生き様、仕事への向き合い方、小さな小さな気配りで人生が決まる

 

 

「老いる」ということ

 

あなたより若い人、年上の人、大人になるといろんな方に接します。自分が小学校一年生だったときにこの人は生まれたのかーとか!あの人はもう20歳だったのかー!なんて方ともお仕事を一緒にしたり、飲みに行って意見を交換したりします。

 

素敵に歳を重ねている方々を見ていて思います。

 

外見が若い人はハートも若い、思考も若い。若いことがいい!という話ではないので、続きを読んでください。

 

「老いる」シワやシミが増えたり、足腰が弱くなったりそういうことよりもっと深刻なことがあるなぁと思うんです。自己の尊厳を自分より経験のない者や、単に年下というだけの者の上に乗っかっていないと確立していられない…これは老いだなと思います。

 

過去の栄光をいつまでも掲げてそこから時が止まってしまうこと、それが老いだ。年下には有無を言わせず「すごい!」と讃えさせて、自己保身する。

 

でも、どうなんだろう?

私もいつか走ることに、挑戦することに疲れてしまい止まるときが来るのかな?

 

心が老いて、時が止まってしまった人というのは、もしかしたら「走りきらなかった者」なのかもしれない。寸出で最後、自分に挑むことをやめてしまった人なのかもしれない。

 

たぶん「やりきった」なら、もうどんな結果だろうと認められると思うんです。不完全燃焼なまま情熱を中途半端に残してしまったから、そのステージに未練が残ってしまって次へ行けなくなってしまったのかもしれない。

 

私はすごい!ということ

私はかっこいい!ということ

私は綺麗!だということ

私は偉い!ということ

私は面白い!ということ

私は人気者!ということ

 

もうこんなことはどうでもいいことになるまで「やりきる」。これが老いへの過程なんじゃないだろうか。この過程に耐えられず、結果ばかりにフォーカスしていると時が止まってしまう。

 

これが私!

と言えるまで、全力でやりきる。でないと、「もし〜だったら〜だったかもしれない」だとか、「〜してれば〜だったはず!」なんていう仮定の中で生きていくことになる。現実から目を背けて。

 

もうあれ以上は差し出せなかった

もうあれが精一杯だった

ベストを尽くした

とっても清々しいことです。命の限り輝いた、そんな誇りで胸がいっぱいになり、もはや結果や評判はどうでもいいものになります。

 

無念だっただろう…そういう風に思われる葬式をしたくないなって思います。

彼女は命のある限り生き抜いた、やりきっていた、もう思い残すことはないだろう、楽しみきっていた、そしたら私の大切な人たちはそこまで悲しませずに死ねるのではないか…そんな風に思います。(いや、今、思っただけでふだんからそこまでは考えてないけれども)

 

とにかく、今を楽しみかっている、楽しむことに全力!それが若さを保つ秘訣なんじゃないかな。

 

後輩たちの上で踏ん反り返ってる暇はないですよ。リーダーとか上に立つことになったり、あなたを慕ってくれる人が現れたときそこに奢ると途端に輝きを失っていく、新鮮さがなくなる、停滞か退化の道を進むことになります。

 

踊ろう、楽しもう、楽しい、楽しくて仕方ない。

そんな仲間に囲まれて生きていきたい。

しんどいときこそ、思い出して。

楽しむために生まれてきた。

それは生きる喜び。

 

そんな人が好きです。

そんな人が結果的にかっこいいなと憧れられる人です。

 

私もまだまだ力不足でたくさんの人に迷惑かけてます。泣いてしまいそうになるくらい、どうしてできないのだろうと落ち込む日もあります。こんな私にここまでやってくれていて、私は何を返せるのだろうと…。

 

応えきれないほどの恩恵を授かりながら感謝の気持ちを持って、態度と行動で示して行きたいです。

 

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

PAGE TOP