いくつになっても第一線で活躍できると知った喜び

私は自分の体が大好き。

でも20代後半に突入したあたりから、初めて「老い」というものを感じた。そこでややひねくれがちに、第一線ではやっていけないという後ろめたさみたいのを感じてた。

だけど昨日はすごく良いことがあって!!!!

私の体はまだまだ進化するということを教えてもらった。とってもとっても嬉しくて楽しくてワクワクした。

体が繋がると堰き止められていた感情もブワーっと溢れ出すし、天と地をギューーーーンと繋がり、内側の小さな力が何百倍にもなって外に溢れだす。

体の中の歯車がカチンと噛み合った感じがしてこれは生まれて初めての感覚だった。

見た目も全然違うの!!浮腫がとれたとかいうレベルの形の変化ではなく、あったはずの位置にはもう頬骨がそこになくて顔の真ん中にキュッと収まってる。

私、顎が小さくて、フェイスラインはシャキンとは入ってなかった。それが浮腫の問題じゃなくて、顎がたしかに存在しててしっかり輪郭がくっきりとできてる。

骨盤や背骨や肋骨もすごく楽な位置にあって、楽しくて仕方がない。

まだ課題はもちろん残るのだけど、そんなことよりもまだこんなに新しい発見が私の体にいっぱい残ってたことが嬉しかった。

まだ!まだ!!!!進化を続けるぞーーー!!!!

 

再現というよりもお告げ

靈というタイトルに変更した。より直接的なものに。

私のいろいろが割とキャパオーバーなんだ。困ったことに繋がってしまったからこれを表現するしかないわけだけど、今の私じゃ足りない。

まず、この一月で今までやってきた「表現」の概念が変わった。今まで私は23年間も表現をしてきたそれがひっくり返るという大事件。

表現って、(言い方難しいのだけど…)「仮の姿」というか、「創作物」というか、「極めて本物に近い真似事」という所詮娯楽の範疇から抜け出ないものだと私もどこかで思っていた。

(Maoをやったときに、あれ?私では全くないというその兆候はあった)

だから演る側としては動作の類で。BeではなくDo。演る、踊る、歌うという能動的なこととしか思ってなかったのだ。

だけどそれは表現の本質ではなかったんだなと。とても受動的なもの。自らが「しよう」と思ってやるものではなくて、自分は出力する媒体といった感じ。なので、ギリギリでそこに居るっていうのが表現かなと。

自分はパイプで、筒で、繋ぐもの。

 

そういうことがどういう経緯でわかったかというのを書いてみよう。

三番目の子を産んだときから、異様な哀しみがあった。それは私の哀しみではなくて、自然の哀しみだと感じた。もしくは未来の私。そして、未来の私というのは人間の私ではないはずで。個だけど全てでもある。

この潜在的に繋がってる意識はこのまま変わらず、目に見えるものは全体の1%なのにも関わらず、それしか信じられないことに哀しみを覚えて、今世は諦めて背を向けることにした。

けれど、生まれてくる命は尊く、振り返らずとも背を向けたまま待っているその優しさに涙がこぼれた。

今まで感じたことないもので、これって人間の「感情」というものとは全く別物だった。

なんだろう…感情って、脳からの化学物質で作られるものだけども。もっと深いところにあるそれこそ魂、靈を揺さぶって目覚めさせるのやらなきゃいけない、けど、マジか!って私思ってる笑

なので私は今から本番まで私というもののをシャットダウンさせなきゃ、たぶんできない。

過去ではなく未来の話だ。この公演は私なんかどうだってよくて、それよりあなた自身の話。私たち自身の話。啓示なのかな。よく何言ってるかわたしにもわからないから解読しようとするのはやめたのだ。ただそれを表現することに徹します。

人気と信用

ある音楽家が私は好きで、その方の作る音楽は唯一無二で個性きわだつ音楽なのだ。もともと映画館でみたとある映画のオープニングの曲が凄まじくかっこよくて本編よりもその曲が流れるたびに血が沸くような興奮を覚え、曲の方が印象に残った。エンドロールで作曲家をメモって、他の曲も聞くようになった。

彼は相当な変わり者で、ライブなどではMCは手短に「とっとと次の曲にいきます」とか。ファンがキャーッと騒ぐと「うるさい!俺はファンとか嫌いなんだ!」ととんでもないツンデレを発揮する方なのだ。

