知らなかったから夢をみれた

 

知らなかったから夢をみれたのかもしれない

私は子供の頃から世界一のバレリーナになろうと夢見てきた。でも当時本物のバレエを見る機会はなく、私の子供の頃のバレリーナといえば、同じ教室のお姉さんたちだった。お姉さんたちのように上手になりたいと思っていたけれども、それは世界的な視野でいくと、お遊戯でとてもバレエと言えるものではなかった。けどもいい意味で井の中の蛙大海を知らずで、本気でなりたいなれる!!と信じ込んでいた。

 

20年前はyoutubeはなかった

当時、私が初めて本物のバレエを知ったのはNHKで放映されていたスイスのローザンヌ国際バレエコンクールの様子を見てだ。そもそもコンクールなんてものがあることも知らなかったし、ヴァリエーションってなんですか?レベルだったので、世界との差に驚き、自分がやっているのはバレエじゃないということを知った。

でも、日本人の私の3つ4つ上の人たちも出場していて、そして、入賞すれば海外のバレエ学校にタダで留学できるという道があることを知ったとき、もう今も忘れられないくらい胸が高鳴ったのを覚えている。しかし、待てよ?私とこの人たちとの差…あと3年で私はあそこに立っているだろうか。このままここにいていいのだろうか。

と、この瞬間から私は駆り立てられるように常に何かに追われるようにバレエのことしか考えられなくなった。繰り返し、ローザンヌコンクールを録画したビデオを擦り切れるくらいに何度も見て、振りを覚えて練習した。毎日悔しさで吐きそうになっていたから、人目とかどうでもよくて、どこでも踊っていた。家の廊下は絶対にピケターンかグランジュッテで。学校の廊下でも踊っていたし、掃除の時間も掃除をせずに踊っていた。登下校も一刻も無駄にできないと何かに取り憑かれていたのだと思う。

 

例えばどうだったのだろうか。youtubeで当時の私がもっとバレエ界の現実を早いうちから知っていたらどうなっていただろうか。心折れずにあのまま夢を見て目指せていたのだろうか。あまりの環境の格差に諦めていただろうか。それか、もっと可能性を広げる手を子供でも打つことができたのだろうか。

 

なんでも知りすぎて自分では何もできなくなっていく

先になんでも知ってしまうこと。どうしても知ることができてしまう。先に保険をかけ、予防線を張れてしまう。たくさんの可能性が目の前に見えすぎている。どっちがいいのかわからなくなる。ローザンヌの様子がfacebookでライブ配信されていることをつい先ほど知って、なんていい時代なのかと思った。私が子供の頃は新聞を取っていなかったので、いつNHKでローザンヌが放映されるかわからなかった。それに私は親に何か物申すことが怖くてできなかったので、ビデオでローザンヌを録画してほしいことさえお願いできなかった。だいたいいつ頃放映されているのか検討もつかず、なんとかして録画したビデオをゲットすべく相当四苦八苦していたのを覚えている。

ものすごく頭を使ってゲットして、家族がいない時はローザンヌを見ることだけが楽しみで楽しみで、私だけよく家に留守番させられていたのだけどもちっとも寂しくなんかなく、千載一遇のチャンスだとしか思っていなかった。

それが今は、ジャンジャン世界中の情報が簡単に見ることができる。それってものっすごく価値あることなんだけど、当たり前になっているのが不思議だ。今からバレリーナを目指す子供たちと、私とではまるで世界が違うのだろうなと思う。スクールに行かなければ、テクニックやパを知ることはできなかったけども、今はYouTubeで知れちゃうんだもんね。独学でできるできないというのは置いておいて。

どうなんだろうか。私には可能性がひろく広がっていた訳ではなく、これしかないって道しか見えていなかったので一極集中。迷いがなかった。できない、ない、が前提だから作る、生み出す、搾り取る、盗むということが当たり前の方法だった。欲しがらなければ与えられない。賭けていかなければ得られない。そんな感じだったので、目の前になんでもできるよ〜!っていう選択肢がいっぱいあるのはある意味で難しいことだと思ってしまった。

きっと今の時代には今の時代の良さがあるから、昔はよかったなんて言うつもりはサラサラないのだけれども。多分その人次第で、情報がこれだけ手に入ると言うことは、圧倒的な差が簡単に生まれやすいってことだよね。当時の貪欲な私がこれだけのツールを手にしていたら、どれだけ近道ができていただろうかとも思う。

 

言えるのはどの時代でも意志ありきだ。