子
鈴木 裕
相馬和志
西田恵美
松澤由郁
御園純子
山崎瑞奈
吉野加奈子
Mio
Mutsumi


浅利美音子
小田理江
北川利恵
高野美樹
タキザワマキ
滝本美香
国枝理恵子
西本惠理子
前岡真紀
森ノくまさん
akki
Miya

 

 

生きている意味がなくなるほど今日を生きるということ

ソロ公演のあの靈という作品ができたり、なんだか急に覚醒して何かと繋がった月間だった、ここ最近の私。

あれは、今考えてみると、生きている意味がなくなるほどに今日を生き抜いてしまったからなのだ。「生きている意味がなくなる=死にたい」ではない。死にたいというのはつくづく「生きたい」なんだなとよくわかった。死にたいとは全く頭をよぎらなかったけれども、どうにも常に地上から3㎜浮いている感覚。

人間が人間らしくあれる理由が私にはなくなってしまった。

人に認められたいだとか、夢を叶えたいだとか、あの人を助けたいだとか。そういうものを心から思えなくなってしまって、やり尽くした感しかなかった。あるのは無だった。

愛する人との間に赤ちゃんが生まれ、日常は今までで一番幸せだ。決して、死にたいとは思っていないのだけど、感情というものを感じる場所が変わってしまい、五感も別のところにあるような嬉しいは嬉しいし、怒りも怒りとして感じるんだけども、もうそれを体感する時期は過ぎてしまって潮時感がすごかった。

一人に一個魂があるわけじゃないってことに気付いてしまったからなのかもしれない。私はなぜ私なのか、思い出してしまったからなのかもしれない。

 

そんな混沌としたところにいた私だけども、これはただただ虚しく哀しい話ではなくて。この混沌を通り過ぎた私は、前より確実に一段高い位置から世界を見渡している感覚になった。色々なものに振り回されなくなったという言葉は近い。

そして、一つ今、思うのは、みんな壮大な暇つぶしをしているのだと思う。毎日ご飯を三食食べるのをやめてみると、本当にやることなくなる。生きている意味がなくなるのが実は正解で。それがなくなると人は生きる糧を失い、どこを目指してい生きていけば良いのか路頭に迷うと不安になるのかもしれない。でも、それくらいアクセル踏んで、今日を生ききったら、あなたがこの地球に生まれてきて本当にみるべきだった景色が見られるのだ。

生きている意味がなくなるほどに、全開で行くべきなんだなと。

この辺でいいかなと、アクセルを、あなた緩めているでしょう?

今。今日。昨日も。そしてきっと明日も、来年も。目標に向かうとか、夢を追いかけるとかそういうひっくい次元の話じゃない。夢とか目標なんてどうでもいいのだ。そんなの他人が介在するもので、あなたのものじゃない。

あなたはあなたを最上級に信じて、そしてそこに突っ込んで行くのだ。誰とか関係なくて。

私は27年間、歯を食いしばって、負けてなるものかと、必ず社会に復帰してやると、生命力や反骨精神ガンガンで生きてきた。今、それ、すっかりなくなっちゃった。幸せになるんだとか願いを叶えるとかそういうの全部叶えてしまった。もう満たされ尽くしたら、私の存在理由はなくなり止まってしまうのではないかと実は怖かったけど。そこからが魂の本当の始まりだった。

私が言いたいのは、あなた、まだ進める。何を中途半端なところで、まぁまぁいい感じのところでおさまってるの。やっぱりそれは幸せの先をみるのが怖いんだよ。でもそこを超えてからが人生は面白い。

私は「生きる」を超えたのだと思う。

アイキャッチ画像:photo by bozzo

▼冬佳シェア会in日本橋

7/25 (水)11:30~14:00

7/30(月)11:30~14:00

8/2 (木)11:30~14:00 残席1名

▼冬佳シェア会in柏

8/10 (金)10:00~12:00 残席9名

こちらは半グループセミナー形式で行います。

参加費は0円からの投げ銭制です。

 

お申込みはこちら→https://www.facebook.com/profile.php?id=100004164461261

大瀧冬佳メッセンジャーに「シェア会参加希望」とお送りください。

 

