ソロ公演会場下見に行ってきました!

 

自身初のソロ公演に向けての準備が始まりました!

↑先日、会場候補の南製作所さんへ下見へ行ってまいりました。半年前から、妊娠出産期間中温めてきた作品の構想にイメージぴったりな場所でホッと一安心。一目見てここで即決しました。

入った瞬間、排油の匂いが充満していて、一気に連れて行きたい世界に連れて行ってくれそう。匂いって私はとても大事にしている舞台の要素です。旗揚げ公演「Mao」でも鞄を開けた花びらに香りを仕込んでいたので、花びらが舞う時は前列に座っていた人は気が付いてくれたようです。匂いって記憶に残るんですよね。

こういう工場のリアルをやっぱり舞台美術に使いたいです。工場のボイラーの音って胎内音に似ていてなんだか落ち着く気がします。ガチャコンガチャコンという機械音も心音に似ている。今年のお正月に四日市の工場夜景を見に行ったのですが、人っ子一人見当たらないその工場は不気味にとても美しかった。

生きているみたい…。それから去年キジをさばいたんですよ。

大人も知らない本当の食育ーキジをさばいてみたー

このキジから感じた生命の力と工場の感じって全く違うようでなぜか近しいものを感じました。来年、ダンスカンパニーUzmeとして第二回本公演にやる題材には「春の祭典」を考えているのですが、そこに繋がった作品をソロ公演でも作ろうとしています。春の祭典っていうのは100年前に上演された伝説のバレエ作品です。何が伝説かっていうと、暴動が起きるほどの問題作だったからなんです。当時の人には受け入れがたい異質な作品で、でも、今に到るまで各時代の有名演出家によって再演し続けられている作品でもあるんですよね。2チャンネルでも話題になっていた!!理解を超えるものなのに、見入ってしまって、心がざわついて、最後わけのわからん涙がでる!みたいな。

で、その作品を第二回公演として大瀧冬佳バージョンでやりたいと思っている。

「技術・魔術・芸術」は同じことだと思うのです。技術がこの先もものすごいスピードで進歩して行った果てに、人の生き甲斐ってどう変わっていくのかなって所に興味がある。昔は待ち合わせするのに、携帯なんてなかったから絶対に遅れられなかったし遅れたら待つしかなかったわけですよね。これが携帯のある現代は普通に今どこかを伝える術がある便利な世の中になったんですよね。そんな風に、5年単位くらいで過去の不都合は次の世代には理解できないくらいのものに移り変わっていく。

不都合や不自由がどんどんなくなっていって、完全にゼロになる時代がきた時。理想通りに生きれるような時代がきた時。じゃあ、人は最後の最後何を望むのかなって思うんですよ。

バーチャル(仮想現実)の中で自分の理想の世界で生きれるようになったとして、現実とバーチャルとの差がつかなくなっていったら、人は現実には戻って来ず、バーチャルの中で生きるのかしら。そういう風に考えるとザワつきませんか。胸が。現実が溶けていくわけですよ。肉体を持っている必要がなくなるとか、肉体から解き放たれたら、それは自由なんだけども、この不自由さがあるからダンスとか、スポーツとかってかっこよくて感動するのに、完全なる理想の世界にどんどん人が吸い込まれていくってなったらどうなっていくのかな〜って。

私とかは逆境に強いし、自分に打ち勝つ美しさを自分に求めている。でもそんな風に精神が強い人ばっかりじゃなくて、できることなら楽して生きて生きたい人、流されていたい人ってたくさんいるんだよね。やっぱり、キジをさばくときの羽根をむしる手に伝わる感触が答えかなと思う。命の営みみたいなもの。ちょうど赤ちゃんを出産したばかりだけれども、なぜ、私は私のお腹はこんなに美しい命を作ることができて、そして、これは動いているんだろう?なんで生きているんだろう?生きているってなんなんだろうってものすごく不思議なんですよね。

なんか、そんなことを本公演やソロ公演ではテーマに作品を作って表現していこうと思っています。

↑この子はそんな人間の営みを見ていそう。

裸足で地面を感じるのって、いいですよね。すんごく原始的、本能的、動物的、衝動的なものとテクノロジーとかロジックとか機械的とかそういうものの融合っていう世界観で作っていこうと思ってます。機械に苔が生えてる感じとか、蜂がゼンマイ式で動いているとかそんなイメージです。

ターシャテューダーのような庭がすっごい進んだ未来都市のほんの片隅にひっそりと孤独に残っているようなお話にしようかと思います。