老いた心に向かってませんか

 

ずっと前から知っていた人に会って、その人に「老い」を感じた時。私はものすごく焦りを感じた。言いようのない感情が胸に残って今もボーッと考えてしまう。人は老いるんだなと、時間は本当に限られていることを強く感じた。

「子供の手が離れたら世界中を二人で旅しよう」そんな願いは叶わない。今、やらないとダメなんだ。思ったよりも人生は短い。私もいつか老いるのだろうか。興味や関心、意欲がどんどん失せていくのだろうか。別に…どうせ…こんなもんと、何事も新鮮に感じられず、物事をつまらない方向から見ることしかできなくなってしまうのだろうか。

目標を持たずにできる範囲でゆったり落ち着いた平凡な生活を送ることも人それぞれの価値観だからいいのではないかと思っていたが、私たちはどうしたって50歳くらいで体力も気力も衰えてしまうのだったら、そのころに落ち着いた生活は否応無しにやってくるのだから、今は思うよりもっとアグレッシブに生活した方がいい。守りに入るのは早すぎる。世の中悟った風に斜に構えて生きるよりももっと果敢に挑んどかないと、今から守った30代の20年後、背中に苔が生えちゃうんじゃないだろうか。

心が錆びてしまうと結構大変。肉体的な老いはともかく、新鮮な風が吹かなくなった心を持った人の顔は一段と老け込んで見える。

童心を持ち続けるのは難しいかもしれないけれども、何にも感動できなくなっちゃうなんて、寂しい。今すでに感動することがなくなっちゃっている人は意識的に感小津できるものを見に出かけた方がいいよ。長いこと生きていると、ちょっとやそっとじゃ感動しなくなってしまう。もう知っちゃっているから。見たことあるから。経験してきてしまったから。

「初めて」なことはほとんどなくなってしまったなら、「初めて」を探そう。そしてやろう。行ってみよう、見てみよう、感じてみよう。狭い世界で、知った気になっているよりも、知らない世界に飛び込んで見たらいい。あなたが知っている世界なんて狭いものでしょう。あなたが知っている人なんて世界中見渡せばほんの僅かでしょう。自分の世界をつまらなくしているのは自分自身。面白い人には会いに行ったらいい。行きたいなとちょっとでも思ったことはちゃんと意識的に行動にうつしてみる。

思っているだけじゃ、あっという間に老けてしまうよ。感動をそんな人たちに届けて行きたいと思うし、自分自身ももっともっとアクセル踏み込んで行こうと思い直しました。30目前にして、満足しちゃうのか、ここからさらに20代の自分を超えるくらいにアクセル踏めるかの差はこの先に待つ50の自分に反映される。