99%でなく100%の力を出し続けること

 

自分はいつかは何者かになれる、やればできるんだと、自分は特別なんだと思っているだけでやれなかった大人の言うことを聞かなくてよかったって28歳になって痛感する。

 

いつもいつも大人からの説教が私は聞けなかった。どうしても胸に響かなかった。それはなぜなのか、今ならわかる。なぜかって、そいつら全員やってない人たちだったからだ。22〜28歳までの間に5速までギアを上げきれたかどうか、あなたのベストは尽くしたのかと言うと、そういう人たちってやっぱり中途半端なんだ。

成し遂げられたかどうかの結果よりも、やりきったのかどうかが大事で、出し切れなかった人、余力を残してしまった人、は、いつまでもいつまでも「本当は〜だったかもしれない」とずっとたられば話をしてしまうものだ。

 

できる奴より、やってる奴が強い。言い訳してやらないまま大人になってしまった人が実は99%なんじゃないかって私は思う。そして、そういう人に反発してああいう大人にはなりたくないって言いながらあなたも同じ道を着々と歩んでるんだよ。

なら、やりなよって。何があったらやり始めるのか。何がなかったらできるのか。調べたのか。やれる道を血眼になって探し尽くしたのか、やってみたのか。

一つもできないことなんてなく、飽和するほどにやれる手は出揃っている豊かな時代なんだ。あとはあなたがやるかやらないかだけなんだ。

 

できると思ってた明日はどんどん遠ざかる。その時が来たらあげられると思ってたギアはどんどんと錆びて重くあげられなくなっている。ハッとある日気がつくんだよ。やれたはずなのにやらなかった今日をみんな、若手に託すけどね、若手からしたら「お前がやれよ!」って思うし、その若手もまた言うても、やらないのだ。

私は常に自分の100%の力を出し続けてきただけ。70%でも80%でもダメで、99%じゃなくて100%の力を出すこと。やれる手は全て打つ。ただそれだけだ。それをやってる人を私は生涯で見たことがほぼない。

明日があるって思ってるからだよね。

今日、今、この瞬間に自分を信じて、かけられない私に明日なんかないのだ。

やっぱり、私はやりきって死にたいなって思う。目標や夢や達成したいことなんかなくたっていい。ただいつかなれると夢見たまま、最期自分に失望して死にたくない。

 

他人にかまうエネルギーは使わず自分に忙しい人が魅力的にみえる理由

 

他人の目を気にしないで自分のやりたいことにどんどんチャレンジしたり、できることが増えたり、知らないことを知ったり、年齢問わず変化を恐れない様子は人を魅了する

 

他人の目を気にするのはとてもエネルギーを使う。こんなことしたらあの人にどう思われるだろうか。こんなこと言ったらみんなに「お前なんかが」って思われるんじゃないか。

「あの人は大したことないのに偉そうにあんなこと言ってる」そういう風に他人のことをジャッジしてるから、言いたいことも言えず、やりたいこともやらなくなる。ほんとはあなたは「羨ましい」という嫉妬心で胸がいっぱい。

 

他人の一挙手一投足を見張るように牽制し合うのはなんて無駄で愚かなエネルギーの使い方なんだろう。そうは思わないだろうか。他人がなにかあなたの気に食わないことを言ったりやったりしていることで、あなたにどんな損失があるのだろうか。何かを壊されたのだろうか、何か奪われたのだろうか。きっと刺激されるのはあなた個人の羨ましいという気持ち。

ならば、やればいいし、言えばいいし。それができないなら他人を見張るのをやめればいい。でも、その自由な他人を否定することでやらない言わない自分を肯定して、自分をヨシヨシと慰めているんだよね。可哀想に。

 

自分の理想は高く。他人に褒められたって非難されたってそれとは無関係な、自分だけのゴールがある。そこに向かって一心にひたむきに向かうんだ。

苦手なことで好きなことができるようになるのが一番満足度高い。苦手なこともできるようになるまで量をこなせばいつか自分のものになる。

酷い出来でも、下手でも、なんでもいいからとにかく生み出し続ける。

あなたは他人を消費し続けるのではなく、あなたが生み出す側になるとあなたは結果的に人を魅了する。他人を見張って消費してる場合じゃない!人生損してる。

創造の、あなたから生み出されるものは世の中を豊かにする。あなたからしか生み出されないものも確実にある。

それには大量のアウトプット。もっと「狂気」が必要。生み出すものは、アイデアでも、作品でも、なんでもいいけれど。

「執着」と言われる領域まである一定期間徹底的にワンテーマだけを考え続ける。とか、ハマり続ける。自分の中で何か突き破れる瞬間が訪れるまで夢中になる。

そうすると何かがころっと小さく生まれるときがある。1万の駄作を生み続けてるうちになんかの拍子にころっと出てくるんだ。それはとても尊いもの。他人の評価からは無縁なところで心底湧き上がる喜びを感じるだろう。

