なかなか人との付き合いを切れない人

悪い人じゃないんだけどね〜とわざわざその人との繋がりを弁護するような言葉を吐いてしまう付き合いに意味があるのか考えたことはありますか。会えばどんな話をするのかほとんど予測できちゃう人とばかり会ってませんか。本当の本当の本当にその人といることが楽しいと思えていますか。そういう人との付き合いをやめることって考えられますか。

そう聞かれたら、少し考え込んでしまいますよね。

そして次には「でも」か「だって」が口をついて出てしまう。会うと過去の話しかできない人と会う時間を作ることは本当に互いのためなのであろうか。自分たちはいつの話をしているのか少し意識してみるといい。楽しいは楽しいんだけど…の「けど…」に続く違和感にちゃんと気が付いてあげることが大事だと思う。見なかったことにして「楽しい」と思い込もうとしている。ってことないですか。

そういう付き合いを断ち切れないのは、そんなことをしてしまったら自分に友達なんて一人もいないことに気づいてしまうから、できないのだ。互いにそういう結びつきで繋がっていることにうっすら気が付いているようで気がつかないフリをしている。それは実は自分も相手も大事にしていなくて雑に扱っているってことになる。付き合いをやめる、あなたといるのは本当の本当の本当は楽しくないからって。それって、人でなしみたいな、冷たい人に感じるだろうけども。孤独が怖くて楽しくもないのに繋ぎ止めているその付き合いの方が誠実ではなく、エゴの塊なのである。

馬の合う友達に出会えることは運任せ、奇跡的に、たまたま出会えるものという受け身の姿勢でいることが、こうした事態に陥る原因ではないだろうか。「出会いがない」なんてことはなく、たまたま居合わせた職場や学校の友達のみでなく、自ら繋がりを構築していくそんな友達があなたにはいるだろうか。あなたが選んで、そして相手にもあなたが選ばれて付き合っている友達を持つこと。また、そういう風に友達は作れると知ることで、なぁなぁな関係を断ち切れるようになるのだ。それから一人は孤独かもしれないけれど、孤立ではないと知ることも大事だと思う。

孤独を受け止めらるようになったところから本当に人付き合いが始まるのだと私は思う。

99%でなく100%の力を出し続けること

 

自分はいつかは何者かになれる、やればできるんだと、自分は特別なんだと思っているだけでやれなかった大人の言うことを聞かなくてよかったって28歳になって痛感する。

 

いつもいつも大人からの説教が私は聞けなかった。どうしても胸に響かなかった。それはなぜなのか、今ならわかる。なぜかって、そいつら全員やってない人たちだったからだ。22〜28歳までの間に5速までギアを上げきれたかどうか、あなたのベストは尽くしたのかと言うと、そういう人たちってやっぱり中途半端なんだ。

成し遂げられたかどうかの結果よりも、やりきったのかどうかが大事で、出し切れなかった人、余力を残してしまった人、は、いつまでもいつまでも「本当は〜だったかもしれない」とずっとたられば話をしてしまうものだ。

 

できる奴より、やってる奴が強い。言い訳してやらないまま大人になってしまった人が実は99%なんじゃないかって私は思う。そして、そういう人に反発してああいう大人にはなりたくないって言いながらあなたも同じ道を着々と歩んでるんだよ。

なら、やりなよって。何があったらやり始めるのか。何がなかったらできるのか。調べたのか。やれる道を血眼になって探し尽くしたのか、やってみたのか。

一つもできないことなんてなく、飽和するほどにやれる手は出揃っている豊かな時代なんだ。あとはあなたがやるかやらないかだけなんだ。

 

できると思ってた明日はどんどん遠ざかる。その時が来たらあげられると思ってたギアはどんどんと錆びて重くあげられなくなっている。ハッとある日気がつくんだよ。やれたはずなのにやらなかった今日をみんな、若手に託すけどね、若手からしたら「お前がやれよ!」って思うし、その若手もまた言うても、やらないのだ。

私は常に自分の100%の力を出し続けてきただけ。70%でも80%でもダメで、99%じゃなくて100%の力を出すこと。やれる手は全て打つ。ただそれだけだ。それをやってる人を私は生涯で見たことがほぼない。

