舞台のアイデアを生む魔法のカード

 

ダイソーの情報カード300枚を購入する。これ1枚につき1アイデアを思いついたらすぐ書く。頭に浮かんだことは全部カードに封じるイメージでもったいなく思わずガンガンカードを使っていく。

それを大きなホワイトボードに磁石でランダムに貼っていき、ペンでそれぞれのアイデアを紐付ける。紐づけてる最中にアイデアとアイデアが出逢って新たなアイデアが生まれたらそれもカードに記入。

ポイントは不採用になるとわかってるアイデアも一つ一つすくい上げること。現時点では実現不可能だったりいろんな理由でボツ案かもしれないけど、1万のボツ案の屍の上に最高の1のアイデアは生まれるのでボツ案大事!

そして、もう一つのポイントはカードをケチらず1枚に1つのアイデアを書く。1つのアイデアを書いてる最中に、頭の中は別の新たなことを思いついてしまってることはよくある。それを一緒くたに1枚のカードに書かず、もう一枚の新しいカードに書くこと。そうしておくと、あとからカードを紐付けさせるときに不便なので必ず1枚につき1アイデアを守る。

アイデア限定でなくてもいい。忘れてたやるべきことをハッと思い出すこともある。それも書けばいい。なんだか気持ちがモヤモヤするならそのときの気持ちを書いてみる。

頭や心にはふだん、言葉として意識してないけどシャボン玉のように湧いては消える言葉になっていない言葉がものすごくたくさんある。それらを認識して外に出してあげることで、思考や感情の循環が良くなり、新鮮なアイデアが生まれるんだと思う。

何に価値があるのかなーとよく考えるんだけど。それはきっとその人だけのアイデア、その人だけの想い、その人だけの言葉。あなたのフィルターを通過したもの。このカードに書き起こして、ホワイトボードに貼り付けて俯瞰することは私にとってはフィルターの掃除だったり、フィルターを通過させる作業だ。

いろいろなものを見聞きして食べて触れて…様々な事を思い感じているけれど、ほんとシャボン玉のように儚くパチンと割れて消えてしまう。アイデアはもっと儚い。

私は自分の意見やアイデアを育てるためにまずは想いのカケラを集める。舞台はそうしたひとつひとつのカケラが集まってリミックスされて、一目一目丁寧に編むようにしてひとつのものになる。どこの何が舞台上の私の表現の元になるかは必ずしもダンスの稽古中からでは全然なくて、むしろ9割の日常の何気ないものが表現に化けている。

まるで夢のようだ。見ていたはずの夢が思い出せないように、あぁあれはなんだったかな、すごくいいことを思いついた気がするんだけどっていつも悔しい気持ちになるんだよね。ヒラヒラととぶ蝶を追いかけて虫網で捕まえるのがこの魔法のカード。

 

実現させて

はじめてアイデアは生きる。

 

だから思いついたら迷いなくどんどん実現に向けて動くこと。「俺もそれは考えてたんだよー」って人様が実現させたアイデアを「俺だって」と言うけれど、やはり実現させたもの勝ち。だって実現しなければそれはあなたの夢の中で追いかけている蝶と同じなのだから。

大人も知らない本当の食育ーキジをさばいてみたー

 

隣のおじさんからキジをもらった

いろんなおすそ分けがあるけれども、「キジ」ってあんまり聞いたことないよね。

「ほら、やるよ」と一言。

お、お、おう…。….え!?鳥!?え!キジ!?みたいになるよね。

でもね、その辺でとってきた玉ねぎでも渡すかのような感じでおじさん、キジを私たちに持たせてきた。

(↑おじさんにキジを渡されるの図)

めっちゃふつうにキジ。

え、これどうしたらいいの?

食べればいいんだよ(ふつう)

ど、ど、ど、どうやって?

羽むしってさ〜、足持って引き裂いて。

はい、なるほど(雑か!!笑 説明、雑か!!!)

 

このキョトン顔

 

とりあえずやるしかない

早めにさばかないと、まずいよねってことで。覚悟を決めてやってみることに。今の時代、本当にすごい。キジのさばき方もネットで調べるとふつうに出てくる。

初めて見る、というか初めて触るキジに私も子供も大騒ぎ。半ばこの非日常の事態に、ふざけているわけじゃないけど、ちょっと楽しんでいたし、面白いことだと思っていた。この時は。

死んでいるのに生きている感じ

羽根はあったかかった。目は閉じて、寝ているようで、不思議と恐怖は感じず、可愛いと思った。最初はネタのように盛り上がっていた私たちだったけど…思いもよらぬ展開に…

手で感じてみる大切さ

まず、羽をむしるところからのスタート。どこからむしればいいのか、どんな風に??その方法ばかりに気が取られていたけれども、方法がわかって、いざやってみるとそれは初めての体験で知っているのとわかったのは全然違うものだと痛感させられた。

