私は世界を変えない

今まで私はどこかの誰かのために活動していると話していたけど。それってあくまで回り回っての結果。

そこを目的にしているような物言いは、みなさんに大ウソをついていたなと。体裁を保つためのきれいごとだったと思うのだ。(人間らしくてそんな私も好き!)

どうしたって結果、誰かのためになるのだ。それにそれどうでもいい。本当の本当の本当にそう思ってるかと問えば、「どうでもよい」だと思う。でもその「どうでもよい」になったら問題って解決してるんだ。

なので本当、苦節5秒でよい。

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生きている意味がなくなるほど今日を生きるということ

ソロ公演のあの靈という作品ができたり、なんだか急に覚醒して何かと繋がった月間だった、ここ最近の私。

あれは、今考えてみると、生きている意味がなくなるほどに今日を生き抜いてしまったからなのだ。「生きている意味がなくなる=死にたい」ではない。死にたいというのはつくづく「生きたい」なんだなとよくわかった。死にたいとは全く頭をよぎらなかったけれども、どうにも常に地上から3㎜浮いている感覚。

人間が人間らしくあれる理由が私にはなくなってしまった。

人に認められたいだとか、夢を叶えたいだとか、あの人を助けたいだとか。そういうものを心から思えなくなってしまって、やり尽くした感しかなかった。あるのは無だった。

愛する人との間に赤ちゃんが生まれ、日常は今までで一番幸せだ。決して、死にたいとは思っていないのだけど、感情というものを感じる場所が変わってしまい、五感も別のところにあるような嬉しいは嬉しいし、怒りも怒りとして感じるんだけども、もうそれを体感する時期は過ぎてしまって潮時感がすごかった。

一人に一個魂があるわけじゃないってことに気付いてしまったからなのかもしれない。私はなぜ私なのか、思い出してしまったからなのかもしれない。

 

そんな混沌としたところにいた私だけども、これはただただ虚しく哀しい話ではなくて。この混沌を通り過ぎた私は、前より確実に一段高い位置から世界を見渡している感覚になった。色々なものに振り回されなくなったという言葉は近い。

そして、一つ今、思うのは、みんな壮大な暇つぶしをしているのだと思う。毎日ご飯を三食食べるのをやめてみると、本当にやることなくなる。生きている意味がなくなるのが実は正解で。それがなくなると人は生きる糧を失い、どこを目指してい生きていけば良いのか路頭に迷うと不安になるのかもしれない。でも、それくらいアクセル踏んで、今日を生ききったら、あなたがこの地球に生まれてきて本当にみるべきだった景色が見られるのだ。

生きている意味がなくなるほどに、全開で行くべきなんだなと。

この辺でいいかなと、アクセルを、あなた緩めているでしょう?

今。今日。昨日も。そしてきっと明日も、来年も。目標に向かうとか、夢を追いかけるとかそういうひっくい次元の話じゃない。夢とか目標なんてどうでもいいのだ。そんなの他人が介在するもので、あなたのものじゃない。

あなたはあなたを最上級に信じて、そしてそこに突っ込んで行くのだ。誰とか関係なくて。

私は27年間、歯を食いしばって、負けてなるものかと、必ず社会に復帰してやると、生命力や反骨精神ガンガンで生きてきた。今、それ、すっかりなくなっちゃった。幸せになるんだとか願いを叶えるとかそういうの全部叶えてしまった。もう満たされ尽くしたら、私の存在理由はなくなり止まってしまうのではないかと実は怖かったけど。そこからが魂の本当の始まりだった。

私が言いたいのは、あなた、まだ進める。何を中途半端なところで、まぁまぁいい感じのところでおさまってるの。やっぱりそれは幸せの先をみるのが怖いんだよ。でもそこを超えてからが人生は面白い。

私は「生きる」を超えたのだと思う。

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▼冬佳シェア会in日本橋

7/25 (水)11:30~14:00

7/30(月)11:30~14:00

8/2 (木)11:30~14:00 残席1名

▼冬佳シェア会in柏

8/10 (金)10:00~12:00 残席9名

こちらは半グループセミナー形式で行います。

参加費は0円からの投げ銭制です。

 

お申込みはこちら→https://www.facebook.com/profile.php?id=100004164461261

大瀧冬佳メッセンジャーに「シェア会参加希望」とお送りください。

 