なんだか、周りを見渡せばファンやお客様に迎合しまくりな人が多い気がするのだ。もちろんファンやお客様あってのことなのは百も承知で、とてもありがたい存在ではある。握手できるアイドルやユーチューバーをはじめとした、「ファンと共に」という形をとる人たちの出現により、これが主流になっているけども、骨太なアーティストが極端に減ってしまったようにも思う。

手なんか届かなくていい、天才、鬼才に私は心が震える。ニコッとなんてファンサービスはいらない。

人気と信用が皆欲しいと思うのだが、ここで一つ考えてみたいのは、歩み寄りや寄り添い、それから与える、用意するという行為だけが人気と信用を作るのではないということ。突き放すとか、壁を作る、逃げる、遠ざけるも人気と信用を作るのだ。これってすごく面白い。恋愛に似ている。

先日「新しいコミュニティの作り方」というイベントに出てきたのだけども、そのイベント云々の話ではなくて…今の時代求められているのが「居場所」「居場所」「居場所」居場所という言葉がたくさん出てきた。居場所がみんなそんなにないと感じるのか。そうした居場所に加わるハードルはめちゃめちゃ低めに設計されている。でも、熱量を高くするにはどうしたらいいかということが多く質問に上がっていたように思う。

私、個人が好きな形としては、ナチュラルに紆余曲折あってそういう存在になっているものの方が好きだし、面白みがある。お膳立てされた居場所や偶像にはさして興味が湧かないけれども、結構な数の方がデザイン(設計)された居場所や偶像を好むのだなと新しい発見だった。

ブランディングというのもこちら側が意図的に見せていくというよりかは大衆が勝手にカテゴライズや取り上げをしていくという方向性が好ましい。私は。

人気とか信用を意識せず、とっとと次の曲にいくようにぶっちぎっていくのもある意味人気と信用を築くのだ。

 

2018年7月7・8日 大瀧冬佳ソロ公演予告

 

HOME

縮こまっていてもいいことない!

日和そうになったとき。特に私は純粋な好きなものに、「お金」と言うものが付いてきてしまったときって、やっぱり自分の「うん!これがいい!!!」って言う選択に無意識で電卓叩いちゃう自分がひょっこり顔を出す。

ダサっ!!!弱っ!!!!

大きな金額を動かしていると、あぁ〜これでこの人のギャラ払えなかったらどうしようとか、あぁ〜借りちゃってるんだよな…レンタル料….って感じで、ここにさらに投資すべし!!!ここやりたい!!!これが絶対にいい!!!!って気持ちを揺るがしてしまうんだよね。

「でも、それでも!!!!これ!!!!!」って選べる自分でいたい。と言うかそこに戻ってくるための、要は修行なんだよね。

そうして、ザラザラしたヤスリで自分をかけて、滑らかにツルッと自分の輝きを放つための道具が私にとってのお金、予算。背水の陣に自分を追い込む。火事場の馬鹿力じゃないけど、「まじでピンチ!!!」って言う状況に追い込まれないと、本当の本当の本当の本気って出てこないのだ。

私は自分の限界を超えたその先を見てみたいので、スリルを自らに課しているのかも知れない。だってそうして本物を魅せたい。

縮こまった自分がちょくちょくまだ顔を出すんだよね。でもこれが本番が近づくにつれ開き直り出し、腹をくくるのだ。やってやろうじゃないかって。

今はまだおどおどビクビクしながらやっているけど、ひとつひとつ着実に完成に向かっていくに従い自我を手放していく。

結局、これって自我があるから、縮こまるのだよね。自我って一番舞台上で見せちゃいけない物。みている方は気持ち悪さしか感じないから。だから、今こうして自分にゲロ吐きそうなエグい試練を課すことは私にとっては「禊」みたいなものだ。舞台って神聖な場所だから。

【公演概要】

DanceCompany Uzme
第二回大瀧冬佳ソロ公演
-nanashi to gus-

演出・振付=大瀧冬佳
出演 大瀧冬佳
———————–
・7/7・8 17:00
開場は開演の30分前から
ギャラリー南製作所(HP: http://2222gmf.blogspot.jp/ )
東京都大田区西糀谷2-22-2
京急空港線糀谷駅から徒歩13分、同大鳥居駅から徒歩12分

*チケット
一般発売は6/1 10:00~ ( https://uzmeticket.thebase.in/ )
【全席自由席】35,000円
◎お問合せ uzme.ticket@gmail.com

