子どもの「なぜ何」を潰さないように…

 

自分で考えられなくなった原因

それはもしかして、問題を与えられることに慣れすぎたからではないか。

小学校から大学生までは問題をクイズのように出してもらえるわけだけども、大人になると、問題からして何が問題かを考えなきゃいけない。だから、出題してくれる人がいないと解くという習慣ももちろんなくなるので、必然と考える時がなくなる。

 

問題意識をもつこと

何が問題か、課題は何か。

対処法じゃなくて、根本的に何が問題かを考えること。常に何か問題はないかという目をもつことを問題意識をもつという。しかも「お金がないなー」っていう漠然とした問題で終わらず、その問題をクリアできるまで細かくすることが意外と大事。

それにはトヨタで有名な話で、「なぜ」を5回問いかけるといいと聞いたことがある。

 

例)「お金がない」→「なぜ?」→「収入が少ないから」→「なぜ?」→「給料の安い会社で働いているから」→「なぜ?」→「そこしか受からなかったから」→「なぜ?」→「…。」

 

架空の人物になりきって考えてみたけど、なぜか私も辛くなってきました。最後は口を閉ざしてしまったけれども。なぜ?と聞かれるたびに、「いや、まじで、なんでこんな安い給料の会社で働いているんだろう、俺」みたいになって、選択肢が浮かんでくると思う。「そこしか受からなかったからってなんでそこにずっといるだけで、何かしていないんだろう」ってなるし、「あれ、もしかしてできることはまだまだあるんじゃないのか」となってくる。

問題を突きつけられると、しんどさはそりゃある。でも、問題意識を持ってみないと解決には一歩も近づけないのだ。

 

例)「結婚できない」→「なぜ?」→「出会いがないから」→「なぜ?」→「毎日同じ場所、同じ人にしか会ってないから」→「なぜ?」→「新しい場所に行く時間やお金の余裕がないから」→「なぜ?」→「….。」

 

うん…できることはめっちゃあるよね。

 

そんな感じで考える癖を持っていれば、割と人生は思い通りになる。

 

それって辛くないですか??

辛いのであれば、これを言ったら元も子もないけれども…あなたにとってそれは大した問題ではないということだ。悩み続けたいってことではないかと思う。それが趣味。

思うのは、もっと子どものように無邪気に問題が解けることや、できなかったことができること、わからなかったことがわかること、を楽しむ心を思い出したらいいと思うのだ。きっとみんな昔はそうだった。長い年月を経て、ただ単純に問題は誰かが出してくれるということに慣れてしまっただけだ。

子どもを育てていると、時々鬱陶しく感じてしまうくらい「なんで?」「どうして?」攻撃をすごく受ける。質問は大抵、難解なもので…「もう!わからないよ!!!」ってサジ投げたくなるものばかり。世界の全てに興味を持っていて羨ましいなと思う。そして、世界を見る解像度が高いというか…私たち大人は随分と俯瞰的にものを見ることに慣れてしまっているんだなと気づかされる。

で、なんだか「できないこと」「わからないこと」って全然恥ずかしいことでも、ダメなことでもないんだなと思い知らされる。

上記の例にあげた「お金がない」「結婚できない」そのできない理由を自分で考えなきゃいけない時に辛くなるのは、「できないことはだめ!恥ずかしい!」っていう思い込みがあるからなのであって、子供からしたら面白い教材でしかない。

もうだからね、楽しんじゃえばいい。

「え〜まじか〜なんで俺こんなに金ねーの?月末までまだ2週間あるじゃん、ていうか、なんで会社からしかお金もらえないって思ってんの?」ゲームにしてしまえばいいのだ。

 

子どもの「なぜ何」を潰さないように

子どもの「なぜ何」っていう意識は宝なのだ。うちの上二人の子どもは小学生になったところで、これから義務教育に突入して行く。学校教育がよくない!そのせいで量産型の人間しか育たなくなっているんだ!って反抗するよりも、私はこの中でも何か面白い人間を育てられないかと考えている。フリースクールのような所に行かせることも結構真面目に考えた時期もあった。でもね、できることはそれこそ「なぜ」を 5回繰り返すとたくさん出てくる。

まず、第一歩めは、子どもの「なぜ何」を潰さないことだ。

 

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