明日があるって思ってるからだよね。

今日、今、この瞬間に自分を信じて、かけられない私に明日なんかないのだ。

やっぱり、私はやりきって死にたいなって思う。目標や夢や達成したいことなんかなくたっていい。ただいつかなれると夢見たまま、最期自分に失望して死にたくない。

 

老いた心に向かってませんか

 

ずっと前から知っていた人に会って、その人に「老い」を感じた時。私はものすごく焦りを感じた。言いようのない感情が胸に残って今もボーッと考えてしまう。人は老いるんだなと、時間は本当に限られていることを強く感じた。

「子供の手が離れたら世界中を二人で旅しよう」そんな願いは叶わない。今、やらないとダメなんだ。思ったよりも人生は短い。私もいつか老いるのだろうか。興味や関心、意欲がどんどん失せていくのだろうか。別に…どうせ…こんなもんと、何事も新鮮に感じられず、物事をつまらない方向から見ることしかできなくなってしまうのだろうか。

目標を持たずにできる範囲でゆったり落ち着いた平凡な生活を送ることも人それぞれの価値観だからいいのではないかと思っていたが、私たちはどうしたって50歳くらいで体力も気力も衰えてしまうのだったら、そのころに落ち着いた生活は否応無しにやってくるのだから、今は思うよりもっとアグレッシブに生活した方がいい。守りに入るのは早すぎる。世の中悟った風に斜に構えて生きるよりももっと果敢に挑んどかないと、今から守った30代の20年後、背中に苔が生えちゃうんじゃないだろうか。

心が錆びてしまうと結構大変。肉体的な老いはともかく、新鮮な風が吹かなくなった心を持った人の顔は一段と老け込んで見える。

童心を持ち続けるのは難しいかもしれないけれども、何にも感動できなくなっちゃうなんて、寂しい。今すでに感動することがなくなっちゃっている人は意識的に感小津できるものを見に出かけた方がいいよ。長いこと生きていると、ちょっとやそっとじゃ感動しなくなってしまう。もう知っちゃっているから。見たことあるから。経験してきてしまったから。

「初めて」なことはほとんどなくなってしまったなら、「初めて」を探そう。そしてやろう。行ってみよう、見てみよう、感じてみよう。狭い世界で、知った気になっているよりも、知らない世界に飛び込んで見たらいい。あなたが知っている世界なんて狭いものでしょう。あなたが知っている人なんて世界中見渡せばほんの僅かでしょう。自分の世界をつまらなくしているのは自分自身。面白い人には会いに行ったらいい。行きたいなとちょっとでも思ったことはちゃんと意識的に行動にうつしてみる。

思っているだけじゃ、あっという間に老けてしまうよ。感動をそんな人たちに届けて行きたいと思うし、自分自身ももっともっとアクセル踏み込んで行こうと思い直しました。30目前にして、満足しちゃうのか、ここからさらに20代の自分を超えるくらいにアクセル踏めるかの差はこの先に待つ50の自分に反映される。

どういう人と仕事すべきかの簡単な見極め方法

 

返信が自分より早い人

と仕事をしたらいい。まず、自分よりも遅い人や、いつまでたっても返ってこない人はやめた方がいい。単に作業速度が遅いか、もしくはあなたと組むことに何らかの弊害を感じていて遅れている可能性は高い。

仕事ができる人ってどんなに忙しくても返信が早い。即返ってくる。そういう方にこちらがだいぶ頑張って付いていくように仕事をして自分を成長させていきたい。

 

解離性障害でよかったなと思うとき

 

私は18のときに解離性障害という、いわゆる多重人格が発症し精神科の閉鎖病棟に隔離入院させられたことがある。幼い頃から自分の意識が浮遊しやすく、どっか行っちゃうことはよくあったのだ。でも、それは不思議ちゃんな個性という認識でいた。

家庭が崩壊して、環境が過酷になるにつれ私の意識が飛ぶ頻度や飛んだときの自分と自分が離れてく感覚が強いものになっていった。その果てに気がついたら病院に入れられていた。

 