今、目の前にいない人は恐竜と同じ

恐竜って絶滅したと言われてますよね。でもそれは違う。今もどこかにいる。きっと変わらず違う他の地球で生きている。

そんなわけあるかーい!!!って思ったかと思うのですが、でもそれはあなたが観測していないだけの話かもしれないじゃないですか。「真実」って一体どこまで自分の目で同時に観測できるのだろうって思うのです。

 

 

恐竜は一旦置いておいて。

あなたがやりたいことをやれない一番の理由の「あの人の目」ってありますか?いつも引っかかってしまう「あいつ」でもいいですし、どうしても解せないあの人でもいいです。

自分が会っていないだけでどこかで生きているって思うじゃないですか。

違うんです、いないのです。

もしくは恐竜と同じなのです。

 

奇妙な話だと感じると思うんですけど、私は割と本気でこの仮説はありだなと思っています。嫌という程その辺を体感させられてきていて、いい加減「体感至上主義」も卒業したら如何なものかと言われている気さえします。

本当に、「体感しなくても知っている」「体感しなくてもわかっている」

もう知らないふりも、そろそろめんどくさくない?飽きたんじゃない??いい加減自分のこと信じて元に戻ってきてよと言われています。

 

突拍子もない信じられない話を書きましたが、あなたもあながち100%ありえないとは切って捨てられない自分に不思議な感覚を覚えていませんか。

好きな人、憧れな人、尊敬する人の他に同じくらいの熱量で、許せない人、嫌いな人、苦手な人、イラつく人いますよね。それらの人々はあなたの周波数に共鳴して、あなたがその人たちを観測するから存在している。

と、したら??

「好き」とか「嫌い」というのは人間の感情であって、「周波数」とか「エネルギー」という意味では好きも嫌いもないし、上も下もないです。振っている幅で物事は成り立つとした私の仮説では、ベクトルは違えど、同じものです。

なので、もうあの人は私の人生には登場しなくていいとした人物はその世界には現れなくなるのではないかなと思うわけです。

そして、実際にそうなんですよ!!!信じるも信じないも、あなた次第ですけど。

 

面白いなぁ。

【参加者申込み受付中】

冬佳シェア会in日本橋

7/25 11:30~14:00 残席1

7/30 11:30~14:00 残席1

8/2 11:30~14:00 残席2

冬佳シェア会in柏

8/10 10:15~12:45 残席8

 

ダイヤモンドと魂

(出典:冬佳シェア会資料)

冬佳シェア会ではこれをカンペにしてお話させていただこうと思っている。

ざっくり話すと、もう目先とか小手先のことでごちゃごちゃやっていないで、さっさと魂にそったことした方がいい。

上の図は素人ながらパワポで私が作ってみたのだけども、大概の人は、頭で行動したり話したりする。「ワクワク」というワードが流行ったのは、おそらく、頭から一個深めた心で行動することを慣らすため、思い出すためなのではないかと。だから、もともと魂にそっていきている人にとっては「ワクワク」ってめっちゃ違和感だったわけ。

心、感情というものは脳や腸で生成される化学物質(ホルモン)から生まれるものなので、それは人間特有というか、私的にはそこまであんまりあてにしていない。「心変わり」「心うつり」とはいうけれども「魂がわり」「魂うつり」とは言わない。

心は移ろいやすいもので、食べているものや、気温や湿度、音、色などいろんな演出をかければ簡単にコントロールできてしまうものなのだ。

心を揺さぶることは簡単。人間の弱みにつけ込む、欲望を掻き立てる、不安を煽る。小手先のマーケティングが薄いのは、この辺をやって売れればいいという拝金主義を起点にしていることだからだと思うのだ。でももっと楽しく深い本当のマーケティングというのは人に寄り添う。つまり、心ではなく魂に寄り添うもの。

心を動かすのは簡単。一番手っ取り早いのは、お金。お金で人の心は買えてしまう。中身のない「これをしたらお金が湧き出る泉のような方法を教えますよ」という商売はそれをもっとも効率よく利用した商売なのだと思う。

