「悪い人じゃないんだけどね」って言葉が出てるならすでに潮時

 

誰に遠慮しているのか

もういい加減、遠慮するのはやめたいと思った。

最大出力で自分を生き抜くってやっぱり難しくないですか。ほんと、ちょっと気を抜くと、優しく綺麗な言葉で自分を取り繕って、泥臭く我武者羅に自分を貫くことに手を抜いてしまっている。

それはもうやめたい。

一体、私は誰に遠慮しているのだろうか。遠慮することによって誰が得するのだろうか。行きたい場所があなたにはあるんじゃないのか。誰に遠慮しているのだ。

 

自分を生きるとは極論「断つと決めること」である

自分を生きるって実際何のことかって、それは極論、断つことだ。

断ち切る、その判断に甘さが出てしまう。

先日、あざみっくすさんが「死ぬこと以外かすり傷ってみんな言うけど、じゃあ、これをやったら失明しますとか耳が聞こえなくなりますってことでもやるのかな?」的なことをつぶやいていた。それから、のんちゃんが「あと一日しか生きられないってなったらどうしますか?」と聞いてきた。

私はいずれも今と変わらないと思っている。

それくらいの気概で生きていたい、そう思っている。

 

「今日死ぬかもしれない」と言う感覚は私は常に背後にあり、それはどうしても、気づいたら忘れてしまうってことがない。それって悲しいことじゃないんだよ。だから、今を生きようって思える。だから生きていることを幸せに思える。

そこまでシビアにやることやらないことは決断できるのに、人が絡むと私は途端にその判断が狂ってしまう。

今更、人によく思われたいとか、嫌われたくないと思っているわけではなくて、この人にもいいところがあるはずだって思ってしまうし、変人狂人の耐性が強くなりすぎてしまって、異常な状態になっていても気付かないのだ。

私には私にとってもいいことをもたらしてくれる人と、私から奪うことしか考えていない落武者か妖怪みたいなとんでもない人が寄ってくる。近寄ってくる人の幅は我ながら極端だなとよく思う。

 

自分が我慢できるかどうかではなく、お互いに気持ちよくいられる関係の人以外は切っていこうと決めた。

 

「悪い人じゃないんだけどね」って言葉が出てるならすでに潮時

ここ!

私はここをボーダーラインに、人付き合いを変えていこうと思う。わかりやすく、もう線を引いてしまおう。

よくこのセリフ聞きませんか?

「悪い人じゃないんだけどね〜」って。それ、結構もう嫌いってことだよ。自分に言い聞かせているもん。本当は一緒になんていたくないけれども、いなきゃいけないから、いい面をみてどうにか自分の気持ちを落ち着かせようとしている。

または本当はクズ人間って思っているけど、それも大らかに受け止められる寛大で大人な私を演出したいだけの言葉だ。

 

もはや私には時間がない。生き急いでいるわけじゃなくてね。(もうこれ以上、流れの速い人生は結構!笑)

信じて騙されたり、裏切られたり、あれは一体何の時間だったのかと虚しく思いたくない。

人の弱さやズルさ、えげつなさ、がめつさ、脆さ、私の位置からはとてもよく見えてしまう。きっとすごく隠して生きているのだと思うし、誰でも弱さは持っている。なぜかその見られた仕打ちに後ろ足で砂かけて逃げていく人が多くて何だか虚しい気持ちになることも少なくはない。

ブロックして、私との接点を根絶させれば二度と会うこともないと、そうして簡単に抹消できるのが切ないなぁと思う。そんなことしても、消えないんだよ。きっとその後ろめたさから、真実を知る私の言動が一生気になって気になって囚われ続けるのだと思う。嘘はよくない。

もしこれを読んでいたら安心してほしい。私はあなたのやったこと言わないから大丈夫だよ。そんな暇じゃない。ただし二度と私の前に現れないでほしい。

 

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