今は人格の解離はなくなり、当時は4人もの人が私の中にいたのだけど、みんな出てこなくなった。ほぼ完治しているが、今も人よりも自分の世界に閉じこもりやすいし、人の話や外部の音が耳に全く入ってきてないこともある。かと思えば、必要なものだけどんなに遠くにいたり、騒がしい場所でもキャッチする不思議な耳や目を私は持っている。

 

ストレスがかかる環境に自分をなるべく置かないようにしている。ストレス過多になると、飛びやすくなってしまうからだ。現実を生きているはずなのに、どこだかわからないけど自分の意識が三次元空間みたいなところから現実世界をフィルター一枚、膜越しに眺めているような感覚になってしまうから。

 

だから「今私はここにいる」と自分に強く強く強く言い聞かせないとどっかに飛んで行ってしまう気がするので、飛ばないように風船の紐をしっかりと持つようにしてる。

 

そんな風に自分というものをしっかりと自分が飼い慣らせば、ちょっとふつうと違うことも別に怖いことではない。

 

むしろ、いいこともある。舞台上にいる私、表現する私は、不思議な次元から自分を眺めたり、数人の自分を行ったり来たりしながら表現している。

 

表に現す、というか、表に現れるという感じ。演技ではなくて、ふだんは私の中に成りを潜めている何か達が表に現れるのだ。で、私自身は表にただただ現れるだけの何か達をコントロールするのが私の仕事だと思っている。

 

ただ現れるだけでは、エンターテイメントでもアートでもないと私は思うのですごく俯瞰した座標にいるもう一人の自分が操るようにそこから見ているっていうそんな私の世界です。

 

初めて言葉にしてみました。

私はまったくもって病んでいるわけではないので、ご心配無く。むしろ、世間様が病気というものを最も有効に使える仕事をしているなと自分自身は思ってます。

 

きっとこれは私の武器です。私という人間が表現者を続けていい理由かなと思ってます。

 

公演は7/7・8の2Days

17時開演の今回は2ステージのみ

お席は1ステージにつき立見席入れて100席までとなります。でも、私、初のソロ公演なので蓋を開けてみないとどれくらいの方が来てくださるか全くもって見当付かずです。だから、特に煽るようなことは言わないでおこう。

 

4年前まで現役で実際に稼働していたまだ油の香りが匂い立つ工場跡地を近未来空間に変えて、人の本当の価値を子どもたちに提示するような作品を上演します。

人の価値って考えたことありますか。あなたに価値ってありますか。みんな、自分の価値を真正面から問われることほど怖いことはないと思うんです。あなたの価値は能力ですか、その肉体ですか、富ですか。子どもたちにその答えを私は提示したいのです。

ここまで読んで怖いテイストの作品だろうと感じるのは、やはり、最後の最後にのこる真実を見るのがまだこわいってことなのではないですか。私はそれは完全なネタバレになりますが、答えはとても温かく優しく美しいものだと知っているので、観る人たちに「だから負けないで」と伝えたいのです。

それが私の使命です。

火曜夜コースが新しくスタートします【O脚姿勢講座モニター】

 

5/29~火曜夜コースが新しくスタートします

今まで朝8時からのクラスと午後3時からのクラスのみでしたが、夜もやってほしいとお問合せをいただきましたのでこの度5月5週目の火曜日から夜の部スタートします。

お申込はこちらから↓

https://onlineballet.thebase.in/

 

現在の空き状況(4/25現在)

4月月曜朝コース満員
4月水曜午後コース満員
5月日曜朝コース満員
5月金曜午後コース 残席6
5月水曜午後コース 残席10
5月火曜夜コース 残席10
6月日曜朝コース 残席10

 

O脚姿勢講座とは…

全2回のオンラインレッスンと半パーソナルトレーニング制で個別アドバイスと改善プランをご提供します。期間は1ヶ月間メールフォローが無制限であります。

簡単なイメージとしては、書店にDVD付きで売られているエクササイズ系の本に、プラス「対面の個別修正をしてもらえる!」がついたサービスと思っていただけるとわかりやすいです。

 