三度目の正直

三度目の正直と書いているが、前二回の公演が失敗だったわけではない。

だけど、赤字を出さずにできたから万々歳ということでなく私にギャラが出ていないのはやっぱり問題だ。

それに何より、私はそろそろ本業に専念したい。前二回、しっかり裏方を自力で回したことで見え学べたのはUzmeをUzmeたらしめるのに本当に必要なことだったと思っている。

ただ3回目の公演はいよいよそれを手放してダンサー大瀧冬佳としての力をフルに発揮するときなのではないかと思っている。

舞台を作るには、「制作」という仕事が非常に重要なことを知った。字面からして、作品を作る方の「制作」と勘違いされる事が多いが、この「制作」はあまり作品には関与しない。

予算組みや資金集め、キャスティング、稽古場の抑え、各セクションへの伝達、当日のお客さん周りのこと、清算、ギャラの支払いなどなど。非常にやることが多いのだ。

「舞台監督」もとっても重要で、小屋入りする前までは演出家さんの指示が一番で、みなそれに従うのだけど、小屋入り後は「舞台監督」が取り仕切る。タイムスケジュールを決めたり、音響照明美術キャスターなどなどへの仕切りと指示出し、本番中はQを出したりととっても重要な人だ。

これらを兼業しながらの作/主演をやっていたわけだ。

今は第三回公演に向けて動き出しているわけだけど、Uzmeとして多くの団員が動き出すのはこのプロジェクトのだいぶ終盤になる。実は八割方が私のみで動く準備期間。

なのでギャラの計算の仕方が非常に難しいなと思っている。公演を打つための基盤づくりに八割の時間と労力とそして結果がかかっているにも関わらず、残り二割のところに全てお金が出ていってしまっているというこの仕組みを今一度考え直さなくてはならない。

ギャラを考えるとき、もらう側でしかなかったときの私にはなかった視点が今の私にはたくさんある。

「作る人」

「プレイヤー」

「技術者」

この中で一番ギャラを取りやすいのは「作る人」。次に「技術者」。最後に「プレイヤー」となる。プレイヤーの中でもダンサーよりミュージシャンの方が正当なギャラをもらうことに慣れている。ダンサーはアーティストと言われる人たちの中でも、本当に仕事として成り立たせられていない。

でも、そんなダンサーでも世の中や業界を変える必要なく、自分の価値を上げることは可能だ。下手したらミュージシャンよりも、作る人よりもギャラを請求することができるようになる。

それは、そのダンサーにファンがしっかりついていること。誰の目にも明らかなファンの数と質。観に来てくれる人がいなければ、作る人がいても、技術者がいても、結局は意味がない。

そして、私はダンサーでありながら、経営者視点を持って作品に携わっているので、どういうダンサーをキャスティングするか明確に答えが見えてくる。

このダンサーの踊りが好きだな、踊って欲しいなと思ってもチケット数枚しか売れない、もしくは友人や仲間うちにしか買ってもらっていないダンサーは正直言って要らない。

厳しい言い方をすればプロダンサーとしてどうなのかと疑う。そのダンサーの踊りをお金を払ってまで観たいと思われていないダンサーがプロと言えるのか。

そしてなぜそういうダンサーに限って、主催にギャラを請求してくるのか。踊ってやったと主張するなら、客を呼べ。

踊るというのは生き様を見せることだ。ダンスに限らず表現とはそういうものだと思っている。

最近、「ふゆかさんは人に認められたいとなぜ思わずにいられるのですか?」と聞かれる。その時は私は今までかつて人に認められたいなどと思ったことがないので「なぜ」への問いが全く出てこなかった。

でも改めて考えてみたところ、人に認められるために表現するフェーズはまだ「生徒さん」だよなーと思う。受け身すぎて、私ならオーディション落とすし、私の舞台に立って欲しくないと思うし、もし私の舞台稽古に出たのなら10回は泣かせると思う。(リアルな数字だな)

そこはプロとアマチュアの大きな違いだし、皮肉なことに「ファンにチヤホヤされたい」と思う表現者にはなぜかファンがつかないのだ。これは周りを見ていて本当にそう思う。

なのでやっぱり、本当にこの道で食っていく覚悟を持って、チヤホヤされたいっていうフェーズはゲロ吐きながら、泣きじゃくりながらでも抜け出して、本当の自分だけの表現をして輝いていってほしい。

そして、そういうダンサーを今、私は血眼になって探している。他人にこれだけのことを言う私が「人に認められたい」と思わない理由は、これだけのことを言ってる自分は出来て当たり前のところに自ずと上がっちゃうからだ。そんな甘い設定では人はついてきてくれないし、何より自分が自分に絶望してしまう。

