アンチは怖くない、守らなくても怖くない

 

 

守りに入るとほんと盗まれたり奪われたり

余計な勝手なこと言われたりする

 

敵を作らないのが最大の防御

秘密にしたいことこそ

自分の口から自分の言葉で

なるべく遠くまで大きな声で伝えちゃうんです

 

 

それって卑劣な卑怯なことばかりする人にとっては恐怖

人の弱みや痛いところをついて喜ぶ奴らなので

そんな戦法とられたらパニック起こします

 

私は人と共同経営は向かない

こんなやり方をするので

よくぶつかってしまいます

 

戦略はなし

あっても全公開

できないこと、不足していること

不安なところ、懸念材料、これもオープン

頭悪いと言われるし

考えなしだと言われるし

何よりハイリスクすぎて

意味をわかってもらえない

 

騙されてもいい、失ってもいい

という私の基本姿勢はなかなか人に理解されない

そして私も恐怖や不安を持ってる人に

説明できるか自信がない

説明できても理解はされないだろう

 

これはたぶんここまでの育った環境によるもので

感覚的に根強く「私は大丈夫!」があるからなんだ

 

チキンレースみたいなもんだけど

大丈夫なんですよ、どこまでもアクセル踏んで

 

 

回収なんて考えなくていい

あとからついてこないわけがないから

 

ノウハウなんてどんどん出した方がいい

出せば出すだけ自分が成長する

囲い込み出したらそれは停滞です

守りだしたらそれは老いです

 

現状維持も停滞

保険をかけだすのも停滞

私はまだまだ進みたい

 

私の中ではそれが最善策で

むしろ一番リスクが少ないという

裏付けも証拠も確信も実体験もある

 

世界最高峰のバレエ団に受かった経験があるってのは

その受かった事実がすごいのではなく

そこまで達した過程を確実に歩んでいること

これを普通の人は全く見ないんだよね

 

マグレじゃ何があっても受からないから

 

それから、これだけの底辺から

ここに浮上している過程に注目してほしいけど

大概は「閉鎖病棟」「虐待」「母の死」

ってことにギョッとするだけ

 

私には住所がなかった

私は市役所の人に「大瀧冬佳」の名を捨てろと言われてた

別の人間として生きる必要があった

mixi時代を知らない、

なぜならSNSをやると本当に身の危険があったから

 

だからFacebookやブログをやるなんて

とんでもないことだって言われてきた

 

 

それだけどもむしろ全公開したら

被害はゼロになり

私に近づくことはできなくなった

 

守るのをやめたら攻められなくなった

 

 

これは割と全てのことに言えると思う

この人怖いんだなって思う人は

攻撃的だったり鎧に覆われていたりする

正しいことを言って人を負かす人も武装だし

完璧に見せてダメなところを見せられない人も武装

 

その鎧取ってしまっても大丈夫なんだよ

むしろ軽やか、むしろ楽しい、

 

私にやんややんやとメッセージで反論くれる人も

なんかその人にとって冬佳の言ってることを

認めてしまっては何かが崩れて立てなくなると

存在が危うくなるとか、羨ましいとか

それがアリな世界だと

自分が頑張って我慢してる意味がなくなるとか

そういうことなんですよね

 

私も人の発言にイラっとしたり

反論したくなった時には

自分の中の何が反応してるのかなって考える

そうしてね、「ああ、大丈夫大丈夫」って

許していけるとどんどん世界は

私に優しくなっていく

無理ゲーだった私の人生は

どんどんイージーモードになってきた

最近はチート的なこともジャンジャン起きる

 

自分に優しく、人に優しくね!

 

 

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