そんな体験を一度でもしてみたら、他人にかまってるエネルギーがいかに非生産的で無駄なことだったかがわかる。

暇を持て余してる場合ではなくなるだろう。自分に忙しくなる。暇をしちゃいけないよ。それは常に動き回って止まるなという意味ではなく、他人の人生にちょっかい出してないで自分の人生を楽しむということ。

他人にかまうのと他人に気を配るのと、空気を読むのは似てるようでまるで違う。マナーや常識や道徳を盾にして、他人の揚げ足取りや足の引っ張り合い、無意味な自粛…そう言ったものはあなたの人生から即刻排除した方がよい。

そして、そういう人を自分の半径5メートルでいつまでも飼ってないで、0.1秒で距離をとること。距離をとるかとらないかも一瞬で決めてすぐに自分のやるべきことを再開した方がいい。

表面張力を突破して、消費者、被害者をやめて生産者に。

大きな夢を描く特別な俺は迷惑

 

 

そんなの無謀だ!できるわけない!人生甘くない!

ちゃんと将来のこと考えてるのか!

 

夢を語るとそんな風に多くの人に反対される。無理だと言うその人たちは夢を描き挑んだことがない人たちだ。

 

だからね、人生一度きりやってみた方がいいって私もそう思ってた。

 

だけど、それは違うなぁと思う夢の描き方をする人たちもいる。夢というのは今この認めたくない自分から逃げるために描くものじゃないんだ。誰かの生き方を否定するために語る夢なんて叶うわけない。

虚勢を張って、強がって、頑なな夢は叶わない。

だから、周りから猛反対を受けている。でもね頑なな夢を描く人にはその反対はむしろ栄養になりがちだ。「毎日毎日同じことのつまらな人生を生きてるお前らには俺の崇高さが理解できないだろう」とさらに孤立していく。

 

あのね、夢は孤立したら叶わない。あなたの夢があなただけのものでなく、あの人にとっても、この人にとっても、その子にとっても、叶いたい夢になったときに叶うのだ。

だから金メダリストもどう考えても本人の頑張りがあってこそなのにインタビューで「支えてくれたみなさんのおかげです」という言葉が自然にでてくるのだ。自分だけの金メダルじゃないって本当にそう思っているんだよね。

 

頑なな夢を描く人にはそれがきっとわからないだろう。俺以外敵になっている。みんな分かってくれない。俺はサラリーマンには向かない、平凡な人生なんて生きてて楽しいのか俺には理解できない。

 

夢を叶えたきゃ、口より手を動かすことだ。屁理屈こねるための頭より足を動かして、結果を出せよ。出せないのは周りが悪いんじゃなくてあなたの才能がないんだよ。本当に叶えたい夢じゃないんだよ、その夢は。

「夢を描く周りとは違う特別な俺」に夢見てるだけだから早く目を覚ませ。

 

現実を見ろ。理想と現実の差は歳おうごとに開くばかりだよ。勝算のないビックマウスは迷惑だよ。

 

有言実行や予告ホームランっていうのは、打席に立ったときだけ本気出せば打てちゃうものではなくて、人に見えないところでうーーーーーんと仕込みをしてるんだよ。むしろ準備こそ全てなんだよ。見えないところでうんとやってるんだよ。

地に足がついてるどころか、地中奥深くまで根を張っているくらいに現実と向き合わないと大きな夢は描けないんだよ。

 

だからこそ、私は夢を見ろ!って若い子たちに伝えたい。

謝れない大人と空っぽの「すみません」ばかり言う大人

 

未だ、手間暇かけることが愛情の証って宗教のように信じていたり。それは長時間の残業がイコールいい仕事したって思い込んでいるのと似ている。

極端な自然派子育て。界面活性剤がどうちゃらこうちゃら、化学調味料がうんたらかんたらと嫌う人たち。

生産性や効率化とか、お金の話やテクノロジーの話も排他的である。そういったものに恐怖を抱き、変化を嫌う。

 

それってどうなんだろうか。

懐古主義で昔は良かったって昔の中に生きる。クレヨンしんちゃんの映画みたいだ。

 

保育園や小学校はまだまだコストカットできるはずなのに、手間をかけることが愛という解釈なのか、なんなのか…本当に今の時代の波に乗っかって生きているタイプの親からしたら、無駄ばかりでやってられない!と感じることばかり。

 

なのにも関わらず、大事な子供のケアというものはだいぶ置き去りに感じてしまう。基本的に何もかもがポーズなのだ。

子供なためという手作りの壁飾り。

子供のためという大人による喧嘩の仲裁。

本質はどこにあるんだろうか。見るべきものは本当にそこでやるべきこともそれでいいのだろうか。

 

