本当に有益な情報はネットからなくなっていき意識格差、情報格差が広がる未来

 

なぜかと言うと一定数いる情報イナゴから守るため

発信者だって人間である。本当は画面の向こう側にいる相手に自分の持っている有益な情報や考えをお金関係なく伝え、明るい未来にしたいって思っている。

が!!!集団でブワ〜っととんできて瞬く間に食い尽くしていくイナゴのように、袋叩きにすることで自分の欲を満たす、無意味にただ叩くだけの人たちがいる。この人たちに何か言っても、それぞれその人たち個人では自分には責任を感じない性質を持っていて、個として存在している自覚はないため、発信者は無用な攻撃を受けただただ消耗していくだけである。

クロースドなコミュニティの中で有益な情報を受け取れるようになっていく

そうしたイナゴたちから情報や自分を守る流れになっている。どんどんと情報は専門化し、ジャンルも多岐に渡り、欲しい人が欲しい情報を自ら取りに行くならばどんどん受け取れるが、ただただ消費しているだけの人からはたとえネットでも本当に有益な情報は見えない場所に移行して行くだろう。ググれカスって言われるやつはググっても何もわからなくなっていく。

意識の違いで格差がものすごく開いていくだろう。だって、イナゴに駆逐されているのって本当に不毛。そこに時間は1秒も、エネルギーは1kcalも使いたくない。もっと知的好奇心を満たしたり、創造する喜びを共有し合える人たちと関わっていきたいのだ。要は住み分けがもっとエッジの効いたものになっていく。

無料コンテンツと有料コンテンツによって起こる区分け

残っていく発信者はお金を基準として動いている人は少ないだろう。しかし届ける先に向けてはお金を基準にすることで受け手の区分けができる。自分の届けたい先にピンポイントで狙って、届ける先までもをお金を使ってコントロールしていける。有料だからいいコンテンツだと言うわけでもないし、無料だから役に立たない情報だってことでは全然ない。少数精鋭でこれから先はクローズドな場所に移行して、そして、質がぐんと高まってアップデートされたものが世の中に放たれるようになったらいいなと私は思う。それは芸術にしろ、技術にしろ、すべてのものが。

私自身に起こっている変化

ここ三年でものすごく早い変化を感じる。私自身は三年前はSNSもブログも全くしない、むしろ見てもいなかった人間だ。発信しながら自分自身の生活や生き方、もちろんスキルもその全ての生きがいをそのまま仕事として転換させていこうと、不特定多数の人に発信できるネットを駆使するようになった。

「タダで」「誰でも」発信者側になり得る。これは牽制逆転が狙えるすごくいいものだって思って。中身さえよければ思い通りになるだろうと三年前の私は踏んだ。だからそこからアクセルを思い切り踏み込む形で圧倒的な量を圧倒的なスピードで内容も強いものを全出ししていった訳だ。

そこからいろいたくさんしくじって学んで今は方向性がまた大きく変化している。

それは「何を発信しないか」と言うこと。全出ししてきたからこそ、どこを見せないようにすると効果的なのかがわかるようになってきた。眩しいくらいの光量でピカッーっと照らし続けた三年かんなら、これからはもっと陰影をつけて、よりコントラストを出してよりくっきり見せていくために隠すのだ。

イナゴたちに精神とコンテンツをズタボロにされないための私の策は圧倒的な内容と量とスピードでブルドーザーのように光で蹴散らしてきたものを、今度はクローズドさせていくことでエッジを出していきたい。それは受け取りたい人たちにもっと激しくオープンにするためである。場所を分けて、今よりもっと全公開し共有発展させることが私の喜びなので、受け取るためのハードルをあえて設けていこうと思っている。

Facebookのグループが多用されていく

そう言う意味で、Facebookはオワコンにはならないし、残っていくはずだ。タイムラインよりもグループが多用されるようになっていくと思うし、私も本当に有益なことはFacebookグループで発信する流れに自然となっている。ブログやツイッター、Facebookのタイムラインが全体に届ける案内掲示板で、そこから関心の高い人だけがグループに落とし込まれていくようなイメージだ。

