本当に賢い人は相手の言葉で語る

 

知能が違いすぎると話はほとんど通じていない

知能に差があると何をしてるのが楽しいことで辛いことなのかすら全く理解できないくらい異なる。頭のいい人と残念な人の間には大きな大きな溝があり「生きてる世界が違う」という表現がぴったりなほどに歩み寄れない。

これは良いとか悪いとかの話じゃなくて、そういう事実があるって話。

非難にもならない、本当に理解不能な世界なのだ。

 

残念な人は権力主義で頭のいい人は実力主義の中で生きているし、残念な人は知識の量を頭の良さだと思い、頭のいい人は推論する力を頭の良さだと思っている。残念な人は他人にどう思われるかによって人生が左右され、頭のいい人は自分が何をしないかによって人生を決める。

 

意味がなくてもお金や地位や名誉のために動けるのが残念な人で、お金が動いてもそこに意味がないと動けないのが頭のいい人。人生や仕事の喜びも上記に深く関連する。だから行動の動機や見ている先が全く違う。

一事が万事。

挙げればキリがないほどに、両者がそれぞれ認識する世界と絶対的な価値観に大きな隔たりがあるので互いを理解し合おうとするとフラストレーションがたまる。不毛。

 

そもそも「話し合ってわかり合う」は幻想だ。わかりあえたと思っているならば、それは相手が分からないように折れてくれてるだけだ。

と、距離をとるのがそこそこな人とそこそこ頭のいい人たち。

本当に賢い人は相手の言葉で話す

頭のいい人ができないことは残念な人の言葉で話すことだ。「本当に頭のいい人」はあんまり頭がよさそうに見えない。

あえてリテラシーを低く落とした話をしているからだ。自分が賢く見えることよりも相手を動かすことをあっさり優先できる人たちが本当に賢い人だ。

 

それに何より生きてる世界が違う人たちの脳みその中で話せるって相当頭がよくないと無理。まずもって「まさか」や「ありえない」や「絶対」「当たり前」は存在しないと思える柔らかさが必要。頭の柔らかさと心の柔らかさ。

 

自分の頭で考えず、相手の頭の中で相手の言葉で、自分の伝えたいことを話すってなんて高度なのだろう。

 

そこそこ頭のいい人にはそこそこ頭のいい人たちの好む言葉、好む価値観で。

残念な人には残念な人たちの好む言葉、好む価値観で。

そうして相手に合わせられ、かつそのように「合わせている」と悟られない人が本当に賢い人である。

 

見えてる姿が全てではないという当たり前の事実

あなたの前に映る相手の姿や見聞きする発言がその人そのものではないという当たり前のことを分かってない人は多い。

そう、この「当たり前」があなたには「当たり前」でないことまで含めて世の中のいろいろは発信されているのだ。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

PAGE TOP