しかし、魂を揺さぶるには魂で仕事をしていないと揺さぶれないのだ。

地球で一番硬いダイヤモンドはダイヤモンドで磨くように、魂は魂でしか揺さぶれない。

だから、セールスライティングをどこかで習ったの?と私はよく聞かれるけれども、習ったし、結構勉強したけど、全然活用していない。ガン無視だ。なぜってそれをしたら多分短期的に見ればすぐに結果を得られる(つまりお客さんがすぐに集まり、儲けられるということ)だろうけれども、それは100年先に私の名が残るような活動とは思えない。何を生み出すか簡単に言えてしまう行動はしたくない。

スピチュアルな話はこの辺にとてもよく繋がってくる。なんせ、魂はスピリットっていうじゃない。ガチコンとむしろ何よりも私の哲学にフィットしてしまって、全てが繋がったのでそんな話をシェア会ではしようと思っている。

でも、だからと言って、特別なことはあまり起きていない。達観したり、悟りを開いたり、パッカーンと何かが降りてきたりして、この世の人じゃなくなっていくわけでは全然ないのだ。結構、そういう風に思われているみたいなんだけども、そんなん起きていたら脳みそファンタジーすぎてあっぱれである。

そんなことよりもずっと大事なのは、これ。

(出典:冬佳シェア会資料)

自分を誰がコントロールしているかってこと。

これを訓練するにはこのイメージがかなりいい。自分の中にコントロールセンターがあって、そこに操縦席があるとする。その席に誰がもしくは何が座っているかということ。

自分のことなのに、母親や兄弟、子供、夫が自分の操縦席に座って乗っ取られてる場合がある。自分は操縦席からはじき出されて蚊帳の外。そりゃ悲しいし、さみしいし、虚しいし、やるせないし、ひねくれて、いじけてしまうよね。「どうせ、私は」って。でも、あなたが自分を座らせないで、勝手に子供を座らせてるんだよ。

人の場合もあれば、常識や世間体が鎮座してることも多い。なんか、あなた本当に結婚したいと思っているの?とか。お金や時間を座らせちゃってることもある。

で、これは私も長年やっていたのだけども、何もいかにもなことばかりが鎮座してるだけではなくて、「夢」や「やりたいこと」「目標」に自分がかい殺されていることもあるのだ。最初は純粋に自分が見ていた夢も、いつの間にか「夢」に占領されていて、辛い。とにかく果たさなければならないという、「根性」「努力」「忍耐」の世界に思考停止で没入するしかいられない状況になっていたり。

「やりたいこと」があること、よりも自分だ。

それで冬佳シェア会を一旦休止させていたのには理由があって、ここの操縦席になぜか「大瀧冬佳」を座らせてしまう人がちらほら出てきてしまったのだ。不本意な事態で、でもそれって私にも原因があると思ったので、一旦休止した。今、その原因もわかったし、根本的に私が私の中を変えたので、そういう現実も現れなくなったので、緊急復活を決めた。

まぁそんなわけで、冬佳シェア会、どんだけ席少ないのかって感じですが、気になる方はどうぞお早めにお申込みください。投げ銭制で極端な話、無料から参加できるので。

冬佳シェア会詳細

【日本橋】
・7/25(月)11:30〜14:00 残席2
・7/30(水)11:30〜14:00 残席2
・8/2 (木)11:30〜14:00 残席1
https://www.facebook.com/events/287066685371123/?ti=icl

【千葉 柏】
・8/10(金)10:15〜12:45 残席7
https://www.facebook.com/events/1057101817787700/?ti=icl

【アイキャッチ画像:photo by bozzo】

最強にHAPPYな選択

あなたの毎日の生活、最強にHAPPYな選択ができているだろうか。

世界は思い込みでできているのではないかと最近の私は割と本気で思っている。

3年前に通ったかさこ塾第一回目の講義で12の質問が出された。その一つに100億円あったら何をしますか?という質問があって、私は何も答えが出てこなかった。

今は人生最大の買い物は私自身だと思っていて、私が動けばお金がかかる。

今、この瞬間、究極にHAPPYなシチュエーションをいちいち想像する。その最強に!究極に!HAPPYなシチュエーションは、今現在はあり得ないことかもしれない。でもね、想像すらしないというのは実現することもないということ。

人は面白いものでただひたすらにHAPPYなだけでは飽きるんだ。ある程度、苦痛とか、不満とか、困難とか、そういうのがあってはじめてHAPPYをよりHAPPYに認識できたりする。

