練習なんてない、いつだって本番だと思ってやりたい

 

昨日の稽古帰り、ゲロゲロしながらいろんな感情が渦巻いて、お腹が空いているのか、眠いのか、疲れているのか、ハイなのかわけわかんねーな!なんて思いながら、電車の中で…読み始めてしまって。
 
(こちら↓)
http://ameblo.jp/dringo-c/entry-12271358368.html
涙腺にぐわっと一瞬できてしまってやばいやばいやばい!!と、そっと閉じました、こちらの実加さんのブログ。電車降りて、読んで号泣しながら家に帰り着きました。 
 
この方と一緒に作品を作っているこの今の期間、なんとも贅沢な経験をさせてもらっている。それでいて、このお言葉、私、まだまだやれる!と思った。
 
一緒に踊っているmioさんも私よりすごく先輩でたくさんのアシストをしてくれて、サポートしてくれて、何より、表現というところで彼女の踊りをみているとなんというか解像度が高いというのかな、はっきり伝わってくる。何を表現しているのかが。それは何故なんだろう?ということをたくさん共有してくれて一緒に考えてくれて、見せてもくれる。
 
私の踊りは訴えかけるものはちゃんと出力をあげられて出すべきところでフルで出せるようになってきたのだけど、まだ力押しというかパワーでなんとかしている感が否めない。記事中にも書いてあったのだけど、マクロ的な解釈が今の課題。荒削りと言われてしまえばそれまでだな〜なんて自分を客観視して思う。もっと丁寧に親切に細かく私の中に描写して、それを内にこもらせないように、ダイレクトに出していけたらな。
 
それにしても、ブログの内容の私への有り余るお褒めの言葉の数々。もう完全に身に余り過ぎる!!!
 
まず、第一関門だと思っていたのです。超えなければいけない最初の関門。本番だけが本番じゃないんですよね。
 
普段の稽古から指導してくださっている先生に、まだ技術的にも経験的にも諸々足りてないとしても「こいつはやってくれるはずだ」と期待させるパフォーマンスをすること。それから共演者に。言葉ではなく、この人がここまでやっている「私、やばい!」「まだまだやりたい!」と思わせること。
 
それから、大きな関門と私が感じるのは、どこの誰よりも目が肥えていらっしゃる舞台スタッフさんたちに「いい仕事しよう!」と思ってもらうこと。支えたいと思わせる演者になれること。舞台スタッフさんが舞台をどれだけの数見てきたか。プロなので、一つの仕事として気持ちが乗らないにしてもきっちりこなすのは当然であります。(こんなこと書くの本当に恐れ多い、ごめんなさい)その中で仕事的には同じことをしていても気持ちが入るか入らないかで、やはり人間だもの大きく違うに決まっていると思うのです。裏側で支えてくれているスタッフさんたちにやはり全力でサポートしてもらった方がいいに決まっている。なんじゃこれ、何がしたいのかわからないなと内心思われながらステージに立つのか、よし!いいぞ!と思われながらステージに立つのか。
 
だから、稽古場で練習だからとマーク(5割の力で確認という意味で踊ること)で踊る人はいまいち好きになれない。いつ何時も手を抜かずに踊っていないと準備万端の時しか完全なパフォーマンスができない使えないダンサーと判断されるからです。そういう人には言い訳上手が多い。とにかく二言目には言い訳。言い訳はいいからやってみせろよ!という世界だというのをわかっちゃいない。そんなのもうダンスとかやめた方がいいよ。
 
で、舞台の上に立っている時だけいいパフォーマンスができてりゃいいってもんじゃないと、挨拶とか礼儀とか礼節とか稽古場の居方とか、そういうことはママに教わってきてよ!みたいなことを平気でやらかしてしまえる人がいるともうハラハラします。だって、組織なので。組織の中のたった一人があららな言動をしていたら、組織全体があららと思われちゃうわけですよね。会社だって学校だってそうでしょ?
 
 
挨拶して!とか、言葉遣い気をつけて!とか、稽古中は人が踊っている時にだらだらした座り方で見てないで!とかそういう細かいこと一つ一つ言いたくないですよね。だってさ、根本的にわかってないから一事が万事言わなければならない。張り付いていてその人を見ている場合じゃないし。
 
裏方さん方が、私たちの舞台を素敵にしようと動いていてくれているその気持ちを汲めてないのか。
 
共演者の熱量が一ミリも感じられないのか。
 
あんたは踊りたくないのか、出たくないのか。
 
だから、些細なことかもしれないよ、稽古場でダラダラ座っているっていうのは。でもそのたった一つのその行動で、その根本に眠るその行動を引き起こすことが見えちゃうわけで、そうするとやはりダンサーとしては先はないなって思っちゃう。どんなにすごいと言われる人であろうが私はその人の踊りに魂揺さぶられることはない。
 