私は自分の目が一番たしかだと思っているので、他人からの評価はありがたく受け取れど、指針にはしないのだ。

さて、春の祭典!いいダンサーが集まりますように!!!随時募集中です。

アイキャッチ画像:photo by bozzo

今、目の前にいない人は恐竜と同じ

恐竜って絶滅したと言われてますよね。でもそれは違う。今もどこかにいる。きっと変わらず違う他の地球で生きている。

そんなわけあるかーい!!!って思ったかと思うのですが、でもそれはあなたが観測していないだけの話かもしれないじゃないですか。「真実」って一体どこまで自分の目で同時に観測できるのだろうって思うのです。

 

 

恐竜は一旦置いておいて。

あなたがやりたいことをやれない一番の理由の「あの人の目」ってありますか?いつも引っかかってしまう「あいつ」でもいいですし、どうしても解せないあの人でもいいです。

自分が会っていないだけでどこかで生きているって思うじゃないですか。

違うんです、いないのです。

もしくは恐竜と同じなのです。

 

奇妙な話だと感じると思うんですけど、私は割と本気でこの仮説はありだなと思っています。嫌という程その辺を体感させられてきていて、いい加減「体感至上主義」も卒業したら如何なものかと言われている気さえします。

本当に、「体感しなくても知っている」「体感しなくてもわかっている」

もう知らないふりも、そろそろめんどくさくない?飽きたんじゃない??いい加減自分のこと信じて元に戻ってきてよと言われています。

 

突拍子もない信じられない話を書きましたが、あなたもあながち100%ありえないとは切って捨てられない自分に不思議な感覚を覚えていませんか。

好きな人、憧れな人、尊敬する人の他に同じくらいの熱量で、許せない人、嫌いな人、苦手な人、イラつく人いますよね。それらの人々はあなたの周波数に共鳴して、あなたがその人たちを観測するから存在している。

と、したら??

「好き」とか「嫌い」というのは人間の感情であって、「周波数」とか「エネルギー」という意味では好きも嫌いもないし、上も下もないです。振っている幅で物事は成り立つとした私の仮説では、ベクトルは違えど、同じものです。

なので、もうあの人は私の人生には登場しなくていいとした人物はその世界には現れなくなるのではないかなと思うわけです。

そして、実際にそうなんですよ!!!信じるも信じないも、あなた次第ですけど。

 

面白いなぁ。

【参加者申込み受付中】

冬佳シェア会in日本橋

7/25 11:30~14:00 残席1

7/30 11:30~14:00 残席1

8/2 11:30~14:00 残席2

冬佳シェア会in柏

8/10 10:15~12:45 残席8

 

ダイヤモンドと魂

(出典:冬佳シェア会資料)

冬佳シェア会ではこれをカンペにしてお話させていただこうと思っている。

ざっくり話すと、もう目先とか小手先のことでごちゃごちゃやっていないで、さっさと魂にそったことした方がいい。

上の図は素人ながらパワポで私が作ってみたのだけども、大概の人は、頭で行動したり話したりする。「ワクワク」というワードが流行ったのは、おそらく、頭から一個深めた心で行動することを慣らすため、思い出すためなのではないかと。だから、もともと魂にそっていきている人にとっては「ワクワク」ってめっちゃ違和感だったわけ。

心、感情というものは脳や腸で生成される化学物質(ホルモン)から生まれるものなので、それは人間特有というか、私的にはそこまであんまりあてにしていない。「心変わり」「心うつり」とはいうけれども「魂がわり」「魂うつり」とは言わない。

心は移ろいやすいもので、食べているものや、気温や湿度、音、色などいろんな演出をかければ簡単にコントロールできてしまうものなのだ。

心を揺さぶることは簡単。人間の弱みにつけ込む、欲望を掻き立てる、不安を煽る。小手先のマーケティングが薄いのは、この辺をやって売れればいいという拝金主義を起点にしていることだからだと思うのだ。でももっと楽しく深い本当のマーケティングというのは人に寄り添う。つまり、心ではなく魂に寄り添うもの。

心を動かすのは簡単。一番手っ取り早いのは、お金。お金で人の心は買えてしまう。中身のない「これをしたらお金が湧き出る泉のような方法を教えますよ」という商売はそれをもっとも効率よく利用した商売なのだと思う。