面白い生き物だよね、でも本当にその苦難、選ぶほど価値あるかな。ダイレクトにHAPPYを感じる勇気はないかな。

私はその苦難、妥協だったことに気づいた。自分の人生この程度という妥協。このくらいのHAPPYがわたしにはお似合い、と決めちゃっていた。

究極のHAPPYを想像するのも訓練が必要だ。ましてや自己肯定感があまり育たない環境で大人になった人はここ、すごい苦手だと思う。

ついつい不憫なシチュエーションに身を置いてしまったり、幸せ慣れしてなくて距離を置いてしまったりする。

まぁまぁいい感じな人生を歩んできた人も、「最強に」とか「究極の」というパワーワードで自分の人生を捉え直してみてはいかがだろうか。

 

いずれにせよ、これは「社会的から見て」ではなくあくまで「自分にとっての」最強にHAPPYなシチュエーションを想像するのだ。

老いた心に向かってませんか

 

ずっと前から知っていた人に会って、その人に「老い」を感じた時。私はものすごく焦りを感じた。言いようのない感情が胸に残って今もボーッと考えてしまう。人は老いるんだなと、時間は本当に限られていることを強く感じた。

「子供の手が離れたら世界中を二人で旅しよう」そんな願いは叶わない。今、やらないとダメなんだ。思ったよりも人生は短い。私もいつか老いるのだろうか。興味や関心、意欲がどんどん失せていくのだろうか。別に…どうせ…こんなもんと、何事も新鮮に感じられず、物事をつまらない方向から見ることしかできなくなってしまうのだろうか。

目標を持たずにできる範囲でゆったり落ち着いた平凡な生活を送ることも人それぞれの価値観だからいいのではないかと思っていたが、私たちはどうしたって50歳くらいで体力も気力も衰えてしまうのだったら、そのころに落ち着いた生活は否応無しにやってくるのだから、今は思うよりもっとアグレッシブに生活した方がいい。守りに入るのは早すぎる。世の中悟った風に斜に構えて生きるよりももっと果敢に挑んどかないと、今から守った30代の20年後、背中に苔が生えちゃうんじゃないだろうか。

心が錆びてしまうと結構大変。肉体的な老いはともかく、新鮮な風が吹かなくなった心を持った人の顔は一段と老け込んで見える。

童心を持ち続けるのは難しいかもしれないけれども、何にも感動できなくなっちゃうなんて、寂しい。今すでに感動することがなくなっちゃっている人は意識的に感小津できるものを見に出かけた方がいいよ。長いこと生きていると、ちょっとやそっとじゃ感動しなくなってしまう。もう知っちゃっているから。見たことあるから。経験してきてしまったから。

「初めて」なことはほとんどなくなってしまったなら、「初めて」を探そう。そしてやろう。行ってみよう、見てみよう、感じてみよう。狭い世界で、知った気になっているよりも、知らない世界に飛び込んで見たらいい。あなたが知っている世界なんて狭いものでしょう。あなたが知っている人なんて世界中見渡せばほんの僅かでしょう。自分の世界をつまらなくしているのは自分自身。面白い人には会いに行ったらいい。行きたいなとちょっとでも思ったことはちゃんと意識的に行動にうつしてみる。

思っているだけじゃ、あっという間に老けてしまうよ。感動をそんな人たちに届けて行きたいと思うし、自分自身ももっともっとアクセル踏み込んで行こうと思い直しました。30目前にして、満足しちゃうのか、ここからさらに20代の自分を超えるくらいにアクセル踏めるかの差はこの先に待つ50の自分に反映される。

かさこさんに自分の本音をひきだしてもらった

 

かさこ塾に入って私は変わった。かさこ塾は単にブログ術やセルフブランディングのノウハウを教えるだけの塾ではない。

かさこ塾の4回の講義中に出される宿題を元にかさこさんから個別にアドバイスをいただく。

 

私は自分が何者なのか、何をしたいのかってことがかさこさんのアドバイスにより自分の本音に気付かされた。

 

以下はリアルにかさこ塾に通ってるときにかさこさんとやりとりした私からのメール原文。自分のプロフィールを書く宿題だったかと思うのだけど、それを書いて一回目提出したら端的に言うと「サラッとしていて情熱が伝わらない」的な指摘をかさこさんから受けて書き直したときのメール。

書き直してみました!