面白いイベントも情報も、ほとんどそんな風に発展していくのではないかなと思う。

朝活オンラインヨガ:https://www.facebook.com/groups/1748328892062822/

O脚姿勢講座:https://onlineballet.thebase.in/items/10565134

ソロ公演の会場下見兼ランチミーティングの参加を募集中

https://www.facebook.com/events/2315960515096216/

 

人は感動しないと動かない生き物だから自己紹介ではストーリーを織り交ぜる

 

自分のストーリーを大切に

新年度を迎えてまた新たな環境に身を置き、新しい人々に出会い、新しい生活が始まる人も多いだろう。自己紹介をする機会も増える。自己紹介が苦手な人もいるでしょう、私も自己紹介が苦手だった。

人の興味を惹きつける自己紹介には短くてもその人のストーリーが含まれている。あなたの名前、出身地や趣味を語る中に「どうしてそうなのか」「どういう経緯で」「どう感じているのか」などのストーリーが紹介されると人の印象に残り忘れられにくくなる。

ベタな少女漫画に学ぶ

昨日、漫画をみてて思ったのだ。ベタな少女漫画で、もはや酸いも甘いも経験してしまった私には高校生の恋愛模様をエンタメとして純粋に楽しめない。自動的に「学び」として読んでしまった。なんか地味目な冴えない女子がクラスで人気のある男子に好意を持たれるやつね。それでクラスで目立っている女子に嫉妬されていじわるされ仲が引き裂かれそうになるパターン。そうなった時、100%ちゃんとお互い伝えていれば引き裂かれないわけ。少女漫画は「ミスコミュニケーション」で成り立っているんだな!っていうのが今日の学びだ。

吹き出しでは「う、うん…大丈夫!」とか言っていながら、吹き出しじゃないところに「心配させたくない…私は大丈夫だけど、ちょっとさみしい…離れたくない」とかかいてある。っていうか、むしろ吹き出しじゃない方を絶対に伝えるべきなんだよ。何事もそうだと思っている。仕事でも恋愛でも、むしろ本音の方を伝えればリスク回避になる。

なぜなら人は感動して動く生き物だから

自己紹介をストーリーを混ぜて話すのも、吹き出しじゃない胸の内だけの本音で話すのも、人はやっぱり何を言ったって感動しないと動かない生き物だからだ。胸を打たねば動かない。上辺の耳障りのいい、いい子ちゃんな言葉では胸を打つことはできないのだ。あなたの心が動いた現実を伝えることで、人はそれに共感し動く。

もしあなたが主役の漫画があったなら

「私が漫画の主役だったら」と俯瞰しながら新しい環境に飛び込んでみよう。吹き出しじゃない方の言葉を紡いで、ストーリーを楽しんでいこう。

私は新しい環境って言っても、春に限らず常に変化の絶えない環境にいるので今に始まったことではないけれども。今年の春はワクワクする企画をいくつかスタートさせている!!一つはソロ公演。二つ目はNYプロジェクト。三つ目はオンライン講座。プライベートでは沼を作ったり、野菜を作ったり、壁を作ったり。劇的な何かを投入するなら、夏にコンクールに出てみるのもいいかなと考えている。

受け身ではなくて、自分で素敵な漫画を描いていこう。

 

朝活オンラインヨガ:https://www.facebook.com/groups/1748328892062822/

O脚姿勢講座:https://onlineballet.thebase.in/items/10565134

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どんなことでもまずは面白がってみると割といい方向に転がっていく

 

そして面白がってくれる人といると人生は楽しい。

あなたに何か悩みがあるとする。それを誰かに打ち明け相談しようと思ったとき、実は相談する前からあの人なら大方こんな反応だろうなって予測ついてたりするよね?