O脚改善、姿勢改善にお役立てください

脚の曲線に自信がある人は少ないです。単に細い脚でなく、女性らしいしなやかな筋肉と曲線、まっすぐな脚を作るためのメソッドを行います。正直、数字的な体重よりも姿勢の美しさや、脚の形の方が重要ではありませんか?かっこよくジーパンを履きこなしたり、スリットの入ったロングスカートにヒールが似合う脚を目指します。

 

具体的なレッスン内容

4ステップを2サイクル行います。オンライン完結のレッスンになります。ネットや機械が得意ではない方にも安心のシステムですのでどうぞご安心してお受けくださいませ。

必要なものは

・スマホまたはタブレットまたはパソコン

・ネット環境

のみです。画面は大きい方が受講しやすいですが、スマホでも可能です。ネットさえつながれば世界中どこからでも受講できます。移動の手間や、交通費がかからないのも当講座のメリットです。

申込ごすぐに送られてくる基本のエクササイズ動画に加え、1回目のレッスン受講ご対応別の改善プラン動画が送られてきます。基本のエクササイズはかなりの優れものでどのタイプのお悩みにも適応しますが、さらに強化バージョンとして追加エクササイズを送ります。

 

受講までの流れ

 

 

 

https://onlineballet.thebase.in/

 

2018.5.7より始動!!「ただいいものを創りたい人たちの稽古場 UzmeStudio」

連休明けから始動します!

旗揚げ公演を終えてずっと自分に向き合って、本当の本当の望みを探していた。なかなか掘り起こせなかったのだけども、究極私はプロフェッショナルな仕事をする人たちと、ただただいいものを創り上げて全身全霊で表現していたいっていうのが私が全ての既成概念を取っ払った時に出てくる願いだった。

じゃあそれをどういう風に築いていけばいいんだろう??

まずは走り出すこと、動き出すことなんだよね!!!

 

正直に白状するともう三流の人とは一緒に創れない。疲弊したくないし、食われたくない。一流を目指して、というと語弊があるが…自分なりの高みを目指してずっとやり続けている人間にとってそれを消耗されていくのはものすごくしんどいことなのだ。

でもね、その逆はもう素晴らしくて素晴らしくてハートと肝が痺れる。一挙手一投足全てがエモーショナル。惚れる。惚れてしまう仕事っぷりの人たちに敬意と緊張を感じながら洗練された空間にい続けたいのだ。そこで生み出し続けていたい。私もそこで仕事がしたい。そして正真正銘混じりっけないものをお客様に届けたい。

っていう、そういう組織、コミュニティを少数精鋭でも!!!

最悪!!最初は一人も集まらないなんてことになってもいいから、そこを目指して始動することにした。

こんな概要でやってくよ!

ハイパーオープンクラスを毎月開講。プロの質を保ったところの稽古をガンガンやっていく。それはテクニックを極めていくのは大前提として、そのさきの舞台人としてってところにも気配りしていく、アーティストコミュニティ。最初はどうしたって私しかいないので、バレエからのスタートですが、最終ヴィジョンとしてはダンスのジャンルも多様、アートのジャンルも多様、それぞれハイレベルな中でのミキシングが起きまくる稽古場。これがベースの形。

 

今後の予定

最初の走り出し、初動が一番大変だと思う。ましてや組織が動き出すエネルギーって特殊だと思っている。なので最初の形は欲を出さずに素直に謙虚に自分のたった一つの望みだけを一点集中の形でプラットフォームを作ってみました。一番私が出力しやすくエネルギーが最大限乗っかるものをと。なので、もしかしたら損得勘定をするとあまり利口でない形だと思います。こうしたらもっといいよねってわかっちゃいるけども、あえて、そういう考えを排除しました。

今後どのようになっていく未知数ですが、無駄に確信はあります。間違いないという確信が。時間がかかるかもしれないけれども、焦って収穫するより甘くておいしい果実が実るのは決まっていることのように感じています。思えば根拠のない自信が私を支えてきたけれども、これは今までかつて外したことがないものなので、今回も確かなものを感じてます。