教育機関や先生、保育士を責めているんじゃなくて、このシステムどう考えても時代遅れじゃない?って言いたい。先生や保育士がどれだけ大変な仕事か分かってるのか?と言われてしまいそうだが、それはかなりの的外れ。

 

誰の何のための仕事なのかって子供なのにも関わらず、当然のように子供の喧嘩に介入するのは、保護者の目を気にしているからでしかない。

モンスターペアレントと言われる人たちがいるのも知っているけど、そんな風に親がよく子供の話を聞くこともせずに相手の親にぺこぺこ口だけ謝る姿を子はどんな気持ちで見ていて、そしてそこから何を学ぶのか…そんなことは先生たちは考えないのかな。

 

何の目を恐れてるのか、親や先生がその目を恐れて翻弄されて生きている姿が子供にとっては一番の教科書になってしまっている。

 

口で何が良いことで悪いことなのかをいくら説いても、やはり大人のその背中から子供は一番学んでいる。とってもよく見ている。

 

ちゃんと謝らない大人が意外に多くて、先日もいい年したおばさんに「まず謝罪が先ではないんですか?」と話した。いつまでも自分にいかに非がないかばかり言い訳して、悪いのはウチのマネージャーだと。いや、知らんがなオタクの事情は、こっちはそちらから商品を購入しているお客でしかないんだから。

 

大人でも謝らない人が多い。

謝るべき時にちゃんと謝ること。

それから謝らなくていい時にペコペコ「すみません」とポーズで謝りすぎなこと。中身のないその謝罪が嫌いだ。

 

私に相手の親に謝れと言ってくる担任の先生もやたら「すみません」と言う。何が「すみません」なのか。頭をちゃんと使って言葉を話してほしい。

 

ウチの子供は国語が苦手だけども、テストで10点でもいいから、中身のある言葉を話せる人になってほしい。

 

頭も心もすっからかん。

ギュッギュッと中身を詰めるには、生きるって痛いのだ。

たらればばかり言ってる暇があったら今すぐ着手せよ

 

ダメだ…わかってるのに「たられば」ばかりで何も結局してない…なんてことになってない?

いつになったら動き出すのだ。

〇〇したら…とどんどん先送りにし、〇〇してれば…と過去ばかり嘆いて、結局あなたはいつを生きているのか。今だろ!

バッターボックスに立たずに、試合には出ず、ベンチからあーだこーだと言ってるだけ。いざとなったら闘えると思ってるでしょーけど、みんながすり傷作りながらも闘ってる間サボっていた代償は大きいよ。闘え!試合に出ろ!

 

とはいえ、今は動けるときではないのだよね。休むときなんだよね。あぁ、そうこうしてる間にあの子もその子もどんどん先に進んでいく。と、焦りも感じるよね。だからこそ、口をついて出る、「〇〇したら」という自分への誓いの言葉。

 

いいんだよ、そんな風に予防線張らなくても誰もあなたを見捨てない、見下さない、見限らない。それより何より、あなたがあなた自身を、「〇〇してなければ」「自分を認められない」「自分を許せない」「自分の価値を信じられない」ってことなんだよね。

 

そう思ってしまうのも分からなくもないけど、そんなに頑張りすぎなくてもいいんだよ。肩の力を抜いて、ゆっくり呼吸して、空を見上げて。笑って。

 

やるときはやるときで、やらないときはやらない。シンプルなことなんだ。〇〇したらやるなんて言わないで、やるかやらないかでいいんだよ。

 

闘うのかベンチで休むのかハッキリしろ。ハッキリと自分で納得しないといずれにしろ後悔するんだよ。

 

中途半端に「やれる私」を演出して自分の首を締めるのはサッサとやめてしまえ!たられば言ってるのが一番ダサいし、しんどいよ。

 

スッキリ、はっきり、つまりなく。

 

 

知らなかったから夢をみれた

 

知らなかったから夢をみれたのかもしれない

私は子供の頃から世界一のバレリーナになろうと夢見てきた。でも当時本物のバレエを見る機会はなく、私の子供の頃のバレリーナといえば、同じ教室のお姉さんたちだった。お姉さんたちのように上手になりたいと思っていたけれども、それは世界的な視野でいくと、お遊戯でとてもバレエと言えるものではなかった。けどもいい意味で井の中の蛙大海を知らずで、本気でなりたいなれる!!と信じ込んでいた。

 

20年前はyoutubeはなかった

当時、私が初めて本物のバレエを知ったのはNHKで放映されていたスイスのローザンヌ国際バレエコンクールの様子を見てだ。そもそもコンクールなんてものがあることも知らなかったし、ヴァリエーションってなんですか?レベルだったので、世界との差に驚き、自分がやっているのはバレエじゃないということを知った。