ふと顔を思い浮かべて見て、あの人ならとりあえずふむふむと聞いてくれる人だなとか。あの人は論理的にメリットデメリットでアドバイスくれるだろうなとか。そして、頭から否定してくるなって最初からわかっちゃう人もいるよね。

あなたの悩みがあなたにとって重要で簡単に踏み込まれたくないものほどそういう人は避けると思う。その人が周りからどんなに良い人だって評判だとしても、あなたは結構正直に人を選んでるのではないか。

 

人は案外、あなたの一言や表情に敏感かもしれない。ふだんから愚痴や不満、噂話ばかりしてたり。返事がとりあえず否定から入ったり、口癖が「だって」とか「たら」「れば」な人は人や運を自ら遠ざけている。

陥りがちなのが、正しい話をするのはいいけど何かを否定してから始まる正論ばかり言う人も「あの人は何でも知ってる、賢く、正義感や責任感に溢れる人」て評されつつも人望は薄い人っているよね。正直、その正義感も正論もうぜぇなって思ったりする。もっと適当にふざけていきたい。

 

いつもニコニコして、「喜んで!」とすぐいい返事をしてくれたり。「面白そう!」って人の話に興味持って最後まで聞いてくれる人の方がどうしたって人も運も寄ってくる。

 

私は自分にピンチが訪れたときも、他の人がピンチに直面してもとりあえず「へぇー面白いじゃん!」って言ってから入ることにしてる。頭が「困った困った、最悪だ、終わった、無理だ」とその問題に入るのか。「面白いことになってきたな」と入るのか。その自ら作る先入観の差はその後の問題解決に非常に影響する。

あなたの価値観では理解しがたいことも、人も、世界観も。とりあえず「面白いね」って口に出してみるといい。その方が良い方向に事が運ぶ。運ってそういうことだと思ってる。

批評家とはあんまり私は一緒にいたくない。心が荒んでくるから。鋭い見方に勉強になることもあるけれど、同じように自分を監視するようになってしまうと自らリスクをとりにいけなくなってしまう。気付いたら、自分は安全の島から絶対出ないで、かっこわるい姿晒しながらも挑戦したら人を指差して笑ってるだけのダサい人間になってしまってたら悲惨すぎる。

私はリスクも面白がってとれる人に魅力を感じる。クローズドな感性よりオープンな感性を持っていきたい。

 

人は本当に窮地に追い込まれたときに本性が現れるんだよ。無一文になったときとか、天涯孤独になったときとか、すべてがダメになったとき。壊れて失われて奪われて裏切られたとき。良いときは人は良い人でいられるけど、最悪な日に自分を見失わずその状況を面白がれる人って強い。そういう人が人の痛みに寄り添える、真に強い人である。

 

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家族の多様化、そのとき、私は

 

先日、すごい記事を読んだ。ざっくり説明すると…40代くらいの夫婦とその子供たちという家族の話だったかと思うのだけど。夫婦の間でセックスがなくなってしまい、妻の方がそれに耐えられず夫公認で彼氏を作り…とここまでで結構驚きだが。なんと、その彼氏も一緒に住んでいるというのだ。もちろんその家には夫も子供たちもいる。

夫婦でよくよく話し合った結果、この形に落ち着いているというのだ。

もう一つはドラマの話だけど、Amazon primeで最近見たドラマの中でかなり面白かったので時間のある方はぜひ見てほしい。「僕のヤバイ妻」というドラマ。設定はかなりあり得ない感じだけど、夫婦ってリアルにこんな関係性なんではないかって見終わったあと思ってしまった。嘘がホントになり、ホントが嘘になる。

 

理想の温かい家庭ってなんなのだろう。私の育った家庭は機能不全家庭だったし、父という存在は一体どんなものかよくわかっていない。温かい家庭ってなんなの??私はそれが欲しいなぁとずっと追い求めてきたけど…実のところ何が正解かは分かっていない。だから悩む。

家族みんなが食卓につき、今日の出来事を和気藹々と話したりするのが温かい家庭??