しかし、魂を揺さぶるには魂で仕事をしていないと揺さぶれないのだ。

地球で一番硬いダイヤモンドはダイヤモンドで磨くように、魂は魂でしか揺さぶれない。

だから、セールスライティングをどこかで習ったの?と私はよく聞かれるけれども、習ったし、結構勉強したけど、全然活用していない。ガン無視だ。なぜってそれをしたら多分短期的に見ればすぐに結果を得られる(つまりお客さんがすぐに集まり、儲けられるということ)だろうけれども、それは100年先に私の名が残るような活動とは思えない。何を生み出すか簡単に言えてしまう行動はしたくない。

スピチュアルな話はこの辺にとてもよく繋がってくる。なんせ、魂はスピリットっていうじゃない。ガチコンとむしろ何よりも私の哲学にフィットしてしまって、全てが繋がったのでそんな話をシェア会ではしようと思っている。

でも、だからと言って、特別なことはあまり起きていない。達観したり、悟りを開いたり、パッカーンと何かが降りてきたりして、この世の人じゃなくなっていくわけでは全然ないのだ。結構、そういう風に思われているみたいなんだけども、そんなん起きていたら脳みそファンタジーすぎてあっぱれである。

そんなことよりもずっと大事なのは、これ。

(出典:冬佳シェア会資料)

自分を誰がコントロールしているかってこと。

これを訓練するにはこのイメージがかなりいい。自分の中にコントロールセンターがあって、そこに操縦席があるとする。その席に誰がもしくは何が座っているかということ。

自分のことなのに、母親や兄弟、子供、夫が自分の操縦席に座って乗っ取られてる場合がある。自分は操縦席からはじき出されて蚊帳の外。そりゃ悲しいし、さみしいし、虚しいし、やるせないし、ひねくれて、いじけてしまうよね。「どうせ、私は」って。でも、あなたが自分を座らせないで、勝手に子供を座らせてるんだよ。

人の場合もあれば、常識や世間体が鎮座してることも多い。なんか、あなた本当に結婚したいと思っているの?とか。お金や時間を座らせちゃってることもある。

で、これは私も長年やっていたのだけども、何もいかにもなことばかりが鎮座してるだけではなくて、「夢」や「やりたいこと」「目標」に自分がかい殺されていることもあるのだ。最初は純粋に自分が見ていた夢も、いつの間にか「夢」に占領されていて、辛い。とにかく果たさなければならないという、「根性」「努力」「忍耐」の世界に思考停止で没入するしかいられない状況になっていたり。

「やりたいこと」があること、よりも自分だ。

それで冬佳シェア会を一旦休止させていたのには理由があって、ここの操縦席になぜか「大瀧冬佳」を座らせてしまう人がちらほら出てきてしまったのだ。不本意な事態で、でもそれって私にも原因があると思ったので、一旦休止した。今、その原因もわかったし、根本的に私が私の中を変えたので、そういう現実も現れなくなったので、緊急復活を決めた。

まぁそんなわけで、冬佳シェア会、どんだけ席少ないのかって感じですが、気になる方はどうぞお早めにお申込みください。投げ銭制で極端な話、無料から参加できるので。

冬佳シェア会詳細

【日本橋】
・7/25(月)11:30〜14:00 残席2
・7/30(水)11:30〜14:00 残席2
・8/2 (木)11:30〜14:00 残席1
https://www.facebook.com/events/287066685371123/?ti=icl

【千葉 柏】
・8/10(金)10:15〜12:45 残席7
https://www.facebook.com/events/1057101817787700/?ti=icl

【アイキャッチ画像:photo by bozzo】

【イベントのご案内】本番前に「がんばるぞー!おー!」とか言ってしまう団長です

この度、冬佳シェア会というなるべく「少人数制で数打つイベント」を企画させていただきます。

というのも、私、「話す」というのが割と苦手でして。そして、大人数の前が特に苦手です。自分の中から出て来るものを「話す」というスピードだと出力するのがうまくいかないんですよね。その点「書く」はやり易いです。スピードがちょうど良いのです。