FBイベントページ
https://www.facebook.com/events/878219945719960/?ti=icl

企画・主催 ダンスカンパニーUzme

【商品説明】
上記公演のオンラインチケットです。紙のチケットの発送はございません。ご購入時にご登録されましたメールアドレス宛にお客様専用チケット番号を送らせていただきます。

【公演にお越しになる際の注意事項】
・会場にはお手洗いが一つしかございません。最寄駅のお手洗いをご利用になってからお越しいただくことをお勧めします。
・会場内の地面は汚れやすくなっております。お手荷物は少なめでお越しいただくことをお勧めします。
・演出の妨げになりますので、途中入室はなるべくお控えいただくよう時間厳守でお願いいたします。
・上演中の私語や携帯電話など他のお客様のご迷惑になることはお控えいただきますようお願いいたします。
・ご購入前に再度お日にちお間違いないかご確認くださいませ。
・各回20席限定のプレミアチケットとなります。

https://uzmeticket.thebase.in/

自分が自分であるということ

中島みゆきの「宙船」ってめっちゃいい歌詞なの知ってる??

あれに「お前のオールを任せるなー!」って歌詞があるのだけども、これみんな本当、オールを他人に明け渡しすぎだ。私もやってしまう。意識を外じゃなくて自分の真ん中に集めるのはとっても大事なことだ。

他人とか、お金とか、時間とか、いろんなものに自分を明け渡しすぎていて。それらを、皆やむを得ない事情と、何か小さなアクションひとつ起こしもせずにただただ受け入れちゃうんだ。自分の舵を自分以外のものに任せて、なんで自分を蚊帳の外に放り出しちゃっているの!!!って感じ。当然、寂しいとか悲しいとか不満とか不安とかそういう気持ちになるよね。

おかしいよね??人に気を使って譲ったり飲んだはずなのに、なんであなたの心の中は不満でいっぱいなの??さらに譲ってあげた相手には輪かけて文句言われた日にゃ〜どうしたらいいの私!!!みたいに内心ブチギレてたりしないか。

たとえば、オールを渡しちゃいがちなもの…「お金」「親」「子供」「夫」「妻」「時間」「相場」「みんな」たとえば、自分の願望「あいつわがままなんだよね」って影で言われたら嫌。そうして、あなたの本当はこうしたいっていう願望を引っ込める。その時、オールを持っているのは「みんな」なんだよね。あなたじゃなくて。

「小さなアクションひとつ」でいいんだから。自分にちゃんとオールを持たせてあげて、それで「小さなアクションひとつ」やるかやらないかで全然違うのだ、意識が。自分が全く中心にいない空っぽの自分になってしまう。

その願望が叶うかどうかなんてことは、ただの物質という視点で見たときの現象でしかないんだ。大事なのは目に見えないもので、私はそのとき自分のエネルギーを引っ込めてしまったその自分を深刻に思ってしまう。現象はいずれ起こるのだから、期待せずに忘れておけばいいのだ。それよりも敏感になるべきは、自分の意識。どっちを向いているか、誰が(もしくは何が)あなたのオールを持っているのか。

いろんなもので自分って満たすことができると思うが、一番満ちるのは、自分が自分に還れたときなのだ。自分にオールを手渡せたとき。

 

私はピンとチケット代3,500円じゃなくて、35,000円がいいと降ってきた。人間の言葉言うと、「思った」なんだけど、そのときは本当に空から降ってきた、もしくは地中からムクムク湧いてきた。オールを「みんな」や「いつもお世話になっているあの人」に渡していた私は「え、それ、高すぎない??そんな価値あるの??」「調子に乗りすぎじゃない?」って話になり、え、じゃあ、5,000円くらいにしようかな?これならギリギリきてくれるかな….ってぶれぶれになるのだ。

え、違うよね。これ誰のなんのためにどうして公演なんてやっているの??なんで大瀧冬佳がやっているの??「相場」にオールを持たせていていいの??私がこれだけの価値感じてくれる人にだけ見て欲しい。金額の高い安いで金の亡者的な話じゃ全然ないのだ。

え、それ!?って言うところを攻めていける自分でいたいのだ。予想を上回る大瀧冬佳が私は好きだから、35,000円ってめちゃめちゃワクワクするし楽しいのだ。私、外食一回分の価値でなく、1泊二日の旅行分の価値を提供する舞台を作っているし。