だって絶対楽しいし、面白いし、私は正直だから。大きく繁栄していくことでしょう。

ブレないで行きたいのは、寂しさにほだされてメンバーを妥協することですね。自分の感覚を信じて、ちょっとの違和感も見逃さずに素敵な仲間とやって行きたいです。

オープンは5/7~

CAMPFIREさんの方で、当日もしかしたらトップページに掲載してくれるかもしれません。私は今回誰でもいいから入ってきて欲しいわけではなく、私が痺れる人という限られた方を集めようと間口にフィルターをかけているので知ってもらう分母の数はなるべく多いほうがいい。というわけでCAMPFEIREさん、感謝いたします。

こういうものは、恋愛と同じで

・フィーリング

・タイミング

・ハプニング

と3つのingが揃うという偶然が起きないとなので、どうなるかとっても楽しみです。私は半年後誰とNYの街で踊っているのかな。

プロジェクト開始は5/7からです。チェックしていてください。

2018年7月7・8日 大瀧冬佳ソロ公演予告

DanceCompany Uzme
第二回大瀧冬佳ソロ公演
-ナナシとガス-

演出・振付=大瀧冬佳
出演 大瀧冬佳
———————–
・7/7 17:00・7/8 17:00
開場は開演の30分前から
ギャラリー南製作所(HP: http://2222gmf.blogspot.jp/ )
東京都大田区西糀谷2-22-2
京急空港線糀谷駅から徒歩13分、同大鳥居駅から徒歩12分

*チケット
一般発売は6/1 10:00~ ( https://uzmeticket.thebase.in/ )
【指定席】S席 4,000円 A席 3,500円
◎お問合せ uzme.ticket@gmail.com

企画・主催 ダンスカンパニーUzme

イベントページ:https://www.facebook.com/events/878219945719960/

※変更になる場合もございます。

 

登場人物

ナナシ:理想を追う人たち。理想の中だけで生きている人たち。

ガス:人類の7割がバーチャルに逃げてしまった中、現実に残ると決めた人たち。傷んだ地球を嘆くが、ふと、自分たちの信じる現実が何かわからなくなり、何を信じて何を守っているのかを探しに幻のキジに会いにいくことに…。

キジ:「現」を象徴する幻の存在。

子供たち:ナナシの子供たちは生まれてすぐに箱に入れられる。ガスの子供たちは生まれてすぐにガスマスクをつけられる。ガスはナナシの子供たちに夢の中で会い、現実とバーチャルの狭間で出口のない悩みが始まる。

 

第一部 プロローグ 仮想現実ハコの発明

「理想」と書かれたボールを追いかける人たち。

ボールを盲目的に追いかけるうち狭い箱に入っていく。バーチャル空間で生きる人「ナナシ」ばかりの世界に。ナナシは現実を捨てた人たち。現実とバーチャルの差はないほどに発展した時代に、わざわざ辛さや試練のある現実を好んで生きる人はいなくなった。実際の現実はガスマスクをつけなくては息もできないほど荒廃した世界になっていた。ナナシにはそんな現実は見えていない。自然豊かで誰にも優しい世界しか見えていない。

 

 

「理想 夢 愛 友 富」 いいことしかない世界。何不自由ない世界。不都合もない。不足はなく全てが満たされている。

そんな世界の住人になれるハコは安物から高級品まで様々だ。理想格差はあれ、過酷な環境にわざわざ身を置く酔狂な奴はガスくらいしかいない。旧時代に起こった二分化は完全に生きている次元まで異なるほどに乖離してしまった。

 

本当は…ナナシは虚無を抱えている。ナナシに死はなく行き着く果ては虚無の世界。何不自由ない世界で望むものがなくなってしまったナナシにはやることなんて何もない。

 

それでもハコをお金で買い、理想だけを手にする

 

 

第二部 ガスの世界

ハコから出た時に見える世界は、旧時代から「現実」とされてきた世界だ。「現実」は荒廃し、廃油の匂いが立ちこめていて、人間はほとんど活動していない。ガスマスクをつけなければ数分で肺が潰れる。量産化された安物のバーチャルに脳が犯されて行くナナシを見て、ずっと目を覚ますように反対活動をしてきた。

が、この世界の流れにもはや抗うことはできない。

三世代にわたる脱ハコ運動を行なっているうちに自分たちが守っているものが何かわからなくなってしまっていた。人類は進化しなければならないのか、これは退化なのか進化なのか。滅亡への道ではないのか。