私は理想の家庭という絵に描いたようなものを求めすぎていたようだ。人はそれぞれ違う。形もさまざま。父と息子、父と娘、母と娘、母と息子、父と母。その関係性がイレギュラーなことだってすごくたくさんあるわけで、そのどれもを理想のお父さん、お母さん、子という形に押し込めたらやっぱり歪みやしわ寄せが生まれる。

たぶん、温かい理想の家庭を目指すことがそもそもの間違いなのだ。私たちの形を作っていくのだろう。柔軟性が必要で、どこかのみんなにいい家庭だねっていわれる…そういう形を目指すんじゃなくて、誰にも理解されなくても私たちだけの形を目指していくことが家庭を築くってことなんじゃないだろうか。

 

私たち家族も模索中だ。また新しい家族を迎えて変化が訪れ試行錯誤が始まった。私はとっても大きな幸せを夫からもらいつつ、でも私にこんな寂しい想いをさせられるのも夫だけだ。だって誰より好きで誰より一緒に居たいって思う人だから。自分が生んだ子供なら、自分が腹を痛めた子なので大概のことでは切れることのない絆があると思うのだ。ただ、夫は違う。他人だから誰よりも離れたくないと強く願うのだ。子供には願う必要がそもそもあまりない。

いろいろなことがあるけど、ちゃんと向き合って乗り越えたいなと思う。理屈じゃない、頭でどうにかできるようなことじゃない。だからこそ答えがなく、難しい問題なのだけど、でも私を何があっても離さないで欲しいって思う。

彼氏を作って一緒に住んでるような家庭もあるのだ。その柔軟性を見習いたい。いや、問題が全然違うので私は彼氏を作ったりはしないけど笑

結婚の形もずっともっと人の数だけあってもおかしくないのかもしれない。自分たちの形を見つけるのだ。

 

愛されるばかりが能じゃないだろう。

さあ、見つけるんだぼくたちのホーム。

舞台のアイデアを生む魔法のカード

 

ダイソーの情報カード300枚を購入する。これ1枚につき1アイデアを思いついたらすぐ書く。頭に浮かんだことは全部カードに封じるイメージでもったいなく思わずガンガンカードを使っていく。

それを大きなホワイトボードに磁石でランダムに貼っていき、ペンでそれぞれのアイデアを紐付ける。紐づけてる最中にアイデアとアイデアが出逢って新たなアイデアが生まれたらそれもカードに記入。

ポイントは不採用になるとわかってるアイデアも一つ一つすくい上げること。現時点では実現不可能だったりいろんな理由でボツ案かもしれないけど、1万のボツ案の屍の上に最高の1のアイデアは生まれるのでボツ案大事!

そして、もう一つのポイントはカードをケチらず1枚に1つのアイデアを書く。1つのアイデアを書いてる最中に、頭の中は別の新たなことを思いついてしまってることはよくある。それを一緒くたに1枚のカードに書かず、もう一枚の新しいカードに書くこと。そうしておくと、あとからカードを紐付けさせるときに不便なので必ず1枚につき1アイデアを守る。

アイデア限定でなくてもいい。忘れてたやるべきことをハッと思い出すこともある。それも書けばいい。なんだか気持ちがモヤモヤするならそのときの気持ちを書いてみる。

頭や心にはふだん、言葉として意識してないけどシャボン玉のように湧いては消える言葉になっていない言葉がものすごくたくさんある。それらを認識して外に出してあげることで、思考や感情の循環が良くなり、新鮮なアイデアが生まれるんだと思う。

何に価値があるのかなーとよく考えるんだけど。それはきっとその人だけのアイデア、その人だけの想い、その人だけの言葉。あなたのフィルターを通過したもの。このカードに書き起こして、ホワイトボードに貼り付けて俯瞰することは私にとってはフィルターの掃除だったり、フィルターを通過させる作業だ。

