謝れない大人と空っぽの「すみません」ばかり言う大人

 

未だ、手間暇かけることが愛情の証って宗教のように信じていたり。それは長時間の残業がイコールいい仕事したって思い込んでいるのと似ている。

極端な自然派子育て。界面活性剤がどうちゃらこうちゃら、化学調味料がうんたらかんたらと嫌う人たち。

生産性や効率化とか、お金の話やテクノロジーの話も排他的である。そういったものに恐怖を抱き、変化を嫌う。

 

それってどうなんだろうか。

懐古主義で昔は良かったって昔の中に生きる。クレヨンしんちゃんの映画みたいだ。

 

保育園や小学校はまだまだコストカットできるはずなのに、手間をかけることが愛という解釈なのか、なんなのか…本当に今の時代の波に乗っかって生きているタイプの親からしたら、無駄ばかりでやってられない!と感じることばかり。

 

なのにも関わらず、大事な子供のケアというものはだいぶ置き去りに感じてしまう。基本的に何もかもがポーズなのだ。

子供なためという手作りの壁飾り。

子供のためという大人による喧嘩の仲裁。

本質はどこにあるんだろうか。見るべきものは本当にそこでやるべきこともそれでいいのだろうか。

 

教育機関や先生、保育士を責めているんじゃなくて、このシステムどう考えても時代遅れじゃない?って言いたい。先生や保育士がどれだけ大変な仕事か分かってるのか?と言われてしまいそうだが、それはかなりの的外れ。

 

誰の何のための仕事なのかって子供なのにも関わらず、当然のように子供の喧嘩に介入するのは、保護者の目を気にしているからでしかない。

モンスターペアレントと言われる人たちがいるのも知っているけど、そんな風に親がよく子供の話を聞くこともせずに相手の親にぺこぺこ口だけ謝る姿を子はどんな気持ちで見ていて、そしてそこから何を学ぶのか…そんなことは先生たちは考えないのかな。

 

何の目を恐れてるのか、親や先生がその目を恐れて翻弄されて生きている姿が子供にとっては一番の教科書になってしまっている。

 

口で何が良いことで悪いことなのかをいくら説いても、やはり大人のその背中から子供は一番学んでいる。とってもよく見ている。

 

ちゃんと謝らない大人が意外に多くて、先日もいい年したおばさんに「まず謝罪が先ではないんですか?」と話した。いつまでも自分にいかに非がないかばかり言い訳して、悪いのはウチのマネージャーだと。いや、知らんがなオタクの事情は、こっちはそちらから商品を購入しているお客でしかないんだから。

 

大人でも謝らない人が多い。

謝るべき時にちゃんと謝ること。

それから謝らなくていい時にペコペコ「すみません」とポーズで謝りすぎなこと。中身のないその謝罪が嫌いだ。

 

私に相手の親に謝れと言ってくる担任の先生もやたら「すみません」と言う。何が「すみません」なのか。頭をちゃんと使って言葉を話してほしい。

 

ウチの子供は国語が苦手だけども、テストで10点でもいいから、中身のある言葉を話せる人になってほしい。

 

頭も心もすっからかん。

ギュッギュッと中身を詰めるには、生きるって痛いのだ。

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