 

僕らはロボットではないという証明をしたかったけれど、それには意味がない。人間らしさとは何か。現実とされているものって何なのか。

 

本当の価値は命に従ってついているとガスが気が付いた時、荒廃した地に幻の「現実、キジ」が舞い降りた。

 

第三部 エピローグ キジ

命そのもの。

得体の知れぬ恐怖さえ感じる美しさに言葉は無力となる。

存在そのものが証明であり真理。これが現実だ。

 

 

 

 

 

 

そう決めているのはあなた?もしくはあなたなんてものはなくただの何かのプログラムの一つなのかも知れないが、まぁそれでもいいじゃないか。楽しもう。

 

あなたを動かすものはなんですか。動かさなければならないものはなんですか。

 

無知なままでは社会的地位は上がらないのでアーティストでも法について知っておくべき

 

なぜか?

泣き寝入りするしかないし、いつまでたっても、生み出されてたものの価値は世の中のことを知る人に持っていかれて、損をし、舐められ続けるんですよね。無知だと権利があることすら知らなかったり、権利を主張する術を持っていなかったり。美味しいところだけかさっらわれているのに気づいていなかったり…だから生み出しているものに全然釣り合わない対価しか得られない。

知ることは自分の生み出したものに対する責任

いいものや本物を作っていれば認められるって信じているアーティストやダンサーは多いけれども、それは半分本当で、半分嘘だと私は思う。嘘だと思うのは、バカ、つまり無知過ぎると権利が剥奪されて作る環境さえ整わないことになってしまう。なんてのもありうる。自分のフィールドを守るという意味でも、法のことは知っていた方が絶対にいい。

作品というのは作るものにとっては子供みたいなもので、守れるのも自分なんだ。だから法のこと、お金のことはちゃんと勉強した方がいいなって私は思っている。これはプロの責任。

周りを見渡せばまずちゃんとやっている人は少な過ぎる

ダンサーと名乗る者、シンガー、音楽家、画家、技術スタッフ含め…名乗ればなれちゃう職業だと石も玉も混じっている訳で。ギャラの話や著作権や肖像権の話を最初にしっかり決めようとしてくれる人はすごく少ない。そして、私もそんなことを全く知らずに今までは口約束だけでオファーしたり受けたりしていた。でもね、これ本当によくないんだなって身にしみた。なので、去年の夏から契約書を交わして取り決めをしてから関わっていくようにしている。

やっぱりなんかみんな適当なんだよね。個人事業主という感覚も、経営者だという感覚も持っていないのかもしれない。現に、3年前の私はお恥ずかしながら無知すぎて、世間知らずすぎてそういう感覚も持てていなかったし口の割に仕事ができていなかった。だからその分たくさん失敗して、謝って、私自身も損をして痛い目見てきて今がある。他の業界では当たり前のことが、このアーティスト業界、芸能界はやっぱり特殊な個性的な人が多くて普通じゃないなぁと思う。

それをアーティストだからね!っていうよくわからない理由でまるめこむのは間違っていると思うのだ。海外でアーティストの地位が保証されているのはその辺きっちりしているからなのだ。実際ね、アーティストはそこまでできない人格的に破綻している人も多いし、作業的にも管理より作ることに専念したい。だから、その分サポートする職業がちゃんと海外にはあるんだよね。そんな風に日本を嘆いても仕方ないので、だったらちゃんとあなたも勉強しなさいよ!って。

パフォーマンスの質を高めるなんて当たり前のこと

そんなの当たり前のことで、もっとじゃあどうするかって法の勉強ですよ。経営の勉強ですよ。そんな訳で、絶賛業務委託契約書作成中です。

 

ソロ公演会場下見に行ってきました!

 

自身初のソロ公演に向けての準備が始まりました!