いろいろなものを見聞きして食べて触れて…様々な事を思い感じているけれど、ほんとシャボン玉のように儚くパチンと割れて消えてしまう。アイデアはもっと儚い。

私は自分の意見やアイデアを育てるためにまずは想いのカケラを集める。舞台はそうしたひとつひとつのカケラが集まってリミックスされて、一目一目丁寧に編むようにしてひとつのものになる。どこの何が舞台上の私の表現の元になるかは必ずしもダンスの稽古中からでは全然なくて、むしろ9割の日常の何気ないものが表現に化けている。

まるで夢のようだ。見ていたはずの夢が思い出せないように、あぁあれはなんだったかな、すごくいいことを思いついた気がするんだけどっていつも悔しい気持ちになるんだよね。ヒラヒラととぶ蝶を追いかけて虫網で捕まえるのがこの魔法のカード。

 

実現させて

はじめてアイデアは生きる。

 

だから思いついたら迷いなくどんどん実現に向けて動くこと。「俺もそれは考えてたんだよー」って人様が実現させたアイデアを「俺だって」と言うけれど、やはり実現させたもの勝ち。だって実現しなければそれはあなたの夢の中で追いかけている蝶と同じなのだから。

三年〇〇を続けるとどう頑張っても取り繕えないハリボテが出来上がる

 

楽な方に逃げたくなるときってよくある。例えば朝起きた瞬間からそれははじまる。

「あぁ、このまま寝てたいな〜」ってまどろみの中自分と葛藤する。でも!私はまた踊れる体になりたい。朝起きて体を動かすのを守ると自分と約束したのだ。習慣化のコツはイレギュラーのときにいかに自分のルーティンを守るかなんだ。

「昨日は〇〇があって疲れてるから今日だけ休もう」

「休むのも体のためになるだろうし」

とか布団の中で葛藤してるときにたくさんの言い訳が思い浮かぶ。でもそれを打ち消す。「お前がやると決めたんだろ!」って。

で、そうやって人間は楽な方に逃げがち。

そして逃げた分ちゃんと自分にすべて返ってくる。あぁあのときやっていれば…って思いたくないから、今やるのだ。

 

協会ビジネスの闇

もちろんすべてがそうってわけじゃない。でも傾向的に〇〇協会と聞いて、筋が通ってたものに出会うことが実に少ない。

最後はみんな自分が可愛くて、やっぱり楽して稼ぎたいだけのシステムだったんだなとがっかりする。カモがカモを量産して、いいときは可愛がってくれるけど都合が悪くなると使い捨てられる…そんな仕組みに見えて仕方ない。(そうじゃない協会ももちろんもちろんある…と二回目だけど書いておこう)

説明を受けたサービスがちゃんと受けられなくて困っている。さらには既読無視。そうしてお金だけとって逃げていく。使い捨てて次の顧客を捕まえてまた同じことを繰り返す。

最初の3年はそれで楽して売上をあげられるだろうけども、必ず終わりはあるよね。しっぺ返しがやってくるよ。嘘を一つつくと、その嘘を貫くためにさらに3つ嘘を上から重ねなきゃならない。

3年そんなことを続けたら、どう頑張ってももはや取り繕えないレベルのハリボテが出来上がる。

アリの穴ほどのほころびから、立派に積み上げた城も堕ちる。そんなような言葉がどの国の歴史を見ても残っているのに。明らかな穴ポコ作りまくって何がしたいのか。

 

基本的にそうして囲い込まないと人がついてこないような組織の世話になること(関わること)は人生の無駄だからやめようと思った。「楽ができるよ」という怠惰な心を刺激、または不安を煽るような煽情的な文句で集まった人たちに生産性はなく創造的でもない。

あえて極端に…ただでさえ私は蓄積の装置はもう使うことをやめて、創造の装置を使っていくことに移行しようと思ってる。

すべてはクォリティなんだと思い知らされる。どんどん自分をアップデートしていかなきゃね。

「私の客をとるな」なんてそんな滞ったことしてると廃れる。そんなら、客にマジックで名前でも書いておけば?