 

私はこれ以上苦しみに溺れている人を見ていたくないのかもしれません。
こっち側に来てほしい。
環境じゃなくて自分の視点が変われば世界は変わる、その方法はダンスなんだ!と訴えたいのかもしれないと思いました。

でも、なんだかそんな強すぎるというか私の底を脈々と流れるこの想いをたったの一言で表現できないし、
抱えている側だったときは重すぎて、人になんかこの荷物を背負った自分を託せなかった。。
だから「癒し」や「セラピー」なんて言葉を容易に使いたくないのかもしれません。

相手がセラピストやカウンセラーじゃなかったから入っていけたんですよね。

本当に抱えている人間は安易に助けを求められない。

本当は児童養護施設に入っている子供たちにカンパニーにはいって欲しいです。
お金にならないけれど、すごく途方もなく大変だということしか目に見えないけれどでも本当はそれをしたいです。
親というバックボーンがない人生は児童養護施設を退所した後の人生は想像もできない程酷く険しいです。
そういう子を雇用できるくらいにお金持ちになりたいって思ってました、よーく考えたら笑

自分の子もまだまだで…まず、自分の子と自分の面倒見れてからの話だと思って胸に封じ込めていたけど
本当はそう思っているんです。大それたことを思っていて言っちゃいけない気がしてます。

なんだか、ここ数日で私は本心では
愚痴ばかり、不満ばかり、嘆いてばかりの中年のおじさんおばさんは眼中にないんだなって思っちゃったんです。

セラピストと名乗って「わたし可哀想ごっこ」には付き合えないと思っちゃいました。

そこに自分の存在を見い出していて、
いつまでもそこにいたくて全くもって現状を変えたくない人ばかり。
もちろんそうじゃない方もたくさんおられて、
大人のバレエ教室もダンスカンパニーも私から来てくれる人を制限する気もないし
そこはブレていないのですが、自分に隠していた想いはあったな〜と最近思いまして。

と、書いていたら初っ端からこのプロフィールも何もかもやり直しですけど

ぐるぐるしていて、また振り出しに戻ったようなことを書いてしまい
面倒くさいことしてて、すみません。

でも、自分を分かったような気になっていて
全然ちゃんと考えてなかったんだと分かりました。

かさこ塾に入らなかったら、こんな本気で自分が何をしたいか何ができるかを考えなかったです。

25歳の小娘が何を言ってるのかと思われたくないって思って言えなかったけれど
そういう子達に、今、抱えている痛みは持っていて悪いもんじゃないって
それが強みに、人に希望を与える力になることもあるんだって感じてもらえるような
カンパニーにしたいです。ただアホみたいに躍れれば満足な訳じゃないんだと気付きました。

もうちょっと、グダグダですけど、えい!っと送ってしまいます笑

 

当時、まだ私ってこんなにグダグダ言ってたんだな〜と。こうして自分の殻を破って出てくるみたいな作業をかさこ塾に入ってやっていたみたい。

 

初々しさがある。こういうのは忘れちゃいけない。どんな思いで始めたのか。

 

かさこ塾ってそんな塾です。

http://kasako.jp/event/

10年間先送りにしてきたやりたかったことを今年やると決めた

 

やはり、今年こそどうしてもNYに行きたい。

今年の秋口あたりに行きたい。

できれば家族みんな連れて。

 

行きたいダンスクラスを調べよう。NYのどこかでショーが出来ないかアポをとってみよう。日本で、今、ここでできる限りの事をしてみよう。

 

やっぱり今一番したいことって何だろうと考えると、NYに行くことなのだ。

 

でも、あなたも「今、一番したいことは何?」って聞かれて、一番を答えられる?一番したいことが現状難しいことであればあるほど「一番」ではなく「できそうなこと」の中の「一番」を答えてしまいがちではないだろうか。

 

私もいろいろ産休の動けない間に自問自答した。かなりグルグルと考え巡らせている。でも、わかったことは「やっぱり行きたい!!!」ってこと。

 

そのための手段とか、可能性を考えると気が遠くなりそうで、先送りすることが無難なんじゃないかって思う。

 

そうしてきた10年間なんだ。

ずっとタイミングは「今」じゃないんじゃないか。いつかそのタイミングがやってくるはずだって思ってたら10年も経ってしまった。

 

だから、今年は本当に行くと決めた。

 

あなたのしたかったけど、ずっと先送りにしてきたこともまずは「いついつまでにやると決める」ことからスタートなのかもしれないよ。

今を生きてる私たちにできること

 

