99%でなく100%の力を出し続けること

 

自分はいつかは何者かになれる、やればできるんだと、自分は特別なんだと思っているだけでやれなかった大人の言うことを聞かなくてよかったって28歳になって痛感する。

 

いつもいつも大人からの説教が私は聞けなかった。どうしても胸に響かなかった。それはなぜなのか、今ならわかる。なぜかって、そいつら全員やってない人たちだったからだ。22〜28歳までの間に5速までギアを上げきれたかどうか、あなたのベストは尽くしたのかと言うと、そういう人たちってやっぱり中途半端なんだ。

成し遂げられたかどうかの結果よりも、やりきったのかどうかが大事で、出し切れなかった人、余力を残してしまった人、は、いつまでもいつまでも「本当は〜だったかもしれない」とずっとたられば話をしてしまうものだ。

 

できる奴より、やってる奴が強い。言い訳してやらないまま大人になってしまった人が実は99%なんじゃないかって私は思う。そして、そういう人に反発してああいう大人にはなりたくないって言いながらあなたも同じ道を着々と歩んでるんだよ。

なら、やりなよって。何があったらやり始めるのか。何がなかったらできるのか。調べたのか。やれる道を血眼になって探し尽くしたのか、やってみたのか。

一つもできないことなんてなく、飽和するほどにやれる手は出揃っている豊かな時代なんだ。あとはあなたがやるかやらないかだけなんだ。

 

できると思ってた明日はどんどん遠ざかる。その時が来たらあげられると思ってたギアはどんどんと錆びて重くあげられなくなっている。ハッとある日気がつくんだよ。やれたはずなのにやらなかった今日をみんな、若手に託すけどね、若手からしたら「お前がやれよ!」って思うし、その若手もまた言うても、やらないのだ。

私は常に自分の100%の力を出し続けてきただけ。70%でも80%でもダメで、99%じゃなくて100%の力を出すこと。やれる手は全て打つ。ただそれだけだ。それをやってる人を私は生涯で見たことがほぼない。

明日があるって思ってるからだよね。

今日、今、この瞬間に自分を信じて、かけられない私に明日なんかないのだ。

やっぱり、私はやりきって死にたいなって思う。目標や夢や達成したいことなんかなくたっていい。ただいつかなれると夢見たまま、最期自分に失望して死にたくない。