でも、日本人の私の3つ4つ上の人たちも出場していて、そして、入賞すれば海外のバレエ学校にタダで留学できるという道があることを知ったとき、もう今も忘れられないくらい胸が高鳴ったのを覚えている。しかし、待てよ?私とこの人たちとの差…あと3年で私はあそこに立っているだろうか。このままここにいていいのだろうか。

と、この瞬間から私は駆り立てられるように常に何かに追われるようにバレエのことしか考えられなくなった。繰り返し、ローザンヌコンクールを録画したビデオを擦り切れるくらいに何度も見て、振りを覚えて練習した。毎日悔しさで吐きそうになっていたから、人目とかどうでもよくて、どこでも踊っていた。家の廊下は絶対にピケターンかグランジュッテで。学校の廊下でも踊っていたし、掃除の時間も掃除をせずに踊っていた。登下校も一刻も無駄にできないと何かに取り憑かれていたのだと思う。

 

例えばどうだったのだろうか。youtubeで当時の私がもっとバレエ界の現実を早いうちから知っていたらどうなっていただろうか。心折れずにあのまま夢を見て目指せていたのだろうか。あまりの環境の格差に諦めていただろうか。それか、もっと可能性を広げる手を子供でも打つことができたのだろうか。

 

なんでも知りすぎて自分では何もできなくなっていく

先になんでも知ってしまうこと。どうしても知ることができてしまう。先に保険をかけ、予防線を張れてしまう。たくさんの可能性が目の前に見えすぎている。どっちがいいのかわからなくなる。ローザンヌの様子がfacebookでライブ配信されていることをつい先ほど知って、なんていい時代なのかと思った。私が子供の頃は新聞を取っていなかったので、いつNHKでローザンヌが放映されるかわからなかった。それに私は親に何か物申すことが怖くてできなかったので、ビデオでローザンヌを録画してほしいことさえお願いできなかった。だいたいいつ頃放映されているのか検討もつかず、なんとかして録画したビデオをゲットすべく相当四苦八苦していたのを覚えている。

ものすごく頭を使ってゲットして、家族がいない時はローザンヌを見ることだけが楽しみで楽しみで、私だけよく家に留守番させられていたのだけどもちっとも寂しくなんかなく、千載一遇のチャンスだとしか思っていなかった。

それが今は、ジャンジャン世界中の情報が簡単に見ることができる。それってものっすごく価値あることなんだけど、当たり前になっているのが不思議だ。今からバレリーナを目指す子供たちと、私とではまるで世界が違うのだろうなと思う。スクールに行かなければ、テクニックやパを知ることはできなかったけども、今はYouTubeで知れちゃうんだもんね。独学でできるできないというのは置いておいて。

どうなんだろうか。私には可能性がひろく広がっていた訳ではなく、これしかないって道しか見えていなかったので一極集中。迷いがなかった。できない、ない、が前提だから作る、生み出す、搾り取る、盗むということが当たり前の方法だった。欲しがらなければ与えられない。賭けていかなければ得られない。そんな感じだったので、目の前になんでもできるよ〜!っていう選択肢がいっぱいあるのはある意味で難しいことだと思ってしまった。

きっと今の時代には今の時代の良さがあるから、昔はよかったなんて言うつもりはサラサラないのだけれども。多分その人次第で、情報がこれだけ手に入ると言うことは、圧倒的な差が簡単に生まれやすいってことだよね。当時の貪欲な私がこれだけのツールを手にしていたら、どれだけ近道ができていただろうかとも思う。

 

言えるのはどの時代でも意志ありきだ。

私たちは元々依存しながら生きる人種なのではないか

 

日本とアメリカの性格の差とビジネスへの影響

私はアメリカ人の完全実力社会に憧れてた。コネとか権力とかそういったものでなく純粋なる実力だけの正々堂々とした社会の方が私自身は馴染みやすいのだろうなと。燃えるし、やり甲斐がある。潔くないのが嫌いなのだ。ガツガツ、バリバリ進んでいけるタイプなのだ。

それから、アメリカの個人主義な感じも好きだ。多民族国家で国としての歴史も浅く、日本のように土地に執着し根付くような性質はない。「私は私、あなたはあなた」といった感じで、たとえ親子であろうと個は依存せず自立している印象。生まれたての赤ちゃんでも一人ベッドで寝かせられる子育てから見ても、日本とは違う。親子川の字になって寝るなんて、アメリカ人には考えられないのだろう。

私はNYで公演がしたい。仕事をしてみたい。それはNYがエンタメの聖地であることと、実際にNYで踊ったり留学したり移住したりした人の話を聞いて、日本の舞台制作の仕組みとビジネスの仕方が全然違うことに興味を持ったからだ。

私の目的はもっと日本もアートやエンタメが普通の人にとっても今よりもっと身近なものになったらいい!と言うこと。

それは、単純にクオリティが低いこともある。でも、それって日本人のスキルが劣っているとか、クリエイティブでないとか解決しようもない話ではなくて、アメリカのアーティストやエンタテイナーを取り囲む仕組みがいいからなんじゃないかと思うようになったのだ。自分の持ち場に専念できる環境がアメリカにはあるけれども、日本って結構何でも屋さんになりがち。大した対価も得られず、義理と人情で譲り合ってやってしまうわけだ。

だから私はその日本の精神が嫌いだな、アメリカっていいなって憧れたのだ。

 

東洋人と西洋人

NYすごい!NYかっこいい!!NY絶対にいつか行きたい!!!

