評論家になっている場合ではない

 

評論家になっている場合ではない

私、もうやめようと思うことがある。ブログやSNSなどでも日常でも、身の回りの事象についてそれを題材に自分はどう思うかどう考えるかを論じてしまう。そこまで口だけ人間でもないとは思っているが、これは癖になりやすい。自分の考えに賛同してくれる人がいてくれてしまったりすると、やはりどうしても気持ち良さを感じてしまい、自分に勘違いを起こしやすくなる。私は弱いからそういうのにとてもハマりやすいんだよね。

それは現役でいたいから。まだ止まりたくないから。

人のことをとやかく言えているうちはまだまだなんだよね。比較して考えることは大切というのも一理あるけれども、やはり、それよりも圧倒的な行動量には勝てないんだ。どんだけ考えても。

 

言うのはやめられても思ってしまうのはやめられない時

口を閉ざすだけじゃあんまり意味がない。それは思ったことを言わないってだけで、肚の中ではあいつはあーだこーだと結局視点は外を向いたまま。そう言う人たくさんいる。それは本質的には評論家と同じで、私がやめようと思っているよそ見をしないは全くもって解決できていない。

暇なんだよね。自分に飽きているんだよね。興味が自分から外れちゃっているんだよね。

 

もっと自分に興味を持てよ!!!

意図的に興味を持たざるを得ない環境を作っていく。

3月末にダンスの全国コンクールにエントリーすることにした。自分に手間暇かけてあげないとどうにも誤魔化しようもない場所に自分の身を置く。言い訳や嘘偽り、ハリボテ、誇張、そういったものが通用しないところに行こうと思った。フェアに向き合え!と落合さんが言っていたのでね。

余裕は大事だけど、暇はいらないと思うのだ。倦まず弛まず。

 

周りの人間も変わる

類は友を呼ぶと言うことで、まぁ、同じような人が集まる、結局は。居心地悪いなと感じるなら、自分が変わっていけばいいのだ。なんか面白くないなって思うのは、あなたがつまらん人間なんだ。あなたがどうでもいいことばかり話して、思って、感じて、考えて、見て、聞いている。それを変えていけば、周りも変わる。

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