結果を出して安心させてあげる

心配されるんだよね。心配とかかわいそうっていう同情って本当にめんどくさいなって私は思ってきた。それはなんでかって言うと、究極私を信じてくれていないんだなってこと。

でも、これ仕方ない。あなたの人生に責任持つほどあなたに信用も信頼もないから。そして、他者への信頼は自己への信頼に比例すると思う。

信用と信頼は別物だと私は思っていて、今、私はどちらかと言うと信用より信頼を得られる人間になろうと思っている。けど信用を積み上げる方がやり方が簡単。信用は何かの条件をクリアすると信じてもらえるってこと。で、信頼は何も条件なく信じてもらえるってこと。条件があるとしたら、「あなたがあなたであること」が信頼の条件。

すごく似ているようで、結構違うのだ。

ダンサーが仕事をもらうのに、〇〇コンクール入賞とか、〇〇バックダンサー出演とか、こう言ったものは信用。私はダンサーだけどもこう言うものは一切積み上げる努力はしてなくて、完全に「大瀧冬佳が大瀧冬佳である」ことだけに注力している。大瀧冬佳の輪郭をハッキリとつけることが、ダンサー大瀧冬佳として生きていく道。そうなると同じダンサーであっても活動する場所はほとんど交わらなくなる。いいのか悪いのかわからないけど。

もう一つ、信用と信頼について話すと、信用金庫とは言うけど、信頼金庫とは言わない。これはわかりやすい。大瀧冬佳であるだけでお金貸してくれるわけないもん。

信頼関係を築くとは言うけれども、信用関係を築くとは言わない。信頼は精神的な繋がりで、信用は物理的・証拠があっての繋がり、意味や意図、目的があっての繋がりな気がしない?なので、ダンスカンパニーUzmeはキャスティングに命をかけているのだけども、信用と信頼の狭間で選びたいと思っている。ギャラの範疇の仕事を最低限してもらえるプロであり、かつ、団長の思いを形にしたいとプラスアルファの力を発揮しようとしてくれる人が結果全員だったなと振り返って思う。

そう考えると、信頼は未来を信じることで、信用は過去を信じることなのだ。大瀧冬佳自身が突けば何が出てくるかわからないブラックボックス感が強いので、その「この人なら何かやってくれるんじゃないか」って言う期待を増長させていくのが大瀧冬佳の仕事。

そして、表題の「結果を出して安心させてあげる」だけども。信用だろうが、信頼だろうが、他人の9割はいずれにしろ信じてくれないよ。「できない」「無理だ」「無謀だ」とあなたの力を信じてはいない。そりゃそうだよね。

「信じる」をほとんどしない人生ってかなり貧しいと思うのだ。信用でも信頼でも「信じる」ができる人って豊かだとは思いませんか?

色々信じられない人の口癖はきっとこう。「どうせ…」「だって」「〜だったら」「でも」きっとネガティブなものばかり。他者に向けるその言葉は100%自分にはね返ってくる。あなたが私を信じてくれないことは別になんとも思わないが、逆にそこまで否定できる心だと、自分をも否定し続けることになってるだろうなって想像する。

だから、私は有無を言わせぬ圧倒的な結果を出していきたい。時にダメな時ももちろんあるけれど、そんな風に頑なそうに見える、「信じられない人たち」も結果が出た時にはあっさり手のひら返して一緒に喜んでくれるものだ。ちょっと前の私はこの秘技手の平返しが大嫌いだったけども、これはきっと「本当は何かを信じたい」、「信じられるものを一つずつ増やしたい」と言う心の底にある願いの裏返しなんではないかと思うようになった。

ダンスカンパニーUzmeのファンは豊かになっていく。それは、とっても未知なことばかりの得体の知れない無名劇団の表現だけをただ信じられる人たちだからだ。

2018年7月7・8日 大瀧冬佳ソロ公演予告