私には黙祷したり、冥福を祈ることができない。

 

みんなが祈るこの日にそれができない私ができることは唯一、せめて今を精一杯命輝かせて生きることでしかない。

 

おこがましいというか、私の祈りなど大切な方を亡くされた方を目の前にしてはあまりに無力すぎて、その場から消えてなくなりたい気持ちになってしまう。

 

どれだけの深い哀しみなのだろうかと…だから私は今日を楽しく過ごした。忘れないって大事なことなのかもしれない。でも、思い出したくもない今日だという人もたくさんいるのだろう。

 

私が母を亡くした哀しみをどう乗り越えたかって、忘れたからだ。命日がいつだったか忘れてしまった。そのかわり、母の何気ない仕草やどうでもいい他愛もない会話は今も鮮明に覚えている。

 

母の葬儀の日、そこの葬儀のスタッフの方に個人的に語られたことがあって、それが今も深く胸に残っている。

 

「残された者が明日をしっかり自分の足で生きていくことが、お母さんの何よりの供養になるんだよ」ってそう言われた。

 

早すぎたことにはかわりないけど、子よりも親は先に亡くなるのは順当で、でも、例えば母にとって内縁関係にあった方や母の母などは悔やみきれない。私たちにとっても母はたった一人の存在ではあるけれども、彼らが明日を生きるには彼らがちゃんとここでお別れしなきゃならないんだととてもゆっくり私をさとすように葬儀社の人に言われた。

 

葬儀は彼らのために行うものだった。

参列者の代表的なことは彼らが行った。

納得がいかないとかそういう風には思わなかったけど、人が亡くなることについていろいろと考えさせられた。でも、当時まだ中学生や高校生の弟、私も19才である実の子供の私たちにとっては接待をするだけの母の葬式でどう哀しみと向き合っていいのかわからなかった。

 

哀しみきるということが実はとっても大事なんだ。それは外部の人間がいくら冥福を祈ったり、なんだりって入れる隙間は無いような気がするのだ。私は母の人生の中で一番長く濃い時間を過ごした人間なんだなということに後になって気がついた。

 

何を言いたいのかわからなくなってしまったけれども、時々思い出しては今でも泣いている。ママが死んでしまって悲しい。生きていて欲しかったな。8年経つが、やっと、悲しい、寂しいって思えるようになった。

 

だから、きっとたぶん津波で大切な人が流されてしまった方達にとっては忘れたくても忘れられない今日なのだろう。

 

 

じゃあ、今、生きている私は、

 

いい人生だったと笑って死ねるくらいに精一杯生きていくよ

そう母に誓った。

母の分も幸せになると決めた。

 

 

人生長けりゃいいってもんでもないけど、やっぱりなるべく長生きすべきだよ。元気にね、健康でね。

濃くて短い人生なんかよりも、やっぱり生きていて欲しいよ。無茶しすぎないで、自分の命は守って。

 

どんなに濃くてすごいドラマチックな人生だったとしても早死には哀しいよ。命は守ること。攻めた人生、バッチコイ!って思ってるけど命だけは守るのだ。

 

生きててなんぼ。

生きてりゃそれだけで十分だ。

あなたはどんな人生を生きますか。

解離性障害とは多重人格のことです

 

改めて書いてみようと思った訳

まずは書いてみることにした理由を。

なぜ書こうと思ったかというと、今は完治しているこの解離性障害だけども、治るまでの経緯と治った理由が今の私の活動にとても密着しているからだ。

それから、大瀧冬佳が少しづつ少しづつ不特定多数の人の目に触れる分母が大きくなっている今、心無い言葉を匿名でぶつけてくる人もいる。ほんの1%程度の人なのだけども、他のちゃんと私を見ていてくれている人のためにも自分の言葉でもう一度話す必要があるかなと思ったから。

私の過去を語る上で、どうしても出てくるワードはダークなものが多くてその印象は今の私を食うほどに強いものだ。なかなか闇を払拭するのは難しいし、なぜか人はそれを克服したもっともっと輝かしい成功やハッピーエンドを期待してくる。私にはそれがよく理解できない。当たり前にご飯が食べられて、当たり前に温かい布団で眠れて、体がどこも痛まず、苦しくもないそんな自分の体があること。家族がいて、愛する人と結婚して、子供に恵まれていること、そして好きなダンスを仕事にして穏やかに暮らしている…それではどうにも納得してくれないらしい。