ちなみに上記はうちのカンパニーの話ではないですよ。半分あっているけれど、フィクションも交えています。
 
ノンフィクションなところで話すと、「稽古場のいかた」なんて舞台経験者じゃなきゃわかりっこない、知らないもんという人がいるけれども、うちの団員は未経験者だろうが、もうパーフェクトである。サッと動くとにかく行動が早いし、稽古を進行している者が次は何をしようと思っているのかを察知してササっと動くし、わからないことはどんどん質問してくれるし、指摘されたらその場で直してみせる。自分の限界を毎回更新していくという稽古の姿勢。目が真剣だもの。本当にすごいと思う。彼女たちは、この半年間でプロになった。正直、昨年10月のプレ公演の時は発表会止まりだった。でも、今回はちゃんとプロである。私はとっても嬉しい。びっくりするくらいに踊れなかったのに。しっかりと主役をアンサンブルとして支えて確かに舞台上に存在し輝きを放っている。
 
 
だからね、私は金房実加さんをはじめとするスタッフさんの気持ち、団員のみんなのため、自分のため、遠くからもお越しになる観客の皆様のために残り2週間駆け抜けたい。
 
いい舞台にいい作品に必ずなる。
これをぜひ見届けてほしい。
 
旗揚げは今しかないから。

 

 

 

 

◆第一章 閉鎖病棟の一室~冥界
ベッドの上で目覚める少女。なぜここにいるのか、何があったのか一切の記憶がない。
解っているのは、胸に抱いているリュックの中身が、自分にとってとても大切な物だということ。それなのに、医師もナースもリュックを取り上げようとする。怯えて抵抗する彼女の前に、一人の男性が現れる。医師の手からそれを取り返し、そっと戻してくれる男性の優しい微笑みに釣られて、彼女が自らの手で開けたのは、死の世界、冥界への扉だった。

行きつく果てが冥界だとはつゆ知らず、「死神」に誘われるままに踏み出した死への道。
「あっちへ行こうよ、キレイなものを見せてあげるよ」甘いお菓子に惑わされる幼子のように、不安と期待に胸を膨らませて、歩みを進める主人公。
「現実世界に未練はない。だってわたしはいつだって、ここから消えてしまいたかったのだから」
世界からの消滅を切望していた彼女の魂は、無意識に冥界に引っ張られてゆく。死神に誘われ、戸惑いながら冥界の道を行く主人公と、あの手この手で彼女を奥へ奥へと導いてゆく死神。少しずつ高揚感を感じ始めた主人公。と、そこへ、一陣の風が吹く。

◆第二章 地上の名残~支配する宇宙
冥界の奥へ奥へと進み続ける主人公。彼女の足を止めたのは、強烈な一陣の風だった。気付けば死神の姿はなく、彼女はひとり、雨の降りしきる森の中に佇んでいる。雨や風、雷の音。風にあおられてしなる枝の軋みや、地鳴りのような豪雨を受け入れて悠然と佇む岩々の雄大さが、「地球の化身」である自然神によって表現される。地球という星の美しさ、本来の姿を垣間見て、ほんの一瞬、我に返る主人公。そしてシーンは地球から宇宙へ。創造のゲームを楽しむ「万物を統べるモノ」が、チェスの駒(アンサンブルダンサーたち)を前に遊びに興じている。彼の手ひとつで、体の動きをコントロールされる主人公。あまりに壮大でリアルなゲームが、彼女たちが必死で生きているこの現実世界なのだ。
すべては万物を統べる「神」の手によって、決められていることなのに…
「支配されている」と思い込み、受け入れられない事実から目を背けるようにその場を抜け出した主人公は、現れた死神と共に、再び冥界への道を歩き出す。

◆第三章 冥界~狂気の饗宴
辿り着いた冥界は、狂人たちの終わらない宴の真っ最中。皆に担がれ、輪の中心へと押し出された主人公は、我を忘れて彼らと戯れ、めくるめく狂乱の世界へ身を落としてゆく。が、気を許したその瞬間、楽し気に見えていたその場所が、徐々に色を失い温度を失い、瞬く間に灰色の「死の世界」の片鱗を見せ始める。すべてが凍り付き、荒涼とした氷原に投げ出された主人公が、寒さに震え気を失いかけたその時─。艶やかな着物を身に纏い、悠然と現れた一人の女が、一瞬にして世界に「色」を取り戻す。凍える主人公の手を取り、優しく微笑んだその“女”は、男に愛され男を惑わす為に美しく着飾った、主人公の母親だった。

◆第四章 核心との対峙~冥界からの帰還
続きは劇場にて!

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◆第五章 再び冥界へ~再生
続きは劇場にて!

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