自分の頭で考えることをやめて、新たに始めたいこと

 

自分の頭で考えることをやめてみる

私は考えるのが好きだ。好きというよりも癖になっている。子供の頃は何にも考えていなさすぎて、「自分の頭で考えろ」としか母は私に言わなかった気がするくらいに口酸っぱく「自分の頭で考えろ」と言われて育った。生きているのか死んでいるのかわからないくらいに、クラゲのように漂うようなボーッとした子供だった。

なので、母は私は大人になってもたくさんの人に騙されたり、ボッーとしすぎていてすぐに命を落とすんじゃないかと心配していた。宇宙人だとまで言われていた。

だから小さなこと全てにおいて母はこうしたらいいという方法を全く私に教えなかった。自分で考えさせられた。失敗もあえて全部といっていいほど経験させられた。小学校一年生の頃から朝一人で起きて朝ごはんの準備を自分でして食べて学校へ行っていた。これは偉くも何ともなく、普通に遅刻をしていたし、母が口を出さないおかげでいつまでも鏡でにらめっこをして1時間目が終わる時間になっていたりととんでもない子供だった。

遅れて学校へ行くととっても恥ずかしいわけだ。遅れないようにどうしたらいいのか、自分で考えろとだけ母に言われる。そんなすぐにできるようになるわけでもないし、失敗がトラウマになりすぎて保健室で仮病を使って寝ていることの方が多くなっていたりした。けれども、最終的に、今は何でもかんでも自分の基準で考える癖がついた。

これは母の教育のおかげだ。自分の頭で考える。これは誰でも一度は言われたことがあるし、自分でもやっているつもりなのに、さらに「考えろ」と言われたりするだろう。なぜ言われてしまうのかというと、求められているのは「考えろ」ではなく「考え抜け」だからだ。

そして、自分で思考したと思っている事柄の99.9%は「自分で」ではなく何かの焼き直しなだけである。自分で検証して考察を叩き出したことなんて、生きてきて0.1%も実はないのだ。自分の意見を持つこと、自分の意見を育てることってとっても難しい。そして、それこそ価値あるものだ。

しかし私はこれをやめてみようと思う。

 

考えるのをやめて感じてみる

まず、感じるということが、私はあんまりに浅かったと反省している。「感じ抜く」を目指していきたい。感性を磨くというとアーティストっぽくてかっこいい。

かっこつけで感性を磨くという漠然とした言葉を使うのでは勿体無い。

感性を磨くというと、高尚な「芸術」と言われるものにたくさん触れるみたいな安直なことになるのかと今まで思っていたけれどもそうでないことを知った。

最近私がハマっている落合陽一さん。例として「味覚」。落合さんの言葉で、貝類の味について「複雑性の極み」と表現していた。そして、彼が普段口にするのはつぶグミというお菓子。この二つを味わう、感じる。私が美味しいと最近ハマっているのはタイ料理なのだけども、味わったことのない異国の調味料。大抵、味コピできるのにタイ料理は同じ調味料を揃えても難しかった。

風味や食感、旨味などなど「味覚」を構成する要素はたくさん複雑に絡んでいて、美味とされるものって落合さんの言葉でいうところの「複雑性」が高いものに当たると思う。タイ料理っていうのも食べたことのない刺激というか、感性を開発される感覚があって今私はハマっているのだと思う。

 

で!それを感じること、次なる複雑性を求め続けるだけが感性を磨くだと思っていたのだけども。そこで、つぶグミですよ。どういうことなのかと食べてみたら、あまりの単純さ、シンプルさに「複雑」をより一層感じるための何もなさを感じたんだよね。これは面白い!って思った。

 

感じるの深みに溺れていこう

考えぬくということも大好きだけども、このつぶグミ事件がきっかけで、感じ切るのコツが掴めた。尺度というか、物差しというか、基準というかを、一方向ではなく、多方向に張り巡らせてもいいってこと。それから、いいか悪いか、強いか弱いか、などのような二者択一の感度でだけでなくもっと自由に感じることができるんじゃないかって。

これは言葉では言い表せない領域まで行くっていうのが面白い。だから、考えるをやめる。考えて答えが出てしまう領域を超えていきたいと思うから。

 

出産という体験が楽しみすぎる

私は今もう、ここ1週間以内にお産を控えているのだけれども。なんて素敵な体験が目の前に控えているのかと興奮している。出産に向けて、体も心も、ものすごく変化している。それから、これが面白いのは私という人間一人の作業ではなくて、他者である赤ん坊の作用がすごく強いので、今とっても振り回されている感覚がある。私は自分の子供に五感に由来する名前をつけている。長男は「聴覚」、次男は「視覚」、今度生まれてくる三男は「味覚」だ。これは私の経験上、どれだけの挫折や絶望に陥っても「感覚だけは閉ざしちゃいけない」ってことが関係していて、生を受けてこの世に生まれ落ちた瞬間の初めて感じる音、光、味は奇跡だと思うし、あなたが感覚を閉ざさなければ感じられるものだといい続けたいなと、そんな思いで名付けている。この世界は光あるところだと、忘れないで欲しいなと思う。

 

今日もタイ料理を食べました。美味しかったです。

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