あ、そんなことはどうでもいいの。(↑これは人間らしいいい子ちゃんぶった回答をしたときの答え)ここまで書いておいてなんだけども、自分の気持ちの揺らめき。どれだけ心が振動しているかが大事。それから耳を澄ませば、波ひとつ立たない静けさ、ですよねそうですよねの範疇から脱した、ざわめきが周囲から聞こえる。今はまだザワザワしている、「え?どう言うこと?!」「それでこれからどうなるんだろう」って。

これがね、私が自分の振動数をもっともっと自分の内側に入り込んでいって集中したとき現象が後から遅れて現れる。そのとき石ひとつ投げられてゆらゆら騒めいていた周りのみんなは、私に振動数を合わせだし、共振や共鳴が起こる。次第にその共振が共振を呼び、大きな大きな波紋が生まれるのだ。それが舞台だよ!!!だから人生が変わる舞台なのだ。ステージが変わるの。造波プールに入って揺れないでいるなんて無理でしょ??

なので、まずは他人にもお金にも時間にも自分のオールを渡すことなく、自分に繋がっていられるようにしたらいい。

2018年7月7・8日 大瀧冬佳ソロ公演予告

アメノウズメにまつわる不思議な話①

私はダンスカンパニーUzme(ウズメ)というカンパニーを立ち上げた。

このウズメと言うのは、日本神話に出てくる天鈿女(アメノウズメ)さまに由来する。が、先に「ウズメ」と言う音が気に入って濁音が入っているチーム名は続くし人気になりやすいと聞いたことがあった気がしたから、「ウズメ」が良いかなと急に思いついたものだった。(※濁音の入っているグループ:B’z、Mr.Childrenなど)

なるべく何かに被っていない方がいいと思って、ネットで検索したのだ。そしたら、なんと舞の神様の名前だったなんて!!!とかなりびっくりしたのを覚えている。

私がなぜダンスカンパニーを作ろうと思ったかって、人の心や魂、体を開放させようと思ったからだ。閉鎖病棟に隔離された時、何気にそこがとっても居心地がよく(生活環境としてはプライバシーが全くない刑務所のようなところだと思ってくれれば良い)外の世界に戻らなくていいかなと半ば思っていたのだけども、ある日浅田真央ちゃんのフィギュアをテレビで見て、あぁ私外に出て踊らなきゃ!そして、人の閉ざされた扉を開けなきゃ!と思って、そして外に出てこれたのだ。

岩戸開き伝説は私の話だと思った。では、カンパニー名はUzmeで決定だなと、そんな感じで決まった。

そしてね、旗揚げ公演の作品イメージを団員やデザイナーさんに共有するため、言語だけでは限界があったから私は絵を描いたのだ。

家にあったクレヨンで描いたもの。真ん中に渦巻いているのが、天鈿女様のイメージ。

そして、その公演の宣伝で出させてもらったラジオ収録の合間の休憩にたまたまそのラジオパーソナリティの方が寄りたいところがあると銀座に連れていかれた。

連れていかれたのは、陶彩画と言う絵を描く画家さんの展覧会だった。

私は実は子供の頃から自分の中に龍がいた。辛い時や一人で頑張らなきゃいけない時、寂しい時、苦しい時、この龍が私にいつも力をくれたのだった。初めて言語化してみようと思う…それはどんなイメージかと言うと。

私はひどく辛い時、自分の中に閉じこもってグッと耐えることがよくあった。二つの目の奥から入っていって、自分のことを内側に向かって別の目を持って体の中を見る感じ。目で見るのではなくて、心と言うよりも意識の目で見る感じ。すると、外の世界と自分は切り離すことができたし、また外に意識が飛んでいってしまうこともないので安心だった。そうして嵐が過ぎるまでずっと耐えるのだ。

今思えば、時間は自在に歪めることができていた。早く過ぎ去ってほしいあの辛い時間は中で耐えることで一瞬で終わる。どころか、1週間くらいたってしまっていることもあった。

で、そんな風に自分の内側に入っていくと、背骨をゴッーーーーーーーと渦を巻いて立ち上る金色の光がよく見えたのだ。この光は私の生きる力で、命ともまた違うものだろうと思っていた。二十歳を超えてから、その光を見にいくほど切羽詰まる事もなくなっていたのですっかり忘れていた。

