他人にかまうエネルギーは使わず自分に忙しい人が魅力的にみえる理由

 

他人の目を気にしないで自分のやりたいことにどんどんチャレンジしたり、できることが増えたり、知らないことを知ったり、年齢問わず変化を恐れない様子は人を魅了する

 

他人の目を気にするのはとてもエネルギーを使う。こんなことしたらあの人にどう思われるだろうか。こんなこと言ったらみんなに「お前なんかが」って思われるんじゃないか。

「あの人は大したことないのに偉そうにあんなこと言ってる」そういう風に他人のことをジャッジしてるから、言いたいことも言えず、やりたいこともやらなくなる。ほんとはあなたは「羨ましい」という嫉妬心で胸がいっぱい。

 

他人の一挙手一投足を見張るように牽制し合うのはなんて無駄で愚かなエネルギーの使い方なんだろう。そうは思わないだろうか。他人がなにかあなたの気に食わないことを言ったりやったりしていることで、あなたにどんな損失があるのだろうか。何かを壊されたのだろうか、何か奪われたのだろうか。きっと刺激されるのはあなた個人の羨ましいという気持ち。

ならば、やればいいし、言えばいいし。それができないなら他人を見張るのをやめればいい。でも、その自由な他人を否定することでやらない言わない自分を肯定して、自分をヨシヨシと慰めているんだよね。可哀想に。

 

自分の理想は高く。他人に褒められたって非難されたってそれとは無関係な、自分だけのゴールがある。そこに向かって一心にひたむきに向かうんだ。

苦手なことで好きなことができるようになるのが一番満足度高い。苦手なこともできるようになるまで量をこなせばいつか自分のものになる。

酷い出来でも、下手でも、なんでもいいからとにかく生み出し続ける。

あなたは他人を消費し続けるのではなく、あなたが生み出す側になるとあなたは結果的に人を魅了する。他人を見張って消費してる場合じゃない!人生損してる。

創造の、あなたから生み出されるものは世の中を豊かにする。あなたからしか生み出されないものも確実にある。

それには大量のアウトプット。もっと「狂気」が必要。生み出すものは、アイデアでも、作品でも、なんでもいいけれど。

「執着」と言われる領域まである一定期間徹底的にワンテーマだけを考え続ける。とか、ハマり続ける。自分の中で何か突き破れる瞬間が訪れるまで夢中になる。

そうすると何かがころっと小さく生まれるときがある。1万の駄作を生み続けてるうちになんかの拍子にころっと出てくるんだ。それはとても尊いもの。他人の評価からは無縁なところで心底湧き上がる喜びを感じるだろう。

そんな体験を一度でもしてみたら、他人にかまってるエネルギーがいかに非生産的で無駄なことだったかがわかる。

暇を持て余してる場合ではなくなるだろう。自分に忙しくなる。暇をしちゃいけないよ。それは常に動き回って止まるなという意味ではなく、他人の人生にちょっかい出してないで自分の人生を楽しむということ。

他人にかまうのと他人に気を配るのと、空気を読むのは似てるようでまるで違う。マナーや常識や道徳を盾にして、他人の揚げ足取りや足の引っ張り合い、無意味な自粛…そう言ったものはあなたの人生から即刻排除した方がよい。

そして、そういう人を自分の半径5メートルでいつまでも飼ってないで、0.1秒で距離をとること。距離をとるかとらないかも一瞬で決めてすぐに自分のやるべきことを再開した方がいい。

表面張力を突破して、消費者、被害者をやめて生産者に。