むしろどんどん周りの質の良いサービスや作品を紹介する。もっと素敵なことが広まるように教えてあげる。私のファンはあなたのファンにもなったらいいと思ってる。それが創造の装置だよ。

楽に逃げずに自分をアップデートし続けてたら、怖くないよ。いつか置いていかれる、廃れる、祇園精舎の鐘の声じゃないけど…おごってるから守りに入って停滞してしまうんだよね。

 

自分に正直に真っ当に生きてればいいんだよ。

おごらず、腐らず、逃げず、負けず、気張らず、焦らず、威張らず、怒らず…だよなぁと思う。

 

嘘つきは泥棒の始まりだよ、くそばかやろう。ぷんぷん!笑

 

まぁもういいさ、私が本物なら間違いない。

他人にかまうエネルギーは使わず自分に忙しい人が魅力的にみえる理由

 

他人の目を気にしないで自分のやりたいことにどんどんチャレンジしたり、できることが増えたり、知らないことを知ったり、年齢問わず変化を恐れない様子は人を魅了する

 

他人の目を気にするのはとてもエネルギーを使う。こんなことしたらあの人にどう思われるだろうか。こんなこと言ったらみんなに「お前なんかが」って思われるんじゃないか。

「あの人は大したことないのに偉そうにあんなこと言ってる」そういう風に他人のことをジャッジしてるから、言いたいことも言えず、やりたいこともやらなくなる。ほんとはあなたは「羨ましい」という嫉妬心で胸がいっぱい。

 

他人の一挙手一投足を見張るように牽制し合うのはなんて無駄で愚かなエネルギーの使い方なんだろう。そうは思わないだろうか。他人がなにかあなたの気に食わないことを言ったりやったりしていることで、あなたにどんな損失があるのだろうか。何かを壊されたのだろうか、何か奪われたのだろうか。きっと刺激されるのはあなた個人の羨ましいという気持ち。

ならば、やればいいし、言えばいいし。それができないなら他人を見張るのをやめればいい。でも、その自由な他人を否定することでやらない言わない自分を肯定して、自分をヨシヨシと慰めているんだよね。可哀想に。

 

自分の理想は高く。他人に褒められたって非難されたってそれとは無関係な、自分だけのゴールがある。そこに向かって一心にひたむきに向かうんだ。

苦手なことで好きなことができるようになるのが一番満足度高い。苦手なこともできるようになるまで量をこなせばいつか自分のものになる。

酷い出来でも、下手でも、なんでもいいからとにかく生み出し続ける。

あなたは他人を消費し続けるのではなく、あなたが生み出す側になるとあなたは結果的に人を魅了する。他人を見張って消費してる場合じゃない!人生損してる。

創造の、あなたから生み出されるものは世の中を豊かにする。あなたからしか生み出されないものも確実にある。

それには大量のアウトプット。もっと「狂気」が必要。生み出すものは、アイデアでも、作品でも、なんでもいいけれど。

「執着」と言われる領域まである一定期間徹底的にワンテーマだけを考え続ける。とか、ハマり続ける。自分の中で何か突き破れる瞬間が訪れるまで夢中になる。

そうすると何かがころっと小さく生まれるときがある。1万の駄作を生み続けてるうちになんかの拍子にころっと出てくるんだ。それはとても尊いもの。他人の評価からは無縁なところで心底湧き上がる喜びを感じるだろう。

そんな体験を一度でもしてみたら、他人にかまってるエネルギーがいかに非生産的で無駄なことだったかがわかる。

暇を持て余してる場合ではなくなるだろう。自分に忙しくなる。暇をしちゃいけないよ。それは常に動き回って止まるなという意味ではなく、他人の人生にちょっかい出してないで自分の人生を楽しむということ。

他人にかまうのと他人に気を配るのと、空気を読むのは似てるようでまるで違う。マナーや常識や道徳を盾にして、他人の揚げ足取りや足の引っ張り合い、無意味な自粛…そう言ったものはあなたの人生から即刻排除した方がよい。

そして、そういう人を自分の半径5メートルでいつまでも飼ってないで、0.1秒で距離をとること。距離をとるかとらないかも一瞬で決めてすぐに自分のやるべきことを再開した方がいい。