そう思い続けて早10年。

そして、ヨーロッパもバレエをやっていたので、国家公務員として重宝してもらえるその社会のアートへの寛容さが好き。

とにかく、「なんで日本は…」と私はいつも日本を嘆いていた。願って10年、実際にNYへ向けて動きだしたのが昨年の6月から。急に現実味を帯びていくNY。調べれば調べるほど、NYのことを考えれば考えるほど。ここへきて、日本の美しさや良さがぼんやりと見えだして、今に至っては東洋人としての誇りを感じるようになった。

当初持って行きたいと思っていた作品はNYリスペクトすぎて、日本人のレベルの低い私が果たしてNYで勝てるのか…みたいな変なコンプレックスが働いていた。ややNYに迎合する形についついなってしまう。ビックバンドに憧れたりして、でもね、なんやかんやと行けない時間、壁にぶち当たり続けるこの時間に考えが自然と反転した。

私たち東洋人、特に日本人は西洋に憧れすぎやしないか。デフォルトで何となく日本人よりも海外の方がすごい!と思いがち。かと思えば、日本人が自ら日本を誇るようなテレビ番組は多い。それって劣等感の裏返しなのでは。実際には日本が豊かだったのはとっくの昔の話で、今はもう先進国の中では色々と安い国になっている。なので、変なところに力が入っていて、ちょっとかっこ悪い。

もっと芯のところで自分に流れている血に誇りを持ってからNYに行きたいなと思うようになった。

 

夢を持て!目標を掲げろ!自分で考えろ!に疲れてしまったなら

日本人の劣等感。もともと、明治より前は「幸せ」「愛」「夢」「会社」そういった言葉はなかったらしい。福沢諭吉大先生が翻訳して作った言葉だったり、敗戦後GHQほ方針で日本は西洋化が進んだ。

欧米と言う言葉は実は日本しか使ってないらしく、しかも欧米なんてものは実際にはない。欧州と米国は全く違うもので、仕組みをツギハギのように日本は取り入れたのでその歪みが今の社会におきているのかもしれない。

田畑を耕し、村とか家族単位の小さなコミュニティで慎ましく生きてきた日本人。江戸時代でさえ、藩と言う規模で人と人は繋がっていた。確かに現代の人たちの多くの悩みは「幸せ」「愛」「夢」「会社」なのだ。血的にその考えが合わないんじゃないの???それは海外から輸入したものであり、持っている性質にはどうしても馴染まない…だから疲れてしまうのではないか。

もしかして、もっと大切にすべきことがあるのかな。そんな風に思うのだ。

私は今、近所のおじさんたちにキジをもらったり野菜をもらったり、そんな地域で暮らしている。もうじき、出産か〜なんて会話したり、挨拶したり、うちの子たちも困ったら隣のうちの人のとこに行ったり。日本人ってそう言うある意味依存し合いながら生きてきた人種なのかなって。

「生まれてきたからには何かを成し遂げるぜ!!!」

「主体的に生きろ!!!」みたいなそれができる精神がマッチョな人たちもいてもいいけど、日本の良さも捨てたもんじゃないって言うか。声が大きかったり、主張が上手なアメリカ人や日本人でも声の大きめな人たちの声にそこまで影響受けなくていいんだろうなと思うのだ。

その静けさの中に、東洋の美しさが光るって思う。

 

次にやりたい作品はそんなもの

東洋の光を表現したいなと。また、今の時代だからってところと。投げかけたいのは「幸せ」「愛」「夢」「会社」このあたりの成功とかより大切なものって何なんだろうってところ。

 

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評論家になっている場合ではない

 

評論家になっている場合ではない

私、もうやめようと思うことがある。ブログやSNSなどでも日常でも、身の回りの事象についてそれを題材に自分はどう思うかどう考えるかを論じてしまう。そこまで口だけ人間でもないとは思っているが、これは癖になりやすい。自分の考えに賛同してくれる人がいてくれてしまったりすると、やはりどうしても気持ち良さを感じてしまい、自分に勘違いを起こしやすくなる。私は弱いからそういうのにとてもハマりやすいんだよね。

それは現役でいたいから。まだ止まりたくないから。

人のことをとやかく言えているうちはまだまだなんだよね。比較して考えることは大切というのも一理あるけれども、やはり、それよりも圧倒的な行動量には勝てないんだ。どんだけ考えても。

 

言うのはやめられても思ってしまうのはやめられない時

口を閉ざすだけじゃあんまり意味がない。それは思ったことを言わないってだけで、肚の中ではあいつはあーだこーだと結局視点は外を向いたまま。そう言う人たくさんいる。それは本質的には評論家と同じで、私がやめようと思っているよそ見をしないは全くもって解決できていない。

暇なんだよね。自分に飽きているんだよね。興味が自分から外れちゃっているんだよね。

 

もっと自分に興味を持てよ!!!

