大瀧冬佳のバックグラウンド

被虐待児というバックグラウンド

実は虐待を受けて育ちました。物心つく前からのことで両親には秘密にするように言われて育ったためどこの家庭もこのように秘密にしているだけでみんな実は私と同じだと信じながら育ちました。

しかし、その環境は過酷でした。自宅近くの公園に裸足で逃げて夜を明かすこともよくあり、夜中で真っ暗で公園の隣は変質者がよく出ると噂の神社があったため怖い思いをよくしました。サウンドバックのように大人の男の人に体を殴られ続けているとだんだんと頭の奥がシーンと静まり返り、とても清々しい気持ちになったりもしていました。

そうした逃げられもしなければ、変えることもできない環境だけど、私にはバレエがありました。バレエを踊っている時だけは、普段殻に閉じこもっているような私も自分が自分でいられて、生きていることを感じられました。生きていていいと言ってもらえる気がしました。

世界屈指のバレエ団に合格するも精神科閉鎖病棟入院

私はバレエに文字通り人生の全てを捧げていました。この環境から脱するためにはプロのダンサーのなるしかない、そして家を出よう、イギリスに行こう、思う存分踊るだけの人生を送りたい…そんな風に心に決めたのは小学校高学年になった頃だったかと思います。

そして私は実際に世界最高峰のバレエ団に選ばれました。しかしその頃父のDVが原因で女性の隔離シェルターに保護されての両親の離婚や、母は36才の若さで余命1ヶ月のガン宣告、そしてまだ私の下には弟が二人いる…という環境があり、留学は断念、また10年後に舞台復帰すると誓いバレエの道も諦めて家族を養うため働き出しました。

母の治療費、弟の進学費用、家族4人の生活費…これらを稼ぎ出すためにバイトを常に6つ掛け持ちし、寝ずに3日続けて働き、帰宅後玄関で3時間寝てそのまま次のサイクルの3日間のバイトに出かけるという生活をしていました。様子を見に来た叔母が言葉を一言も交わさず絶句したまま帰って言ったのを覚えています。この時どうやってこの生活から抜け出せばいいのか全く知識もなければ助けてくれる人もいませんでした。母は日に日に衰弱していき、死が迫ってくる恐怖は今思い出しただけでも耐え難いものです。常に死が隣にあるという感覚、神に祈り、私にできることの全てを精一杯やるのでどうか母を連れて行かないでと必死でした。弟たちも不登校になったり、荒れてしまって学校に何度も呼び出されました。

そんな生活を続けていたある日、ハッと目を覚ますと見知らぬ天井が見えるベッドにいました。体は動かず、奇声が響き渡り、ものすごい異臭に鼻の奥が痛くなりました。私は精神科の閉鎖病棟に拘束され、強制入院させられていました。事態を把握しようにも、私を人として取り合ってくれる人はおらず、悪夢を見ているのかと思いました。精神科の閉鎖病棟って、完治して退院するような患者はそもそもここに入院しないんですよね。まるで人生の刑務所のような場所でした。精神が崩壊している人間が人間として原型をとどめているような人はいなかったです。

私は幼少期からの過酷な家庭環境が原因で解離性人格障害が発症したため入院していました。解離性人格障害とはいわゆる多重人格です。過度なストレスから自分を守るために人格を分離させる病気です。しばらくの間、「私」という人格が戻って来ず、別の人間が私の体で生活を送っていました。過去からの脱却や、人格の統合は不可能とされ18才からの人生をここに隔離されて生きるしか当時の私には道がありませんでした。

私が何か悪いことをしたのか、こんなに頑張ってきたのになぜ私がここに隔離されて生きなきゃいけないのか。あまりに理不尽で、神様なんてこの世にいないじゃないか。私ばっかり辛いと、この時初めて発狂し絶望を感じました。今までずっと希望を胸に強く強く自分を持って生きてきたのですが、この時は本当にダメでした。怒りと恨みで胸がいっぱいでした。

バレエと病気の完治

結局、この時も私を救ったのはバレエでした。それから閉鎖病棟に入ったことは私の人生の中でとてもラッキーなことだったと思います。今まで蓋をしてきた黒い感情を外に出すことができたし、優等生でずっと生きてきた私が反抗期をして甘えることができました。ここの看護師さんが全部受け止めてくれたことで私は大きく変わりました。そうじゃなかったら、心の底から自己肯定感とかきっとないままで、自己顕示欲や依存症体質も改善できずに困った大人になっていたんじゃないかなと思います。

この後もしばらくずっと大変でしたが、私は18才で二つの強い武器を手に入れたのでここから人生は沈んだり浮きあがったりを繰り返しながらも全体的には好転していき今に至ります。

踊れる環境にいるありがたみ

本当に踊ることが好きで好きでいながら、私はみんなのように当たり前に踊れる環境にいられませんでした。いつも不可抗力によって遠退く。踊れる環境を整えるのは大変だった。踊れるって本当に幸せなこと。なんか、今の私は今のこの踊りを仕事にして思う存分やらせてもらえてるに到るまでのいろんな人の支えに感謝と愛でいっぱいなのです。一人ではこのステージに立つことはできなかったし、本当に今まで出会ってくれた人たちに感謝しているんです。

それから、私の生き様が何処かの誰かの勇気になったらいいなと思い、ステージに立っています。不遇な環境に生まれ落ちようとも自らの力で道を切り開いていくことができます。本当に何で私ばっかりとか辛くて誰かに救いを求めたくなる…でもやっぱり自分が立ち上がろう!進もう!としないと周りは助けられないんですよね。だからあなたにその力をあげられるような作品や表現をしていきたいなと思っております。これが私の原動力です。