私は一応「団長」という組織のトップをやっています。本番に向けて小屋入りしてから、リハーサルや場当たり中の指示出しや団員に向けての言葉がけは鬼です。ビシバシと言ってしまいます。なのにも関わらず、急に振られる本番前の気合い入れるやつ…あれがすごく苦手です。(ということを、みんなに言い出せない笑)ついさっきまでビシバシと鬼が緊張の糸が張り詰めたような空間にしていたのに、なんだか急にむず痒くなってきて、うまくできなくて結果、「がんばるぞー!えいえいおー!」みたいなしょぼいやつになってしまいます。

そういう時に、かっこよく決められるリーダーに憧れますが、私はそんな感じでいいのかな笑

前振り長くなりましてすみません。そんな訳で、今後は大人数の前ではなるべく口をつぐむ形で、私が「話す」という表現で皆様の前に立つのはなるべく少人数という条件のもと、やることにしました。

そして、この【第一弾】冬佳シェア会の概要ですが、

▼期間 7/23~8/2

▼場所 参加者にご連絡(都内)

▼参加費 0円〜の投げ銭制+ご飲食費は各自ご負担ください

▼お支払い方法 当日現金払いもしくは後日お振込

▼お申込みの流れ

①こちらのフォームより参加希望日を入力
https://goo.gl/forms/iDvbbi58GFbayQGB2

②案内メールをご確認ください(お申込みいただいてから、1週間以内にお送りいたします)ご送信いただきました参加希望日をもとに日程を調整します。

③案内メールに従い、イベントにご参加ください。

▼トーク内容
例)
・強烈に好かれるファンづくり
・大瀧冬佳流ライティング(言葉での表現)の話
・大瀧冬佳が考える100年先のビジネスの話
・それぞれの使命について
・精神と肉体と魂についての話

▼こんな方に来て欲しい
◻︎文章力をつけたい方
◻︎人を惹きつけることについて興味がある方
◻︎アーティストとして食べていきたい方
◻︎やりたいことがあるのにまだできておらず背中を押して欲しい方
◻︎変わった人が好きな方
◻︎自身が変わっている方
◻︎世界を変えたり世の中をよりよくすることを真剣に考えている方
◻︎熱量の高い人と繋がりたい方
◻︎感動したい方
◻︎魂が震えるような熱い経験をして生きていきたい方
◻︎今、転換期だと感じている方
◻︎自分の方向性を考えたいと思っている方

▼メッセージ

先日ソロ公演を終えたばかりですが、すでに次のステージに向けて精力的に進み続ける大瀧冬佳の過去と未来と現在を2時間半たっぷり惜しみなくシェアします。

三年前の大瀧冬佳は幼い二人の子供をヤクルトで生計を立てながら育てるシングルマザーでした。25才のある日、育児を優先した仕事の仕方が認められず職場を解雇されたのがキッカケで、幼い頃から全精力を賭けてきたダンスの道に再び戻ることを決めました。

そうして立ち上げたダンスカンパニーUzmeの旗揚げ公演は無名のカンパニーながら3日間4ステージの全ステージが満員御礼の立ち見席が出るほどの盛況。そして開演30秒で客席を嗚咽させる踊りを踊った伝説の公演となりました。大瀧冬佳劇場の第1章は旗揚げ公演-Mao-という作品とともに幕を閉じ、今新たに第二章がスタートしています。

先日のソロ公演はその予兆。このタイミングでどうしても今はまだ出逢っていない皆様にお会いし今とこれからの大瀧冬佳をシェアできたらきっと誰かの勇気になるのではないかと思っての緊急復活です!ピンと来た方ぜひご参加ください。

あなたも私も見えている

何が見えているかっていうと、自分のベストチョイスが、です。人生は選択の連続だと思うのですが、自分の未来というのは小さな選択をうん万回とした先に現れるものです。

人生の岐路や転機など、進路を決める大きな分かれ道だけが人生の選択ではないですよね。今日、二度寝をするかしないか、何を食べるか、いつ食べるか、誰と過ごすか、いつ寝るか。そういう些細な選択が、自分の習慣、環境、言葉、性格、キャリアなどに繋がっていくのだと思います。

ここまでは誰でもなんとなく想像のつく話だと思います。私が今日話したいのはこの先の話です。

私もあなたも、自分の未来が見えているって思うんです。本当は。些細なことでも自分のベストチョイスを繰り返した先には今の自分からは考えられない自分になっている未来があります。