意図的に興味を持たざるを得ない環境を作っていく。

3月末にダンスの全国コンクールにエントリーすることにした。自分に手間暇かけてあげないとどうにも誤魔化しようもない場所に自分の身を置く。言い訳や嘘偽り、ハリボテ、誇張、そういったものが通用しないところに行こうと思った。フェアに向き合え!と落合さんが言っていたのでね。

余裕は大事だけど、暇はいらないと思うのだ。倦まず弛まず。

 

周りの人間も変わる

類は友を呼ぶと言うことで、まぁ、同じような人が集まる、結局は。居心地悪いなと感じるなら、自分が変わっていけばいいのだ。なんか面白くないなって思うのは、あなたがつまらん人間なんだ。あなたがどうでもいいことばかり話して、思って、感じて、考えて、見て、聞いている。それを変えていけば、周りも変わる。

自分の弱さに負けないこと

 

最後の最後、私を踏みとどまらせる何か

それは私にとっての美学。

世の中、正しくても美しくないものがあったり、万人が避けるようなやり方でも美しいものはある。

 

いいことをした人はシールがもらえる制度

小学校3年生の時に、「いいことをした人はシールがもらえる」という制度がクラスで始まった。帰りの会の時にみんな手をあげて今日自分がしたいいことを発表する。すると、先生からシールがもらえて、クラスメートの名前が書かれた大きな模造紙に、その横にシールが溜まっていくというものだ。その模造紙は教室の目立つところに掲示させていて、誰がいいことをたくさんしていて、誰がいいことを全くしていないか一目瞭然になる。

その制度が始まり、最初は乗り気でなかった生徒も、みんな、いいことを発表するのが当たり前になり、教室にゴミは落ちていないし、みんな率先して友達や先生の手助けをするようになった。しかし、意気揚々と手をあげて自分がしたいいことを発表するという行為が私にはどうしてもできなかった。

シールの枚数を稼ぐために、頼んでもいないのに物を持とうとしてきたり、教科書を忘れた子に誰が見せてあげるのかと争っていたりして、違和感でしかなかった。

私以外の生徒はシールが伸びていき、私だけがいつまでたってもシールが0枚のままだった。周りの友達からも言われるし、最終的に先生にみんなの前で問い詰められた。私は周囲からの刺さるような視線に泣きそうだったけれども、毅然と答えた。

「シールが欲しくていいことをするのはいいことだとは思いません。私にはできません。なら、悪い子でいいです。」

先生から親にも連絡が行き、私の学生時代は大人からしたら本当に厄介な子供だったのだと思う。

 

大人になった今でも、私は変わらない。

 

行動としては正しくても美しくない

私は「美しさ」が一番重要な人間なのだ。それは、どうしても曲げられない。小学校三年生の時の、たくさんの目が向けられ、先生にも「冬佳ちゃんは一度もいいことをしていないのかな?なんで手をあげられないのかな?」というたったそれだけの問いかけが、もう吊し上げられて拷問のように辛かったけど、それでも曲げられなかったくらいのこだわりなのだ。

形や表面や事象で私は物を見ていない。中身しか見えないから、そのいいと言われる行動に意味が見出せない。

 

しかし、裏返すとこうなる

よくグレなかったね。よく真っ直ぐ育ったね。そんな風に言われることが多い。

私自身もそう思う。

私、でも毎晩、この手で父を殺す夢を見ていた。実際にこの手で殺めても誰も私を責めることはできなかったと思う。そうでなくても、逃げたいな、やめたいな、消えたいな…そう思う瞬間はなんども訪れた。でも最後の最後で私を踏みとどまらせる言葉は「それって美しい?」ってことだった。

多分、この自問する言葉が「それって正しい?」では弱かった。正しさなんて結構脆いものなんだよね。コロコロ変わるものだし。

最後に私を引き止めるものは自分への誇りだったみたいだ。私は美しくありたい。お金はなく地を這いつくばって小銭を拾うような貧乏人に落ちても、アルバイトさえ採用してもらえないほどの社会的な信用度の低さに落ちていっても、それでも最後まで心だけは美しいままで、下等な人間に落ちていってしまいたくない。そこで踏ん張っていたところがある。

あいつと同じレベルの人間になってたまるかと、自分の弱さに負けないように、それだけだった。

 

美しさっていうのは、人間にとって結構重要なのかなと私は考える。人によってそれも変わるのかもしれないけれども。

 

腐木は柱と為すべからず卑人は主と為すべからず

 

なぜなら、徳のない品性の卑しい人は、困窮すると自暴自棄になってすっかり裏返っちゃうからね。

新年の目標や一年の振り返りって何のためにするの?