それをつい最近、知り合いのバラの魔術師が龍の覚醒とか言うワークをやっていると聞いたので、早速お願いしたのだ。「私には思えば龍がいた気がする。でも眠っちゃったのかもしれない。それか動きたがっているような気もする」とお願いした。で、そのワークが始まるとすぐに目をつぶっているにも関わらず眩しくて目が潰れそうになったのだ。

目の前(といっても、私の内側の中で)を窓ガラス3枚分くらいの大きさの板見たいのが通り抜けていって、何か最初はわからなかったのだけども。しばらくしてそれは一枚の鱗だとわかった。ものすごくバカでかい龍が私の目の前にいた。あまりにでかくてすごく怖かったけど、とっても綺麗だった。白い、と言うより、オーロラみたいに見る角度によって色の変わる白みたいな色をしていた。

話は戻るが、その龍が、個展の一番目立つところに描かれていた。

http://kusaba-kazuhisa.com/gallery/213/

(↑この絵です)

うぉ〜!!!そんな事もあるんだな〜!偶然〜!なんて程度に思っていたのだけど、その展示を見れば見るほど、私が知っているものばかりで「何だろう、この人、私と同じ頭しているのかな」と気持ち悪く思った。

龍の他に、神様の絵も描かれているらしく、アメノウズメももしかしたらあるかな〜?と聞いてみたら、展示はされていなかったのだけど、裏から原画を出してくださったのだ。

こちら。って!!!おいおい!!!待て待て!!!!どえらい驚いた。って、これ、私描いたのと同じじゃんって。

そんな偶然あるかと。この画家さんは草場一壽さんと言うお名前で、私はこの時初めて存じたのですが、とても有名な画家さんだそうだ。

 

そんなこんなで、(どんなこんなだ)こんな感じのコインのようなものを現在作り始めた。なんか欲しいなと思って。

(デザイン: 坂巻裕一

ソロ公演ではリアルとバーチャルが溶けていくと言う、やはりまた現実離れしたファンタジーチックなストーリーだが、そこでの葛藤は原始の頃から我々は変わらないと言う話だ。命題はずっと変わらない。それに呆れる神様。そんな話。

 

明日からチケットが発売開始です。観に来ていただきたいです!ぜひ。

場を紡ぐ、一つ一つを大切にすることで最高の場が作れる

場は会場借りて「はいOK!」ではなく、紡ぐ感覚に近い。その場所を貸してくださるオーナーさんに応援していただけるような人間関係を築くことも場所を紡ぐ一貫だと思っている。

その舞台に携わる全ての人の気持ちが場に乗るのだ。だからみんなに気持ちよく関わってほしい。また次も一緒にやりたいと思ってくれるような仕事を私もしたい。

「最適」をいつだって選べるような自分でいたい。そこに損得勘定や打算が働かないようにしたい。それはほんの些細なこと一つ一つの選択から成り立つものなので、自分の基準を確かにもつ精神力が必要。

例えば、機材一つ、舞台美術の紙質一つ、ステージの高さも、床材も、衣装の生地も、全部お金で価値を測るのではなくてそれがこの作品にとってベスト(最適)なのか??っていうだけで選ぶこと。

自分の中で世界観を確かに、一貫させてしっかり持って、それを幕が閉じるその時までずっと筋を通しておかないといくらノーミスで踊れたとしてもそれでは人に感動を与えることはできないし、私の満足も得られない。

本当に細部のところが肝心。そして見えるとこだけ見栄張っても自分だけには嘘はつけないのでね、その腐った性根はここぞの時に自分を苦しめるんだ。舞台の上で信じられるのは、妥協しなかった自分の心だ。

どこまでこだわり、どれだけの想いを込めてきたかは、緊張した自分を支えてくれる。大丈夫だ、お前ならできると背中を押してくれるのはそうした自分なのだ。

いつも自分の本物を選べるように、メンタルもフィジカルもマインドも整えておくのが場を紡ぐということ。

 

チケット発売まであと3日!!!

