大瀧冬佳について

 

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ちびまる子ちゃん放映開始と時おなじ1990年(平成2年)2月生まれ。

千葉県出身、のO型。二児の母でバレリーナ兼バレエ・ヨガの講師をしている。

「冬佳」という名前は、寒く厳しい冬をのりこえ春にはきれいな花を咲かせ人を笑顔にさせる子になりますようという、母の思いのこもった名前だ。

私が今、母でありながら、ダンサー、講師をしているのは過去の経験からえたものが大きい。

私は5歳でバレエをはじめ、12歳で本格的にプロのバレエダンサーへの道を歩みだし、一流のプリマドンナになると信じて疑わなかった。寝食を忘れてしまうくらいに、バレエが好きで好きでたまらなくて、登下校も家の廊下も踊りながら移動していた。ダンスは唯一の自分の自由な世界だった。母の上に馬乗りになって殴りつづける父の姿や、お岩さんのように顔を腫らして泣く母の姿を見ながら育った。こどもの頃、両親にいつか捨てられてしまうのではないかと常にビクビクして顔色をうかがいながら日々を送っていた。裸のまま外に出されたり、ごはんがたべられなかったり、殴られたり、当時は自分が出来損ないだからだと思い、優秀な弟達に追いつくように勉強も運動も努力した。そんな緊張感から自分を開放できる瞬間が踊っているときだった。無心で踊っているときは生きていると実感できた。

16の時、DV被害者の保護施設に保護される。後に両親が離婚。母は末期がんにより余命1ヶ月と宣告される。私は世界最高峰のバレエ団、英国ロイヤルバレエ団のスカラーシップのオーディションに合格したが、家族を養い、母と一緒にいることに決め、バレリーナへの道をあきらめる。そして、18のときに「解離性障害」が発覚し精神科の閉鎖病棟に強制入院させられる。解離性障害とは許容範囲をこえた現実から自分をまもるために、別の人格をつくる、多重人格のこと。人格がかわって、私は意識のないところで自殺未遂をおかしたそうで命をまもるために閉鎖病棟にはいることになった。人格の統合も、過去からの脱却も不可能と診断され、18からの人生を病院に隔離されて生きるしか当時の私には選択肢がなかった。

そんな自分からぬけだせたのもダンスの力によるものだった。

私にとってダンスは生きることそのもの。

母は39歳で亡くなった。私が19歳のとき。

20歳 結婚 第一子出産

21歳 第二子出産

23歳 離婚

25歳 「はじめてのバレエ」満員で初開催

26歳 ダンスカンパニーUzme設立

2016年10月14日 揺さぶる晩餐会- 覗 Uzme-開催

 

現在は自身のカンパニーにて団長、アーティスティックプロデューサーとして団員の育成、指導、舞台制作にあたる。また、ダンサーとしても多数のイベント、舞台に出演中。

 

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