夢中な人に勝るものはない

 

 

遊ぶように仕事し

遊ぶように生きる!

 

これをあえて大人が言うことに

私は少々違和感を覚える

 

子どもの頃、

ケイドロ、ぶらんこ、無駄に高いところから飛び降りる遊び、缶蹴り、Sけん、木登り

 

この辺りにハマった記憶があるのだけど

おままごとにしろ、

お人形遊びにしろ、

何かのごっこ遊びにしろ、

遊びを遊びと思って遊んでいただろうか

 

遊びは手を抜いたり、

適当にふざけてやることではない

むしろ何よりも本気だったはず

 

しかも本気でおままごとするぜ!とか

本気で高いところから無駄に飛び降りるぜ!とかって

仲間を誘って士気を高めて遊んだ記憶はない

 

 

だから大人があえて

遊ぶように仕事し

遊ぶように生きる!とか

遊びも本気!とか言ってるのが

意味わかんないでしょ。

 

遊びはそもそも何よりも本気だ

 

あえて宣言するところに胡散臭さを感じる

どちらかと言うと

「楽しくやる」という側面の強調に感じる

 

お金がもらえなくても

けいさつは泥棒を追いかけるし

休み時間が15分しかなくても

校庭に駆け出していってブランコに飽きるまで乗ったし

 

見返りあるなし関係なく

何かに没頭したり夢中になるものが

大人になってもあるのは

珍しいことなんだろうか

 

私には当たり前のようにある

それは別にダンスに限ったことじゃなくて

結構どんな仕事でも趣味でも

何でも夢中になって極めるのが得意

 

何かに没頭したり夢中になるって

とても大事なことだと思う

何でかというと夢中になるものがあると

自ずと自分の中に優先順位が生まれる

暇じゃなくなるから

余計なことで悩まなくなるし

人の目が気にならなくなる

自分がどう見られてるかとか

自分の評価、評判…ほんとどうでもよくなるよ

あいつはどう、とかもどうでもよくなる

 

 

だから人の足を引っ張ったり

わけわかんないこと言ってる人は暇人で

そういう夢中になるものが何もないんだなと

思うわけです

 

 

あとそれから

工夫したり試行錯誤したり

クリエイティブな頭を使うようになる

 

子どもの頃っていつもいつも

遊び道具が与えられて

遊んでくれる人がいてって訳じゃなかったよね

いや、そういう人もいたかもしれないけど

ウチは空き地でも空想の中で世界を作って

いろんな遊びを発明し

一日中汗だくになって

何もない空き地でも遊んでいた

 

大人になって役に立ってるなーと思うスキルは

私は全て遊びの中で培った

人を動かす力って実は

いかに上手に遊ばせるかってことだと思う

 

私は子供の頃

遊びを作る天才で

周りの知らん子供を遊びに巻き込む天才でもあった

私はめちゃめちゃ人見知りにも限らず

すっごい楽しそうに遊んでると

向こうから興味ある視線が飛んでくるから

さりげなく仲間に入れてしまう

5時のチャイムがなる頃には

全員友達!!!

 

私が大人になってまとめてる組織にも

ルールは設ける

だってルールがないとゲームが成り立たないから

私は遊ぶときどんどんルールを追加して

ゲームの難易度を上げていく

それが上手かった、天才だった

「じゃあ、今から手使っちゃダメね!」とか

 

やはり規律は大事だ

それはみんなが楽しむために

 

賞品や罰ゲームは初めからは設けない

賞品目的で遊び仲間を集めると

変な奴が集まってくるから楽しくなくなる

 

あくまで遊びのスパイスとして

賞品や罰ゲームは設けたい

 

と、よくよく考えたら

やっぱり私、

遊びのように仕事してるし生きてる

いやそこに境界線がないから

なかなか気づかないね

 

ケイドロをする目的は何ですか

ビジョンはありますか

なんて子供に聞いてもわからんでしょ

 

わさびは食べられるようになったけど

私はまだまだ子供なのかもしれません

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