素直じゃない人、そんな自分が嫌いな人へ

 

なんだかなぁ…という女の人っていますよね。自分に自信がなくて突っ張ってるような…柔らかさや穏やかさからは離れていて、何かいつも棘をまただてしまうような。

 

それは寂しさだったり、満たされなさからだったり、「安心、安全」に慣れておらず「幸せになること」が怖く自ら遠ざけてしまうような。

 

でも、大概本人もわかっているんじゃないかと思います。とても大事に愛されて育った内面が温かく可愛らしい女性を見て、自分の荒んだ心を感じずにはいられない。いいなと思い、自分も優しくしようまるくなろうとするけれど、やっぱりベースに流れるものが根本的に違うのだと愕然とします。

 

そんなとき、私は無理しなくていいと思います。

 

大瀧冬佳って、上記の寂しさをやはり持っているんです。私自身、尖ってしまったり、わざわざ敵を作るように自分の主張をしてしまったり、不器用だなぁと我ながら思います。

 

だけどね、無理して柔らかい女性を真似しようとすると余計に辛くなる…というほどでもないけれども、風邪を治すのに風邪薬を飲んで症状を抑えているだけで、ウィルスにはかかったまま、結局自分の免疫が闘って治っていく…という過程が必要なのかなと。

 

そして、私もそういう自分も認めつつゆっくりじっくり丸くなっていっている気がします。

 

状況が違う、外側だけ真似してみてもその状態を作っている源泉、原因があるならば仕方がないことです。現象に左右されないように。中身を、本質を眺めてみたい。

 

そしてね、その源泉となることを昨日でようやく解消させることができました。厳密には全てではないけれども、私の劣等感というか自分を好きになれない大きな原因となってること、それを解消できました。

 

ここまで生きてくるのに、時にはやっちゃいけないこともやったし、人には言えない非常識な道を通ってきました。力づくで通らないと道が開かなかった。でも、そういったことにはツケがあるのです。その過去の清算をしてきました。

 

やっちゃいけないということに(と言っても罪を犯した訳ではなく、私の尊厳としてやりたくなかったことという意味です)いいんだよと認める、それがあるからって恥ずかしいことではないとして、ちゃんとその原因と向き合った、だから解消できたのです。

 

その内面の解決がなければ、現象として解決してもきっと私は満たされなかったでしょう。

 

昨日はホッとして、一日無になりました。長かった。よかった、終わって、ちゃんと終止符打ってまた新たにスタートできます。

 

この病んでいるというか、ありがとうって素直に受け取れない自分が嫌いだったのですが今は愛おしく思います。急がずゆっくり自分を癒していきたいです。

 

どんな過程も無意味なことはないのです。今、たとえ可愛くない自分だとしてもなんとかなります。守りに入りすぎない、意固地にならない、ゆっくりでいい、一つずつでいい、時間がかかってもいい、止まってしまってもいい。

 

私は昨日のことがあって、また一つ素直な私になれたと思います。一気に私の根底に蔓延る不安がなくなった、大丈夫だと思えるようになった、よかったです。

 

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