表面張力を突破して、消費者、被害者をやめて生産者に。

かさこさんに自分の本音をひきだしてもらった

 

かさこ塾に入って私は変わった。かさこ塾は単にブログ術やセルフブランディングのノウハウを教えるだけの塾ではない。

かさこ塾の4回の講義中に出される宿題を元にかさこさんから個別にアドバイスをいただく。

 

私は自分が何者なのか、何をしたいのかってことがかさこさんのアドバイスにより自分の本音に気付かされた。

 

以下はリアルにかさこ塾に通ってるときにかさこさんとやりとりした私からのメール原文。自分のプロフィールを書く宿題だったかと思うのだけど、それを書いて一回目提出したら端的に言うと「サラッとしていて情熱が伝わらない」的な指摘をかさこさんから受けて書き直したときのメール。

書き直してみました!

 

私はこれ以上苦しみに溺れている人を見ていたくないのかもしれません。
こっち側に来てほしい。
環境じゃなくて自分の視点が変われば世界は変わる、その方法はダンスなんだ!と訴えたいのかもしれないと思いました。

でも、なんだかそんな強すぎるというか私の底を脈々と流れるこの想いをたったの一言で表現できないし、
抱えている側だったときは重すぎて、人になんかこの荷物を背負った自分を託せなかった。。
だから「癒し」や「セラピー」なんて言葉を容易に使いたくないのかもしれません。

相手がセラピストやカウンセラーじゃなかったから入っていけたんですよね。

本当に抱えている人間は安易に助けを求められない。

本当は児童養護施設に入っている子供たちにカンパニーにはいって欲しいです。
お金にならないけれど、すごく途方もなく大変だということしか目に見えないけれどでも本当はそれをしたいです。
親というバックボーンがない人生は児童養護施設を退所した後の人生は想像もできない程酷く険しいです。
そういう子を雇用できるくらいにお金持ちになりたいって思ってました、よーく考えたら笑

自分の子もまだまだで…まず、自分の子と自分の面倒見れてからの話だと思って胸に封じ込めていたけど
本当はそう思っているんです。大それたことを思っていて言っちゃいけない気がしてます。

なんだか、ここ数日で私は本心では
愚痴ばかり、不満ばかり、嘆いてばかりの中年のおじさんおばさんは眼中にないんだなって思っちゃったんです。

セラピストと名乗って「わたし可哀想ごっこ」には付き合えないと思っちゃいました。

そこに自分の存在を見い出していて、
いつまでもそこにいたくて全くもって現状を変えたくない人ばかり。
もちろんそうじゃない方もたくさんおられて、
大人のバレエ教室もダンスカンパニーも私から来てくれる人を制限する気もないし
そこはブレていないのですが、自分に隠していた想いはあったな〜と最近思いまして。

と、書いていたら初っ端からこのプロフィールも何もかもやり直しですけど

ぐるぐるしていて、また振り出しに戻ったようなことを書いてしまい
面倒くさいことしてて、すみません。

でも、自分を分かったような気になっていて
全然ちゃんと考えてなかったんだと分かりました。

かさこ塾に入らなかったら、こんな本気で自分が何をしたいか何ができるかを考えなかったです。

25歳の小娘が何を言ってるのかと思われたくないって思って言えなかったけれど
そういう子達に、今、抱えている痛みは持っていて悪いもんじゃないって
それが強みに、人に希望を与える力になることもあるんだって感じてもらえるような
カンパニーにしたいです。ただアホみたいに躍れれば満足な訳じゃないんだと気付きました。

もうちょっと、グダグダですけど、えい!っと送ってしまいます笑

 

当時、まだ私ってこんなにグダグダ言ってたんだな〜と。こうして自分の殻を破って出てくるみたいな作業をかさこ塾に入ってやっていたみたい。

 

初々しさがある。こういうのは忘れちゃいけない。どんな思いで始めたのか。

 

