時に人は濁流に飲まれているのが楽、抜け出さないでいることを望む

 

 

戦争や震災
虐待やDV

 

そうした波乱にのまれている時って

案外居心地が良くなってしまったり

そこにのまれている自分が可愛かったりする

 

今日はとても難しい舞台を観てきた

「戦争と一人の女」というタイトルで

文学的でセリフが心の声だったり女と男の会話だったり

人称もコロコロ変わって非常に難しい作品だった

 

今日は3.11の東日本大震災があった日

そして昨日は東京大空襲があった日

 

これ、不思議なんですが

張本人は事態を受け止めないための

自己防衛反応なのか

まるで映画の主人公になったかのように

核心に触れず

でもまるで自分を演じるかのように

その現実に陶酔していくところが人間にはあるなと思う

 

戦争や震災、虐待やDVとは

全く関係のない個人の生き辛さまでもを

その映画の演出として都合よく組み込み

自分に向き合わなくてもいい

絶好の舞台に心と体を同化させていく

 

あなたの心はどこへ行ったのか

 

 

この作品は戦争、戦後を舞台としているのに

そういうことではない人のどうしようもない弱さ

それも個人だけが持つものではなく

ある種その時代を生きていた人の集団意識であったのを想像させる作りに私は感じた

 

正直、私は「火垂るの墓」を観ても

その悲しさを理解できなかった

というかなんかいつも違和感があって

人が紙のようにバラバラ死んでいくってことに

当たり前にそのまま私が悲しんで涙を流していいものなのか…

 

もっと何か、何か違った深い悲しみを見過ごしているようで

いつも火垂るの墓やはだしのゲンなど

普通に可哀想、悲惨だ、残酷だ、二度と繰り返してはならない

といった感想を持っては泣けなかった

 

 

それが、なんだかこの作品を見て

これって戦争関係ないよね

これって震災関係ないよね

これって虐待関係ないよね

これってDV関係ないよね

という答えが見えた気がした

 

何が起きようが

いつの時代も

みんな弱さを持っていて

それを格好の場所として使ってしまうところがある

 

簡単には幸せになれない

そう無意識に思っているのはなんで?

幸せになったらいいじゃない

呆れるほど

と思うわけだけども

闇は悪で、光は正義ってわけでもないんだってことだね

どっちがいいとか悪いはないんだな

 

たとえ、戦争でもある人には悪でない

たとえ、震災でもある人には悪でない

たとえ、虐待でもある人には悪でない

たとえ、DVでもある人には悪でない

 

…と思わされる衝撃的な作品でした

 

 

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