ウソはいらない、本物が見たい

人である

人に共感する

人に会いたい

 

人を動かすには何が必要なのだろう

という問いが最近は常にあるのですが

 

今日のかさこ塾フェスタを俯瞰していて思ったことは

詰まる所、誰かに会いきているんですね

人なのかなって

それを言うとなんだかそれって大前提でそれじゃないことを私は探していたのですが…それでもいいのかなと感じました。

 

昨年の来場者のおよそ2〜3倍は行っていた気がします

500名くらいは悠に超える来場者様

 

リアルでしか体感できない

会いたい人に会いにいく

いつもフェイスブックやブログで知っているあの方

どんな方なのだろうという確認をしに足を運ぶ

 

私は今日たくさんの方に

いつもblog読んでます

公演頑張ってくださいとお声がけいただきました

 

私を応援したいという気持ちから

公演のチケットを買ってくださる

その気持ちを十二分に頂いて

それでもやはり私の踊りを目撃してもらった際には

衝撃を受けて帰ってほしい

あぁ、あの言葉、あの熱さは

これなのかと確認してもらいたいなと。

 

ずっとずっと好奇の目に晒されてきた

10代の頃は今以上に不器用だったもので

親切心を装い私の話を聞き出し

行き着く先は宗教の勧誘だったり

母の癌はこれで治るよと

何だかマルチを紹介するのが目的だったり

もっと悪質なのは

私を救っていることで自分を救う大人とか

最終的に貶められたりだとか

 

性的な虐待を受けていたという過去が

新たな性被害の呼水になり

バイト先の店長や先輩にはめられたりとか

いろいろあった

 

だから私は誰も信じなかった

大人なんてクソだと

あんな大人にはなりたくないという

大人しか周りにいない時期があり

ここの層から一刻も早く抜け出そうと

足掻いてもがいて必死だった

 

それが今は周りにはかっこいい大人ばかりである

それだけいろいろな大人を15くらいから

社会に出て見ていると

顔見た瞬間に

下心で近づいてきている大人かどうかわかるようになった

 

今、自分がやっていること

それは5年10年20年先の自分に返ってくる

今、自分が逃げていること

立ち向かわなかったこと

先送りにしたこと

弱い心から人の足を引っ張ったり

嘘ついたり誤魔化したりしたこと

 

それが5年先の自分の足を引っ張ったりします

どんなに改心して環境も変わり知ってる者は一人もいなくなったとしても、それでも返ってくる。

 

自分に恥ずかしくないことをしていれば

それは蓄積され5年先の自分の糧になる

それが「人」になる

 

長く遠回りな話をしたけれども

「人だ」と言ったのは

その場だけの「人だ」ってことじゃなくて

あなたの全てのことだと思ったからです

 

旗揚げ公演が決まってから本番までの間だけで

私は勝負していない

生まれてから今日まで

私が私に恥ずかしくない行動をしてきた

 

負けそうになった

挫けそうになった

腐りそうになった

おごりそうになった

そんな時自分の美学をいつだって貫いてきた

 

唇を噛み締めて涙をこらえ踏ん張ってきたあの私。

私が自分を美しい、かっこいいと胸を張れる行動だけをしてきた

それ全てが私が人に与えうる影響力だと思っています

 

じゃないと、その場しのぎの

ただ集客しなきゃ!

でいいことばっかり言っていても

そんなの本当にだっさいなーと私は自分を誇れないし

そんな自分を客観視したとき

バレバレですからね

下心が透けて見えます

 

その瞬間だけ頑張るんじゃダメ

ハリボテかって。

 

やっぱり中身の詰まった「本物」って

世の中にそうそうないから

私は私が一番そうしたものを自分の目で目撃しに行きたいし、自分が観たいなと思うものをただただ作っているだけです

何故ならそれがかっこいいと思うから

 

そんな感じの大瀧冬佳って人に

みなさんは会いにきてくれるのだと思う

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