ダンスカンパニーUzme第二回大瀧冬佳ソロ公演「ナナシとガス」

2018年7月7日・8日 開演は両日ともに17:00~

場所は蒲田のギャラリー南製作所です。

 

お越しいただけること、心よりお待ちしております。

チケットのご購入は6/1 10:00から大瀧冬佳公式HP・大瀧冬佳FB・大瀧冬佳ツイッターにておしらせします。

 

本当はあなたも知っている靈の話

頭というか、脳の奥の方に突然形として思い浮かんだ「靈」という文字。ごちゃっとしていてよくわからないので拡大して…

読み方もわからなくて、こんな漢字見たことないのに、なぜこれが強く浮き上がってくるんだろうと思いながらいたらその直後に現れた!魂と書きたかったけど、私の魂はこの魂じゃないんだよね、いたよ!この字、どうやら「たましい」と読むらしい。

3つの「口」は入り口をさす。

・肉体

・心

・魂

これを開いてあげたら、びっくりするくらいにいろんな情報が開示されてきて思い返せば今日までにたくさんのヒントがあった。でも昨日までの私にはそれを見て見ぬ振りをしてきたので、「わからない」「知らない」むしろ嫌い!!と遠ざけてきた。

幽霊の霊と靈は違うものを指している。霊の方は下等な残っちゃった魂たちで、靈の方はそいつらも含めた全部の魂。自然もそうだし、地球外の魂もそう。本当は日本人は世界の中でもそれらと交信できる種族だったにも関わらず、それを恐れた外国の人たちは靈という字や巫女の力を封印して「大量生産大量消費時代」に日本人を汚染させ、中毒症状を起こさせた。

それによって、世界のバランスは崩れちゃったんだよね。地震が起きるのはそうしたエネルギーバランスの歪みによるもの。大自然の声や、宇宙のメッセージが聞こえても人間の言葉に訳せないからこれが何かわかってなかったけど、翻訳作業をしてみたらめっちゃ私に訴えかけてた笑

日本語から発せられる音は素晴らしいのね。私は東洋人に生まれてよかった、日本人でよかった。ルーツは完全に日本人。日出づる国と言った聖徳太子もまた、未来か地球外かはわからないけどその時代の地球に派遣されてきた靈なんだろうなぁ。

時間と空間とかっていう軸の中でしか私たち人間は認識できないすごい古い型のコンピュータなんだよね。もっとたくさんの軸、つまり次元でできているのに、わからないんだよね。

映画シックスセンスで、同じ空間に幽霊も一緒に存在しているじゃないですか。幽霊はおどろおどろしい目に見えない怖いものって人間は思うけれども、そんなこと思っているのは人間だけだ。性能が低すぎるから他の次元の存在を認識できない、目で見たもの、手で触れる物質しか認識できない。けれど!日本人は元来持っていた能力があって、自然の信仰だったり、性能がいくらかいいコンピュータを搭載しているはずなんだけどね、電波障害みたいな、もしくはどんどんアンインストールさせられてる。

だから、「舞」「踊る」「つくる」とかとか手仕事をする人とか、職人とか、空間を操る舞踊家は現代の巫女なんだ。マツリゴトである。それをそうだと思い出すにはなんかの衝撃がないとボーッとしたまま人間ぶって生涯を終えてしまう。

これはなんていう存在なのか、それだけが私にもわからないんだけど、何かを言ってくる存在…もう一人の未来の自分なのか、神様なのか、自然なのか、宇宙なのか、ご先祖様なのか、なんかそれは誰かわからなくてむしろ全部同じ一つのものなのかもしれなくてよくわからないのだけども、それらの声を聞いて人間の言葉に変える作業に到るまでにはいくつか条件じゃないなー、それができるタイミングがやってきた人の特徴がある。

・実は情熱、欲、願望、執着がこの世に何もない

・偶然といえば偶然だけど変な話を立て続けによく聞く、直接言われる

・漠然と死んでもいいかなと思う、何のために生まれてきたかがあるはずなのに、人間的な目標や成功にはピンとこない

そして、一番は

・物質世界じゃないところで人や物を操れるようになる

こんな状態になっていたら、なんかもうそうだと思うのだ。人間性的な成長ではなくて、もう靈的な成長を欲しているし、それができないなら肉体を持ってこの星にとどまっているのはアホくさい。次の場への靈の旅に旅立つときが近い、肉体を離れて「死」を迎えることが今まではとっても怖かったけど、また再会できる靈もあるのを知っているから大丈夫なのだ。どこでまた会えるかわからないけどきっと思い出せる。

転生すれば姿形は全然変わるけど、変わらないものが3つあって、そう言えば母は亡くなる前日それを私に言って死んでいったので、またきっとどこかで会ってもお互い思い出せるはずだ。その3つはね、「瞳の奥の光」「手の光」「声の音の波」これは変わらない。なんども臨死体験の話を母からも祖父からも聞いていたなって思い出した。

 