手に伝わる、ブチっとした抜く感覚。「あ〜ああぁあぁ…」とたじろぎ、迷うと、羽に皮が引っ張られてちぎれてしまうので、手にスナップをきかせてピッピッピッピと引き抜かなきゃいけない。

次男5歳にもやってもらう。意外にも怖がらず、可愛いね綺麗だねと言いながら果敢に羽をむしっていた。ペットが死んだ時の悼む感覚に非常に近くて。でもこのキジさんに会ったのはつい先ほどのことで、しかも死んでいる状態で出会ったにもかかわらず、なんだかこのキジさんの一生をぼんやりと考えてしまった。悲しい感じでもなく、とても言葉では言い表せない感情になった。

長男7歳はビビりながら、1本だけ羽をむしった。でも怖いのか可哀想なのか、生々しすぎるのかで勢いよく引き抜くのに手こずっていた。その気持ちもすごくよくわかる。だけど、こういうのは一度経験しておくべきだよねってことで、二人ともキジさんに命のことを教えてもらった。

 

残酷な人間だけども

ファーのコートや、動物の皮をつかったカバンや靴がある。残酷だと、そういう考えもあるけれども、私はちょっと感覚が変わった。

キジの羽根はとても美しかった。なんとも言えないグリーンで、人間の創造物なんかより自然の美しさは圧倒的だと感じた。羽の内側は柔らかくて細い毛が生えていて、とっても温かい。外側にかけて、ブルーやグリーン、真紅や漆黒の色をした羽。

なんか、なんだろう、せっかく死んでくれた。だからこの命捨てることなく余すところなく使わなければ!とそんな風に自然と思った。これを衣装にしようと思った。

もしかしたら、私たちの祖先、人類は最初はそうだったのかもしれない。最初から、命を粗末に商業として儲かるからという理由だけで、殺して、自分たちが着飾るため毛皮を作ったのではなかったのかもなぁなんて思った。わからないけれども。

 

私たちもキジと変わらぬ一つの命。生きる力を分けてもらっている。人間が地球上の生物の頂点に君臨しているわけじゃ全然ないんだ。こんなに尊く、気高いものなんだ、命って。

生き物から食べ物へ

私たちはだんだんとそれぞれ自然と口数が減り黙々と命に向き合わされていきました。シンと心の中が静まり返って、ただ目の前のキジに向き合った。

 

さばくのは、もっとオエ〜っとなりながらかと思ったけど、スーパーでパックに入っている鶏モモ肉にオエーッとならないのと同じように、ある瞬間からキジの魂が抜けて生き物から食べ物になったようだった。すでに死んでいるのに不思議な感じで。命と魂は違うのだなと感じた。そこにあるお肉はただの魂の入れ物になっていた。

 

生き物だった頃のキジの顔と、食べ物になったキジの顔は表情が全然違かった。物になった感じ。作業をする中で、一瞬こみ上げるペットがなくなった時のような猛烈な悲しさのような泣き出しそうになる感じもあるんだけど、でも自分たちの手で食べ物にしていて、もう死んでいるのだからせめてちゃんと戴かなくちゃという気持ちと。

私たちが本当に知らなきゃいけないこと

私たち夫婦は子供達に今までも特に食事に関してのしつけは厳しく行ってきた。子供が理解しやすいように、その意味もちゃんと話してきたつもりだった。ただ表面上、残さず食べるではなく、ただ言葉だけの「いただきます」や「ごちそうさま」ではなく、どうしてそういうのかってことをなるべく資料を用いたりしながら聞かせてきた。

だけど、私たち自身も30歳を間近にするまで、このことについて1ミリもわかっていなかったんだなと知った。

「命」ってなんなのか。「生きる」ってなんなのか。「死ぬ」ってなんなのか。

私は母や祖母と身近に人を亡くしてその去り際までちゃんと見て知っている。そういった「死」とはまた別物で。日々、私たちが今日まで生きているっていうのはこういう数え切れない命のバトンのお陰だったのだと知った衝撃はかなり大きかった。

 

ただ生かされているだけで文句なし

やれ「幸せになりたい!」だの

やれ「金持ちになりたい」「モテたい」「売れたい」と、人は傲慢だ。あぁ、そんなことで悩んでいるくらいなら、それを手にしていないごときで自分の価値を感じられないくらいなら、キジをさばいたらいい。そんなことはどうでもよくなるよ。

生きているってことの基礎中の基礎。逃れられない、ベース。この上にどうしたって私たちは存在させてもらっている。そこを本当の意味で知らないのに、頭では知った気になって何も知らない。ここを抑えていないのに、人の幸せを人に偉そうに説くなんてどうかしているなと思った。