テレビはそこをもっと欲しがってくるから好きじゃない、万人が求めるものってそういうことなんだな〜と勉強になる。

で、やはりいまだに好奇の目で見られたり、ダンスの評価でなくて人は悲劇が好きだから大瀧冬佳は注目されているだけだ、虐待を受けているから屈折しているとか、そう言われる訳だけども、匿名で。

会いに来てくれるのが一番いいんだけどね。で、そういうただ言いたいだけの人たちって物事をよく知らないことが多い。ちゃんと事実確認をしないし、真実は結構どうでもいいのか、憶測や想像で話を展開させていくよね。だから、詐病に間違われやすい解離性障害についてちゃんと書くことにした。

 

解離性障害の症状

  • 記憶をなくす
  • 自分というアイデンティティを忘れてしまい失踪する
  • 体を動かしたり言葉を話したりできなくなる
  • 自分を自分と認識できず常に俯瞰した状態になってしまう
  • 一人の人間に複数の人格ができてしまう

私はこのうち恐らく幼少期は上の4つが症状として現れていて、17~18歳にかけてあからさまに多重人格になるようになってしまっていたようだ。「ようだ」と書いたのは、自分では自覚が全くないから。記憶や意識のないところで自分は眠っていて自分の体を他の誰かが操縦している感じで、目がさめると私が言った記憶がないことを言ってたじゃん!と人に言われて摩訶不思議だなーと思うことがよくあった。記憶喪失によくなっていて、自分でも脳の病気かなーとは思っていた。強く頭を打ちすぎたり、殴られすぎているからなのかな…みたいな。

知能レベルとしては問題がなかったので、そこまで気にしていなかった。高校生になると、ハッと気がつくと全然知らない場所に自分がいたりして、それは流石に自分やばいんじゃないかとは思っていた。

グッと進行し出しだのは、17歳以降。記憶が曖昧で、まぁバレエをやめてしまったことも大きかった。母は末期ガン。弟は不登校で荒れ放題。次に目が覚めた時にはベッドに拘束されていたので、現実としてはとてもとても飲み込めなかった。そこは精神科の閉鎖病棟だった訳だけども、どうしてここにいるのか、自分が病気だとも、それも精神的な病気になっているとは微塵も思っていなかったので全然理解できなかった。パニック!!

私に何が起きていたのかというと、私ではなく私の中の違う人格の人が自殺未遂を繰り返したみたいで、私の命を守るために私は病院に入れられたようだった。怖いのは本人に全く自覚がない、わからないということ。そんな症状が解離性障害である。

 

解離性障害の原因

原因はストレスや心的外傷が関係していると言われている。災害や事故、虐待経験、長期にわたる監禁や暴行などそうした辛い体験による心的ダメージを避けるために、精神を一時緊急避難措置として停止させるのがこの病気だと考えられているらしい。

心的ストレスにより、他の人に自分を表現できないのがこの病気の原因。

私自身も辛いと感じている環境に対して、辛いとはとても言える状況になかったので、明日を迎えるしかなかった。今日からも明日からも逃げられないので麻痺させるしかなかった。誰かに辛いと言うことをせずにずっとやっていると「大丈夫」しか言えなくなっていたんだよね。で、本当に私は大丈夫だと思っていたし。子供の頃から踊る以外には本当の気持ちを表現できなかった。だからバレエをやめたら、私は私である必要がなくなった。

 

解離性障害の治療方法

治療方法はあってないようなもの。で、入院してからひたすらたくさん薬を飲まされて常にラリってた。まっすぐに歩くのがまず難しくて、文字も縦読みしてどの行を読んだか、一行前の内容をその瞬間に忘れてしまうくらいにラリっていて、治療というよりも意識を戻させないみたいな状態だった。私が他の人格になって大暴れしないようにバカにさせておくような感じ。医学的にどうなのかわからないよ。ちゃんと意味ある治療だったのかもしれないけれども、医者は私を人間扱いしていなかった。

退院はほぼ不可能だったので、治療計画なんてなくて絶望した。普通の入院と明らかに違うんだよね。無期懲役みたいな感じで、そこで暮らす前提のような病棟の環境なので、いわゆる病棟のイメージとはかけ離れていると思う。