私は10年前は閉鎖病棟で一生を終える選択しかありませんでした、現実的には。でも見えていたのはもう一度返り咲いた姿の自分でした。

20年前は虐待を受けていて食べるもの寝る場所、よくありませんでした。不安定な環境にいました。でも私は大人になったらすごく幸せになるし、安心して暮らせるってなぜか思っていました。

私が私のベストチョイスを常にし続けたのなら、遅から早かれいつかはやってくる未来だってなぜか知っていました。それでも人生は不可抗力で想定外なことばかりがおきます。けどそれにその瞬間だけを、短いスパンで見れば自分の人生に大きな波紋を落としているように見えるんですが、長期のスパンで眺めると私の人生、ビクともしていないんですよね。揺らぎようのない自分がそこにいるからです。

トラウマはありますか。なぜあれだけのことがあって、そんなに清々しくスッキリ生きられているんですか。って以前よく聞かれました。その答えを当時はうまく話せなかったんですが、きっとこういうことです。私をトラウマにさせるほどの事件はきっと起きていなかったんです。トラウマになっている暇はなかったんです。

トラウマになっておきたい理由も私にはあまりなかったので、割と早いうちにトラウマって幻想だと気付きました。傷付けられた自分や壊された自分もいなかったんですよ。それはメンタルが鋼のように強いからってことではないです。

私が私のベストチョイスをしている自負があり、それが揺らがなかったので、何人たりとも私を傷付けることはできないって知っていたのです。たとえ壊されても、復活するし、回復できることも知っていました。

そして、です。そういう自分のベストな選択をし続けていると、そのうち、選択肢の方から私に向かって強く自己主張してくるようになってきます。「これを選ばなくてどうするの」「決まってるでしょ!」ばりに主張してきます。

私はその瞬間、その選択肢はあり得ないなって思っちゃうときもあるんです。というか多いです、ほとんど、マジかよって思うような選択肢です。けど、それを選んでその結果が着手する前から見えるような選択していていいのかって思うんです。考え出したらキリがない、予防線を張りたくなるし、保険もかけたくなります。

でもあり得ない未来のビジョンが見えている時って、選択肢の方からもすごい主張がやってきて、大概そういうマジかよなことだったりします。

未来が見えるなんて、嘘でしょ!?って思うあなたも、あなたのベストチョイスをし続けているとそのうち「あぁ、このことか」とわかる日が来ると思います。

[アイキャッチ画像 : photo by bozzo]

▼冬佳シェア会in柏

イベントページhttps://www.facebook.com/events/1057101817787700/

▼その他の冬佳シェア会

お申込みhttps://goo.gl/forms/iF9uWcPLFy92TYRG3

最強にHAPPYな選択

あなたの毎日の生活、最強にHAPPYな選択ができているだろうか。

世界は思い込みでできているのではないかと最近の私は割と本気で思っている。

3年前に通ったかさこ塾第一回目の講義で12の質問が出された。その一つに100億円あったら何をしますか?という質問があって、私は何も答えが出てこなかった。

今は人生最大の買い物は私自身だと思っていて、私が動けばお金がかかる。

今、この瞬間、究極にHAPPYなシチュエーションをいちいち想像する。その最強に!究極に!HAPPYなシチュエーションは、今現在はあり得ないことかもしれない。でもね、想像すらしないというのは実現することもないということ。

人は面白いものでただひたすらにHAPPYなだけでは飽きるんだ。ある程度、苦痛とか、不満とか、困難とか、そういうのがあってはじめてHAPPYをよりHAPPYに認識できたりする。

面白い生き物だよね、でも本当にその苦難、選ぶほど価値あるかな。ダイレクトにHAPPYを感じる勇気はないかな。

私はその苦難、妥協だったことに気づいた。自分の人生この程度という妥協。このくらいのHAPPYがわたしにはお似合い、と決めちゃっていた。

究極のHAPPYを想像するのも訓練が必要だ。ましてや自己肯定感があまり育たない環境で大人になった人はここ、すごい苦手だと思う。

ついつい不憫なシチュエーションに身を置いてしまったり、幸せ慣れしてなくて距離を置いてしまったりする。

まぁまぁいい感じな人生を歩んできた人も、「最強に」とか「究極の」というパワーワードで自分の人生を捉え直してみてはいかがだろうか。

 

いずれにせよ、これは「社会的から見て」ではなくあくまで「自分にとっての」最強にHAPPYなシチュエーションを想像するのだ。