世の中くだらないことばかりである。99%どうでもいいことに踊らされ、振り回され、右往左往している人間はなんて滑稽なのか。

私は何も知らなかったことがとてつもなくショックだった

こんなに無知だったなんて、なんか本当にショック。やっぱり、ちゃんと自分の目と耳と手と足と心で感じなきゃなと思った。

それから来年の作品はこれが最後のピースだったみたいで、私はきっと「生きる」を伝えるために踊っているのだと知った。

 

もしよかったら、「食について」「生きること」「命について」を伝えているお母さん、お父さん、先生、アーティストのみなさま、この記事を読んで何か感じたことがあればその想いとともにシェアしてください。その感想ぜひ読んでみたいです。


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スピリチュアルが大嫌いな理由

 

結局さ、あなたの一歩がないと始まらない。

まず一つアクション起こすか起こさないか。

 

強く死生観を持ってる起業家さんとか

戦国の武将とか(友達か!笑)

超一流のアスリートや芸術家は

わりと人智を超えた

この世の自然界の流れやパワーを

信じたり感じたりうまく使いこなしてる人が多いように思う。

 

それは神だったり、いろいろだけど。

 

私はスピリチュアルは大嫌いだと公言するが

それはあって当然、と思ってるからこそ。

 

 

だって魂だよ?

そのエネルギー体は一体何なのか?

私が知ることは一生ないのだろう。

身体を生成する物質を全部集めて

たんぱく質や、何やらかんやら

で、それで人を作ってみても

きっと人として生きたものを作ることはできない

 

骨があって筋肉があって血が流れていても

何で植物人間は命があっても動力のような魂が、薄いんだろう?

子供のころ病院のベッドに横たわる祖父を見て

生きるエネルギーって魂なのか?って考えた。

 

やっぱり、魂が入ってないと

身体はただの器でしかないのかもしれない

私の子宮は命を無から創り上げ

現にこうして命が跳ね回って

壁に落書きしたり、襖を破ったりしてる

恐ろしいクソガキどもだ。

 

 

話は大分それてしまったけど、

宇宙とか自然とかそんな中に

私たちは誕生して生きて死んでいくわけだけど

そんな手の及ばぬ力任せに何かを振りかざそうとする人がいまいちいけ好かないから

スピリチュアルは嫌いだと私は言う。

だいたい、何も現実に成し遂げてない人が言ってても「だからなに?」って感じだ。

 

 

それで、流れや因果や運命や宿命や

そういう話についてだけど

私は基本はあって当然、

その上で私たちは成り立ってると考えるけれども

 

でも運命は変えられる。

大きな流れがやってきても

私のたった一つのアクションがないと起動しない。

そんな風に感じる。

 

私は今までなんども死にかけたし

ここは地獄かな?

ってところで生きてたこともあったから

世にも奇妙なお話はたくさんある。

見てきたし聞いてしまったし

信じるとか信じないとかじゃなくて

あるんだなーって感じ

 

極限に自分を追い込むと

第六感というのは

働かさざるを得ないときがくる

 

 

なんか普通に受け止めてる

 

 

特別な力っぽくいう人は

気持ち悪いなと思うだけ

誰でも生と死を見つめたり

感覚を研ぎ澄ませば

ふだんは見えたり聞こえたりしないだけで

感じるものなんじゃないかと思う

 

 

で、それがわかったら

すべてを支配する大きな力を手に入れる

みたいなことじゃなくて

 

現実的に行動してみなきゃ

何にもならないわけだ

 

私は香さんの

「龍覚醒」と「鬼繋ぎ」という

いわゆるスピリチュアルなワークを

生まれてはじめて受けてみた

 

龍は私たちひとりひとりの中にいるらしい。

大きな流れを生んだりするらしい

鬼も私たちひとりひとりの中にいて

小さな流れを作ってこなしてくれるようだ

 

(リンク貼ればいいけどスマホで書いてるから上のキーワードでググって調べてくれ!因みに来年までもう受けられないワークです。)

 

どんなだったかと言うと

龍をみました。

大概は眠ってるらしいけど

私のは起きていて

見た瞬間、あぁ知ってるー!って思った。

白いのだけど光に当たると虹色に光り、

やたら大きくて綺麗で怖かった。

 

そして鬼は

相当な美少年で髪が青かった

純粋無垢な表情で

何を思ってるのかわかりやすい感じ

 

その鬼や龍に頼みごとをするのだけど

どれもこれも

まず力を借りるには

絶対的に私のワンアクションがないと

できないことばかりだ。

 

 

現実から逃げるために

スピリチュアルに頼るのは

たぶんおかしなことになるよね

 

私たちが生きてるのは

紛れもない現実

 

いい?

満月とかなんとかのせいにする前に

ちょっくら外に走りに行って

汗かけばその不調解決することもあるから

早寝早起きして、大きな声で笑って

地の野菜モリモリ食べて

基礎的な生活変えてから

スピリチュアルな話するのでよくないかい?