催眠治療的なことや、知能テストや、心理テストや、作業療法や、色々やらされた。私の主治医だけ医院長だったので、恐らく非常に珍しい病気だったからある程度実験的な感じに私をみられている気しかしなかった。

で、一番の治療方法は身を安心できる環境におくこと、人と信頼関係を築くことだそうだ。自分を表現しても大丈夫なんだと安心できるようになると人格が統合して快方に向かっていくらしい。

私の場合は、病棟の看護師長さんが私の今までの恨み辛みを全部受けてくれたんだよね。「なんで私だけ」「くそったれ、死に去らせ」って世の中に対しても両親に対しても死ぬほど思っていた。私ばっかり我慢して、なんで私のことは見てくれないんだって、愛してくれないのか、寂しいよって心の奥底に鍵かけて沈めたような真っ黒な感情を全部全部受け止めてくれたんだよね。

あぁ、私にも怒りっていう感情があったんだってこの時初めて知って、毒をびっくりするくらい全部吐き出せたの。心からもきっと血しぶきが飛ぶような感じで、刺さった棘を抜いたんだけども、体もボロボロだった。壁を殴って殴って、地面に頭突きして、喉から血が出るほど叫び続けて、額からも流血して、あそこが世の中から隔離されている場所じゃなかったら私はそんな醜態を一生晒せずに腹のなかで魔物を飼ったままきっと苦しんでいたと思う。

そんな人間離れしちゃった私をその看護師長さんは、抱きしめてはなさず、「それでもあなたは美しい」って言ってくれたんだ。意味がわからなくて、嗚咽した。

でもそんなことを何ヶ月も何ヶ月もやって、閉鎖病棟のなかでまた私は踊り出した。50人くらいの精神的に末期な感じの患者さんたち、もう帰る場所もなくてそこで一生を終えるような人たちなんだけども、その人たちに踊りを見せて、そしてバレエを教えて、言葉は通じないけれども笑いあったりなんかして、一緒に歌ったり踊ったり毎日していた。

それで治ったんだよね。

 

いろんなことを言う人が居ても

私にはそれがただ一つの真実だ。本当は私だってまともな環境に生まれて、普通に大学生を楽しんで、普通に就職活動して、就職したらどうだっただろうとか思う。でも、それはどうやらできそうになくて、こんな妙な人生を歩んできた。それでも、あの看護師長さんに出会えてよかったと思うし、人が抱えきれないほどの真っ黒い感情を持って、そしてそれを全部吐き出す経験ってできてよかったのかなと思う。

だから、なんとなくわかる。人のことを匿名でタコ殴りする人たちの気持ちが。吐き出しきれていないんだよね。多分、未消化の自分を蔑ろにされ愛されなかった不満や寂しさがずっと溜まっているのに、それを気づかぬふりしているんだろうと思う。だから、匿名なんだよね。

私に会いに来る人にたまにこんなことを聞かれる。それだけのことがあって、本当になんでスッキリと許せているんですかって。時々いるよね、なんか過去を克服して今はハッピーに生きてます!とか言っていても、それがちょっと仮面に見える人。私にもそれがあるんじゃないかって確かめに来る人がいる。

あれだけ死ぬつもりで暴れて吐き出して、それ以上の大きな愛に包まれて、自分の表現の仕方を思い出せたら、もう歩けるんだよ。人と信頼関係を築くことってどう言うことかちゃんと教えてもらえたから、今はたくさんの人に愛してもらえるようになったし、私も信じて愛せるようになった。

だからそれだけでいいかなって思うのだ。いろんなことを言う人がいて、で、それを変えることは出来ないし、変えようとも思わない。私はきっとここで踊り続けて表現し続けるってだけだろうと思う。

 

 

 

・舞台制作志望の方を探してます
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下記アドレスへのご連絡お待ちしてます。

uzme.thedancecompany@gmail.com (大瀧)

 

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dancer’s anatomy(プライベートレッスン)

大瀧冬佳FBメッセンジャー直通で予約できます。

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2018年4月以降の出演オファーお待ちしてます。
出演料はお気持ちで+東京からの交通費(と場所により宿泊費)のみでお受けさせていただきます。
・場所の指定特にございません(どこでも踊ります)
・特別な機材の準備もなしで大丈夫です
まずはお気軽にご相談ください。

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