 

 

毎年、新年の目標立ててませんか?

今年の目標は達成しましたか。

私の2017年の目標5つのうち4つ達成しました。

  • 旗揚げ公演の成功
  • 子供を元気いっぱい健康に育てる
  • 何か一つ勝負に出る
  • NYにいく
  • 入籍、家族と楽しく過ごす

NYに行かなかったくらいだ。今年やり残したのは。

皆さんはどんな一年でしたか?ってこの時期よく聞くフレーズだ。私はもうちょっとなんかこの習慣を変えていきたいって思っている。

 

計画は一年スパンでいいのか??

私も何気にアラサー。結構生きているんだなぁと最近実感する。それはやはりティーネイジャーだった、踏み込めば踏み込んだだけエンジン全快で爆進できていた体や心や頭ではなくなっていることから感じるわけ。

いやいや、まだ20代で何言っちゃってんの!って思うでしょ。

私の17才の頃のスケジュールはこんな感じだから↓

バレエのレッスン代を稼ぎながら、稽古を毎日12時間以上していたので、文字通り寝食忘れてな生活だった。玄関に毛布をおいておいて靴も脱がずに倒れこむようにして玄関で寝てアラームなったらそのまま出発するようなそんな生活。稽古以外に時間と労力を費やさないように、極限まで無駄を省くという…。

二度とできないよね。やれない!それは、体力気力的にも、環境的にも。若さって素晴らしいよね。

けど、10代には10代の、20代には20代の、30代には30代の、40代には40代の…闘い方があるように思う。

 

20代までは(つまり今も)臨機応変に路線変更が割と可能。あ、間違った!と思ったらまだ修正可能なのだけども年齢がいくにつれ子供ができたり、適応能力が落ちてきたり、いろんな要素から10代〜20代に比べて迷走もしていられない感は出てくる。それは積み上げる時間に早めに費やしたほうがより遠くの目的地に到達できるってことでもあるし、物理的、現実的に自由が聞きにくくなる。特に女性は妊娠出産とかもうどうにも動けない時期ってのはあるから。

すると、去年までのようにざっくり10年を見通して、そして、毎年一年ごとの計画っていうやり方があまり合わない気がしてくる。逆に、ここまでやってきてみたからこそ、もう少し俯瞰して人生を見通せたり、予測する力が付いてきたからってのもあって、もっと長いスパンで計画を立ててみようと思う!!!

 

気持ち悪いくらい細かい計画を立てる

やるならとことんという意味です。

来年2018年なわけだけど、2068年までの計画を立てよう。

50年計画だ。

私にはもう子供がいて、計画立てるなら子育てと切っても切れない関係なので、家族の年齢も書いてみる。今の生活って100点満点中100点って思えるくらい満足している。だから何をこれ以上望むのかなって、こう見えて野望や欲があまりないのだ。やりたいことを書き出してみると、人の手垢のついた「〇〇に行ってみたい」といった類のものが多くなり、私が十代の頃に思い描いた世界一のバレリーナになりたいってほどの情熱はもう持ち合わせられない。なんだか、生命力が落ちたみたいでこれが老いかと感じる。

でもね、人生この先50年を明確にイメージしてみると、「こんなことしちゃいられない!」って気に案外なってくるものだ。50年後って、今、27才の私ですら、生きてるかどうか結構微妙な年齢である。

19才の時に人生50年計画を立てたことで有名なソフトバンクの経営者孫正義さんは、30数年で年商を8兆円にしている。それは孫さんが天才経営者だからでしょっていう言い分はおいておいて、50年あったらまだまだそれくらいのこと成し遂げられる可能性があるってことだ。

私はただ、ノートの1ページに2068年までの家族の年齢を書き出しただけで、すごく変化が起こった。今まで、頭の悪い残念めな40代以降の大人に物申したり、世の中に対しても割と怒ってきた。世の中の筋の通らないこと、理不尽なこと、どうしても気になっちゃていたのだけども…私の40代なんてたったの10数年で自分がなってしまう。

一秒たりとも他人にお節介焼いている場合じゃないんじゃね?あなた、自分の40代どうなるかも想像ついていないくせに、どこに向かっているかもわかっていないのに、人のこととやかく言っているよりも、他にもっとやることあるでしょーよ!って。それに今のあなたがあーだこーだ言っても何の力もないわい。

