重要なものに対して無関心でいられる人間を量産するシステムの中で育っている

AIに仕事が取られるよりよっぽど危機である

仕事はさっさとAIに取って代わられる時代が訪れたらいい。なぜなら無駄に人生の時間を費やしているのにそれに全く危機を感じていない方が仕事を取られるよりも危機だからだ。考えると世の中や人の役にたっていない。労働力としての仕事は正直あなたじゃなくてもいい仕事だ。そんなことないだろ!と憤らず聞いてほしい。労働力なんていうただの「数」としての仕事ならどんどん人間じゃないものに代替された方が良い。

それだとご飯が食べられなくなるという人も多いが、そのシステムが変わればいいのだと私は言っている。大して役にもたっていない、生き甲斐も感じない、ご飯を食べるお金を稼ぐためだけの仕事に就いていること…すぐには変えられないかもしれないけれど、これを危機だと感じる感覚を持っていないのは困った事態だ。

そういうものなのだ、仕方ないという思考停止がやばい。

変えられるものを変えようとすること、変えられないものを変えようとしないこと

変えられるものと変えられないもの、これを正しく見極める賢さを持ちたい。無駄を生まないためだ。幸福の追求ってそういうロジカルなことだ。

やりたくないことをし続ける、楽しくないことをし続ける…変えられるのか変えられないのかを検討することすらせずに、これは仕方のないことだと考えようともしないのが良くない。

変えられることを変えようとするというのは、難しいことじゃない。変えられないことを変えようとしないことも難しいことじゃない。難しいのはそれが変えられることなのか、変えられないことなのかを見定めることだ。経験や知識が判断材料だと勘違いしている人は多いが、正確には大局観と知恵が見定める時に必要な能力だ。蓄積されただけの知識は使っていないと腐るし、積んだだけの経験も留まっていれば実は行動を邪魔しているものになっていたりする。

例えば5歳の子供に「将来は野球選手になりたい、僕もなれますか?」とプロ野球選手に質問したら「野球を好きになってずっと続けていけばなれるよ」というようなことを答えるだろう。ではこれが中学三年生高校受験を目前にした子供に聞かれたらどうだろう?無理だ勉強しろと答えるのか、そんなに甘い世界じゃないけどやれるだけやってみろと答えるのか。プロ野球選手になれるのかなれないのかっていう見定めは非常に難しい。

その見定めさえもAIができるようになったとしたら?

膨大な情報をパターン処理して、「プロ野球選手になれる確率は何%」「今から〇〇をしたら○%確率が上がる」なんていうことが可能になる未来もそう遠くはないとしたら?将来に悩むこともなくなるし、結婚相手に悩むことも、何もなくなった先に私たちは何をして人生を埋めるのだろう。

私はそんなことを一人で悶々と考えた結果、ある程度の抑圧や不都合も人生のスパイスとしてあった方がいいと思う人も一定数いそうだなと思った。悩みがなくなったら何をしていいか迷ってしまう人も多いのではないか。もう考えれば考えるほど、無駄や悩みや我慢って性癖みたいなものだってことに行き着く。

あらゆる障害から解き放たれたときに、「さぁ飛んでいけ〜!」って鳥籠があいても飛び方を忘れてしまって鳥籠に居残ったまま。そんな風に「重要なものに対して無関心でい続けること」に慣れてしまった人は自由や富もまた両手いっぱいに受け取れることができなくなっちゃうのだ。
AIも仮想通貨もVRももうそういう「鳥籠なんてないよ」を象徴するものだと思うのだ。

私たちのやる気スイッチはどこにあるんだろう

こういう話をすると本当にやりたいことがあることがいい!みたいな話の方向になってしまいがちだが、私は新たに「フェチに生きる」ってどうかなと提案したい。っていうか、やりたいことがめっちゃあるように見える人たちも2パターンいて、

・誰かや世の中に勝ちたいパターン

・変態パターン

だ。誰かや世の中に勝ちたいパターンはそのままだけども自分以外の別の対象よりも勝つことがモチベーションの人たち。勝つ何かは、資産かもしれないし、美貌とか、幸せそうに見えるとかそういうの。対して、変態パターンというのは自分だけの強いこだわりの元、遂行する人たち。色々超便利になって、鳥籠があいた時代が来ても来なくてもフェチに生きるのがいいんじゃないかって。

「なんか!たまらなくいい!!」みたいな指針だけで生きていく、そこに枠を設けずにどんどん自分を解き放っていく思考に変えていこうと思う。