SNSが良いも悪いもその人の使い方次第である

 

SNSは実家を作るために始めた

SNSの使い方は人それぞれ。私は3年前までは限定公開で、友達も学生の頃の友達や親族のみの100人以下だった。年に数回の投稿、ほぼみてない感じ。Twitterに至ってはまるで使い方がわかってなかった。大概の人はそんな感じでリアルとネットのつながりをくっきりと分けているのかと思う。ましてや、会ったこともない人に自分のプライベートを公開することに気持ち悪さや不安を抱く人も多いだろう。3年前の私もそう思っていたし、公開するメリットや意義が全くなかった。

SNSを介して仕事に使っているならいざ知らず、それ以外にプライベートを公開する意味が不明だと思う。

全体公開にして、投稿も毎日、友達承認も会ったことのない人もOKにした私の目的はセーフティネットを設けるためだった。意外??実は仕事目的ではないのだ。結果、仕事にも繋がっているって感じではあるけれども。

セーフティネットというのは、簡単にいうと、帰る家が欲しかったって感じ。実家を作ろうと思った。私には頼る親がいなくなってしまい、何かあった時に何も安全網がない。別に支援してもらったり、生活の面倒をみてくれるようなものは求めていないけど、ちょっと助けてくれたり分けてくれたり可愛がってくれたり、こちらも気にかけて季節の挨拶を交わすような間柄の人たちがいたらなって思っていた。

 

遠くの親戚より近くの他人

とは、よく言ったもので不思議なことに繋がりの薄い他人の方が困った時にフットワーク軽く助けてくれるのだ。なんというか軽さがある。助けには迅速さが肝心だと私は思っている。助けてもらっておいてなんですが、つべこべ言わずに助けてくれって時に、説教から入り、結局何もしてくれずにいなくなる場合も濃すぎる関係だと案外多い。でもそれって仕方がないんだよね。「あなたのことを思うから」って気持ちが働いちゃうんだ。

その点、他人だってわかっているから、諸事情に絡む必要がないという軽さが功をそうしているのだと思う。

でもどんな関係性であろうともその人の人生はその人のもので、自分の人生もまた自分のもの。最終責任は本人が負うのには変わりないのだけどね。

 

SNSの距離感ってそういう意味でとても良いと思うのだ。しかも、名前や肩書きといった記号の部分の発信ではなく、その人が何を考えて何を感じているのかっていうもっと人間性の部分を発信していると、実は「リアルで会っている人間」よりも「SNSを介した実際には会ったことのない人」の方がその人を知っていたりもするんじゃないかって思う。で、リアルで繋がりのある人(PTA繋がりとか、会社の人とか、学校の友達とか)にはなかなか「自分の考え」みたいなパーソナルな部分は見せられないのが普通かと思う。なぜかはわからないけども。でも、SNSだけの繋がりの人たちとはインタラクティブに意見交換ができたりもする。その匿名性を悪い風に使うと誹謗中傷とかネットリンチみたいなことができてしまう。いい面ではそんな風に自分を表現する場になりうるのだ。

(私はリアルだろうがネットだろうが境界線なく子供の頃から自分の意見をいう子供だったので、浮いていたけど)

 

出産祝いが届く不思議

そんな風に発信し続けて3年。よくSNSの怖さや恐ろしさみたいな記事を見かけるけれども、私には良さしか感じられない。本当にみなさん温かい。実家ができたなと思う。私の子供の誕生にたくさんの方が祝福してくださる。ちょっとこんなことに困っていると投稿すれば、たくさんの情報が一気に集まる。みなさん、こんなものがあるよ!だとか、これが良かったよ!とかたくさん教えてくれる。衣装に着物を使いたいと投稿した時には、部屋がダンボール箱でいっぱいになる程着物を送ってくださり、公演をすると言えば全国から観にきてくださる。

昨日、今日は、出産祝いにamazonギフト券や贈り物が次から次へと届く。普通なら考えられないことだ。私に会ったことのない方からも届いている。会ったか会っていないかっていうのはもはや大した問題じゃない。

夫婦二人で、ありがたいありがたいと言い合っております。ほんと、とっても温かい。ネットだから関係が希薄だって言い切っちゃうのはひどく勿体無い。画面の向こう側にはやはり血の通った人間がいるのは変わりないのだ。だから、私は今後もネットだからとかリアルだからとかって区別することなく普通に人付き合いしていきたいなと思う。