かさこ塾ってそんな塾です。

http://kasako.jp/event/

10年間先送りにしてきたやりたかったことを今年やると決めた

 

やはり、今年こそどうしてもNYに行きたい。

今年の秋口あたりに行きたい。

できれば家族みんな連れて。

 

行きたいダンスクラスを調べよう。NYのどこかでショーが出来ないかアポをとってみよう。日本で、今、ここでできる限りの事をしてみよう。

 

やっぱり今一番したいことって何だろうと考えると、NYに行くことなのだ。

 

でも、あなたも「今、一番したいことは何?」って聞かれて、一番を答えられる?一番したいことが現状難しいことであればあるほど「一番」ではなく「できそうなこと」の中の「一番」を答えてしまいがちではないだろうか。

 

私もいろいろ産休の動けない間に自問自答した。かなりグルグルと考え巡らせている。でも、わかったことは「やっぱり行きたい!!!」ってこと。

 

そのための手段とか、可能性を考えると気が遠くなりそうで、先送りすることが無難なんじゃないかって思う。

 

そうしてきた10年間なんだ。

ずっとタイミングは「今」じゃないんじゃないか。いつかそのタイミングがやってくるはずだって思ってたら10年も経ってしまった。

 

だから、今年は本当に行くと決めた。

 

あなたのしたかったけど、ずっと先送りにしてきたこともまずは「いついつまでにやると決める」ことからスタートなのかもしれないよ。

大きな夢を描く特別な俺は迷惑

 

 

そんなの無謀だ!できるわけない!人生甘くない!

ちゃんと将来のこと考えてるのか!

 

夢を語るとそんな風に多くの人に反対される。無理だと言うその人たちは夢を描き挑んだことがない人たちだ。

 

だからね、人生一度きりやってみた方がいいって私もそう思ってた。

 

だけど、それは違うなぁと思う夢の描き方をする人たちもいる。夢というのは今この認めたくない自分から逃げるために描くものじゃないんだ。誰かの生き方を否定するために語る夢なんて叶うわけない。

虚勢を張って、強がって、頑なな夢は叶わない。

だから、周りから猛反対を受けている。でもね頑なな夢を描く人にはその反対はむしろ栄養になりがちだ。「毎日毎日同じことのつまらな人生を生きてるお前らには俺の崇高さが理解できないだろう」とさらに孤立していく。

 

あのね、夢は孤立したら叶わない。あなたの夢があなただけのものでなく、あの人にとっても、この人にとっても、その子にとっても、叶いたい夢になったときに叶うのだ。

だから金メダリストもどう考えても本人の頑張りがあってこそなのにインタビューで「支えてくれたみなさんのおかげです」という言葉が自然にでてくるのだ。自分だけの金メダルじゃないって本当にそう思っているんだよね。

 

頑なな夢を描く人にはそれがきっとわからないだろう。俺以外敵になっている。みんな分かってくれない。俺はサラリーマンには向かない、平凡な人生なんて生きてて楽しいのか俺には理解できない。

 

夢を叶えたきゃ、口より手を動かすことだ。屁理屈こねるための頭より足を動かして、結果を出せよ。出せないのは周りが悪いんじゃなくてあなたの才能がないんだよ。本当に叶えたい夢じゃないんだよ、その夢は。

「夢を描く周りとは違う特別な俺」に夢見てるだけだから早く目を覚ませ。

 

現実を見ろ。理想と現実の差は歳おうごとに開くばかりだよ。勝算のないビックマウスは迷惑だよ。

 

有言実行や予告ホームランっていうのは、打席に立ったときだけ本気出せば打てちゃうものではなくて、人に見えないところでうーーーーーんと仕込みをしてるんだよ。むしろ準備こそ全てなんだよ。見えないところでうんとやってるんだよ。

地に足がついてるどころか、地中奥深くまで根を張っているくらいに現実と向き合わないと大きな夢は描けないんだよ。

 

だからこそ、私は夢を見ろ!って若い子たちに伝えたい。