↑先日、会場候補の南製作所さんへ下見へ行ってまいりました。半年前から、妊娠出産期間中温めてきた作品の構想にイメージぴったりな場所でホッと一安心。一目見てここで即決しました。

入った瞬間、排油の匂いが充満していて、一気に連れて行きたい世界に連れて行ってくれそう。匂いって私はとても大事にしている舞台の要素です。旗揚げ公演「Mao」でも鞄を開けた花びらに香りを仕込んでいたので、花びらが舞う時は前列に座っていた人は気が付いてくれたようです。匂いって記憶に残るんですよね。

こういう工場のリアルをやっぱり舞台美術に使いたいです。工場のボイラーの音って胎内音に似ていてなんだか落ち着く気がします。ガチャコンガチャコンという機械音も心音に似ている。今年のお正月に四日市の工場夜景を見に行ったのですが、人っ子一人見当たらないその工場は不気味にとても美しかった。

生きているみたい…。それから去年キジをさばいたんですよ。

大人も知らない本当の食育ーキジをさばいてみたー

このキジから感じた生命の力と工場の感じって全く違うようでなぜか近しいものを感じました。来年、ダンスカンパニーUzmeとして第二回本公演にやる題材には「春の祭典」を考えているのですが、そこに繋がった作品をソロ公演でも作ろうとしています。春の祭典っていうのは100年前に上演された伝説のバレエ作品です。何が伝説かっていうと、暴動が起きるほどの問題作だったからなんです。当時の人には受け入れがたい異質な作品で、でも、今に到るまで各時代の有名演出家によって再演し続けられている作品でもあるんですよね。2チャンネルでも話題になっていた!!理解を超えるものなのに、見入ってしまって、心がざわついて、最後わけのわからん涙がでる!みたいな。

で、その作品を第二回公演として大瀧冬佳バージョンでやりたいと思っている。

「技術・魔術・芸術」は同じことだと思うのです。技術がこの先もものすごいスピードで進歩して行った果てに、人の生き甲斐ってどう変わっていくのかなって所に興味がある。昔は待ち合わせするのに、携帯なんてなかったから絶対に遅れられなかったし遅れたら待つしかなかったわけですよね。これが携帯のある現代は普通に今どこかを伝える術がある便利な世の中になったんですよね。そんな風に、5年単位くらいで過去の不都合は次の世代には理解できないくらいのものに移り変わっていく。

不都合や不自由がどんどんなくなっていって、完全にゼロになる時代がきた時。理想通りに生きれるような時代がきた時。じゃあ、人は最後の最後何を望むのかなって思うんですよ。

バーチャル(仮想現実)の中で自分の理想の世界で生きれるようになったとして、現実とバーチャルとの差がつかなくなっていったら、人は現実には戻って来ず、バーチャルの中で生きるのかしら。そういう風に考えるとザワつきませんか。胸が。現実が溶けていくわけですよ。肉体を持っている必要がなくなるとか、肉体から解き放たれたら、それは自由なんだけども、この不自由さがあるからダンスとか、スポーツとかってかっこよくて感動するのに、完全なる理想の世界にどんどん人が吸い込まれていくってなったらどうなっていくのかな〜って。

私とかは逆境に強いし、自分に打ち勝つ美しさを自分に求めている。でもそんな風に精神が強い人ばっかりじゃなくて、できることなら楽して生きて生きたい人、流されていたい人ってたくさんいるんだよね。やっぱり、キジをさばくときの羽根をむしる手に伝わる感触が答えかなと思う。命の営みみたいなもの。ちょうど赤ちゃんを出産したばかりだけれども、なぜ、私は私のお腹はこんなに美しい命を作ることができて、そして、これは動いているんだろう?なんで生きているんだろう?生きているってなんなんだろうってものすごく不思議なんですよね。

なんか、そんなことを本公演やソロ公演ではテーマに作品を作って表現していこうと思っています。

↑この子はそんな人間の営みを見ていそう。

裸足で地面を感じるのって、いいですよね。すんごく原始的、本能的、動物的、衝動的なものとテクノロジーとかロジックとか機械的とかそういうものの融合っていう世界観で作っていこうと思ってます。機械に苔が生えてる感じとか、蜂がゼンマイ式で動いているとかそんなイメージです。

ターシャテューダーのような庭がすっごい進んだ未来都市のほんの片隅にひっそりと孤独に残っているようなお話にしようかと思います。