大好きな旦那は50年後、81才のおじいちゃんだ。子供達なんて、あと10年ちょっとで家を出てしまう。一緒にいる時間なんて案外とっても短い。

 

そう考えたら、私は欲望や野望ありきで目標を立てるっていうよりも、もっとこうしたい、こうなりたい、こうはなりたくない、これだけはやらないっていうのが、ドバドバ溢れてきた。

 

どんな未来が欲しいのか

 

【母として望まない未来】

  • 子供に寂しい思いをさせたくない
  • 子供の可能性を潰したくない
  • 自分で考えられない子供になってほしくない
  • 夢のない子供になってほしくない
  • 人の顔色を伺ってほしくない
  • 子供にあたりたくない
  • 命を守れないのは嫌
  • 過保護にはしたくない

【妻として望まない未来】

  • 愛されないのは嫌
  • 愛せないのも嫌
  • 尊敬できないのも嫌
  • 尊敬されないのも嫌
  • 助け合えないのは嫌
  • 言いたいことが言えないのは嫌
  • 一緒にいる時間が少ないのは嫌
  • 我慢ばかりさせてしまうのは嫌
  • 俺ばっかり、私ばっかりって想い合うのは嫌
  • 寂しいのは嫌
  • 不倫浮気したくない
  • 不倫浮気されたくない
  • 嘘つかれたくない
  • 嘘つくたくない

【社会人として望まない未来】

  • いつまでも助けられたばかりの自分
  • 求められない自分
  • 社会にとって害でしかない自分
  • 納税できない自分
  • その他大勢

【ダンサーとして望まない未来】

  • 口ばっかりで踊れないダンサー
  • 貧乏なダンサー
  • ダサいダンサー
  • 教えてばかりでステージに立たないダンサー
  • 自己満ダンサー
  • 集客できないダンサー
  • 人の心に何も残せないダンサー
  • 何も伝わらないダンサー
  • 何も表現できてないダンサー

【生活環境の望まない未来】

  • 家事は炊事以外したくない
  • 散らかった家は嫌
  • まずいご飯は食べたくない
  • 毎日のように電車で移動するのは嫌
  • 帰りが終電続きは嫌
  • 加工食品はなるべく食べたくない
  • 手作りのご飯が食べられないのは嫌
  • タバコやお酒で体を壊したくない
  • デブになりたくない
  • 肌荒れも嫌
  • 人に監視されたくない
  • 睡眠時間が少なすぎるのは嫌
  • 無理はしたくない
  • 月に15日以上働きたくない
  • 安っぽいダサい服は着たくない
  • 不潔は嫌
  • お金のことばかり考えたくない

【人間関係の望まない未来】

  • 嘘つかれたくない
  • 思い込みの激しい人と関わりたくない
  • 貧乏人に近づきたくない
  • 被害妄想の激しい人と関わりたくない
  • 口ばっかりの老害の話を聞きたくない
  • なめられたくない
  • バカにされたくない
  • 人をバカにしたくない
  • 尊敬できない人と一緒にいない
  • 褒められてばかりの環境にい続けたくない
  • 宗教やネットワークビジネスの勧誘を受けたくない
  • 時間を無駄に奪われたくない
  • 時間を無駄に奪いたくない
  • 愚痴や言い訳の多い人と一緒に過ごしたくない
  • 騙されたくない
  • 儲け話を聞きたくない
  • 疑いたくない
  • 自慢ばっかりする人の話を聞きたくない

 

って書き出し、その逆が可能になる未来を設定すればいい。

 

「最高!」の瞬間を共有すること

50年って上記のやりたくないこと全部やらない未来を想定して動いても、まだまだ欲張って叶いそうなのだ。何を実現させるのかっていうのは、道具であって、何を感じたくて、何を感じたくないかってところなのだと思う。

 

それから人が「最高!」って思う瞬間ってどんな時だと思う?

Twitterで「最高」で検索かけてみたら、

  • 仲間と興奮するひとときを共有した時
  • ライブ、公演、スポーツ観戦など

が圧倒的に多かった。家族や恋人、友人、仲間、多くの人と感情を共有できた時が人にとって「最高!生きててよかった!」を痛感する瞬間なのだ。だから、私の人生50年の計画はそこを軸に置いて生きたい。大切な人と素敵な感情を共有する時間を多く作ること。「最高!」という瞬間を多くの人にたくさん提供すること。家族、ファン、コミュニティ、ダンスカンパニー、会社、国、世界そうやって規模を大きくして、感動を共有できたら最高な人生だよね!!!

 

そのために、どんなサプライズがいいかな。どんな人生イベントを起こそうか!そうやって考えていくと人生はもっと豊かに面白くおくれるんじゃないかと思う。