重要なものに対して無関心でいられる人間を量産するシステムの中で育っている

AIに仕事が取られるよりよっぽど危機である

仕事はさっさとAIに取って代わられる時代が訪れたらいい。なぜなら無駄に人生の時間を費やしているのにそれに全く危機を感じていない方が仕事を取られるよりも危機だからだ。考えると世の中や人の役にたっていない。労働力としての仕事は正直あなたじゃなくてもいい仕事だ。そんなことないだろ!と憤らず聞いてほしい。労働力なんていうただの「数」としての仕事ならどんどん人間じゃないものに代替された方が良い。

それだとご飯が食べられなくなるという人も多いが、そのシステムが変わればいいのだと私は言っている。大して役にもたっていない、生き甲斐も感じない、ご飯を食べるお金を稼ぐためだけの仕事に就いていること…すぐには変えられないかもしれないけれど、これを危機だと感じる感覚を持っていないのは困った事態だ。

そういうものなのだ、仕方ないという思考停止がやばい。

変えられるものを変えようとすること、変えられないものを変えようとしないこと

変えられるものと変えられないもの、これを正しく見極める賢さを持ちたい。無駄を生まないためだ。幸福の追求ってそういうロジカルなことだ。

やりたくないことをし続ける、楽しくないことをし続ける…変えられるのか変えられないのかを検討することすらせずに、これは仕方のないことだと考えようともしないのが良くない。

変えられることを変えようとするというのは、難しいことじゃない。変えられないことを変えようとしないことも難しいことじゃない。難しいのはそれが変えられることなのか、変えられないことなのかを見定めることだ。経験や知識が判断材料だと勘違いしている人は多いが、正確には大局観と知恵が見定める時に必要な能力だ。蓄積されただけの知識は使っていないと腐るし、積んだだけの経験も留まっていれば実は行動を邪魔しているものになっていたりする。

例えば5歳の子供に「将来は野球選手になりたい、僕もなれますか?」とプロ野球選手に質問したら「野球を好きになってずっと続けていけばなれるよ」というようなことを答えるだろう。ではこれが中学三年生高校受験を目前にした子供に聞かれたらどうだろう?無理だ勉強しろと答えるのか、そんなに甘い世界じゃないけどやれるだけやってみろと答えるのか。プロ野球選手になれるのかなれないのかっていう見定めは非常に難しい。

その見定めさえもAIができるようになったとしたら?

膨大な情報をパターン処理して、「プロ野球選手になれる確率は何%」「今から〇〇をしたら○%確率が上がる」なんていうことが可能になる未来もそう遠くはないとしたら?将来に悩むこともなくなるし、結婚相手に悩むことも、何もなくなった先に私たちは何をして人生を埋めるのだろう。

私はそんなことを一人で悶々と考えた結果、ある程度の抑圧や不都合も人生のスパイスとしてあった方がいいと思う人も一定数いそうだなと思った。悩みがなくなったら何をしていいか迷ってしまう人も多いのではないか。もう考えれば考えるほど、無駄や悩みや我慢って性癖みたいなものだってことに行き着く。

あらゆる障害から解き放たれたときに、「さぁ飛んでいけ〜!」って鳥籠があいても飛び方を忘れてしまって鳥籠に居残ったまま。そんな風に「重要なものに対して無関心でい続けること」に慣れてしまった人は自由や富もまた両手いっぱいに受け取れることができなくなっちゃうのだ。
AIも仮想通貨もVRももうそういう「鳥籠なんてないよ」を象徴するものだと思うのだ。

私たちのやる気スイッチはどこにあるんだろう

こういう話をすると本当にやりたいことがあることがいい!みたいな話の方向になってしまいがちだが、私は新たに「フェチに生きる」ってどうかなと提案したい。っていうか、やりたいことがめっちゃあるように見える人たちも2パターンいて、

・誰かや世の中に勝ちたいパターン

・変態パターン

だ。誰かや世の中に勝ちたいパターンはそのままだけども自分以外の別の対象よりも勝つことがモチベーションの人たち。勝つ何かは、資産かもしれないし、美貌とか、幸せそうに見えるとかそういうの。対して、変態パターンというのは自分だけの強いこだわりの元、遂行する人たち。色々超便利になって、鳥籠があいた時代が来ても来なくてもフェチに生きるのがいいんじゃないかって。

「なんか!たまらなくいい!!」みたいな指針だけで生きていく、そこに枠を設けずにどんどん自分を解き放っていく思考に変えていこうと思う。